【第四話 転機】 4.焦りと暴言
急遽呼び戻された眞珠と潔姫は、現に報告をした後、即ポーリーたちの後を追わせた。
眞珠には状況を知らせないらしい。
そう決めたのはきっと、正告を失ったばかりの彼女に言うのは酷だと思ったからだろう。
眞珠と能登と正告は仲の良い同僚だったし、それに……多分、眞珠と正告は想いあってた。
からかわれていたのを見たこともあるし、何も行動を起こさない正告に発破をかけてる人たちもいた。
彼が何も言わなかったのは、もしかしたらこのことを知っていたからじゃないだろうか。
だから、何も言わなかったんだろうか。
同じように何も言わなかった現みたいに。
眞珠がいたことで少し安らげていた時間はほんの少しだけで……それからの日々は、地獄のようだった。
少しずつ、五感を奪われていく現を見ること。
本人がけろっとしているからこそ、余計痛々しい。
でも……現の恐怖に比べれば、こんなもの大したことない。
剥ぎ取るように五感がなくなっていくなんて、どれだけ恐ろしいだろう。
それでも平気そうな顔をしているのは、能登たちに心配をかけたくないから。
肝が据わっているというか、我が妹ながら……この子は本当に強い。
感覚も大分鈍くなっているみたいで、肩に触れても気づかないこともあった。
小さな子ども……あるいはお年寄りに話しかけるように、能登はゆっくりと大きな声で現に語りかける。
物を渡すにも目測を誤るようになり、手でしっかりと持たせても感覚がないせいなのか取り落とすようになり……
ポーリーが発って八日。予定を繰り上げて鎮真が発つ日。
とうとう現は声を失った。
出立の挨拶をしている最中だったものだから、彼はひどく狼狽していた。
ただ一言。了承とも同意ともいえない言葉。
『そうですか』と、それすらも口に出来なくなった現に。
察した能登が現のそばまで行き、扇で口元を隠したままの妹が何かを話すように口を動かす。
それから、能登が代理とでも言うようにねぎらいの言葉をかける。
そう。本来は、鎮真相手にでも現が直接言葉をかけるなんてことはない。
間に侍女やらを介してしか話さない。
だから……支障はない。話せなくても、わからない。
……つまり、能登がいる限りは、誤魔化せる。
声を失った現からは急速に感覚が失われていったのか。それとも、とっくにそんなぎりぎりにいたのか。数日後、あの子は人形のように動かなくなった。
瞬きもしない、呼吸だけは浅いもののある。
その呼吸がなければ、人形だといわれても仕方ない。
部屋には鎮真の勅命を受けた茜と、能登以外は近寄れなくなった。
そのせいで、能登が追い詰められなければいいけれど。
どこか冷めたように思うのはきっと、わたしもどこか麻痺してしまっているからだろう。
だから……茜も能登もいない時、直談判に出た。
仮に、もし。現に意識があったなら『知られる』ことになる。わたしの存在を。
でも、今のこの状況でそんなこと構っていられない。
だから、あえて声を出す。
『壱の神!』
『……なんだ』
わたしの呼びかけに、いつかのように現の口を借りて、ではなく……直接頭に声が響く。
なんだか以前よりも高く幼く感じるのは、この間のやり取りを知ってしまっているからだろうか?
色々言いたいことや聞きたいことはあったはずなのに、口から出てきたのは一言だけ。
『どうして!』
どうして現がこんなことになっているの?
どうしてこうなることを教えてくれなかったの?
いくつもの疑問を伴った一言に、壱の神はただ答える。ほんの少し、拗ねたように。
『現でなければ、とうの昔に死んでいた』
意味が分からず、沈黙を持って先を促せば、逆に問うように聞かれる。
『兄弟とはいえ、他者が……異質のものが入り込んで無事だと思うか?』
――『奇跡』があったとき、ルカはおかしかったもの――
ずっと、頭の一部に引っかかっていた言葉。
『奇跡』を手にした人が『変わってしまう』という話。
極端な形で表に出なかったから気づかなかっただけ?
すべての欠片を集めれば、壱の神は姉上を戻してくださるといった。
人一人分の精神が、別の人間に――とり憑く、とか、そういう表現になるんだろうか?
幽霊に長い時間取り付かれていれば、どうなるかなんて想像つく。
今まで現が無事だったのは、あの子が元々持っている巫女の体質のせい?
黙ったままのわたしに業を煮やしたのか、壱の神がああもうと苛立たしさを隠さず声を上げる。
『いいから邪魔するなよ。想を戻すにはぼくも色々やる必要があるんだ!』
きっぱりした言葉に、本当に姉上を戻してくれる気はあるらしいと感じる。
どこまで信じていないんだって話だけど。
……壱の神は、いつだって約束は守ってくれていたのに。どうしてわたしは疑ってしまうんだろう?
『わかったらもう呼ぶな!』
捨て台詞を最後に声は消える。
本当に頼りになる、親しい人に八つ当たりをしたような後ろめたさ。
現がそう弱っているように見えないのは、壱のおかげかもしれないのに……
何もしていないわたしが……暴言だけ吐いているんだもの。
これ以上、壱の神の邪魔をすることは出来ない。
だから――祈る。
事態が変わることを……少なくともそのきっかけになるだろう、鎮真の帰りを待った。