時代の扉(後編)
「よかった。エステルさんも無事だったんです――危ないところをありがとうございました」
微妙なところで言葉が切り替わり、本人もまた微妙な顔のままに頭を垂れるクローゼ。
「クローゼも無事――ところで一体どうしたの?」
まあ、エステルも似たようなものだが。
『クローゼ。ここでの「君の家」に連れて行って。
そう。お礼にって感じで。家はそこの角を右に曲がって』
天の声ならぬヨシュアの指示に従ってさくさくと話を進ませる。
どうせここから出るには『この話』を演じきらねばならないのだろう。
けれど――
「この事態は予想してなかったわ」
「なんというか……ねぇ」
エステル一行の目の前では「げほごほ、いつもすまない」「お父さん、それはいいっこなしですよ」といったお約束が繰り広げられていた。
娘役は無論クローゼ。しかし父親役が。
「シードさんまでいるなんて」
「……正直私も、使われるのはあの時だけと思っていたんだが」
粗末な布団で咳き込む姿が妙にあってると――思ってはいけないのだろう。うん。
甲斐甲斐しく世話を焼くクローゼに対して、とても恐縮している。気持ちは分かるが。
「それでシードさん。どうしてこんなことに?」
「それが……」
ごほとまた咳き込みながら、辛そうに彼は告げた。
「かくかくしかじかと言うわけで、殿下――娘を借金のかたに」
『すごく端折りましたね』
「ええけどな?」
というか、本当に何がしたいんだ影の王は。
思いながらも口には出さず、話を適当に聞いてヨシュアの補足を受けたところによると。「えちごや」なる悪徳商人が「だいかん」なる役人と手を組み、私利私欲の限りを尽くしているという。
これだから役人はと小さく呟いたシェラザードがやたら怖かったが、ひとまず相手方を探るという方向に落ち着いた。
空は深い闇に包まれ、室内は頼りない蝋燭の明かり。
向かい合った二つの影が障子に映る。
ぼそぼそと聞こえる声は不明瞭で、時折低い笑い声が聞こえた。
「ところで……それはなんだい?」
問いかけた若者の視線を受けて、中年の男性はにやりと笑う。
「少々重たいお菓子にございます」
畳の上をすべるように動かされた風呂敷包み。
紫の布が取り払われ、桐の箱が姿を現す。
ほんの少し蓋をずらせば、若者の髪と同じ黄金の光が顔を出した。
「これでよしなに……」
中年が意味深な視線を寄越せば、若者もまた口の端に笑みを浮かべる。
「お主も、なかなかの悪よのぉぉぉう」
「いえいえ、お代官様ほどでは」
「「ふふはははは……」」
ひとしきり笑い終えた後、楽しくてたまらないといった様子でオリビエは扇子を閉じた。
「影の王も穿った配役をするものだね」
「こちらとしては迷惑としか言いようがないがなぁ」
「おや。カシウス殿もなかなか楽しそうに見えたが?」
「それを言われるなら皇子も堂に入ってましたが?」
二人はまた視線を合わせ、ふふふはははと空々しいまでの悪人笑いを続ける。
その、一部始終を屋根裏で見ることになった人物は、それはそれはかわいそうとだったと後にヨシュアは語った。
とすっと小気味良い音を立てて何かが畳に突き刺さった。
「……」
ケビンは取り出しかけた獲物をなんともいえない気持ちで収めた。
飛来してくる物体をとっさに叩き落そうとしたら体が固まった。
全員が微妙な顔のままに畳に突き刺さったおもちゃ――風車を見ているところから、皆似たような思いをした事は分かったが。
これも「ルール」通りなのだろう。
風車につけられていた文をエステルが取り外して読む。
「シェラ姉、これ、いつまで続くのかなぁ」
「あたしに聞かないでよ」
はぁと深いため息だけが部屋に満ちる。
ただ一人、リースだけは嬉しそうに食事を続けていたが。
頭の中に突然別の意思がもぐりこむというのは厄介だ。
「おっと、ボクは少し動かなきゃいけないみたいだね」
けれどオリビエは軽い口調で言って歩き出した。
部屋の構造なんて分からないけれど、足は迷いなく進む。
腹が立つのは確かだが、楽しんでやろうという気持ちも――なくはない。
「お?」
どうやら向かう先らしい場所から白い湯気が上がっているのが見えた。
「おお?」
これはこれは。
一緒に扉に入った面々を思い返し、はてさて誰がいるかなと機嫌よく足を進めるオリビエ。
その様子を見て――というよりほぼ強制的に見せられている――ヨシュアは視線を外し、本の文字を目で追うことに専念した。
知りたくないが、それはもう知ってしまったから仕方ない。
でも知っている以上見たくもないし聞きたくもない。
風呂に入っているのがエステルだったら、何をしても阻止するつもりだが……
いつも頼りになるA級遊撃士だったから――
ジンによってあらたにもたらされた情報。
即ち、オリビエが『だいかん』、カシウスが『えちごや』であることを告げられて。
エステルは座った目で立ち上がった。
「あの二人はまーた何を企んでるんだか」
「影の王の仕業だと思うんですけど」
「クローゼは甘い! 覚えてるでしょ、導力停止現象のとき!
あのタヌキ二人がそろうとろくなことないのよ!!」
ほえるエステルにクローゼは苦笑をもらし、当時を知らないリースはこくりと首を傾げる。
「は、はは」
二人と似たような立場にいるケビンは乾いた笑いもらした。
『じゃあ、早速乗り込む?』
「モチのロンよ!」
「あんた達の悪事はすべて聞かせてもらったわ!」
びしっと愛用の棒……ではなく、杖を振りかざしエステルが朗々と見得を切る。
「なぁヨシュア君?」
『なんですか?』
「エステルちゃん、めっちゃ楽しそうやな」
『ええ、好きですから……こういうの』
「そうか」
のんきな会話を交わしているが、実際は乱闘もいいところ。
オリビエは楽しそうに見ているだけなので、仲間相手に戦うことにならずにすんだ……と思いたかったが、用心棒役なのだろうアガットだけはこっちに向かってきている。
今までどこにいたのか分からないリシャールも、なぜか風車を武器にして戦っている。
何より安心したのは、カシウス自身は手を出さずに傍観しているだけだということだが。
「ケビンさん! もういいわ!」
エステルの声で、ふたたびケビンにあの嫌な感覚がきた。
「静まんなさい!」
「静まれい!」
シェラザードの鞭がしなり、三人そろって屋敷に上る些細な階段へと向かう。
リースはすっかり傍観者に徹している。
まあ、彼女に割り振られた役からすれば普通のことなのだが。
一番高いところにエステルが立つのを待って、ケビンは箱を――印籠を手に叫んだ。
「この紋所が目に入らぬか」
正直、この行動が何の意味を持つのかなんて分からない。
けれど印籠を見た『悪役達』は一様に驚いた顔をした。
「こちらにおわすお方をどなたと心得る」
深く考えちゃいけない。もうこうなったら思う言葉――もとい、言わされる言葉をそのままなぞる方が楽だ。
けれど、なんて言やあいいん?
「畏れ多くも……」
これが姫さんや総長なら言いようがあるんやが。
考えること一瞬。
もう、どうにでもなれとばかりにケビンは叫んだ。
「リベールが誇る遊撃士、エステル・ブライト殿にあらせられるぞ」
「ケ、ケビンさん……」
それは言い過ぎなんじゃとエステルは照れているがリースからの視線が痛い。
もう少し何か言いようがなかったのかって目だ、あれは。
「一同の者、遊げ……エステル?
ともかく御前である、ひかえおろう」
姐さんおおきに。さらっと流してくれて。
ははーっと全員が土下座をする姿は爽快ともいえるが、何とかこの場を乗り切ろうってことだけで精一杯。
覚えているのは見慣れた場所に戻るまで、エステルがかなりやけっぱちに笑っていたことだけだ。
扉から戻ったエステルの話を聞いて興味が湧いたらしいレンたちが向かっていったのは少し前。
人数の減った隠者の庭園は静かなものだった。
泉のほとりに腰掛けてケビンはのんびりとしていた。というより、まだ少しぼうっとしていた。
結局あの扉は何だったのだろう?
答えなんて分かるはずもないだろうけれど、問いかけたくもなる。
あんな、ただ物語の登場人物になるだけの扉に何の意味があるのだろう、と。
追記。
しばらくの間パーティ内で「この紋章が目に入らぬか」「ははー」といった遊びが流行ったらしい。
30,000HITお礼小説企画の品。
演者「星杯騎士団とリベール遊撃士」、演目「ちりめんどんやのご隠居」。
会話劇にすればよかったよ。深いよ、○戸○○。
書きたかったもの→印籠出すケビン。皇子と父さんの悪巧み。風車の大佐。うっかりリース。