秘密基地
派手な音を立てて転がるのはお玉にまな板、いくつかの鍋。
包丁が落ちなくて良かったとポーラは心底思う。
しかし落とした当人は本気で困った顔をして固まった。
「……難しい……」
ポツリとした呟き。
「料理できる人ってすごいよな……何であんなにうまくいくんだろう」
それ以前の問題だとは口に出さずに、ポーラは床に落ちた鍋を拾う。
窓から太陽を位置を確認してそっとため息をつく。
このペースで果たして間に合うのだろうか。
「でも最初から諦めてちゃ駄目だよな! よし! 頑張るぞ!」
ポーラの内心など露知らず、ユーラはえいおーとこぶしを振り上げた。
村に着いたのは昼をちょっとすぎた頃だった。
小さな村だが大きな街道が近いこともあり今日は久々に宿に泊まれる……はずだった。
ところが着いてみれば宿は満室、困りきった三人に村人が示したのが空家を利用した木賃宿。
となれば当然食事は自分達で作らねばならず、今の状況に至る。
「せっかくだからさ、父さんの好きなものとか作りたいな」
にこやかに笑うユーラ。
ポーラもその意見には賛成だ。たった一人で自分達を守ってくれている『大人』。
明日には大きな町に出るから保存食などは買い足せるし、野宿での食事は簡素なものになりやすいから、少しだけでも凝った料理を食べて欲しい。
「ユリウスって何が好きなの?」
話題の彼は食材調達後は外でまきを割っている。次にここを使う人のために、自分達が使った分はちゃんと補填しておかないといけないからだが。
「そうだなぁ。うなぎのスープとか」
「ウナギいないから」
「鮭のクリームスープ」
「サケも時期が違うから」
そう魚類ばかり言われても困る。この近くに川が無いから生魚なんて手に入らない。
ポーラは荷物から木の実だの干し肉だのを取り出しつつ聞いてみる。
「ユリウスって魚が好きなの?」
「父さんの父さん……じいちゃんは元々南部の港の近くの街の出なんだ。
じいちゃんが魚好きだったから父さんも魚好きになったって言ってた」
「なるほど」
港町なら魚介類は簡単に手に入るし活きも良いだろう。
「そういえばポーラも好きだよな、魚。
あたしは断然肉のほうが美味しいと思うけど」
「活きのいい魚は美味しいわよ」
ポーラは無論肉も食べるけど、どちらかといえば魚のほうが好きだ。
ユリウスと同じで小さいころの食生活が関わっているのだろうと思う。
同じように首都で育ったとはいえ、ユーラは両親のもとでごく一般的なセラータの料理を食べて育ったのだろうし、ポーラはセラータに住んでいたにも関わらず母方の民族料理ばかりを食べていた。
「ユリウスの好きなものって他に無い?」
問いかけに、ユーラはうめく事で応える。
好物を聞くのは良い。しかし手持ちの食材で作れるような料理なのか、そして自分達が作り方を知っているかが問題なのだが。
はたしてそれに少女達が気づいているのかどうか。
「ん~。父さんの好きなもの。
……ばあちゃんのラヴィオリ、かな」
自信なさそうに言ってユーラは食材を眺める。
どう見ても材料が無いという現実に突き当たって。
「……鍋くらいしか出来ないかな……」
「仕方ないわよね」
そうしてようやく夕餉の支度に取り掛かる頃には、太陽はそのほとんどを隠し終えていた。
小気味のいい音を立てて木が真っ二つに割れる。
斧を振り下ろす手を止めてユリウスは汗をぬぐう。
これだけまきを作っておけば良いだろう。日も沈んだ事だし。
問題は、さきほどから聞こえる娘の声。
「あーもう何でこんなに切れないんだよっ」
「落ち着いてユーラ。切れにくい包丁は怪我しやすいんだから!」
思えば女性らしい事はほとんど……いや騎士の娘が料理をする事自体が珍しいのだが。野宿の時には短刀でウサギや鳥をさばいたりしていたから、そこそこの料理は出来るだろうと思っていたのに。
「あー。やはり私が」
「父さんは良いからどっかいってて!」
父の言葉を遮って不機嫌な声が飛ぶ。
台所は自分達の聖域で侵すことは許さないとばかりの迫力に言い返せるはずも無く。
寒空の下、腹をすかせたままユリウスは当分待つことになった。
透き通るほどの空の色
敵に襲われる事もなく穏やかな旅路の途中。
ノクスはパーティの後ろをのんびりと歩いていた。
もともとこのあたりの地理には詳しくないし、剣を使える自分がしんがりを務めればいいと思っていたから並びには不満はない。
あるとすれば、先ほどから痛いほどの視線を送ってくる彼女だろうか。
自分の事を覚えていない幼馴染が、大きな瞳でじっとこちらを見つめている。
仲間になったのは最近の事で。そのいきさつもあってにらまれているのかも知れない。
ときおり足元が怪しいのでこちらとしては止めてもらいたいのだが。
もしかしたら思い出そうとしてくれてるのかなーとか思ったけれど、多分それは期待するだけ空しい結果を生むだろう。
「なんだ?」
耐えかねて問い掛ける。
意外な事にこちらを見つめるポーラの瞳は睨むと言うよりも考え込んでいると言う感じで。さらにしばし見つめた後、ポーラはようやく口を開く。
「ノクスの瞳って深い色ね」
「あ?」
予想外の回答にノクスは思わず足を止め、それにあわせてポーラも立ち止まり色の判別を行おうとする。
「でも黒じゃないみたいだし。なんていう色なのかしら?」
そんな事が気になってこっちを見ていたのか……というか、そんな風に凝視されると妙な期待をする男もいると思うのはノクスの考えすぎだろうか?
つーか、やっぱり思いださねーんだなこんちくしょー。
あまり身長差がないからまだ見やすいだろうに、ポーラはなおも顔を寄せてくる。
わずかに紫味を帯びた柔らかそうな銀髪。ぱっちりとした紫水晶にも似た瞳。
っていうか顔近いって、近すぎるって! ポーリー!
「何やってんだ?」
二人の遅れに気づいて、鮮やかな金の髪の少女が戻ってくる。
その身を無骨な鎧に包み、腰には細身な体に似合わぬ大きな剣を佩いている。
近寄った親友をポーラは見つめてポツリと呟く。
「ユーラは緑よね」
「は?」
「瞳の色」
「ああ。確かに緑だけど」
それがどうかしたかと言外に問い掛けるユーラに、ポーラは少しの憧れを込めて言う。
「孔雀石みたいに濃い緑よね。いいな綺麗で」
ユーラも出身は同じ国なのだが母方の血のせいか、その瞳の色は濃い。
「父さんも同じ緑だけど、もっと明るい色だしな。
でもポーラの瞳も綺麗じゃないか。宝石みたいに透き通った紫で」
その言葉にあいまいな笑みを返すポーラ。
会話に置き去りにされながらノクスはなんとなく納得がいった。
多分単純に珍しいのだろう。
ノクスは黒髪に、黒に近い深い色の瞳。
彼女達の故郷ではまず出会えないような容姿だから珍しくて見入ってしまったのだと。
……とんだ迷惑だし、それでますます覚えられていない事が判明して落ち込むが。
それにこんな色合いは故郷のアージュにはごろごろいるし。
「じゃあノクスの瞳って何色に見える?」
その一言で現実に引き戻されると、唸りながらこちらを見る二人の姿。
はう。
ため息をついて空を見上げれば、見えないじゃないかと苦情が来る。
頼むから誰か何とかしてくれ。
心の叫びを聞いたのか、救いの手が前方から伸びた。
「そんなに人の顔を凝視するものじゃないぞユーラ」
あきれた顔で、先導していた男性――ユリウスがこちらを見ている。
金の髪に淡い緑の瞳。
簡素な鎧をまとっているが、腰に佩いた剣もその身のこなしもどこか洗練された感があり、面差しがどことなくユーラと似通っている。
罰の悪そうな顔をしつつもユーラは声の主に言い返す。
「だって父さん」
「だってじゃない。ノクスに失礼だろう」
その言葉にノクスは心のうちで感謝の言葉を列挙する。
見目良い少女に見つめられるのは悪い気がしないでもないが、こうも凝視されるとやはり居心地は悪い。
「ポーラ様も。ここからは道が悪くなりますから」
たしなめられてしぶしぶといった感じで視線をはずすものの、ノクスの横で相変わらずちらちらと盗み見ている。
さっきから心臓は跳ね上がりっぱなし。だというのに彼女は平然としてる。
ったく、すこしはこっちの身にもなれよ。
気づかれないようにノクスはため息を押し殺した。
見上げた空は、目が痛いほどの青さだった。
数日後。いつもの並びで道を歩いていると、ふいにポーラが立ち止まった。
「どうかしたか?」
足でも痛めたのかと思って近寄れば、タイミングを合わせたかのようにポーラは振り返り、近距離で見詰め合う形になった。
朝焼け空のような紫の瞳が大きく開かれて、淡い色の唇が笑みを形どる。
「空の色」
「は?」
振り仰げば雲間から僅かに鮮やかな青が覗いているが。
「そっちじゃなくてこっち」
声に呼ばれて振り返れば、柔らかな指が目の前に突きつけられていた。
「ノクスの瞳の色」
……そういえば何日か前に言っていたような気がする。
「空?」
不思議そうなユーラの声にポーラは頷く。
ユーラとしては、まだ完全に信用ならないこの男とポーラが仲良くするのは気に食わないのだが、あの色が何の色かというのは気になっていた。
「夜空の色よ。曇っている時の空……青い夜の色」
そういえば昨夜も曇っていたなとか、青い夜って何だとか思ったりもしたがとりあえず黙っておく。
余計な事を言えば、じゃあ分かるまでじっくり見させろといわれるのは間違いない。
あ。ポーリーの目、ちょっと赤い。……また寝られなかったのか?
そんなノクスの内心を知らずに少女達は話題に花を咲かせる。
「そっか夜空の色か。名前も確か『夜』って意味だろ?」
確かに『ノクス』は『夜』だけどな。
「曇ってるはずなのに色は透き通って見えて。綺麗よね」
どーいう色だそれは。
声に出せない思いに気づいたのかユリウスがぽんと肩を叩く。
ご愁傷?様とでも言われたようで、それがさらに足取りを重くさせる。
そんなノクスと逆に、納得できたと足取り軽く道を行くポーラ達をしばし眺めて、ノクスは額に手を当てる。
遠い昔。ノクスの瞳を『真夜中の空の青』と表現した人がいる。
まさか同じ表現をするなんて。
そう考えてふっと息を吐く。
「まぁ当然か」
置いていかれないように再び足を踏み出し道を行く。
先を行く薄紫をなんとはなしに眺めつつ。
光琳社出版「色々な色」(角川書店から再版されたものは「色の名前」だったかな?)の「ミッドナイト・ブルー」の写真のイメージで。彼の目の色もそんな感じで。時間軸は五話終了後あたり。(04.12.10up)
「ファンタジー風味の50音のお題」 お題提供元:[A La Carte] http://lapri.sakura.ne.jp/alacarte/
ポーリーとルカで思いつかなかったので、何故か料理の話に。
男性陣締め出して何かの料理をするっていうのはままあることなのでいいかな、と。(05.08.03up)