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月の行方

【第十一話 希望の行方】 7.たった一歩でもここから進む

 かつてとは比べ物にならないが、それでもそれなりに賑わいを見せる大通りを市女傘の女性が歩いていた。
 姿を隠す白い薄布。それに透けて見えるのは、同じように白い髪。
 彼女が歩を進めるそのたびに、しゃらんと涼しげな音がする。
 どこにも鈴のようなものは見えないというのに。
 物売り連中もさりげなく視線を向ける。
 庶民はともかく、高貴な血筋の女性は男性に顔を見せることは無いという。
 あれはどこの姫だろう。
 人々の視線を受けながら、名の知れぬ姫は歩いていく。
 見れば供の一人もいない様子。
 それに気づき、一人の男が姫の後を追いかけたところで別の声が呼び止めた。 
「久しいな、『ゆめ』殿」
「これは『雨夜』さま」
 『ゆめ』と呼ばれた姫は嬉しそうな返事をし、『雨夜』と呼んだ男性に近寄る。
 女性と違い、男は顔を隠すようなことは無い。
 狩衣姿のその男は、長い深い海の色の髪をしていた。
「どちらかにお出かけか?」
「はい。お暇を賜りましたので、里に戻ろうと思いまして」
 にこやかに答える『ゆめ』。動いた拍子にまた音がする。
「なるほど。しかし女人の一人旅はいささか物騒だ。お送りしよう」
「まあ、ありがとうございます」
 自らの胸をたたいて安く請け負う『雨夜』。
 二人連れになったことで、余計な邪魔も無く二人は都を後にした。

 踏みしめられて固くなった地面。所々に溶けきらぬ雪。
 決して良好とはいえない道を二人は黙々と歩いていた。
 都がすっかりと見えなくなった頃、ようやく『雨夜』が口を開いた。
「まさか、こんなところにいようとはな。一体何があったんだ?」
「それは……」
 先程のような朗らかさはまったくない、厳しく固い声に『ゆめ』が口篭る。
「明が手をひいていたか?」
「いえ、明さんは私たちと同じです」
 次の問いにはしっかりと答え、『ゆめ』は軽く目を伏せる。
「お元気そうで安心しました」
「あんまり元気ではないんだけどな」
 打ち合わせなどしていなかった、だけど……この偽名は性質が悪い。
「でもこちらに来られるなんて、一体何が起きたんです?
 このことが知れたら」
「迂闊な真似はしないから安心しなさい」
 『ゆめ』は目が覚めれば終わるもの。朝がくれば消えてしまう儚いもの。
「しかし、無事でよかった……現」
「麦兄上こそ」
 苦笑をもらしてアースは言う。
 しばらく会わない内に、アルクトゥルスは随分と厳しい顔つきになっている。
 そう思っている事が分かったのだろうか、悲しそうな瞳のままにアルクトゥルスは口を開く。
「姉者のことは」
「……存じております」
 沈んだ妹の声に、さらに痛ましい顔をして……結局別の事を言う。
「一度で済ませたほうが良いな。続きは後で」
「はい」
 言わなければならないこと。
 それは、とても悲しい事。
 避ける事など出来ないと知っていても。それでもアルクトゥルスは足掻きたかった。

 目の前に揃って座っている兄妹に、ミルザムは何度目かのため息を漏らす。
「呆れてものが言えませんよ」
「言ってるじゃないか」
 飄々と答えるのはかつての上司の弟にして今の主の叔父。
 妹の方はすまなそうにずっとこちらを見ている。
「本当にどうしてこんな無茶をされるんですか、む」
「こらこら迂闊に呼ぶな。今は『雨夜』だ」
「……この光っている発動体はご存知でしょう。話は洩れませんよ」
「む。切り返しが早くなったな、ミルザムのくせに」
 この辺りのすねかたは流石兄弟、シリウスとよく似ている。
 とはいえアルクトゥルスはシリウスと違い、かなり口が達者だ。
 しかしミルザムとて伊達にスピカやカペラといた訳ではない。
 こういう輩には強制的に話題を変えるべし。
「末姫様、良くご無事で」
「ミルザムさんこそ」
「私の苦労など」
 大した事じゃない。自嘲の笑みを浮かべそうになる。
 カペラはまだ意識が戻らない。スピカは今も一人でグラーティアを守っている。
 その二人に比べたら。
 暗くなる思考を強制的に遮る。今はこんな事で落ち込んでいる場合じゃない。
「ですが、何故ご身分を隠されて?
 心君のお屋敷なのですから、その必要はないでしょう?」
 太陽の名残を感じさせる橙色の空を背に、この二人は訪ねてきた。
 旅のものだが今宵の宿をお願いできまいか、と。
 心とは協力関係にある今、なぜ来訪を隠す必要があるのか?
 しかしアルクトゥルスは真面目な顔で『ある』と答えた。
「此度の件、外のことは外のものに任せる。我らは中の事態を収める」
「内通者がいると?」
「思い違いをしているものがいるのではないかと思ってな」
 ミルザムの問いかけに、彼は嫌そうに肩をすくめた。
「思い違い、ですか?」
「後星にちい姫を推すこと。それを疎んじているものがいるのだろう」
 不思議そうな妹にアルクトゥルスは静かに返す。
 言いたくはないこと。だけど……それはきっと叶わないのだろうと悟りながら。
「何故ですか? 明さんに御子がいない以上、後星となるのはポーリーしか」
「現がいる」
 自分の言葉を遮って放たれた一言。
 それに、アースは呆然とする。
「まだ若いちい姫を後星とする事に納得していない者は多いだろう」
 兄の声が遠く聞こえる。
 何を、今更。
 そんなこと最初から分かっていた。だけど胸の痛みは止まらない。
 初めてそれを感じた日から、ずっと。
「人間の介入で後星の権利を失った――そう思わせた代償だが」
「見ず知らずの北の姫より、末姫様を……と?」
 厳しい顔のままに告げるアルクトゥルスの言葉をミルザムが継ぐ。
「でも、私は」
 ぽつんと小さくアースが言うと、分かってるとばかりに頭を優しく撫でられた。
「そうだ。現は昴位を継げない。
 だが、それを話す事も出来ない……あー本当に厄介だな」
 声だけは軽さを装ってアルクトゥルスは言う。
 自分だって本当の事を教えてもらうまでは不満だった。
 アースは後星として立つ為に、昴となるために様々な教育を受けてきた。
 昴になれない事実と理由を知る前はよく言っていた言葉。
 『立派な昴になるように』
 聞いたあと、一瞬泣きそうな顔をして満面の笑みを浮かべていた妹。
 その姿を思い……自分の迂闊を呪った。
 これ以上傷を広げる必要はない。
 自らの内でそう締めくくり、アルクトゥルスが現状を伝える。
 ポーラの事、そしてシリウスの忠告を。
 次に今までどうしていたかをアースが話し、沈黙が下りた。
「ややこしいな」
「鬼が出てきたこともですけど」
 思わず呟いたアルクトゥルスにアースも同意する。
「理性がある鬼か。何を企んでいるのだ?」
「鬼はポーリーの所にも出たんですよね?
 カペラさんは何かご存じないんですか?」
「……そうでした」
 アースの言葉に、今まで聞き役に徹していたミルザムは間抜けな声を出す。
「そうでした、そうでした! あーこれでやっと話が聞ける」
 一人納得した様子のミルザムに、アルクトゥルスは呆れた声で聞いた。
「話が聞ける? まだ聞いていなかったのか?」
「はい。カペラは鬼の呪いで床に伏せって」
「……今ごろ言う事か? すぐに解呪だ! 現、補助を」
「はい兄上!」
 あっという間にばたばたと走っていく兄妹。
 我に返った星読みが追いついたのは、カペラの部屋になだれ込んでからだった。

 僅かに入る光は格子を通してのもの。この闇を消せるほどの力はない。
 暗く澱んだ空気。それだけで体力の全てを削られるようで。
 固い地面に反響する靴音。それに反応して彼女は目をあける。
 埃に汚れ、ほつれた蜂蜜色の髪。
 他の囚人よりは多少マシなゆったりとした灰色の服。
 そこから伸びる手足や頬も埃に汚れ、所々にあざが出来ていた。
 格子をはさんで彼女の前に立った相手は見慣れた鎧姿。
 兜のせいか、それとも薄暗いせいだろうか。その表情は伺えない。
 いや、伺う必要などない。
 ここにこうやって自分が居り、生きている事が重要なのだから。
「飯だ」
 愛想も何もない声で、地面に近い僅かな隙間からトレイが入れられる。
 食べなければ生き残れない。だから彼女はいつでも素直に食事をとっていた。
 かつてとは比べ物にならないほどみすぼらしいものだとしても。
 焦げて固いパンを口にすると、意外な事に兵士が声をかけてきた。
「よく噛んで食えよ」
 怪訝そうに見上げられたにも関わらず、兵士は何の反応も示さない。
 薄汚れ、諦めることに慣れてしまった彼女の姿。
 だが……瞳の輝きがそれを裏切っている。
 何も反応がないことで飽きたのか、彼女は結局食事を続けた。
「そう。いい子だ」
 なんだろうと彼女は考える。
 どこかで、こんな風にやさしい言葉をかけられたような気がする。
 そうそれはまるで……兄のように慕っていたあの人のよう。
 ちくりと胸が痛む。
 彼は今どうしているのだろう?
 思索にふけっていた彼女の耳に小さな金属音が聞こえた。
 地面に落ちた錠。
 あの音かと納得しかけ、その事実に違和感を覚える前に……牢は開けられた。
 何のつもりかと問う前に、親しそうな声音が告げた。
「久々だな、アリア」
 一歩、兵士が近づく。
 そのお陰で今度は顔が良く見えた。
 兜からかすかにのぞく赤錆色。優しく彼女を見つめる瞳はセピア。
 差し出された手は日に焼けた濃い色。
 見覚えのある人だった。だけどこの人がここにいる理由が分からない。
「おーいアリア、どうした?」
「イアロスさん?」
 半信半疑ながらに名を呼ぶと、イアロスはほっとしたような顔をした。
「ほら話は後だ、とにかく今は逃げるぞ」
「何故」
 腕をひかれるままに牢を出て、不思議そうに問うアリア。
 茶化すようにイアロスは答える。
「アルに貸しを作るのもいいと思ってな。
 ……それにアリアは完全に被害者だろう? こんなところで殺させてたまるか」
「イアロス殿」
 つかまれた腕を払い、アリアは決然と言う。
「わたくしはこの国の王妃です」
「だから」
「逃げる訳には参りません」
 何か言おうとする彼を遮り、キッパリと告げる。
 そんな彼女に対し、今度はイアロスも真面目な顔で言う。
「王は殺された……しかもアルタイルにだ」
 人聞きだったなら信じなかったろう。
 だが、イアロスはその場にいた。一連の状況をすべて見ていた。
 あの傷と王の年齢を考えれば……助かることは無い。
「お前の立場は」
「生きておられます」
 まっすぐに見つめ返してくるアリアの瞳は理性の色が濃い。
「証拠は?」
「わたくしです」
 間髪いれず返ってきた答えにイアロスは渋い顔をする。
 それでアリアは分かったのだろう。
 イアロスが彼女の言葉を正しく理解した事を。
「ですから、お会いしなければ。真意を、お聞きしなければ」
 長く牢に捕らわれていたと思えないほどの強い意思。
「俺もいい加減お人よしだなっ」
 先に根を上げたのはイアロスのほうだった。