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月の行方

【第十三話 月が満ちる夜】 1.呪縛

 セラータの王都・セーラまでの道のりは遠い。
 ノクス一行はあのよく分からない小屋の扉を通って一旦ヴァランガ平原まで戻り、北東にあるセーラへと向かった。
「おーい。本当にネージュにつくんだろうな?
 こんなとこで凍死はごめんだぞー?」
 暦の上では春だが、雪深いこの地でそれは実感しにくい。
 力を取り戻しつつある太陽も、根雪を溶かしきるにはまだ時間がいる。
 確かにイアロスの言葉どおり、ここで夜を明かすような真似をすれば命に関わるだろう。
 だがノクスは自分のせいじゃないとばかりに、先を行く小柄な背中を示した。
「あいつに聞いてくれ」
「今度は問題ねーよっ」
 がぁと吠え返しつつもユーラは先を急ぐ。
 その顔はやはり険しい。
 父の身を案じているだろうし、セーラに残っている家族のことも心配だろう。
 その思いはポーラとて同じ。
 ラティオも無駄口を叩くことなく、おちゃらけるのはイアロス一人。
 子供たちの反応はまったくといって良いほどないが、こういう時だからこそ道化が必要だということをイアロスは知っている。
 彼自身だって冷静とは言いがたい。
 友人の実力をよく知っているが、無茶をするくせのあることもまた知っている。
 自然と早くなりすぎる歩調を何とか整えてみるものの、焦りはとまらない。
 結局、予想よりも大分早く一行はネージュにたどり着いた。

 ネージュはセーラから南西に位置するそこそこの大きさの町だ。
 特にこれといった産業もなく、強いてあげるなら古くから伝わる織物があるといったくらいだろう。
 町中は多少ピリピリしているものの、特に変わりなく宿も取れた。
 だが、薬草などを買いに出た時にその認識は覆る。

 吸い込んだ空気の温度が急に下がった気がした。
 誰一人言葉を発しない。
 竜巻か何かが通った後のように、一直線に壊された跡があった。
「なんだよ……これ」
「あんた達も話くらいは聞いただろ? 黒いバケモノが来たんだよ」
 思わず洩れた呟きに、疲れた声で反応が返る。
 疲れと諦めの色を滲ませて、道端に老婆が座っていた。
「黒いバケモノ……」
「ああ。黒いバケモノさ」
 辺りに人気はない。
 壊された家の瓦礫も、まだ使えるだろう形を留めたままの椅子も、すべてその場でさらされている。
「あっという間に過ぎていったけど、そのあと魔物が来てね……
 町の衆や傭兵がなんとか追い払ったけど」
 深いため息。独り言のように紡がれる言葉。
「なんで……鬼は暴れてるのかな」
「さあな」
 あの鬼は自分たちにセラータに来いと言っていた。
 早く来なければこうやって破壊していくという見せしめだろうか?
「教会がとくに酷くやられてるな」
 痛みを含んだラティオの言葉にようやく気づく。
 確かに被害の中心といえる場所に教会だったであろうものが見えた。
「しっかしあの『オニ』って奴は凄えなぁ」
 軽い口調ながらも、イアロスの表情は硬い。
 この惨状を作り上げた犯人を倒す事。
 その難しさに、彼らはしばし立ち尽くしてしまった。
 硬直を解いたのは、聞き覚えのない声だった。
「ゆうしゃさま?」
 いとけない幼子の呼びかけ。
「どしたあ坊主」
 すぐに笑顔を作り、しゃがみこんで少年と視線を合わせるのはイアロス。
 呼びかけた少年は怪我こそないものの、服はあちこちほつれて髪はぼさぼさ、埃にまみれた姿をしていた。
「ゆうしゃさま、ですか?」
 再度の呼びかけ。
 必死な色を浮かべた目はイアロスではなく、別の人物を見つめていた。
「おにいちゃんが『ゆうしゃさま』?」
「は?」
 きらきらした瞳で見上げられて、情けない声を漏らしたのはノクス。
「おにいちゃんが『ゆうしゃさま』でまちがいないんだよね?
 だって、まっくろなかみで、けんもってるもん」
「えーと?」
 答えられずに仲間の方に視線を送るノクス。
 なんだろう。なんかこんなやりとりを以前にもした気がするぞ?
「ああ。こいつは『勇者』だぞ」
「ラティオッ!?」
「間違ってないだろう。何せ法王のお墨付きだ」
 こそりともらされた事実に思わず膝をつきそうになる。
 ああそうだった。
 なんか以前にも似たやりとりしたと思ったら、法王にそんなことを言われたんだっけ。
「ねえゆうしゃさま」
 くいと服を引っ張られて我に返ると、必死な眼差しがノクスを見上げていた。
「あのわるいまものをたおしてください」
 懇願に、言葉が返せない。
「あいつがきょうかいをこわしたんだ。しさいさまを……しさいさまを」
 目じりに浮かんだ涙がぼろぼろこぼれていく。
 大声をあげて泣き始めた男の子をイアロスがあやしはじめる。
「勇者?」
「あの子が?」
 先ほどのやりとりを聞いていたのだろうか。
 周囲から聞こえる囁き声。
 恐る恐る目をやれば、先ほどの子供と同じくらいの必死さで、熱に浮かされたようにこちらを見つめる目・目・目。
「勇者さま」
「勇者殿」
「ゆうしゃさま」
 ――どうかあのバケモノを倒してください。

 訴えに返ってきたのは、わずかな衣擦れの音。
 この知らせに当惑しているのだろうか?
 昴の御前で報告を終え、カペラは返事を待った。
「あら。それは大変」
 しかし彼女の予想とは裏腹に、昴――明はそれだけをのんびりと言ったのだ。
「本当に大変」
「昴……?」
 御簾越しだから表情までは伺えない。
 だがしかし、違和感を感じた。
 昴は今までこんな風に、感情をあらわにした事などない。
「鬼が人の世界を壊して回ってるなんて」
 とても大変。そう言いながら明は笑った。
 カペラの後輩にあたる昴つきの侍女たちにも瞳の色に当惑が見て取れる。
「でも……自業自得でしょう?」
「昴!」
 咎めるような呼びかけにも、明は幼子のように笑い続ける。
「これは天罰なのですよ。報いを受けている――それだけ」
 笑いながらも冷たい言葉に、侍女たちは凍りつく。
「馬鹿げた不老不死を求め、この国に攻めて来たのも。
 おばあさまや叔父様、織女様……それに現さまを傷つけたのも。
 元々は人が始めた事でしょう?」
「ですが!」
 カペラの訴えに返る、冷ややかな言葉。
「暴れているのは我が民ではなく、鬼でしょう?
 なのに、他国の……我が国を侵したものを救うために、何故神宝を使わなければならないのです?」
 昴の言葉はもっともなこと。
 自国を守るための最大戦力を、他国のために使う事は出来ない。
 だが――
「あの鬼は……ッ」
「織女様を傷つけたものでしたね。
 でもわたくしは、仇討ちを許しましたよ?」
 動く気はないことを責めるつもりはない。
 鬼の……彼の裏にいた存在――だがそれをこの場で話すことは出来ない。
 言葉に詰まるカペラ。重い沈黙だけが降りる。

 そうして侍女たちは判断をくだす。
 これは『昴』じゃない。
 自らの意思は語らず――
 決して表立たず――
 ただそこに在り続ける事を望まれるもの。
 この『昴』は失敗だ。
 一刻もはやくすげ替えねば。
 そう、結論付けた。

 宿の一室で寝転んだままノクスはボーっとしていた。
 目を閉じると思い出す。
 聞こえないはずの声が聞こえる。
 アノマモノヲタオシテクダサイ。「ユウシャサマ」。
 あれは期待ととればいいんだろうか?
「どうしたよ『ユーシャサマ』?」
 悶々とするノクスの視界に、軽い声とともに赤銅色の髪が映った。
「イアロスッ!」
 怒鳴って起き上がると、ぺしっと頭を叩かれた。
「そう怒るない。
 だが、ちぃっとばかし嫌な雰囲気ではあるわな」
 困った困ったと自分の寝台に腰掛けるイアロスに同調してラティオも頷く。
 自分の発言が事の発端だという事を忘れているのだろうか。
「こいつを『勇者』として祭り上げて、鬼を倒させようって腹積もりだろ」
 面白くもなさそうにノクスを目で示してまた沈黙する。
 しぶしぶベッドに座りなおしたノクスの隣にポーラがちょこんと座る。
 それにちょっと顔をしかめつつもユーラが意見を述べた。
「つまり世間から見れば、あたし達は『勇者様御一行』って訳か?」
「そうなるだろうな。必然的に」
「こりゃさっさとセーラまで行った方がいいなぁ。
 行く先々でこんな扱いされちゃあ、こいつが参りまくるぞ」
「悪かったな、やわな神経してて」
 ぶすっと言うと、慰めるように大きな手で頭を撫でられた。
「さてと、仕方ねぇから俺が直々に買い物に行ってやるとするかねぇ」
 そのまま後ろ頭を掻きつつ、まずイアロスが部屋を出た。
「……俺たちも出ようか、ユーラ?」
「は? 何で」
「デートしようよ♪」
「だから何でだッ」
 次に文句言いつつもラティオがユーラを引っ張り出し、二人だけが残された。
 言葉をかけようかとポーラは口を開きかけるが、結局何も言わずに留まり続けた。かつて、彼がそうしてくれたように。
 大きく息を吐いて、ノクスは両手で顔を覆う。
「悪い、ポーリー」
 言葉を一旦区切って、小さな声で続ける。
「情けないよな」
 みんなの期待が重い……怖い。
 自分の知らない間に作り上げられた虚像。
 鬼を倒す事はすでに決心ついていた。
 ポーリーの母親の仇だから、倒す事に何のためらいもない。
 だけど――ただの敵討ちだったはずなのに。
「大丈夫」
 言い聞かせるようなポーラの言葉。
「だいじょうぶ。――死なせないから」
 しっかりとした言葉に、恐る恐る視線を合わせる。
 ポーラは笑っていた。
 本当は自分だって不安だろうし怖いだろう。だけど安心させるように笑っていた。
「絶対に死なせないから。私が守るから」
「……あー。うん」
 天使の笑顔であっさり言われて、返答が遅れた。
 そういうものはフツーは男(俺)が言うものじゃないか?
 言われてもらってどうするよ自分?
 遠い目をしてしまったノクスの反応が気に入らなかったのだろう、笑顔を一転ムッとするポーラ。
「あ! 信じてないでしょっ 私、防御魔法だけは自信あるのに!」
「いやまあ実力はよーく知ってるけどな。待て、頼むから杖を振り上げるな」
 どうどうと慌てて杖を持つ手を抑える。
 拗ねた程度とはいえ、彼女に殴られるのはキツイ。
 しゃれではなく、かなりのダメージが来る。
 納得いかなかったんだろう。ポーラは頬を膨らませてそのままそっぽを向く。
 本当に子供っぽいが、とても可愛らしく思えるのは惚れた欲目だろうか。
 思わず笑みが洩れる。
 苦笑のような、それでいてとても優しいもの。
 なんだか少し気持ちが楽になった。
 そう、周りがどう言おうと関係ない。やる事は決まってるんだから。
「じゃあ頼む。しっかり守ってくれ」
 ……鬼は、俺が倒すから。
 言葉にしなかったものまで感じ取ったのか、ポーラは神妙に頷いた。
 その瞬間を見計らってか、大きな咳払いが聞こえた。
「そーろそろいいかな。お二人さんや」
「イアロス?」
 質の良くない笑みを浮かべつつ、かつての保護者が戸口から顔を出す。
 ノクスとしてはその後ろにいる羽交い絞めにされてる少女と、さらに輪をかけて嫌な笑みを浮かべている青年の方が気になったが、触れないほうがいいだろう。
 多分、絶対。
「セーラのほうから使いが来るとさ。明日の昼頃にな」
「使い?」
「なんで?」
 子供らの問いに、今度は真面目な顔で告げる。
「教会が派手に『勇者一行』を宣伝したようだ。
 この国は特に鬼の被害が酷かったらしいからな。『勇者』を見つけ次第、城に招くようにっつー通達が少し前から出てたみてぇだぞ」
「城から……」
「分かった。行く」
 トーンの落ちたポーラを、今度はノクスが励ますように断言する。
「ありゃ? 即決か?」
「早く着けるに越したことはないだろ」
 胸すら張って答えるノクス。
 こういう気持ちの切り替えの速さはやはり母親(ソワレ)に似ている。
 決戦まで後少し。できる限り守ってやるかね。
 俺もつくづくお人よしだよなぁとかぼやきつつも、イアロスは嬉しそうだった。