【第六話 相違】 3.かすかに漏れる闇の香り
氷柱に囚われた少女の姿を見ていたのは、どれくらいだったのだろう。
「どういう……こと?」
いっそ、良く出来た人形だと言えたならば気が楽だったのに。
「プロキオン殿も仰っていたでしょう。お助けしたい方だと」
いつもと変わらぬ声音のリゲルを反射的に睨んで、ふいとまた視線を戻す。
「これじゃ、辛いだろうねぇ」
しみじみといったのはリカルドで、セティもその意見に反対しない。
自分がよく知っている人が……大切な人が、こんな形で閉じ込められているなんて……想像したくもない。
何も言えないまま立ちすくんでいると、誰かの足音が聞こえた。振り向けば、フォルがさっさと部屋を出て行くところで、セティもその後を追った。
ここには居たくない。
プロキオンの言葉じゃないけれど……とても居た堪れないから。
全員が出るのを待って、扉が閉められる。
重い音を立てて閉まった扉を背にして、打って変わってプロキオンは明るく言った。
「ま、城から出なければどこにいてもいいから。明日までごゆっくりー」
後で呼びに行くからねと付け加えて、くるりと背を向ける彼。
セティは急いで手を伸ばして彼を引っつかんだ。
「ちょっとまって!」
「へ?」
きょとんという擬音がぴったりなプロキオン。
周りも何事かと見ているため、セティは一言だけ言った。
「聞きたいことが、あるんだ」
「なになに? ボクに分かること?」
「それは……わかんないけど」
言ってちらりと視線を外せば、何かぴんと来たのか、ふわりと笑った。
「じゃ、場所変えよっか」
この子借りるねーとクリオたちに言い捨てて、てこてこと機嫌よく歩くプロキオンの後をセティは追った。
こぽこぽと入れられたのは、なじみのない薄い緑色の液体。
器も、取っての無い陶器でなんだか見慣れない。
どうぞと薦められて、恐る恐る口をつける。
熱いし苦い。
一口だけ飲んで器を戻すと、向かいに座った彼は、ほぅと満足そうな息をついていた。
「それで、聞きたいことって?」
にこりと笑う姿を正面から見てみると、思ったより幼いって訳ではないんだなと気づく。
セティとたぶん同年代くらいだろう。
「うん、あのさ。リゲルのことなんだけど」
「リゲル?」
「お兄さんがいるの?」
「ん? ああ、うん。二人いたねぇ」
それがどうかしたのと首を傾げる彼に、恐る恐る問いかけてみる。
「大怪我して、剣を持てなくなったって本当?」
セティの問いに、プロキオンはしばし考える様子を見せてから答えた。
彼女にとって、望ましくない答えを。
「まあ……そうなってるから、リゲルがここにいるんだろうねぇ」
嘘じゃ、なかったんだ。
あの時……リゲルの話を聞いたとき、嘘だったらと思った。
彼がわざわざここで嘘をつく必要は――無いと思う。
「それがどうかしたの?」
邪気の無いプロキオンの問いかけ。
「わたしの父さんが、怪我をさせたんだって」
ぽつりと呟いたセティの言葉に、プロキオンが怪訝そうな顔をする。
「君の父さんの名前は?」
「オリオン。オリオン・カーティスだよ」
「オリオン……ねぇ。そっか……ベテ……はオリオン座」
ぶつぶつ何かを呟くプロキオンを見返せば、子どもじみた顔じゃなく先ほど――『彼女』がいた扉の前にいたときのような表情をしていた。
「ボクは当時のことを詳しく知らない。
それに多分、事実を知っているのはリゲルだけだヨ」
「え」
「しつこく聞けば話してくれるよ……いつか、多分」
それだけ告げて立ち上がる彼。話は終わりとばかりに立ち去ろうとする。
慌ててセティも立ち上がり、疑問を大声でぶつけた。
「どういう意味だよ」
「そのまんまだヨ。それにさ」
扉に手をかけてプロキオンは振り向き、困ったように微笑んだ。
「他人の家のことだもん。あんまり言えないよ」
そういわれてしまえばセティにも反論のしようが無い。
遠くなっていく足音をなんとなく聞きながら考える。
リゲルが素直に話してくれるとは……ちょっと思えない。
母さんは、知ってたのかな?
ふと浮かんだ疑問。いつか変えることが出来たら、聞いてみよう。
知らない部屋にひとりぽつんと残されるのも妙な感じ。
苦笑を浮かべてセティは部屋を出て、さてどっちに行こうかなと思った瞬間。
「いい加減にしてください!!」
知り合いの怒鳴り声を聞いた。
声がしたのは右斜め前の部屋から。扉が少し開いてるのを見て、このせいで声が大きく聞こえたんだなと思う。
こっそりと覗いてみれば、案の定声の主ことルチルがいた。
「よくもそう根も葉もないことをぬけぬけと!
獲るための虐殺など、そんなことあるはずありません!」
「事実としてある。真実から目を閉じ耳を塞いでどうしようというんだ?」
顔を紅潮させて怒鳴る彼女に対するのは、深く良く通る声。
セティの位置からでは顔は見えないが、声の感じでは若い男性……だと思う。
「まあ、ソール教自体が人間に……一部の人間に都合の言いように作られているんだからな。盲目的に信じるのは楽だろうが」
「訂正なさい! 神の教えは万人に等しく」
「それは地上を照らす太陽のように、か?
どこが等しいというんだ? 北国と南国。太陽の光は平等だと?」
「っああ言えばこう言う」
鼻で笑う男の声にルチルが歯噛みする。
正直、怖いのでなかったことにして去って行きたい気分だが。
「そこの。遠慮しないで入って来い。むしろ入れ」
高圧的な男の声に、どうしてかセティは室内に入ってしまった。
入ったとたんにルチルのとんでもない形相を見せ付けられて、思わず後ずさりしてしまう。そんな二人を楽しそうにニヤニヤとフォルが見守り、残る男性が面倒そうに言う。
「さっさと入れ、そして席に着け。お前も他人事じゃないだろう、ちっこいの」
ちっこいの?
ぴきりと青筋を立てつつも、セティは言われたとおり空いていた席――ルチルの左隣に腰掛ける。
きっと睨むように顔を上げれば、先ほど暴言を吐いてくれた犯人の姿を認めることが出来た。
印象深いのは、無造作に束ねられた、まさしく燃えるような赤い髪。
顔も整っており――何でここの城の住人はこうも美形率が高いのだろうか?――海老茶の瞳はセティたちを面白そうに眺めている。
両腕を組んで椅子にふんぞり返っているにもかかわらず、妙に様になっていて反論しようとも思えない。
「さて。もう一度言うが、お前ら『奇跡』持ちはソール教に狙われるから応戦するなら手伝うぞ」
「はい?」
さらりと言われたせいで内容まではしっかり把握できなかったが、なんというか、その言い方とかにものすごく見覚えがある、様な気がする。
「ですから私は『奇跡』など!」
「持っていると疑われるだけでも抹殺対象だ」
声を荒げるルチルに、どこまでも冷静そうな青年。
そこで、セティはようやく気づいた。
セティが『奇跡』を持っていると気づかれていることに。
「な……なん、で」
「わからいでか」
怯えるように言うセティに、彼は不機嫌そうに告げた。
「あいつらより先に見つけて壊すなり何なりしようと計画していたんだからな」
その言い方も、なんだかとても知ってる人を思い出して。
「……もしかして、ティアのお兄さんですか?」
「そうだが?」
問いかけに、まったく気負いの無い返事が返される。
セティは納得したものの、ルチルはまた大声を上げた。
「どうしてそんなことを仰るんですか?!
グラーティア様のお兄様ということは」
「一応司祭の位があるが?」
いらないものだけどなと付け加える彼に、ルチルはますますヒートアップする。
「どうして司祭ともあろう方がソール教をそんなに批判なさるんですか!」
「気に入らないからに決まっているだろう」
喧々囂々と繰り返す彼らを眺めて、セティはそっとため息をついた。
体の中から冷えて行く気がする。
『奇跡』のこと。
それに、父さんのこと。
どうやってその場を辞したかも覚えてないし、いつの間にか日が暮れて、どこかに連れて行かれたことも覚えていない。
ただ……考えることが多すぎて。
悶々と考え込むうちにも、儀式は進んでいったらしい。
ふいに、左手に鋭い痛みを感じた。
思わず彼女達に目を向けたのはなぜだろうか。
セティと同じく、かつて『持っていた』彼女達も、一様に左手を右手で包むようにして痛みをこらえていた。
狙われている? 教会に?
認める自分と必死に否定する自分がいて、混乱しそうになる。
そんなセティをつなぎとめたのは氷の割れる音。
いつの間にか俯いていた顔を上げれば、砕け散る氷の中、前のめりに崩れ落ちていく少女の姿。
彼女を抱きとめたものの、耐え切れず地面に転がるノクス。
身体を起こした彼は、腕の中の恋人を二度と放さないというように強く抱きしめる。
まるで英雄譚のような一幕に、クリオやブラウさえも祝福の声を上げた。
けれど、セティの心が揺さぶられるは無かった。
良かったですねと祝福の声を上げるくらいにはノクスに好印象を持っているはずなのに。
今日は色々あって、だから感情が追いついてないのだとセティは思った。
本当の原因が違うなんて――気づくわけが無かったのだ。