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月の行方

【第十一話 希望の行方】 5.残されたもの

 アルタイルの告白に沈黙が下りた。
 他国の事だからノクスは口をはさみづらいし、娘達は困惑している。
 ラティオは一人普通の顔をしていたが、内心までは伺えない。
 そんな彼らを眺めて、口を開いたのはアルクトゥルスだった。
「それで、義兄上はどうされるんです?」
 ただ虚ろな目だけを義弟にむけるアルタイル。
 そんな義兄に言い聞かせるようにゆっくりと彼は話す。
「王城に戻って罰を受けるなり、このまま他国に逃げるなり……
 どの道も選ばずのらくらとしてられる時間はもうないですよ?」
 義兄上もお分かりでしょうけどと付け加えてつまらなそうに口を閉じる。
 他国の王族のことは良くわからないが、アルクトゥルスだって政争に巻き込まれた事はある。
 もっとも『彼ら』の王にあたる昴は女系女子にのみ継承権がある故にアルクトゥルスが中心になることは無かったが、当時まだ生まれてもいなかったポーラ……もとい結婚すらしていなかったベガの生まれてくるであろう娘とアース。どちらを世継ぎにするかなどといった話題はよく出ていた。
「まだ……決めかねている」
 ポツリしたアルタイルの声。
「だが国は棄てられない」
 その言葉だけはしっかりしたもの。
「それだけは出来ない」
 ユリウスがほっとしたように顔をほころばせる。
 ユーラも安心したように息を吐く。
 セラータで『アルタイル』の名は騎士の鑑と同義。
 国のために王命に逆らう事を許しても、国を捨てる事は赦されぬ。
 義兄上も難儀な事だな。
 こっそりと思うアルクトゥルス。
 だがそれは何も彼に限る事ではない。
 ベガの娘。
 ただそれだけのことで、『彼ら』にとってのポーラは、セラータにとってのアルタイルと同じ意味をもつ。
 明が懐妊でもすれば話は違ってくるかもしれない。
 しかし今現在、世継ぎ候補はポーラしかいない。
「さて」
 暗くなった場を和ませるように手を一つ打ってアルクトゥルスは立ち上がる。
「もう夜も深い。そろそろ休んで……」
 立ち上がりかけたままの姿でとまった彼に、皆が不思議そうな目を向ける。
「あなた?」
「……お呼びだ」
「まあ」
 頭痛をこらえるように掌で顔を半分隠し、憂鬱そうに答える夫にナシラはどこまでも軽く返す。
「ではすぐに準備をしますわね」
「ああ頼む。ちい姫とノクティルーカも支度をしなさい」
「え」
「は?」
 突然名指しされてきょとんとする二人を他所に、急ぐように大股でアルクトゥルスは廊下へ向かう。障子が開けられたことで入ってきた冷たい空気に一瞬だけ体を震わせ、肩越しに言い捨てる。
「今夜は冷えてるから十分以上に厚着するように。
 湯冷めしたら大変だからな」
「はあ」
「ちょっと待てよっ! ポーラが行くならあたしも」
「駄目だ。部外者がいたらそれだけでへそを曲げられる」
 反論を封じるように障子がぱしんと閉められ、ノクスとポーラは顔を見合わせる。
「どうしよう?」
「とりあえず……着替えてくれば良いんじゃないか?」
「そうね」
 釈然としないながらも立ち上がり、それぞれの部屋へと戻っていく。
 そうして……なんともいえない妙な雰囲気の部屋に取り残された人たち。
 この場から人が消えるには、まだまだ時間が必要だった。

 寒い寒いと思っていたら雪が降っていた。
 夜闇に明るい灰色の雪。
 明かりはアルクトゥルスのもつちょうちん一つ。
 向かう先はここよりさらに山の頂に近い場所。
 雪化粧された山は死の世界を思わせる妖しさ。
「世の中にはやらなきゃいけない時があるんだよ」
 この中を進むのかと問いたげなノクスに先手を打ってアルクトゥルスが告げる。
 彼だって自殺願望があるわけじゃないし、冬山になんて登りたくない。
 とはいえ呼ばれてしまったのだから行かない訳にもいかないだろう。
 アルクトゥルスを呼んだのは、彼が奉る神。
 かの神の恨みなどを鎮めるために、血の近い彼がここにいるのだから、呼ばれて行かないなど言語道断。
 とはいえ今回本当にお呼びがかかったのは彼ではなく姪のポーラ。
 アルクトゥルスの役目は道案内と、何も知らない彼女とノクスが神に無礼をしないように見張る事。
 それが一番大変そうだなー。
 ため息が白く空気に溶けていく。
 かつて彼の兄だった……神のおわす場所までは、遠い。

 気まずい。
 ちらと横を伺ってみるとラティオは平然とした顔をしていて、本当に気まずいのは自分だけなのかと疑いたくなるが、父もなんだか困った顔をしている事を確認してほっとする。動く事すら憚られて逃げるタイミングを失って、どうしたものかと思案するユーラ。
 ポーラについて行けたら良かったのに。
 部外者だと言い切られてショックを受けた。
 ポーラたちにとって自分は部外者なのだろうか?
 アルクトゥルスたちのいう『自分たち』とは一体なんなのか?
 自分は駄目なのにノクスがいい理由は?
 分からない事だらけ。誰も何も教えてくれない。
 悶々と考え込んでいると、澄んだ声で入室の断りが入った。
 一枚上着を羽織ったナシラがちょうちんを持って座っている。
「遅くなってしまいましたが、理君」
「はい」
 何か? と無愛想に応じるラティオ。しかしナシラは構わず笑いかける。
(ささめ)君……セドナさまがお待ちですよ」
 その言葉にラティオが目を見開く。
 こいつもこんな風に驚く事あるんだと感心したようなユーラの前で、神妙にラティオは頷き立ち上がった。
 また障子が閉められる。今度はたいした音も立てずに。
 それでも、いやそれだからこそ。
 ユーラは余計に疎外感を感じた。

 冷たい板の渡り廊下を通ってたどり着いたのは宝物庫らしい別棟の建物。
 窓のない白塗りの厚そうな壁に大きく頑丈そうな扉。
 かんぬきが開けられて風の動きと共に雪が室内に入り込む。
「叔父はこんなところにいるのですか?」
 人が住むような場所じゃないと皮肉ったにも関わらず、ナシラは困ったような笑みを浮かべ、持っていたちょうちんをラティオに手渡す。
「ご用がすんで、出られるときにはまたかんぬきをお願いしますね」
 それだけを告げて来た道を帰る。
 彼女の姿が見えなくなって、ラティオは忌々しそうに唇をかむ。
 面白くない。
 状況に流されて誰かの手の上で踊っているような感覚。
 だが、いつまでも大人しく踊っていると思うなよ。
 脳裏によぎった影に宣戦布告をしておいて、明かりを頼りに室内を見渡す。
 埃がすごいものと覚悟していたが、空気は暗く澱んだ感じは無く、仄かな明かりに浮かび上がるのは積まれた箱々。
 正方形や長方形、大きさもまちまちな木箱が所狭しと並べられている。
 それらを蹴飛ばさぬように気をつけながら、ゆっくりと室内に足を踏み入れる。
「叔父さん?」
 呼びかけに応えはない。
 当然だ。だって叔父はすでに死んでいるのだから。
 だというのに。
「ああ……大きくなったねラティオ」
 万感の思いが篭った声が返ってきた。
 息を呑む。
 明かり採りかなにかの小さな窓と、ラティオがもつちょうちん。
 その僅かな明かりに浮かび上がる人影。
 年のころは三十前半。闇に煌く刃のような銀の髪。夜と同化する黒地に赤文様の服。何より特徴的な金と銀の色違いの瞳。
「叔父さん?」
「あはは、びっくりしたかい?」
 自分でも間抜けだなぁと思うほど気の抜けた呼びかけに、いたずらが成功した子供のような無邪気な顔で返すセドナ。
 その姿も表情も見慣れていたものとまったく同じで。
「生きてるならどうして――ッ?!」
 思わず駆け寄ったせいで足元で大きな音が鳴る。
 それに構わず、もっとしっかり文句を言おうと伸ばした手が。
 セドナの胸倉をつかみ上げるつもりで伸ばした指が。
 空を切る。
 信じられないものを見るように、自らの手と彼とを見比べるラティオに、セドナは淋しそうに笑った。
「うん。ありていに言っちゃえばお化けなんだよ、僕」
 そのあまりにもあっけらかんとした言い方に、ラティオは冷静さを取り戻す。
「……どうして」
「色々と面倒な事があるんだけど……
 ラティオは『僕たち』のこと、あれから新しく知った事あるかい?」
 何でまた化けて出たのか。むしろ化けて出るならソール教の連中相手じゃないのかと聞くはずだったラティオだが、予想外の質問をされて口を閉ざす。
「いえ」
「そっか。まあ仕方ないか最大の機密だし。
 でもいいか。こうやって来てくれたんだし」
 一人で勝手に納得して、セドナはにこにこと笑う。
 あやしい。
「そこの右側の細長い箱開けて。
 中に槍が入ってるから、ラティオが使いなさい」
 問いただすタイミングを失ったため、仕方なく言われるままにラティオは箱を探す。
 箱には文字らしきものが書かれているが読めない。
 紐をほどいて蓋を取れば、セドナの言うとおり槍が一振り入っていた。
 ラティオの身長に拳二つ分ほどを加えた長さ。装飾など一切ないシンプルな槍。
 穂先はぴかぴかで、多分一度も使われたことは無いだろう。
「わざわざ来てもらったのはそれを受け取って欲しかったからもあるんだ」
「魔法の槍……ですか?」
「そう流石だね」
 何か魔法がかけられているわけではない。
「金属自体が魔法を帯びている?
 オリハルコンとかミスリルの類ですか?」
 話には聞くが見たことは無い金属の名を上げると、セドナは頭を振った。
「あってるとも言うし、違うともいえる」
 あいまいな答えにラティオは眉をひそめるが、セドナは飄々と笑う。
「嗚呼良かった。漸く成仏できそうだ」
 白々しく天を仰いで、しばらくして肩を落とす。
「分かった。教える教えるよ。
 本当にそういうとこはマルスによく似てるんだから」
「で、この槍はなんなんですか」
「ラティオのための武器だよ。
 あんな事があったし、自衛のための武器は用意しておくべきだと思ったからね」
 浮かべる自嘲の笑みは自身に起きた事を思い出しているためだろうか。
「材料といった意味では、刃の部分以外は何か知らない。金属だろうけど。
 刃の部分の材料は僕だ」
 さらりと紡がれた言葉。
 そこに、今何か凄い違和感が無かったか?
 明かりの乏しい闇の中でもラティオの表情が変わった事に気づいたのか。
 言い聞かせるやさしい口調で、残酷な事実をセドナは告げる。
「その刃は僕の遺体だよ。
 オリハルコンとかミスリルとか言われてる金属。それらは魔法を帯びてたり、それを材料につくられた武器は意志を持ってたりする。
 意志があるのは未練があるから。
 果たせなかった思いがあるから……だから残ってしまったんだよ。
 人と同じ姿で、人と違う寿命と能力。
 この世界で異質だから、『僕ら』は死んでもその躯は土に還ることは無い。金属になって武具に防具に、見た目が綺麗だから宝石みたいに扱われる事もある。
 僕は四分の一しかひいてないから、穂先部分だけで精一杯だったんだけどね」
「どういう……」
「そういったものだと割り切った方が楽だよ。考えちゃ駄目だ」
 そんなこと言われたって考えるに決まっている。
 不満そうなその顔に、セドナは大仰にため息をつく。
「本当に理解してる人はいないよ。『僕ら』の中でも多分。
 ただ『僕ら』はこの世界の法則に適応しないらしい。
 僕もこの状態になってから大叔父さん――アルクトゥルスさんに教えてもらったんだし」
 聞きたいことはたくさんある。
 だけど何を聞けば良いのか、何を言えばいいのかが全然分からない。
 難しい顔をして黙るラティオにセドナは微笑み。
「まだまだ言いたい事はあったけど……残念、時間切れみたいだ」
 まるで彼のその言葉が引き金のように、姿が薄まって闇に溶ける。
「叔父さん!!」
「だから最初に言っただろう? お化けだって」
 叫ぶラティオに軽く返し、焦点のあわない目で見返す。
「重荷かとは思ったんだけど、死んでまであいつらに使われるの嫌だし……
 できれば甥っ子や姪っ子を守れたらなっていうのもあってね。
 『精神(ぼく)』が消えても『(やり)』は残るし、形見だと思って」
「……わかりました」
 薄れていくセドナに返事をする。
 それしか出来ないから。
 安心したのか、セドナは途切れ途切れに二言三言呟いて――

「いったか」
 確かめるように紡がれる言葉。
 まぶたを開けて目に入るのは足跡一つない綺麗な雪のじゅうたん。
 巨石の上に偉そうに、でも手持ち無沙汰に座るのは青年の姿をしたもの。
 雪に溶け込むような白い衣は薄く、雪山でするような格好ではない。
 生者ならば。
 彼が座る巨石の影に隠れるかのように、もう一つ大きな石。
 大人くらいの大きさの、透明感をもった濃い紫の石。
 つい先日、面白くも懐かしい相手が彼に捧げてきたもの。
 だからこれは彼の自由にしていい。
 だから気に入ってるあの娘にやろうと思った。
 それだけの、こと。