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月の行方

【第八話 変わりゆく世界】 3.荒廃の影

 ふわりとした浮遊感。
 一拍の間をおいて足が地面につく。
 ほぅと思わず安堵の息が漏れた。
 やっぱり足が地面に着いてるとほっとする。
 先程は本当に……
 思い出したら頭を抱えたくなる。
 実際には額に手をやりつつ、カペラは慣れ親しんだ家を歩く。
 板の廊下は素足で歩くとひんやりと冷たい。――冬が近い。
 そろそろ火桶の準備をしたほうがいいかしら。炭の備蓄はあったかな。
 目的の部屋にたどり着き、内心の怒りのままに、すぱんと勢いよく障子を開ける。本当はやっちゃいけないことだけど。
 案の定、中にいた人物は一瞬だけ文台から顔を上げて眉をひそめた。
「行儀悪いぞカペラ。かつての昴の侍女が何してるんだ?
 ……障子壊したら直してもらうからな」
「あなたが私に頼んだ内容に比べたら、このくらいどうってことないでしょ」
 つんと言って、その場に座る。
 本当なら寄りたくなかったけれど、報告はしないといけないし文句も言いたい。
 彼とて上からの指示にしたがっているだけだということは、身にしみてわかっているのだけれど。
「取り合えず、ユリウス殿には接触しておいたわ。
 ちゃんと貴方の占いの内容も伝えた」
「すまないなー。でも俺が言うより聞いてくれたとは思うぞ?」
「……それは確かにそうかもしれないけどね」
 出会った当初からほんとに反発しまくりの相手よりはマシだろう。
 でも、カペラとしては内心冷や汗だらけで先の言葉を告げたのだ、もっと感謝を述べられないのかといいたい。
「それで、どう進むの?」
「どういう形であれ、ユリウス殿はあそこから去ることになるだろうな」
 筆を止めぬままにミルザムは応じる。
「ま。だからこそ理の君においで願ったんだが」
「はー。本当に忙しいわね」
「当然だろうが」
 大体こんな壮大な企画を、十年程度で起こそうというのが間違いだと思う。
 その思いが顔に出ていたのか、咎めるようなミルザムの視線。
「ヒトに対抗するならば、彼らと同じ時の長さで物事を考えねば。
 急流の如き時間の流れに取り残されては、同じ轍をふむ事になるぞ」
「分かってるからせこせこ動いてるんでしょうが。
 さて、私もそろそろ戻るわ」
 報告の間だけスピカに代わってもらったが、やっぱり自分が側でお守りしたい。
 あの小さな姫を。
「悪かったな。茶も出さないで」
「次回に奮発しておいてね」
 軽口を叩き合ってカペラはまた姿を消した。

 その頃ポーラたちのほうはというと。
「父さんどうしたのかな?」
「散歩に行く前より落ち込んでるわよね」
 ひそひそ話をする娘達を分かっていても、ユリウスは口を開けない。
 一体祖国で何があったというのだ。
 誰かのコマになるのはコリゴリ……いや。国の騎士として生きている以上、駒であることに変わりはない。
 考えれば考えるほどに、落ち込むしかないこの状況。
 しかし足を止めることは許されず、国境付近へと向かっている。
 そもそもポーラに今までついて来たのは、その命を守って欲しいといわれたからだ。ミュステス狩りに巻き込まれて、命を落とさぬように。
 そして、出来る事ならば生き別れの母親に再会させて欲しいと。
 その母親のいる場所というのが、ミュステス狩りを推進しているソール教の本山。故に容易に近づけず、追っ手から逃げ回るだけで精一杯。
 結果多くの時間を浪費してしまっていた。
「そういえば……ラティオは母上を知ってるの?」
「ああ。今、妹を預かってもらっている。お元気だぞ」
「そ、なんだ」
 嬉しい、でもなんだか微妙。そんな返事を返してポーラはまた前を見て歩いていく。
 ベガ殿縁の者だというこの青年も、どこまで信じていいのか分からない。
 全てを疑う事でこの数年は生きてきたのだから、仕方がないといえば仕方ないのかもしれない。
 そう迷い続けたままに。
 翌朝一行はオクトスにたどり着いた。

 収穫を終え、閑散とした畑。通りを走り回る子供達。
 戦が起こるのではと疑われているはずの町は、酷く和やかだった。
「嵐の前の静けさってやつか?」
 自信なさそうに問い掛けるノクスに、誰も応えない。
 戦前の町というものは、言うまでもなくピリピリと殺気だっているか、異常な熱狂が潜んでいるものだ。だというのに、この町にはそれがない。
 それどころかまるで何かの祭りの前のように、木だの家だのが綺麗に飾られていたりする。
「とりあえず……ここの領主に会ってみよう。
 この様子をみるに、今すぐ戦がおきるということではなさそうだ」
 ラティオの提案に皆頷き、一行は領主の屋敷へと向かった。
 白い石を積み重ねて作られた家は、二階建てで遠くからでも良く分かる。
 司祭と道中の護衛という事で謁見を願い、それは即座に叶えられた。
「ソールの司祭様がお越しとは……何もない場所ですが、どうぞごゆっくり」
 そう言って笑うのは、ふくよかな体躯の壮年の男性だった。大きな鼻とつぶらな瞳がアンバランスだが、人好きする笑顔で珍しい客人を迎え入れる。
 見事な刺繍の絨毯の上にそのまま座るのがこの地の礼儀。
 にこやかに応対するラティオと領主の会話を、ノクスは聞くともなしに聞く。
 こんな平和そうな町で、一体いつ戦が始まるというのか?
「それにしても、町が随分にぎやかですが……何かお祝い事でも?」
 唐突なラティオの言葉に意識を戻される。
 にぎやかなのか、これで?
 そう思う反面。何故それがこいつに分かったんだろう、とも。
 対する領主は少々小難しい顔をして。
「それが……娘の結婚が決まりましてな」
「それはおめでたい。お祝い申し上げます」
「司祭殿にお祝いいただけるとはありがたい。
 私としては少々複雑なのですが」
「複雑、というと?」
 失言だったと苦い顔をして領主はそれでも口を開く。
「娘の相手が隣の町のクレスタの領主の息子なんですよ」
「ああ」
 合点のいった顔をされて、領主の顔はますます渋面になる。
「あそこの領主は、妻を競い合った相手でしてな。あいつと違い息子の方は立派な青年だとは思うのですが……娘可愛さの贔屓目ですかな」
 でも、どこか嬉しそうなその表情に。
 聞かされているほうとしては『話が違う』と文句を言いたくなる。
 戦が起こるかもしれないというから、止めに来たというのに。
 一体コレはどういうことか。
 領主に分からぬようにそっと目を合わせ、ため息を漏らしたのはいうまでもない。

 屋敷を辞して、一人ラティオは町を行く。
 道行く人に尋ねて、一路教会を目指す。
 いささか乱暴に開けられた扉に、ここを預かる司祭は驚いた顔をした。
「ラティオ殿……何故ここに?」
「戦を止めに……来たはずだったんだが」
 少々視線をずらして言う彼に、司祭は柔らかな笑みを浮かべる。
 薄くなった白髪を撫で付けた、人のよさそうな老人は、立ち尽くしたままのラティオに椅子を勧める。
「そういうところはマルス様にそっくりですな」
 都合が悪くなると目を逸らすところとか。
 笑いながら言われてラティオは渋面を作る。
 この老人には小さいことから頭が上がらない。
「そんなことより。なんでまた戦がなくなったんだ?
 ないのならそれに越した事はないが」
「原因がなくなったからですよ」
 ふんぞり返るようなラティオと向かい合う形で腰をおろし、司祭は続ける。
「婚姻がなったのも後押しにはなったのでしょうが」
「原因……」
 挑むようなラティオの瞳に、司祭は苦笑する。
「どこの者かは分かりませんが、移ったようです」
 戦争が起きるであろう原因。教会がここにこだわった理由。
 『奇跡』。
 その一つがここにあるといわれ、今はもうないという。
「ということは……旅人にでも移ったか」
 町の人間ならばこうまで普通にしていられないだろう。
 元の持ち主はここの領主だという話だったし。
 何より報告では笑顔など見たことないと言われていたのだ。それが今はあの通り。
 やはり……『奇跡』が人の感情なども変化させるというのは本当なのだろうか。
「ならいいか」
 元々ここへは戦を止めるためだけに来たのだし、起こらないというならそれで良い。
 後は、ポーラをレリギオに連れて行くだけでいい。
 ベガのために。自分のためにも。

 本日はゆっくりしていく事を薦められて、通された部屋でのんびりしていると唐突にノックの音がした。
「はい」
 ベットに横たえた身を起こしつつ、ノクスは応じる。
「少々お話よろしいかな?」
 聞こえた声にギョッとする。何で領主が自分に声をかけてくる?
 慌てながらも戸を開けて、備え付けの椅子を勧める。
 その間領主はじっとノクスの顔を見ていた。
「ふーむ」
「……あの?」
 沈黙と視線に耐え切れず、おそるおそる問い掛ければ、何故か困ったような顔をされた。
 そうしたいのは俺のほうだって。
「お名前を伺っていなかったが……戦士どのにはもしや兄上がおられんか?」
「……いますけど?」
 あまりにも予想外の問いかけに、答えが一拍遅れた。
「エルと言って、俺と同じように旅していますけど……もしかして、ここを訪れた事が?」
「おお。やはり弟君であったか。一月ほど前ならばこの地におられたのだが」
「そうだったんですか」
 兄とは当分……風習により旅立ってからずっと会っていない。
 元気でいるのかと少し安心する。
 ノクスのその反応に気を良くしたのか、領主はあれこれと話し始める。
「いや、彼には感謝しておるのじゃ。
 娘の縁談がまとまったのもエル殿のお陰といって良い。
 これはぜひとも腕によりをかけておもてなしをせねば」
「兄はそんな凄い事をしたんですか?」
 なんとなく、聞いてみたくて投げかけた問い。
「うむ。彼がいなければ、戦になっていた可能性もある。君もわしの年になれば分かると思うが……娘を取られるのはかなりのショックだぞ」
「……はあ」
 あいまいに答えるノクスに領主は微笑んで席を立つ。
「夕餉を楽しみにして頂こうか。……兄君には悪い事をしたしな」
「え?」
 何気なく紡がれた言葉に反応したノクス。
 その問いかけにかまわず、領主はそのまま部屋を出て行った。
 聞かれても応えられないとでもいうように。

 かつこつと音を立てて廊下を歩く。
 本当に気持ちいい。
 以前の……一月前までがまるで嘘のようだ。
 周囲をたえず疑い、妻や娘すらもいとおしく思うことなく、アレを守る事だけを強要されていた。
 無意識に。
 領主は窓から見える景色に目をやってため息を漏らした。
 五年前まではこれほど荒れていなかったのに……元に戻すには時間がかかるだろう。
 何が『奇跡』だ。
 争いをもたらし、土地を荒れさせ、人の心すらも操る。
 五年前に周りの人間は言った。
 人が変わったと。
 そしてまた、今も。
 けれど今言われるその言葉は五年前と違い、端々に喜びが見られる。
 昔の父さんだ。
 涙すら浮かべて娘にそういわれたときには、ぞっとした。
 それほどまでに、アレを持っていたときの自分は変わっていたのだと、思い知らされて。
 たまたま。本当に偶然村を訪れた若者にアレが渡って。
 自分は良かったが、あの若者はきっと苦労する事だろう。
 その弟が訪ねてきたのは予想外だが……再会した時、兄の変貌振りに困惑する事だろう。
 罪滅ぼしなどには決してならぬことは分かっていたが、せめて。
 長い息を吐き出し、領主は次の……別の客人の元へと歩いていった。