【第七話 明暗】 4.奪われた『奇跡』
ああ、やっぱり面倒なことになった。
顔には出さず、プロキオンは歯噛みする。
一番厄介で、今一番会いたくなかった相手――本当なら、ここで会ったが百年目とばかりに命を賭してでも潰したいほど憎んでいる――だからこそ、理性を総動員して激情を押さえ込む。
今、一番やらなければいけないことは安全の確保。
ポーリーとノクティルーカを無事に送り届けることだ。
リゲルとサビクは二人を守るように騎士たちと相対し、スピカもまた二人を背に庇う。
くすくすと笑うバァルの後ろには、鎧から兜まで白く輝く騎士の姿。
六対七か。
簡単に逃げられるとは思わない。誰かを犠牲にしてでも、お二人だけは逃がさないと。
奥歯をかみ締めてサビクは対峙する。
一応数ヶ月前まで紛れ込んでいた場所。故にその恐ろしさは骨身にしみている。
太陽紋の描かれた盾を掲げた聖騎士たちが、ことばから受ける印象とは真逆のことをしていると。
人数的には互角でも、こちらで剣の心得があるのはサビクとリゲル、ノクティルーカの三人だけ。術を使うという意味ではミルザムたちも使えるが、接近戦で対応できるかとなると……
「本当に……あれから三百年も経つとは。月日が過ぎるのは早い」
「……なんで、生きてるの?」
呆然と問うポーリーに答える者はない。
世の中には長寿種と呼ばれる存在が存在する。
プロキオンたちがまさにそうだし、有名どころではエルフがいる。
まだ世に知られていない長寿種がいても、おかしくはない。
「ここで会うとは思っていませんでしたが……丁度いい」
くっと笑い、バァルは優雅に手を伸ばし、ノクティルーカを指し示した。
「貴方が持っている『奇跡』を頂きましょうか」
会話をするのさえ億劫だというようにノクティルーカはバァルを静かに見返す。
「本当に探していたんですよ?
まさか、あなたが持っているとは思わなかったものですから」
くすくすと笑い続けるバァル以外は誰も動かない。――動けない。
街の外に出て、何とか逃げ切るしかない。
街門は外的の侵入を防ぐために内開きになっている。だから、なんとかして外に出ることが出来れば――
「永遠に失われたかと思っていました。
そちらの姫に感謝しなければいけませんね」
視線をよこされて、気おされつつもポーリーは睨み返す。
自分が殺そうとしたくせに、何を言い出すのか。
睨み返してきたポーリーにひるむことなく……むしろ満足そうに頷いて、バァルは愉快そうに告げた。
「それに……貴女と引き換えならば、彼女も『奇跡』を差し出すでしょう?」
一瞬、何を言われたのか分からなかった。
ポーリーと引き換えに、『奇跡』を渡せと脅迫するという。
……その相手は?
「何を!」
激昂したポーリーを制して、プロキオンが告げた。
「それを……ボクたちが許すとでも?
琴の君を奪い、想様のお子様方を苦しめ……これ以上の暴虐を許すとでも?」
感情を抑えきれない声音に返されたのは、とても簡単な一言。
「止められる力がなければ、同じことでしょう?」
それが合図であったように、聖騎士たちは襲い掛かってきた。
様子見なのか、それもと手加減をしているのか、襲ってきた騎士は四人だけ。
サビクは応戦しているようだが、ノクティルーカは何とか攻撃に耐えているといった様子。剣を持たないまま応戦しているミルザムに関しては、真っ先にポーリーがかけた防御の術がなければやられていただろう。
スピカはポーリーを庇いつつ、じりじりと後ろに――街の外へと向かって逃げる機を伺う。
彼らと違い、騎士たちは当たり前だが鎧をしっかり着込んでいる。
正直、刀のように斬る武器ではなく、鈍器の方が有効だ。
そんなこと、今更言っても遅いのだけど。
後悔を至らぬ自身への怒りに変えて、プロキオンはノクティルーカと切り結ぶ騎士に向かって雷を放つ。
流石に気づいたのだろう、攻撃を避けるために飛び退った騎士。
「光の矢!」
その頭めがけて、後ろから魔法がぶつけられた。
直撃した騎士は耐え切れなかったのだろう。衝撃で飛ばされ、ぴくりとも動かない。
予想外の出来事に呆けるノクティルーカに向かって、ミルザムたちの相手をしていた別の騎士が襲い掛かる。
「くそっ!」
舌打したプロキオンが術を組み上げるより早く騎士は剣を振りかぶり、殺気に気づいて何とか受け止めようとノクティルーカが構える。
瞬間、視界を占めたのは小柄な影。
耳障りな金属音と共に、剣を受け止めたのはリゲル。
「な」
受け止められたことに対する驚愕か、動揺の色濃い声は相対している騎士のもの。
小さな呼吸音は息を飲んだリゲルのもの。
相手を知っているのだろうかとつい余計なことを思うノクティルーカ。
それが、致命的な隙だった。
「捕まえた」
ぞくりと寒気が背筋を走る。
掴まれた左腕には、骨を砕こうと企むほどに力を込められ、しかしその顔は慈愛を説く聖職者そのもの。
悲鳴や怒声が聞こえる中、バァルの唇が呪を紡ぐ。
どくり、と左手に収まっていた『石』が鼓動した。
あたりに響くほどの絶叫。そして、奔る紫の光。
「ルカぁッ」
「なりません!」
泣き叫ぶポーリーは何とか彼のほうへと向かおうとして暴れるが、スピカは羽交い絞めにして阻止する。
一番失ってはいけないのは……守らなければいならないのは彼女だから。
左足を軸に反転し切りかかるリゲルだったが、バァルは上体を軽く逸らすだけで剣を避ける。まだ淡く光を放つ、紫の石を手に持って。
次の攻撃を仕掛けようとしたリゲルの前に、力が抜けたように倒れこむノクティルーカ。
反射的に受け止めたリゲルを見やって、バァルは薄く笑い踵を返した。
「これでこちらは済んだ」
あちこちから飛んでくる魔法を避け、あるいは相殺しつつ、にやりと笑う。
リゲルに支えられつつ、朦朧とした意識でノクティルーカはバァルの言葉を聞いていた。
こちら『は』?
妙な引っ掛かりを覚えて考える。
他にも『奇跡』が……あった、セレスタイトの持つ『奇跡』が。
「今度はあちらの『奇跡』を奪わねば」
予想通りの言葉が聞こえて、急に勢い良く引っ張られた。
「「Ventus!」」
重なった二つの声はまだ高い子供の声と、よく聞きなれたもの。
言葉に応え、強い風が街の中から外に向けて吹き抜ける。
当初、ノクティルーカたちは外にいる魔物を入れないために、門を閉ざそうとしていた。即ち、門は少し閉じられかけていた。
内開きの扉に内側から強い風をぶつければ、当然ながら――勢い良く閉まる。
分断を恐れたか、それとも反射的にその場に踏みとどまったか、騎士たちは街の内部に残り、風の勢いを利用してノクティルーカたちは外へと逃げた。
「退くぞ!」
プロキオンの号令で、スピカがなにやら唱え始める。
「ルカ!」
戒めを解かれたポーリーはノクティルーカに走りよった。
「大丈夫っ」
不安そうな声に気力を振り絞って顔を上げれば、予想通り今にも泣き出しそうな彼女の顔。
「いちおう……な」
安心させようと思って出した声はひどく弱弱しい。
これじゃあ逆効果かなと自分でも思うほどに。
しかし彼女は口をきゅっと引き結び、プロキオンに代わってノクティルーカの腕を取り、身体を支えた。
後ろからは急げとばかりにミルザムが押してくる。
地面に描かれた光の魔法陣。
そこに全員が何とか入りきった瞬間に、視界が光に飲まれた。
妙な浮遊感。
転移魔法を体験するのはこれで二度目……いや、三度目か。
とにかくなんだかだるい。体が重い。
面倒な戦闘をして全力疾走を続けた後以上に辛い。
逃げ切れたのは確かなんだろう。
安堵の息が聞こえるし、ほっとした雰囲気も伝わった。
さっきの街からどれだけ離れているのだろうか。
喧騒はまったく聞こえず、木漏れ日の落ちる静かな林は先程とうってかわってのどかだ。
けれど、すぐに厳しい声が飛んだ。
「あいつらにこれ以上奪われるわけにはいかない。
サビク、スピカ! 阻止しろ!」
「「はっ」」
応えると同時にスピカはまた呪文を紡ぐ。
「それから……リゲルも行くんだろ?」
「……ご命令とあらば」
プロキオンの問いかけに、何故か彼女は忌々しそうに言う。
まるで、行きたいからそう命令してくれというように。
「あのときさ。背中がら空きだったよね。
いつ攻撃されたっておかしくなかった……ちがう?」
主語を抜かした問いかけに、リゲルはますます眉根を寄せる。
そう。ノクティルーカを支えた一瞬。
それだけあれば、『あの騎士』は簡単にリゲルを殺すことが出来た。
ポーリーに対する人質となりえるノクティルーカと違い、リゲルは生かしておく必要などない。
だから、『あの人』が自分を攻撃することにためらいがあったということ。
――馬鹿にしている。『あの時』よりよほど悪い。
敵対する覚悟もなしに、それを選んだのか!
ぎりと拳を握り締めるリゲルの肩をぽんと押してプロキオンは告げた。
「決着、つけて来なよ」
きょとんとした顔は初めて見る顔で。
あ、面白い顔と思ってる間にも、たたらを踏んだリゲルは数歩後ろに下がり魔法陣の中に入って、スピカたちと共に光に包まれた。
「ちい姫様、こちらへ」
向き直ったプロキオンは、真面目な顔でひっそりと建っていた小屋を示す。
両側から支えられて引きずられるような状況はひどく情けないが、それでも力はほとんどない。
耐え切れずにため息を漏らせば、心配そうな声がかけられた。
「そんなに辛いのか?」
聞き慣れない――しかし聞き覚えはある声に。
そういえば、左側は誰が支えてるんだろうとノクティルーカは首をめぐらせる。
黒い短髪に不機嫌そうな顔。
「……ブラウ?」
「ああ」
応えつつも彼はなんだか複雑そうな顔をしている。
きっと面倒なことに巻き込まれたとか思ってるんだろう。
「褥の準備をしました。こちらへ……ってああ! 靴脱いで靴!!」
なんだか騒ぎつつも、ようやく横になることができたノクティルーカは安堵の息を吐く。
自覚症状以上に疲れてるのかもしれない。
「厚く御礼申し上げます。このご恩は必ず」
「いや……別に」
聞こえてきた声に目を開ければ、深々と頭を下げるプロキオンにブラウは慌てたようにそっぽを向いていた。
感謝されることに慣れていないのかもしれない。
そうだ。助けてもらった。だから教えなければ。
「早く、助けに……セレスタイトも……『奇跡』……持ってる。
狙われる」
途切れ途切れながらも訴えれば、ブラウはぎょっとした顔で立ち上がった。
一瞬迷うようなそぶりを見せたプロキオンだったが、すぐにミルザムに命を下す。
「この方をお送りして、戻って来い」
「はっ」
二人の姿が消える。
これでようやく自分の仕事は終わったとばかりにノクティルーカは深く息を吐いて目を閉じた。
一方プロキオンは、かつてないほどに重要な立場に置かれて緊張していた。
手が震える。心臓がうるさい。
もし……もし。ここに敵が攻め込んできたら、ボクがお二人を守らなきゃいけない。ボクしかいないんだから。
「どこか痛い? 怪我してない?」
涙声にノクティルーカが目を開ければ、こぼれてこそいないものの、決壊一歩手前といった様子のポーリーの姿。
「怪我はしてない。……疲れてるだけだから」
気にするなと、心配するなというつもりで、ぎこちないだろうけれど笑う。
それでも、納得せずに心配そうな顔のままだろうなと思っていたポーリーは、けれど虚をつかれた顔をした。
「……笑った」
「……?」
何を呆然と言うのだろう?
ノクティルーカが不思議に思っていると、唐突に彼女はくしゃりと顔をゆがませ、抱きつくようにして泣き出した。
苦しいというか嬉しいというか、でも苦しいというかっ
宥めてやろうにも腕はおろか指一本動かすのにも難儀する今の体力ではどうにも出来ず、ああいっそのこと眠れたら楽なのにとか現実逃避するノクティルーカ。
でも、体力が戻ったら言ってやろう。
少しは俺の気持ちが分かったか?って。
相変わらず泣き虫な彼女は、その言葉にまた泣き出してしまうかもしれないけれど。
抜け落ちそうになる力を何とかしてとどめる。
うん、だって、ここで今動けるのはボクだけなんだから頑張らないと……
でもなんでボク、貧乏くじ引いちゃったかな。
そりゃ確かに一番位高いけど! これじゃただ単にお邪魔ムシなだけじゃないかっ
妙なことになって苦悩するプロキオンの悩みが解消されるのは、これから少し後のこと。
――いろんなことが分かってくるのも、その時のこと。