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しんせつ

雪の果て

 灰色の空から白いものが降ってくる。
 思わず手を伸ばし捕まえようとするが、てのひらの熱にあっという間に溶けてしまった。
「雪、か」
 つぶやいたその言葉に、知らず含まれた感情に河青(かせい)は眉を寄せる。
 雪をみると『彼』を思い出す。
 季節は関係ない。ただ、彼のあの髪の色はこの雪に良く似ていた。

 外に比べれば多少は城内は暖かいと思っていたのだが、その認識は甘かったようだ。
 この地はもともと雪などめったに降らず、火桶の数も少ない。
 もう少し厚着をすればよかったと後悔しても遅い。
 しかたなく河青はいつものように、守るべき主君の元へと向かう。
「姫様。おはようございます」
 廊下からの呼びかけに応えはない。
「志津姫様?」
 再度の呼びかけに、ようやく障子が開かれる。
 しかし、柔らかな笑みは主のものではなくその乳母のもの。
「おはようございます河青殿」
「おはようございます小春殿。姫は何処に?」
 問いかけに、諦めとやるせなさのこもった目で小春は外を見やる。
 後をたどるように視線を移せば、うっすら雪化粧した庭に薄着のままで下りている姫の姿。
 仕方なく小春から桂を預かり、河青は庭へ下りる。
「お風邪を召されますよ」
「あら河青!」
 忠告しつつ桂を肩にかければ、満面の笑みで振り向かれた。
「見て雪よ! 積もるのかしら?」
「どうでしょう」
 多分無理だろうと思いつつも、河青は言葉を濁す。
 生まれてはじめてみる雪を楽しんでいる姫の邪魔をすることもないだろう。
 満足するまで部屋に戻ることはないだろうし。
 このあたりは乳兄弟の感である。
 風邪を引かせないように気をつければいいことだ。
 志津は興奮して空を見上げていた。
 ふわりふわりと羽毛のような軽さで舞い落ちる雪。
 少し離れて河青は志津の横顔を見やる。
 まだ成人していないとはいえ、近隣の国にも姫の美しさは知れている。とはいえ、うわさの『志津姫』はこんな風に雪の中に外に出ようとする姫君ではないのだが。
 雪を見ていたはずの志津の目に違う色が走った気が、した。
(げん)
 小さな小さな姫の呟きが河青の耳に届く。
 やはり……
 知らずはいた息が白く天に昇る。
幻日(げんじつ)殿は今頃どこを旅しているのでしょうね」
 ちくりと痛むどこかを無視して河青は柔らかな笑みを浮かべて問いかけた。
「河青?」
 不思議そうな、それでいて不可解だといいたそうな姫の声。
「何を言っているの?」
「良いのですよ姫様。河青はわかっております」
 自分が彼を思い出したように、姫も彼を思い出した。
 幻日の素性や年を詳しく知っているわけではない。
 見た目の年は志津姫と同じくらい。それに物腰から高貴な出であることは見て取れた。
 彼は祖父と共に、たまたまこの国に立ち寄り、たまたま姫を出会った。
 それだけの、こと。
「河青、いい加減にして。幻は」
「姫様」
 強く言ったせいだろうか、志津はひるんだように口を閉ざす。
「河青は姫様の味方です」
 ――この人への想いは降りつのる雪のよう。積もり積もって凍ってしまえばいい。

 ふうと志津は手に息を吹きかける。
 あまりにも河青が馬鹿なことを言うから、ついつい怒鳴って逃げてしまった。
「本当に河青ったら、頑固で融通利かないんだから。
 おまけに思い込んだら一直線だし」
 ぶつぶつ文句を言いつつも、庭を散策する。
 この寒さは頭を冷やすのにちょうどいいし雪をかぶった風景も新鮮だ。
 雪の中に立っていると、気持ちが澄んでくる気がする。
「大体……わたしがどこかにお嫁に行くなんて事はありえないのよ」
 こぼした事実は容易く口にしてはいけないこと。
「河青は幻のことを言っていたけど、それこそ夢のまた夢よ。
 それを、どれだけ望んだって意味ないじゃない」
 ――あの人への想いはこの雪のようなもの。儚く消えてしまえばいい。

 おしまい

幻(げん)=幻日(げんじつ)=現実=現。だったりします。