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2番目の、ひと

【Step3 疑惑と秘密】 4.振り切れない疑惑

 お説教は長く長く続きました。
 火がどれだけ危ないか、火事になったらどうなるか。放火の罪がどれだけ重いか。
 よく分かってはいるつもりですけど、やっぱりそれでもだんだんと嫌になってきます。
 いえ、僕が悪いのは十分分かっていますけど。
 でもそれでも、やっぱり長すぎだと思うのです。お説教が終わったのは日が傾いた頃でしたから。

「おっと、随分遅くなってしまいましたね」
 他人事のように言ってくる先生に、イラっとしたのでしょう。
 顔を引きつらせながらも、ティルアはぐっと口を噤みます。
 そうそう、余計なことは言わなくて良いのです。さらにお説教が増えるのは僕も勘弁してほしいです。
「今から歩いて帰らせるのも心配ですから、送っていってあげましょう」
 その笑顔が怖いです先生。
 もちろん、それを口に出して言えるはずもなく……予想通り、車内でもお説教は続きました。

 最初におろされたティルアは、めったに見ないような笑顔で手を振り、次はどうやらサキの家のようです。
 鼻歌を歌うような機嫌のよさで延々とお説教を垂れ流されて、僕もう限界です。
 サキの家に着いたら一緒におろしてもらってそこからは歩いて帰ります。絶対に。
 どうせサキの家からなら一分とかからずに帰ることができますから。
「はい到着。二人とも降りてくださいねー」
 言われるまでもありません。
 きびきびと降りて、とりあえずお礼を言ってその場を去ろうとしたのですが。
「もう少し付き合ってくれてもいいでしょう? ちょっと気になることもありますしね」
 肩をがっしりつかまれて言われた言葉に、ぞっとしました。
 そうです。先生だけどこの人は……
「アーサー?」
「う、ううん。なんでもないよ」
 不思議そうなサキにそう答えて、とりあえず先導されるままについていきます。
 この人はいったい何を考えているんでしょう?
 家のドアの前に立って鍵を取り出すサキを押しとどめて、先生がチャイムを鳴らしました。
 不思議そうに見る僕らに対して、先生は唇に指を当てて静かにしておくように指示します。なぜだか、すごく楽しそうに見えるのですが。
 しばらくの沈黙の後、ドアが開きました。
 現れたのはデートのときに見かけた男の人。
 茶色と金色の境目のような色合いの短髪に特徴的な銀縁メガネ。
 ぱっと見、常に怒っているような――兄さんと同じく、目つきが少し悪いせいですね――印象を受ける人です。
「どうしたんですか? 鍵を忘れました……」
「やあコート」
 どこか気遣うような表情が、即座に固まりました。ひらひらと手を振る先生を目にして。
「シルヴィオッ」
「お客に来たよ。コーヒーと……お子様たちは紅茶とどっちがいいかな?」
「おいっ 来るなら来るで連絡を入れろと前々から」
「ほらほらフォルトナー君どうぞ。狭い家だけど」
「人の話を聞け!」
 ええと……以前のコンラートさんの印象が百八十度ひっくり返りました。
 心配性だけど大人しい感じの人だと思っていたのですが。
「友達なんだって」
 固まってしまった僕にサキが教えてくれます。
 仲良くけんかする人たちだから気にしなくて良いよ、とも付け加えてくれました。
 リビングに通されてから、二人の様子を見ていましたが、確かに仲良くけんかしているという表現がぴったりです。
 先生はコンラートさんをからかって楽しんでいる様子が見られますし、コンラートさんは先生の一言にいちいち大仰に怒っています。
 ……コンラートさんのために言いますが、先生の言動がひどいのが原因です。あんなこと言われればそりゃあ怒ります。
 コーヒーとクーヘンを出してもらって、すっかりくつろぎモードの先生ですが……友達の家に来るのなら、なんで僕まで巻き添えにされたのでしょう?
 そう思いながらお茶をいただいていたのですが、着替えてくるとサキが席を立ってから理由はすぐに判明しました。
「ところで、フォルトナー君は橘君とどんなおつきあいをしてるのかな?」
「シルヴィオ!」
 咽ました。というか、この状況で動揺しない人がいるなら会ってみたいです。
「な……」
「プライバシーの侵害だ!」
「あれ? いいのかいコート?
 ここにいる間のことはキミに全部監督責任があるんだよ?
 よそ様のお嬢さんを預かっているんだ。知らなくて良いとでも?」
 すごく正論を言われているような、でも戯言のような。
 僕と同じことを思ったのか、コンラートさんは少し固まって、音を立てそうな勢いで捕まえられました。
「……健全な、お付き合いをしているんだよね?!」
 肩にかかる圧力と視線とに頷くことしかできません。
 ええ、事実ですもん。そ、そりゃあちょっとはその……思いもないといったら嘘になりますけど! まだ僕たち付き合ってから二週間もたってないんですよっ
「そ、そうだよね」
「案外なにかあったとしても、向こう側から感謝されるかもしれないよ?
 それにこう問い詰められちゃ言えないよねぇ」
「シルヴィオおおおおっ」
 とても上機嫌ですが先生。友達をいじるのに生徒を使わないでください。
 ……なんだか、本当に分からなくなってきました。
 あの時聞いたあの声は、本当は先生のものじゃなかったのではないでしょうか?
 サキの勉強だって、きっとコンラートさん経由で頼んでたのでしょうし、何かと先生に関わる機会が増えた気がしたのも、僕ではなくサキを気にかけていたからでは?
 そう考えるとつじつまは合います。ええ。
 結局そこでの話は、サキが戻ってきたことでスパッと切り替えられました。
 ……コーヒーとクーヘンは美味しかったです。

 あまり遅くなるのもいけないのでお暇しようと僕が腰を上げたときに、ついでのように先生も放り出されました。
 さっきまで、先生はこじつけて泊まろうとしていたんですけどね。
「まったくコートはケチなんですから。だから彼女に振られるんでしょうに」
「言うなーッ」
 コンラートさん明らかに涙目です。先生容赦ないです。
 なのに友達続けているコンラートさんはすごいです。
 僕としては、これからエレベーターで降りるまで先生と一緒という事実が嫌なくらいなのに。
 エレベーターで、なんとなく落ちる沈黙。
 気まずいような感じがして、早く着けと心だけが騒ぎます。
 軽い音がして到着すると、つい待ちかねたように出てしまいました。
 こういう場合って、目上の人に先に出てもらったほうがいいんですよね?
 ……やってしまいました。
「ええと、先生。僕の家はもうすぐそこなので」
「ああ。しっかり見守っていてあげるから、安心して帰りなさい」
 それってつまり、門をくぐるまでは見張ってるってことですよね?
 安心といえば安心なのかもしれませんけど。
「しかしキミも大変だね。彼女の同居人があんなのじゃあ」
 こういう場合、どう返事をすればいいのでしょうか?
 困ったままに何も言えずにいると、先生がふっと笑いました。
「キミは、賢いね」
「え?」
 突然の言葉に驚きます。賢いも何も……成績は中の上くらいなのですが。
 それは先生だって知っているはずです。
「頭が回るってことだよ。ほら、もう暗いけど、早く帰りなさい」
 何を言いたいのか良く分かりませんが、とりあえず挨拶をして家路を急ぎました。
 せかされている気がしたので、小走りに。
 アパートの入り口にたどり着いて、なんとなく振り返ってみれば……宣言どおり先生はこちらを見ています。
 宣言されていたから、当然のことなのですけど……
 それでもなんとなく……どこか不安な気持ちは消せませんでした。
 だから、あの声の主が先生じゃないと……確信を持って思えなかったのです。