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しんせつ

075:掛け替えのない、誰か

 志津の様子がおかしいと最初に気づいたのは、意外なことに麦の君だった。
「どうした志津?」
「麦の君!」
「義兄さまでかまわないよ」
 慌てて礼をとる義妹に笑いかけて、彼は隣に腰掛ける。
「それで、どうかしたのかな? 故郷が恋しくなった?」
「いえ……そんなことは」
「ここに来たときより元気がなくなってるけど?」
 そ知らぬ顔で視線をそらしても、ずばりそのものを言い当てられてしまう。
 侮れないと思いつつ、深く息を吐いてポツリと告げてみた。
「失恋してしまいました」
 志津の告白に麦は一瞬だけぎょっとした顔をして、それは辛いなと同意してくれた。
 噂話は好きだけど、根掘り葉掘りは聞こうとしない人だと義姉が言っていた通り、それ以上は追求されない。
 ……室内に控えている侍女が聞き耳立てているような気はするけれど。
「早く忘れないといけないと思っているのですけど……」
 自分が男だということを今ここで知られてしまえば、お家断絶は間違いないだろう。
 姫宮相手に「もしも」なんて考えてはいけない。
 彼女は国の長となる女性。人々の心の支えとなる存在。
 そして――婿をとることが決まっている。
 北斗の直系であり、叔父からその座を奪おうとしている自分とは、けっして同じ道を歩くことの出来ない女性。だから、諦めないといけない。
「ご心配おかけしてしまってすみません」
 力なく笑う志津に対して、義兄はやさしく微笑んでくれた。
「何も忘れることはないよ」
「え、でも――」
「忘れようとして忘れられるものでもないんだよ」
 そう告げる顔にどこかひらめくものがあって、思ったままに問いかけてみる。
「もしかして……文義姉上のこと、ですか?」
「ああー、やっぱり気づいたか」
 照れくさそうに頭を掻いて、幸せそうな義兄はこっそりと教えてくれた。
「兄者の嫁探しのときにあちこち回らされてね」
「回らされて?」
「そう。候補者が星家に本当に相応しい者かって確かめるために。
 自分が結婚するわけじゃないから、そりゃもう気楽に」
 勅使の一員として身分を偽り、各国を回ったのはとても楽しかったと笑う姿は、あの日会った幻日に良く似ていた。
 兄妹だから、当然なのかもしれない。
「基本的に候補者本人には接触せずに噂を集めたり、遠くから姿を確認するんだけど。
 (あや)も候補に挙がっててね、実は一目ぼれだったんだ」
「素敵ですね」
「あはは。そういってもらえると助かるよ。
 それからもう(ふみ)を送って歌を送っての繰り返し。
 うまくいったから良かったけど……」
 そこで彼は初めて顔を曇らせた。
「麦の君?」
「本当はどうしようか悩んだんだけどね。
 私が望めば拒否できないだろう?」
 ぽつりと告げられた言葉に、どう反応していいものか迷う。
 確かに、星家から望まれて拒否することは難しい。
 いくら本人が嫌だといっても、それを周囲が許すことだって少ないだろう。
 出世といった欲があり、従わねばどうなるかといった不安がある限り。
「忘れようとしたけど忘れられなかったから、文を出した。
 最初は身分を偽って出そうかとも思ったけど……それは誠実じゃないかなって思ったから、極秘で本人にだけ届くように手配して、ね」
 文には内緒だよと笑いながら言う義兄。
「忘れられなくてうまく行った例がここにいるんだから、無理に忘れることはないよ」
「……はい」
 励ましてくれることが嬉しかったから、志津は素直に頷いた。
 無理に忘れることはやめよう。
 そう思うことで、ほんの少しだけ心は軽くなった。

 でも――いつかきっと。
 この想いを棄ててしまおう。

かけがえなくとも……義兄と違って、きっと報われることなどないのだから。 08.04.16

017:思い知らされる前に

 悩んで悩んで、悩みぬいた挙句。結局、志津は麦に頼んでみることにした。
「なんだ、帰ってしまうのか」
「背の君」
 残念そうな夫をたしなめる文はもうすっかり元気になっていた。
 志津がここに来た元々の理由は彼女のためだったのだから、役目はすでに果たしているといえる。
「いや悪い。そうだな、いつまでもここに……というわけにはいかないか」
「宮中に招かれたことはとても光栄ですが」
 あくまでも残念そうに言う。
 戻らないといけないのは事実だけど、ここにこれ以上居たくないのも事実だから。
 志津が困っていることを察したのだろう。
 残念そうに、でも笑って麦はお別れを告げてくれた。
「そうだな、また、たまに遊びにおいで。文も喜ぶし」
「はい。是非」
 そう答えはしたものの、それが難しいことを志津は知っていた。
 真砂七夜の自分がここに長居をすれば、時世七夜がまたいろいろ言ってくるだろう。
 同じ七夜同士で権力争いをしているのだから、気なんて抜けようもない。
 まして、これから自分は叔父相手に戦わなくてはいけないのだから。
 本来あるべき場所に戻るべく、志津は真砂に帰り、『鎮真』に戻らなくてはならない。
 次の正月を迎えれば元服。
 忠臣を見極めて、自らの足場を確かなものにしてきたのは、その日のため。
 だから戻るのだと。
「ああそうだ」
 ぱちんという音に顔を上げれば、麦の君が閉じていた扇子をばさっと開いた。
「国許に帰るのならば、末姫にも挨拶しておいで」
「……お会いいただけるのでしょうか?」
 予想は出来た言葉。
 けれど、実際に言われるとやはり動揺が走った。
「大丈夫大丈夫。あの子も志津のこと気に入ってるみたいだし」
 ……本当だろうか。
 結局ここにいる間殆どといっていいほど遊んでないんだが。
 並んで桜を見て、後はせいぜい碁の相手をしたくらいだけど。
「ですが、姫様は物忌みでは?」
「あーそうか」
 困ったような麦と逆に、志津はほっとする。
 会いたくない。できるなら逢わないままでいたい。まだ、辛いから。
「まあ、部屋から出なければいいんだから、話くらいいいんじゃないか?」

 逆らえないことを知っていて、あの人は言うんだろうか。
 正直恨みたい気持ちで志津が立っているのは末姫がこもられている部屋の前。
「姫宮様」
「志津姫?」
 返ってきた声は、姿が見えないこともあって幻日のように聞こえた。
 震えそうになる声を誤魔化して、国へ帰ることを告げる。
「お気をつけて」
 いつも自分が言っていた言葉を言われて、なんだか妙な気分になった。
「……また」
 つい口を滑らせてしまったのは、失策だった。けれど。
「また、お会いしてくださいますか?」
 それは本当に望んでいたことで。
「ええ。是非また、都にいらしてください」
 かけられた言葉に泣きそうになる。
 本当に女だったら、きっと友達にもなれた。
 けれど、自分は『破軍』になるから、その座を欲しているから。
 二度と会うことはない――なんてことはない。
 破軍になれば、御簾越しとはいえ『逢う』ことはできる。
 『逢う』だけなら。
 丁重に挨拶をして志津はその場を辞した。
 少しでも早くここから……逃げ出したかったから。

ここから逃げ出してしまおう。 08.04.23

「題名&台詞100題 その一」お題提供元:[追憶の苑] http://farfalle.x0.to/