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月の行方

【第十一話 希望の行方】 6.心抜け落ちたようで

 凍えそうなくらい寒い。
 息を吹きかけて手をこすっても温もりは戻らず、気休めにもならない。
「あと……どのくらいですか?」
「後少しだよ」
 疲れたノクスの声に、声音だけは疲れているように返すアルクトゥルス。
 こうして夜に呼ばれた事は一度や二度ではない。
 だから夜の雪道もある程度なれている。嬉しい事ではないが。
「ハイ到着」
 アルクトゥルスの言葉と共に、周囲が少し開ける。
「遅い」
 文句をいったのは白木の鳥居の向こう、注連縄のまかれた巨石にどっかりと座っている青年。
「いつまで待たせる気かと思ったぞ」
「申し訳ありません」
 傍若無人の言い方にもアルクトゥルスは深く頭をたれる。
 神に逆らってはいけないのだ。
「さて……来たか。娘に少年よ」
 視線を向けられる。それだけで全身が固まるノクス。
 ポーラも緊張しているものの、なんとかお辞儀をしてみせた。
「固くなることは無い。
 そなたたちを呼んだのはこれをくれてやるためだ」
 尊大に言って、顎でそれを示す。
 アルクトゥルスの背ほどもある澄んだ紫の巨石。
 ポーラは単純に綺麗だなと思った。
 ノクスは何か畏れを感じた。
 そして……アルクトゥルスは息を呑んだ。
 その石が何であったかを知る……其れ故に。
「我はそなたたちを気にかけておる。故に授けよう。
 好きなように使うが良い」
 物言いたげなかつての弟を黙殺し、兄だったものは述べる。
 仕方ない。アルクトゥルスはそう思い込む。
 どれだけ兄に似ていようとも、その色が濃くとも……相手は神。
「一つ。お聞きしてもよろしいでしょうか?」
 感情を消した固い声音になってしまったのはどうしようもない。
 許しを得て問い掛ける。
「彼女は……幸せだったのでしょうか?」
 余裕を持って笑っていた神の面が引き締まる。
 そして『彼ら』にとっては馴染み深い言葉を述べた。
「神とて万能ではない」
 突き放すように一言。
「だが、悔いは無かったろう」
 そして労わるように一言述べると、さっさと行けといった雰囲気で目を閉じられた。
 神に深く礼をしてアルクトゥルスは石を担ぐ。常人ならば僅かに持ち上げる事も難しいだろうが、『彼ら』にとっては難しくない。
 そのまま神に背を向けるアルクトゥルス。
 ポーラとノクスがためらいがちに続き。
「ああそうだ」
 思い出したように神が口を開く。
 立ち止まり振り返れば、どこか楽しそうに微笑む神の姿。
「踊らされてばかりではつまらなかろう?
 逆転を望むならば故郷に戻るのだな」
 何のことかと問い掛ける前にその姿は掻き消える。
 たっぷりとした沈黙の後、ポーラがおずおずと口を開く。
「あの……叔父上」
「まず帰ろうね……ここにいると風邪引くし。
 何がなんだか分からないだろうけど」
 疲れた様子で返すアルクトゥルスに、仕方なく二人はまたゆっくりと山を降りていった。
 その日は結局もう一度湯につかり、翌朝遅くまでぐっすりと眠りについた。
 きっと、起きてから聞くことはいいことじゃないと分かっていたんだろう。
 心も体も休息をとっておかないと耐え切れないと、うすうす感じていたのかもしれない。
 朝餉の後、真面目な話があるからと父と二人叔父に呼ばれ、ポーラが知らされたこと。
 それは……母の死だった。
 頭がぐるぐるして、何がなんだか分からなくて……ただもう母に会うことは無いと。それだけしか分からなかった。

 久々に晴れた夜空。
 ああこれでようやくちゃんと読みが出来る。
 どこか安堵した気持ちで星を読んでいたミルザムの表情はすぐに固まった。
 星が読めない間に起こっていた出来事。
 それはあまりにも多く……

 かたかたと彼女の体が震えている事にはすぐに気づいた。
 だけど、気づかないふりをしてその髪を梳る。
 さらさらと絡まることない滑らかな髪。櫛を通すリズムに合わせて彼女――アースは同じ言葉を繰り返す。
「身罷られたのは三ヶ月ほど前。すでに喪が明けました」
 いっそ可哀相なほどに震える明。
 だけど、知らないままでいることはできない。
 民のためにも、明のためにも。
 この時期は毎年忙しい。だから見慣れない女官がいても誰も気にしなかったのだろう。それが誰であるかを悟ったのはきっと明だけ、だから真意を聞きたくてそばに置いた。
 閉じ込めたのは自分。だからきっと罵られるだろうと思った。
 でも罵られても自分にだって言い分がある。だけど……
 先々代の昴の崩御を聞かされることになるなんて!
 淡々と紡がれる言葉が怖い。
 手にした櫛で突かれるのではないか? そんな恐怖が湧いて出る。
「進言したのは北斗ですか?」
「いい……え。鬼が……」
 かすれる明の答えに、アースは眉をひそめる。
 ここでもまた鬼。一体あの鬼はなんなのだろう?
 手を止めたアースに反応してか、明が肩を震わせた。
「ごめ……なさ」
 ひゃっくりをあげて謝る明。
「わたしが……よわいから、鬼の言葉を聞いてしまいました」
 鬼とはそういうものだ。人の弱いところをついてくる。
 そう分かっていて、それでも。
「誰もみな、『わたし』を見てくれないから、つい甘言に……惑わされて」
「明さん……」
 ポツリと名を呼ぶと、明は振り返ってかすかに笑みを見せた。
「現さまは名を呼んでくれてますよね。いつも」
「名を呼ばないなんて、失礼でしょう?」
 目上の相手を公式な場で呼ぶことは無理だが、相手がそれを嫌わない限りは名を呼ぶのはむしろ礼儀だろうというのもある。
 本当は自身が名を呼ばれること無く育ち、それが淋しかったからそうしているだけなのだが。
「怖かったのです。昴でないわたしを認められていないみたいで。
 昴である限り、わたしは『わたし』でないようで」
 昴である限り……絶対に手の届かないものがあることが。
 何をすればいいか、誰を信じればいいか。
 いつもいつも流されてばかりだった。
 言われた事をしてきただけだった。
 踊る立場から、踊らせる方にまわってもいいんじゃないか?
 以前からずっと心に秘めてきた思い。
「お力を貸していただけませんか? 現さま」
 必死さを演じつつ、逆らう事を赦さない物言いで明はそれを話し始めた。

 冷たい廊下をとてとて歩き、ぽやっと庭を眺めている黒い影の横に腰を下ろした。今まで気配に気づかなかったのか、驚きの表情を浮かべて彼がこちらを見上げる。闇色の髪と深い青い瞳。色は違うがその面立ちは甥に似ていて……
「アーク殿?」
「邪魔するぞ」
 もうしてるかと笑って、品定めをするように彼を見る。
「意外と冷静だな、ノクティルーカ?」
「一応王族ですから」
 答える言葉は短い。
 具体的に権力の中心にいるものがどんな思いをし、どんな策謀がめぐらされているかノクスは知らない。
 だが、近い場所にいる、それだけで分かる事もまた――ある。
 人質状態の前王の存在というのは難しい。
 ベガは『だいじなもの』をもったままにソール教に監禁されていたと聞く。その『だいじなもの』をポーラに託した時点で彼女の運命は決まったといって良いんだろう。
 生き長らえても国に害しか成さないならば……
「自害ではないよ」
 ノクスの考えを読んでいたかのようにアルクトゥルスは言う。
 視線は遠くを見たままに、淡々と述べる。
「姉者が自害を選ぶならばもっと昔のはずだ。
 生まれたばかりのちい姫に『あれ』を託し……その場で果てるような方だから」
 自害をしては都合が悪い事があった。
 かといって今この時点でソール教がベガを害したとも考えにくい。
 なら……なぜ?
 考え込むノクスの頭にぽんと手を乗せて、アルクトゥルスはそのまま撫でる。
「スピカから連絡があってな。
 ソール教の神殿で、鬼が大暴れしたらしい」
 対峙した時の恐怖を思い出し、身震いするノクスの頭をぽんぽんとたたいて落ち着かせながら、なおもアルクトゥルスは言葉を紡ぐ。
「まったく、私は楽隠居したかったのに」
 ぶうたれたようなアルクトゥルスに、ついついノクスが苦笑する。
「そうそう。そうやって笑っていろ。余裕があるように見せかけろ」
 ぽんぽんと頭をたたいて真面目な顔をする。
「ちい姫は無論……ラティオもソール教に関しては頭に血が上りがちだからな。
 その点ノクティルーカは中心に居つつも外の人間だ。一番冷静でいろ」
「冷静でと言われると……何かあるのですか?」
「去り際に聞いただろう。『踊らされてばかりではつまらなかろう』とな。
 此度の一件、何者かの筋書き通りに事が進んでいるんだろうよ」
「ソール教が描いたのではないのですか?」
「どうだろうな」
 ノクスのもっともな問いにアルクトゥルスはあいまいに返す。
「案外、敵は外にではなく内にいる……という可能性もある。
 『逆転を望むならば故郷に戻れ』といわれた事だしなぁ。
 面倒だが一度都に戻ったほうがよさそうだ」
 ああ面倒だと愚痴りつつ、来た道を戻るアルクトゥルスの背を見送って、再びノクスは庭に視線を戻す。
 何が起きてるかなんて分からない。
 どうしてこうなったかなんて尚更の事。
 これから本当に、どうすればいいんだろう?
 真っ白な足跡のない雪。
 まさに目の前の光景が心情を表していた。