【第二話 流涕】 1.生きてる証を
ふわりふわりと、定まらない意識がほんの少し浮上する。
誰かがそばにいるということは分かった。
旅をしてる間に身についた気配を探る方法。
こんな、起きてるのか寝ているのかあやふやな状況でもそういったことは分かるらしい。
どうやら相手は自分に危害を加える様子はない。今のところ。かといって、このままおとなしく寝ているのは(多分寝てるんだろう)どうかと思う。
それでも身体を動かすことは叶わず、まぶたは上がらず、ただただおとなしく待つことしか出来ない。
こんなときにも残っていた嗅覚がなつかしい香りを捉えた。
近づいてきた『誰か』のものだろうか。
大好きで、この香り以外を使おうなんて思ったことない。それほど、よく慣れた香り。
じっと見られているような強い視線。
なんだろう?
てっきりあの声で名を呼ばれて、起こされると思っていたのに。
気配が近づき香りが強くなる。
軽く肩を抑えられた。
ああ、触覚も戻ってきてるんだな。なら、目が覚めるのも時間の問題か。
少し空気が震えたのは、きっと彼女が笑ったせい。
そのあとやわらかな感触。
彼女の国の風習。親しいものへの挨拶。
頼むから俺以外の奴にやってくれるなと思う。心底。
触れる髪が少しくすぐったい。
だけど、挨拶ならたしか、頬にだけのはず、だったよな?
………………
あ。そーか。夢だ。都合のいい夢。
ちくしょうどうせ夢なら、この体が自由に動いたって。
ん?
冷たい。
額も鼻も頬も顎も、顔全体が冷たい。
水でもかけられたか? それにしては流れていく様子がないっていうか……
息苦しい。
「っぷはぁっ」
「おー起きた起きた。いや早かったなー」
飛び起きて肩で息するノクティルーカに、気の抜けるような賞賛の声と拍手。
何とか息を整えて、ノクティルーカは手にしたもの――先ほどまで自分の顔に乗せられていたものを見る。
染められていない木綿の布。
ただし、水でしっかりと濡らしてあるそれ。
コレと先ほどまでの自分の状況を思い出すとすなわち。
「殺す気かッ!」
拍手の主(多分犯人だろう)に向かって怒鳴るノクティルーカ。
そんな彼に対し、犯人は胸を張って答える。
「そんなわけないだろう。せっかくちい姫が守った命を」
ぽかんとして自分を見上げるかつての弟子に、紺色の髪の青年はにやりと笑った。
「久しぶりだなノクティルーカ。相変わらずで嬉しいぞ?」
「ミルザムッ?! なんでこんなとこにいるんだ?」
問いただそうとしたノクティルーカを身振りで押さえ、ミルザムは素焼きのコップを差し出した。
「ほれ。まず飲む。喉も渇いてるだろ」
「あーまあ」
おとなしく受け取って中を確認する。
透明な液体。香りを確かめてみるが無臭。
恐る恐る一口含むと、それは適度に冷たい水だった。
酒じゃなくて良かった。ありがたいと思ったのでそのまま半分ほど飲む。
「もう少し待てな。そしたらスピカの料理できるらしいから」
料理と聞いて、空腹を思い出した。
聞いたことのある名前に、回りきらない頭を何とか働かせて思い出す。
浅葱色の髪のやたらと寒そうな――もとい、露出度の高い服を着た女性。
確か、ミルザムと同僚だと言ってたっけ。
腕前は知らないが彼らの料理は美味しいものが多かった。
食欲旺盛な成長期。自然と笑顔が浮かぶ。
「ああそれは楽しみ……ってそうじゃないだろッ」
「後で話す」
ここはどこなのか、何故ミルザムがいるか。
問いを口にする前にぴしゃりと言い切られては仕方ない。長い付き合いで、ミルザムが話さないといったら本当に話してくれないことは知っている。
仕方なくノクティルーカは部屋の観察をすることにした。
自分が寝かされていたのは、粗末だけれど清潔な寝台。壁は石造りで小さな窓、天井は少し高め。寒くもなく暑くもなく暖を取っている様子もない。
レリギオではない。かといってアージュでもない。
本当にどこだここ?
そう思っても、答えを得ることは出来そうになかった。
まだ。
聞きたいことを聞けずに、連れて行かれた部屋には大きなテーブル。
そこにはすでにノクティルーカを除く他の面々がそろっていた。
「あ、兄上も起きたんですね」
ほっとしたように言うのは弟だけで、ユーラやウェネラーティオは一瞥をくれただけ。そのことについて反論もせずに、彼は空いていた椅子に腰掛ける。
すでに並べられた料理を見て、とても懐かしい気持ちになった。
焼き魚と野菜の煮つけ。香の物に具がふんだんに入った味噌汁。
台所からスピカがやってきて、全員がそろったところで両手を合わせていただきます。
アジは脂がのっていて、炊き立ての麦飯に良くあう。
ゆっくりと味わうノクティルーカと逆に、ソレイユは箸に悪戦苦闘している。
それも仕方ない。
アージュでは食事に使うのは主にスプーン。それからナイフとフォーク。
もっともそれは王族だけの話だが、それでもアージュは進んでいたといえる。
王族といえど、食事は手づかみといった国も珍しくはないのだから。
そういった意味ではユーラも同じ。以前ポーリーの叔父宅に世話になった際に多少教わったもののやはり難しいらしい。
それでも味に感嘆したりと、食事は和やかに進んだ。
「では改めまして自己紹介といこうか」
湯飲みを置いてミルザムが言う。
「俺はキトルス・タチバナ・ミルザム」
「「知ってる」」
「声そろえるなよ。こういうときは一応おとなしく聞くものだろう?」
反論する彼に一同は冷めた視線を返す。
ただ、彼のことをよく知っているかと問われると是と応えられない。
人が本来持ち得ない紺色の髪と紫の目を持つこと。
いつも寝癖だらけの髪で、だぼだぼのローブを着ていること。
そして、星の動きで未来を垣間見る星読みであること。
知っていることといえばその程度。
「じゃあ次、スピカは全員は知らないだろ?」
「スピカと申します。お見知りおきを」
ミルザムの言葉を受けて、彼の隣の女性が軽く頭を下げる。
日を浴びたことなどないような白い肌にかかる、癖のない浅葱色の髪。
南国風の薄絹を幾重にも纏った美女。
確かにミルザムに比べれば知らないものが多い、が、実際初顔あわせとなるのはソレイユだけだったりする。
「我々の主は星家――ちい姫様のご一族だな」
「ちい姫?」
突然上がった疑問の声に視線が集中する。
「そういえばレイだけはぜんぜん知らないよなぁ」
「だけはって強調しないでください兄上。……ティアも知ってるの?」
「無論存じておりますわ」
「はいはい、説明するから静かにな」
パンパンと手を打ち視線を戻させてから、指を一本立ててミルザムが言う。
「ちい姫は小さな姫って意味で」
「意味が必要か?」
「理君、もう少しお話を聞いていただけませんか」
「早い話がポーリーのことだ」
「解説ありがとうノクティルーカ」
茶々をいられれたことで虚しくなってくるがそこは我慢。
咳払いをしてミルザムはまた話し始める。
「ソレイユ、ちい姫様の叔母君は知っているな?」
「アースだよね」
「その通り。姫様の姉君がちい姫の母君だ」
「……叔母っていうからにはそうだよね」
そういえばアースに当分会ってないなと呟くソレイユ。
一瞬だけスピカが目を細めるけれど、口が開かれることはなかった。
「それでなんでミルザムはラティオさんにも丁寧なわけ?」
「この方のひいおばあさんが、ちい姫の母君の妹君だからだ」
「……それっておかしくない?」
どう見てもウェネラーティオは二十代前半でポーリーは兄ノクティルーカと同じ年。おまけに彼の曾祖母はポーリーの母の妹だという。
計算が合わないにもほどがある。
「我らはお前たちと比べ物にならない寿命があるからな」
「えーずるいなー」
「そういう問題じゃないだろレイ」
本気で羨ましそうな弟に、兄は呆れたように――もとい、呆れて言う。そんな兄に言ってみただけですよーとか返しつつ、ソレイユは羨ましいとごちる。
「あーあ、僕も長生きしたい」
「他よりも可能性はあると思うぞ。
ノクティルーカとソレイユはちい姫の叔父君の子孫だからな」
重ねて言われてソレイユは考える。
ポーリーの母親と自分達の祖先、そしてウェネラーティオの曾祖母が兄弟。ということは。
「つまりここにいるのは親戚同士ってこと?」
「……あたしだけ違うけどな」
「というか、いい加減まじめな話したいんだが」
うんざりしたノクティルーカの声に、ミルザムが顔を引き締める。
「何を知りたい?」
余裕があるように見える彼の言葉。そして瞳。
「……俺たちが助かった理由」
ごまかしは許さないとばかりに挑戦的に見返した。