【第二話 流涕】 2.届く事の無い指先
「ちい姫が守ったからだ」
いとも簡単にミルザムはそう答えた。
「どうやって?」
「転移の魔法だろう」
疑問を口にするノクティルーカに答えるのはウェネラーティオ。
確証はないが、消去法でそれしかないと判断したのだろう。
魔法に疎いユーラとレイはすごいんだなぁと思っていることが分かるくらいぼへーっとした顔で話を聞いている。
「……そしてお前たちが送られる時を占って、俺たちが回収したというわけだ」
分かったかと目で問いかけられ、しぶしぶながらもノクティルーカは頷く。
ミルザムは最高の星読みだ。
少なくともノクティルーカが知る限り、彼の読みは外れたことがない。
だがそれでも不安は残る。
ミルザムの占いによって場所を知り回収したというのが本当ならば、何故占う必要があった?
ここに飛ばしたのはポーリーだという。
彼女とミルザムの間に意志の疎通はなかったのか、それとも、場所を選んで飛ばすということが出来なかったのか。
何より不安なのは、彼女がこの場に姿を現していないこと。その気持ちは自称ポーラの親友も同じだったのだろう。椅子を蹴立てて立ち上がる。
「じゃあポーラは無事なんだなっ?!」
「生きてはおられるよ」
ほっとして息を吐くユーラ。逆にノクティルーカの眉はよる。
生きて『は』いる。その言い方では悪い想像しか出来ない。
表情から何かを読み取ろうとしても、ミルザムもスピカもそ知らぬ……というより、不自然な点はない。
「でさ、ポーリーはどこにいるの?」
「別の場所……城にいらっしゃる。
お前たちが来るのを今か今かと待ちわびておられるだろうな」
「じゃあ連れてけよっ」
「心配しなくとも案内する」
優雅に席を立ってミルザムは笑った。
常にある人懐こい笑みでも、からかうようなものでもなく。
淡く淡く、悲しいような顔で。
扉を出ると、濃く青い空が目に入った。
大きな入道雲もあるものの、太陽は強く輝き肌を刺す。
夏なんだなぁと実感する。暑さ。
それでも砂漠のアルカに比べれば大分涼しいし、風も心地よい涼しさ。
一度も他国に出たことのないソレイユやグラーティアはきょろきょろと首をめぐらせ景色を堪能し、とても楽しそうだ。
「ミルザム、どっからそんなに攫ってきたんだ?」
突然上から降ってきた声。
見上げれば、少々くすんだ青い髪をした壮年の男性が楽しそうに口の端をゆがめて、窓枠に寄りかかっていた。
「人聞きの悪いことを。案内してるだけだ」
「わかって聞いてるに決まってるじゃないか」
むっとして返すミルザムを笑っていなし、彼はノクティルーカたちに向かって軽く頭を下げた。
「うわー、本当に、ミルザム以外にいたんだ」
ポツリとした呟きはソレイユのもの。
その言葉は、外見の特徴――主に髪の色を指している。
人は、青い色の髪を持ち得ない。そして、至高の紫の瞳も。
ならばそれらを持つミルザムたちは?
――曰く『人に非ず』。
『彼ら』は人より、寿命・体力・魔力すべてにおいて秀でており、『神に最も愛されている存在』だという。世間一般では。
以前そのことをアースに聞いてみたら、困った笑顔で誤魔化された。
『その先を知らないんだったら、羨ましく思われても仕方ないんでしょうね』。
後に何が続くのかは結局教えてくれなかったが、その表情は印象に残っている。
遠慮の無い弟に習って、ぐるりと辺りを見回してみるノクティルーカ。
立ち並ぶ家はすべて石造り。小さめの窓は冬が厳しい証だろうか。
ミルザムたちってこんなとこに住んでいたのか?
昔話に聞いた限りでは違うような気がする。
こんな石造りの建物じゃなくて、あの時世話になったポーリーの叔父……アルクトゥルスの住まいだったあの建物のように木造建築が主流だと言っていた。
むしろ、それしかないみたいなことを言っていた気がする。
思考しつつも、すたすたと歩くミルザムに遅れないように路地を行く。
右に曲がると大通り。目指す先には確かに石造りの城の姿が遠く見えた。
「あ?」
漏れた声は誰のものだったろう。
「ここって……」
ノクティルーカも記憶のどこかに引っかかりを感じた。
この城は昔、目にしたことがある。まさかといった思いの彼と同じように、ユーラはその町の名を恐る恐る口にした。
「セーラ、なのか?」
肥沃な大地を抱える有数の農業国にして北の大国セラータの首都。
そこで暮らしていた彼女が見間違えるはずもない。
だが、ここがセーラというのならば、何故人がいない?
大通りに出るまでの間、誰ともまったくすれ違わなかったというわけではない。
訳が分からない。
混乱しながらもユーラは左右に視線をさまよわせる。
見覚えのある石造りの城。見慣れた町並み。
忘れるはずもない、母国の象徴たるレンガ造りの大通り。
だが、城の背後に広がっていた森と山々がない。
この大通りだって、半年前に改修したはずなのに、何故ここまで磨耗している?
見覚えのある風景の中にある違和感。
ユーラは必死に探す。
ここが故郷である証拠を。あるいは、故郷ではない証拠を。
「そうだ。ここは確かにセラータのセーラだ。
元……な」
こちらに背を向けたまま紡がれたミルザムの言葉。
何故だとも、どうしてだとも聞くものはいなかった。
分からない事だらけでおかしくなりそうだ。
だから、これ以上頭がおかしくならないように今は聞かない。今はまだ知らなくていい。
今一番大事なのは……一番知りたいことは、彼女の安否。
それが態度に出ているのがユーラとノクティルーカ。
不安ながらも沈黙を続けるソレイユとグラーティア。
ウェネラーティオは一人普段と変わらぬように見える。
案内役のミルザムは淡々と歩を進めるのみ。
そんな奇妙な一団を見守るものがいた。
「あの方たちが?」
「これで姫が……」
「いやいや、まだ喜ぶのは早かろう」
ひそひそ声に、隠し切れない歓喜の色が滲む。
ある者は路地から、ある者は窓からこっそりと、彼らの行く手を見守っていた。
「ようやく……」
「ああ、ようやくだ」
「そうだ。これでようやく」
「我らの星が目覚められるだろう」
ミルザムたちが城に入り、姿が見えなくなっても、熱のこもった視線が減ることはなかった。
どこか見覚えのある城。かつてここではないここを訪れた際に、堅牢な城が陰鬱だと思ったことを思い出した。
そう。あの日。
今のように彼女が住まう城を訪ねて、はじめてポーリーに出会ったのだと。
そんなことをノクティルーカは思い出していた。
こっちよりもすごく緊張していて、頬を軽く赤らめて挨拶をした彼女。
間違わずに挨拶を終えたと、ほっとしたときに浮かんだ笑顔だって思い出せる。
子どもながらに真剣に、結婚の約束をしたのだってそのときだ。
……何故、こんなことを思い出すのだろう?
右へ左へと複雑に入り組んだ廊下を行き、ふとミルザムの足が止まる。
ようやく着いたのだろう。
境界を示す扉はなく、薄暗い闇が広がる部屋。
「こちらだ」
そう言ってミルザムは右により場所を開け、こちらを振り向いた。
ここから先は同行しないということだろうか。
それとも殿を勤めるということだろうか。
ずれたことを考えるノクティルーカとは逆に、何も考えぬままユーラは部屋に飛び込んだ。びっくりしたように、でも嬉しそうに出迎える親友の姿を想像して。
「ポーラッ」
呪縛が解けたかのようにソレイユもグラーティアを口々に名を呼びながら部屋に入っていく。
……それが普通のはずなのに。
近しいものとして、親しいものとして正しいはず態度なのに。
ノクティルーカの足は重く、ゆっくりと一歩一歩踏みしめるように部屋に入った。
最初に見えたのは、弟とグラーティアの後姿。
声もなく立ち尽くしていることがよく分かる――そんな姿。
結論から言えば、確かに、そこに彼女はいた。
叔母から譲り受けた杖を両手でつかみ、背筋を伸ばしてまっすぐ立って、かつての仲間を出迎えた。
ただし、瞳は閉じたまま。
その身は氷のように透き通った玻璃に閉ざされて。
――血の通わぬ像のように、そこに在った。
「ポー……ラ?」
かそけき呟きはユーラだろうか。
思ったよりも静かな心境で、ノクティルーカは歩を進める。
再会したら、言いたいことがあった。
うまく言えなくてとんでもない行動をするかもしれない。
そんな心配をしていたのだけれど。
凪いだ湖面のように穏やかな気持ちなのは、感覚がどこか壊れてしまったからだろうか?
そっと彼女に手を伸ばす。頬に触れるのは気恥ずかしいし、気障だと笑われるんじゃないか、なんて思っていたのに。
反応はあるはずもなく、まして触れることも叶わず。
手のひらに伝わるのは硬い石の表面。
当然だと納得する自分がいる。
幻覚じゃない、夢でもない。目に見えている、これが現実。
二人の間にある……彼女を閉じ込める、溶けることのない氷の結晶。
こうして触れているだけでも体温が奪われていく。
――温かいはずの彼女に、手は届かない。
涙交じりに彼女を呼ぶ少女の声が、どこか遠いもののように聞こえた。