【第四話 転機】 2.彼女の決意と彼女の後悔
「行ってしまわれましたねぇ」
残念そうに、それでいてどこか誇らしげに寂しそうな声で言うのは能登。
「ちぃ姫様は、すっかり立派になられましたね」
「姉上の子ですもの」
うん。本当に良く似てきたなって思う。顔立ちはポーリーのほうが優しい感じだから、余計芯の強さが目立って見えるわね。
「姫様にも、良く似てらっしゃいますよ」
微笑を湛えて言われた褒め言葉に、現は幸せそうにはにかんだ。
多分、ポーリーは姉上に似ているから、自分も姉上に似ていると解釈したんだろう。
姉上は素敵な方だったから、確かに似ているといわれれば嬉しいものね。
会話を微笑ましく聞いていた眞珠がすこし不満そうに……どちらかというと、叱るときの口調で告げた。
「姫様、そんな量でよろしいのですか?」
視線で示されたのは、ほとんど手付かずの膳。
ここ最近食の細くなった現に合わせて、少なめに盛られたものなのに。
「動いてないから、あまりすかないの」
「まぁ」
呆れたような眞珠が能登に視線を向けるけど、彼女も諦めたように首を振るばかり。
でも本当、食べなくなったわね。
元々そんなに食が細い方じゃないのに。時々すっごく無関心になるときはあったけど。
美味しい方がいいけど、贅沢をする方じゃないし。どっちかというと食べられれば十分みたいなところあるし。
星家は基本、質素倹約で清貧を旨としているから当然ともいえるけど。
食事はもうお終いとばかりに箸を置く現に、しぶしぶといった様子で能登がお茶をだす。
湯飲みをそっと持つ手も、ふぅと息をつく姿も、変わらない。
変わらないように、見える。
なのに、なんだろう。なんで、こんなに不安になるの?
一口一口ゆっくりと味わう現は、何かを考え込んでいるよう。
傾けられていた湯飲みは胸の高さまで下ろされて、動作にあわせて揺れる茶をじっと見ている。
茶柱が立っていた、とかならこんな表情はしないはず。
何を考えてるのかしらとすこし身を乗り出すと、はっとしたように現が顔を上げた。
偶然にも向かい合う形になってしまったわたしは気づかれてしまったかと肝を冷やしたのだけれど、次の瞬間その答えは示された。
空間が、刹那ゆがんだ。
この感覚はいつまで経っても慣れない。どうしようもない違和感。
もっとも、この感覚を頼りに星家は修復作業を行わなければいけないのだけど。
けれど、今回のゆがみは人為的なもの。それも、わざわざ魔法で作られた。
現のいる場所に一体何をと思うより先に、あたりにはじけた黄色の光に絶句する。
知っている、この光を。感覚を。
つい先刻、同じ感覚を持つ青い光を見たばかりだから。
「『奇跡』」
まるで、現の声に答えるかのように光は石の形に凝縮し、ゆらりと落ちていく。
現が差し伸べた左手に。
先程までの突き刺すような光は薄れ、静かに静かに『奇跡』は現の手へと吸い込まれていった。
「な」
絶句のような声を出したのは眞珠。ふるふると僅かに震えているのは事態を把握できないせいか。
「なにをしでかすのじゃあの馬鹿はッ」
と思ったら、単純に怒ってただけみたい。
眞珠の言う『あの馬鹿』は正告のことだろう、きっと。
彼が追っているという『奇跡』は黄色い石だと聞いたこともあるし、状況はあってる。
「ちょっと眞珠、あの馬鹿しょっ引いてきてくれない」
「言われずとも分かっておる!」
連絡を取るためだろう、現に慌しく礼をして出て行く眞珠。
随分怒っているみたいだけど、だいじょうぶかしら?
「これで、残りは二つ」
妙に淡々とした現の声。
また、妙な胸騒ぎがする。
『奇跡』を二つ宿していたときのノクティルーカはおかしかったとポーリーは言った。当のノクティルーカ本人は、気づいていなかったみたいだけど。
『奇跡』を持っても、『わたしたち』に異変はなかった……はず。
でも、現が異変を異変と気づいていなかったら?
そもそも現が初めて『奇跡』を手にしたのはまだ小さい頃。
成長するにしたがって変わっていくものだからと、わたしたちは何か見過ごさなかったと言い切れる?
わたしが思考に沈んでいるうちに、しばらく正告への恨み節やら何やらを言っていた能登が、つき物が落ちたように晴れやかな笑みで問いかけてきた。
「姫様、お茶を淹れ直しましょう。すっかり冷めてしまわれたでしょう?」
「大丈夫よ。お代わりもいいわ」
「もう、そのようにわがままを言っていただけないと、お世話する甲斐がありません」
ふくれたように言う能登に、ほんの少しだけ現が笑う。
どこか、壊れそうなその笑み。
そう、まるで姉上の覚悟を悟ったときのような。
「姫様?」
ぱしんと、無礼に当たるか当たらないかぎりぎりの音を立てて障子が開かれる。
音を立てた主は、正告に連絡を取るといっていた眞珠。
若干青白く見える顔色に、何かが起きたのだと嫌でも察せられる。
「報告いたします」
告げられる言葉は、辛うじて震えを押さえられたもの。唇がわなないているのが痛々しい。
「鼓潔姫から、報告を受けました内容をそのままお伝えいたします。
橘正告は――討死とのことです」
能登が瞠目する。
「……詳しい状況は、遺体を引き取る際に聞くことになっております。
彼らが野営場所を決めた後に、連絡を寄越すよう、伝えて」
「そう、眞珠が行くの?」
言葉が出なかったのだろう。本来とっても失礼なことだとは分かっているだろうけれど、眞珠は頷くことで現に答えた。
能登と眞珠と正告は、同期で仲が良かったと思う。
宮中の噂好きのほかの女官から、眞珠は正告との仲をよくからかわれていた。
眞珠も、多分憎からず思っていただろう。
「勝手に決めてしまい」
「いいのよ。ちゃんと、迎えに行ってあげて」
謝ろうとする彼女の言葉を遮って現が言う。
いつもどおりに平常心を持って聞こえる言葉を、冷たいと思うものはここにいない。
現は、感情をあまり出してはいけないから。
いつでも優しく微笑むこと。それが望まれたこと。
人前で、悲しんではいけない。失ったのが、気心知れた部下であろうと、家族であろうと。
「ついでで悪いのだけど、わたしも正告の最期が知りたいの。だから、彼女を連れ帰ってくれる?」
「はい。真砂七夜の名を使えば、是というでしょう」
それはいいのかしらと一瞬思ったけれど、別に良いかと思う。
だって、鎮真だもの。
それから現は眞珠に下がるように言いつけた。いつ連絡が来ても対応できるようにってことだろう。
態度には出さないけれど、現はきっと気落ちしてる。
だから能登は意をけっして口を開こうとして。
「能登」
それよりも先に、現が口を開いた。
「鎮真を呼んで頂戴」
「は?」
「そろそろ、話さないといけないでしょうから」
ふぅと憂鬱そうな現に、能登も嫌なものを感じたのだろう。
「姫様」
問いかけの声はこわばっている。
嫌な予感ほど良く当たるというけれど、能登の気持ちが痛いほど分かる。
「何を、隠してらっしゃるのです」
悲痛な問いかけに、現は答えない。ただただ、寂しそうに笑う。
かつて、あの子の『お願い』を聞いたときのように。