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月の行方

【第八話 変わりゆく世界】 4.分かたれた道

 はぁと大きく息をつく。
 空は文句の無いほどいい天気だが、ユリウスの心はそれとは正反対。
 セラータで何が起きたのか。
 それがとても気にかかる。
 祝い事を控えた町はにぎやかで、ふらふらとその中を歩いていると、少しは気がまぎれるかと思ったのに。
 別のことに気をとられていてはいけないことは、よく分かってる。
 ポーラを狙うものは確かにいて、その襲撃に備えなければいけないはずなのに。
 『国と北の姫と、どちらを選ばれます?』
 心によぎるのはカペラに示された問い。
 もし、それを選ばざるを得ない状況になったならば……
 自分が選ぶのは、『国』だろう。騎士とはもともとそういうものだし、彼女の父のアルタイルとて娘よりも国を取ることだろう。
 だが、彼らは彼女を選ぶといった。
 それはすなわち、彼女を守るために何か方法を既に取っているということだ。
 ならば、ここを離れよう。
 国で何が起こっているか見極めて、それからまた護衛に戻る。
 そうしよう。
「よし」
 自分に気合を入れるために呟いて、彼は領主の家――今日の宿へと戻っていった。

 わいわいがやがやと、こういったお祭りの雰囲気は楽しい。
 久しぶりに……本当に久しぶりにポーラは一人で町を歩いていた。
 結婚の準備を始めているためもあって、みなの表情はとても明るい。
 雑踏を一人で歩くのは嫌いじゃない。
 もともと一人っ子のせいもあって、一人でいることは苦痛じゃないし。
 この雰囲気の中に身をおいているだけで、なんだか楽しくなってくる。
 知らず微笑みながら、あたりを眺めていると、見知った黒髪を見つけた。
 彼はこちらには気づいておらず、木材を肩に乗せて運んでいる。
 とてとてとて。
 歩く速度を速めて、その背中に追いつく。
「何してるの?」
 問いにびっくりしたようにノクスは振り向いて、少々困った顔で答えた。
「いや。人手が足りなそうだったから」
 答えるノクスの額には汗が少しにじんでいる。
 この天気では仕方ないことかもしれない。
 確かに準備にはまだまだ時間はかかりそうな雰囲気だけれど、挙式自体がまだ先なのだから、そこまで急ぐ事もなさそうなのに。
 少々不思議に思いながらも、ポーラは一応忠告してみる。
「あんまり張り切ると、明日つらいんじゃないの? ここってもう大分暑いし」
「大丈夫じゃないか? お前のほうこそ倒れるなよ。暑いの苦手だろ?」
 そう言うとノクスはそのまま荷物を持って歩き出し、ポーラはその場に取り残された。
 じりじりと、太陽が暑い。
 倒れたくは無いので、おとなしく木陰に入る。
 幹に背を預けると、ちょうど風が吹き抜けていった。心地よい。
 木陰で涼みながらノクスの姿を眺める。
 生まれが寒冷地のせいか、ポーラは暑さに弱い。ノクスとてそう強いことはなかったと思っていたのだけど、荷物を抱えてあっちにこっちにとせこせこ働いている。
 ふと、思った。
 ノクスってこんなだったかな。
 再会したのは数年ぶり。会わなかった時間に何があったかなんて分からない。
 確かに親切ではあったし、お人よしな面もある。
 けれど今しているこの準備は、来月以降に行われる結婚式のためのもの。急いですることではない。だというのに、なぜ彼はこんなにも頑張っているのだろう?
 明日が祭りで急いでいるというのなら、旅の途中なのにとか文句を言いつつ手伝うような、そんな印象だったから。
 そういえば、再会した直後はユーラとよく衝突していたけれど、最近は無い。
 怪我を治療するのは唯一治療魔法の使える彼の役目で、それもあってユーラも前みたいにはいかないのかもしれないけれど。
 でも……
 木陰から動かぬままに、視線はずっとノクスを追ってポーラは思う。
 小さな子の運ぶ荷物を肩代わりしたり、女の子の荷物を持ったり。
 誰にでも優しいっていうのは……ずるいな。
「でも、本当にずるいのは、私かな」
 自嘲の笑みで呟いて、ポーラはその場を離れた。

 かんかんに照り付ける太陽。昼を過ぎたというのに、一向に衰えないこの暑さ。
 このあたりでは、太陽が一番照り付けるこの時間帯は外に出ないことが鉄則らしい。
「あつ……」
 さっき川で水浴びしたばかりなのに、また汗かきそうだ。
 仕事を終え、家に帰る人々と一緒に川に入ったのはいいけど、結局着替えを借りてしまった。髪からはまだちょっと雫が落ちてくるけど、この天気ならどうせすぐに乾くだろう。
「うわ、もうこんなにやけてら」
 衣服に隠れていない場所との差に、思わず呟きがもれる。
 急に日焼けしたから、明日痛いかもしれない。
 最初はここまで手伝うつもりではなかったのだか、始めたらなんだか止められなくなってしまった。
 何故だろう?
「ま、いっか」
 簡単に判断を下して領主の家に戻り、一応断りを入れてから裏手で自分の服を干していると、耳慣れた怒鳴り声が響いた。
「こんなところにいやがったっ!」
「ユーラ?」
「今までどこほっつき歩いてやがった!?」
 怒りの形相で詰め寄る彼女。
 しかしいきなりそう言われても、ノクスには何のことか見当がつかず困惑する。
「何かあったのか?」
「いいから早くポーラのところに行けっ」
「……何があったんだ?」
 ポーラの名前を出されて、今度は少し慎重に聞き返す。
 そんな彼に、ユーラはキッと睨み付けてから視線をそらし、低い声で呟いた。
「行けば分かる。だからとっとと行け」
 答えになっていない応え。
 それでも……それゆえに何かを感じたのか、ノクスは小走りで屋敷に入っていった。
「あーもう」
 やり場の無い思いを拳に込めて壁を叩く。
 痛みはあるけれど、そんなもの気にならない。情けなくて仕方ない。ポーラは友達なのに、こういうときにはいつも役に立たない。
 自分相手だとポーラはいつも強がる。
 平気だと言い張って、頑として譲らない。
 その彼女が……あの時初めて弱音を吐いた。
 今回も、ノクス相手なら大丈夫かもと思って彼を向かわせたのだけれど。
 腹立たしさを感じつつ、気持ちを静めるために、ユーラはその場を動かなかった。

 ノックすると、すこしくぐもった返事が聞こえた。
「ちょっといいか?」
 問いかけに、間をおかず扉が開いて、ひょこっとポーラが顔を出す。
 驚いたように自分を見つめる、その目が少し赤い。
 ユーラの言うとおり何かあったらしい。
「ど」
「どうしたのその格好?!」
 聞こうとしたら、逆に少し非難めいた声で叫ばれる。
 何のことかと問い掛ける前に、答えは出た。
 自らの前髪から、雫がぽたりと落ちていったから。
 どう言おうかと考える暇もあればこそ。
 問答無用で部屋に引っ張りこまれて、備え付けの椅子に座らされた。
 ……この瞬間に、力でかなわないことがはっきりとして少々へこんだが。
 ふわり。
 白いもので視界を遮られる。
「もー。風邪引いたらどうするの?」
 頭上から呆れたような困った声と共に、わしわしと濡れた頭を拭かれる。
「自分で」
「ちゃんとできる人なら、こんな格好でうろつかないでしょ」
 ぴしゃりと反論を封じられる。
 確かに急げとは言われたけれど、もう少し拭いてから来れば良かったと今更ながらに思う。情けないとは思うけれど、こんな風に世話をやいてもらえるのはちょっと、いや、かなりうれしい。
「こんなに汗かくまで頑張ってたの?」
「まさか。水浴びしたからだって」
「なら余計乾かさなきゃ駄目じゃない」
 あきれ混じりに言われる言葉に、反論できないのがすこし悲しい。
「ま、それはそれとして」
「そーやってすぐに話しそらそうとする」
「何が、あった?」
 ノクスの問いに、今度はポーラの手が止まる。
「何がって、なあに?」
「あのな。いい加減ばれる嘘はつくな」
「うー。……どうしてばれちゃうの?」
「そりゃ、付き合い長いからな」
 軽口を叩きあうと、ようやくまた手が動く。
 労わるように、丁寧に。その手つきに、なんだか懐かしいものを感じる。
 そういえば……昔アースにもこうしてもらったことあったっけ。
「ユリウスがね。帰っちゃうんだって」
 内緒話をするように音量を落として、ポツリポツリとポーラは語る。
「この前の噂のこと、私も気になってたし。ずっと確かめたかったんだと思うの」
 でも。
 少し間を開けてポーラは呟く。
 手の力が少し強まっているのはきっと、顔を見られたくないんだろう。
 そう悟って、ノクスは心持ち頭を下げる。
「また置いて行かれちゃうのかって。ちょっと思って」
「そっか」
 同意を示すと、少し照れたような声が降る。
「いつまでもついてきてくれる訳じゃないって分かってたんだけど。
 アースのときのこと思い出しちゃって。そしたらちょっと……」
 話す内容に少しほっとした。
 怪我をしたとか、誰かに酷い事を言われたとか、そんな事じゃなかったんだ。
 途端に眠気が襲ってくる。
 ちゃんと聞いていなきゃいけないんだけど。
「でも、もう平気だから。平気って言うか、今度からはもうユリウスに頼れないっていうのは、ちょっとやっぱり不安なんだけど。
 でも、いつまでも甘えていられないし。十五歳だもんね」
 ポーラの声が耳に心地よくて、ついついまどろみに落ちそうになってしまう。
「ノクス? 眠いの?」
「……ん」
 応えを返す事も辛くなってきた。
 ここで眠る訳には……いか な

 待つことしばし。
 呼びかけても応えはないし、そのうちにすうすうと規則的な寝息が聞こえてきた。
「なんていうか……器用ね」
 布を取り払って、しゃがみこんでノクスの顔を覗き込んでも、彼は一向に目覚めない。
 寝顔は大分幼く見えて、一瞬昔に戻ったのかと錯覚する。
 濡れたままじゃまずいだろうと、とりあえず髪は乾かしたものの、その間にどうやら熟睡してしまったらしい。
「どうしよう?」
 少し考えて、ノクスの腕を自分の肩に回して立ち上がる。
 すると、意外に楽に彼は持ち上がった。
 アースが『私達はヒトより大分力が強いんですよ』って言ってたのは本当だったんだと、ここでようやく分かった気がした。
 そういえば、ユーラが重くて持てない物を、自分は軽々と持てた。
 眠った人は重くて、動かすのは大変だって聞いていたけど。
 やっぱり私、力強いのかな?
 何故か、あんまり嬉しくないけど。
 そのままノクスをベッドに横たえて、靴を脱がせてからちゃんと寝かせる。
「こんなに疲れるんなら、無理しなきゃいいのに」
 文句を言っても聞こえていないのは分かってるけど。
 これから大丈夫なのかな? もうすぐユリウスは帰ってしまうのに。
 ほっぺたをつんつんとつついてみても反応は無し。
 野宿するような事になったとき、どうするんだろう?
 今だったら、顔に落書きしたって起きそうにない。……しないけど。
 濡れた布を持って、ポーラは部屋を後にする。
 向かう先はノクスの部屋。領主の厚意で一人に一室が与えられているから、部屋を交換してもらおうと判断しての事。
 ノクスの荷物を持って、元・自分に与えられた部屋に戻ってきても、彼は眠ったままだった。顔が少し熱を持ってるのは、急に日焼けしたせいだろう。
 夕飯に起こせばいいよね。
 そう判断して彼の荷物を置いて、代わりに自分の荷物を持って。
 ポーラはまた部屋を後にした。