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月の行方

【第十二話 漆黒の憎悪】 5.遅すぎた復讐

 ずっと。ずっと悔いていた。
 あのとき、どうして自分は応えてしまったのかと。

『えらいねぇ。もうそんなに歌が詠めるんだ』

 そういって褒めてくれた人はもういない。
 きれいなふんわりとした青い髪と柔らかな紫の瞳。
 凛とした姉と違い、柔らかさを前面に出したその姿、声。

『だってまた振られたんだよっ これで泣かずにいられないわよぉっ』

 くるくる変わる表情も気安さも、星家の者には相応しくないと言われていたけれど、その性情を好ましく思うものも多かった。自分もその一人だった。
 本当なら声をかけていただけるような立場ではないのに。

『えへへー。分かる? 実はね、婚約、したんだぁ』

 弟のように思われていることは知っていた。
 想いは止められようもなくて、でもどうする事もできないことも知っていて。
 あっけなく初恋は終りを告げて。
 あの方が市井の……しかも『我ら』ではないただのヒトのもとへ嫁がれて、悔しくなかったとは言えなくても、御子が生まれて幸せに暮らされてると風の噂に聞いて、それならいいかと思った。

 その幸せが崩れなければ。

 盆正月に、あの方が里帰りをされなくなって……そして分かった事は、住まわれていた村が跡形もなく消え去っていた事。
 消息不明。
 ただその一言だけで済まされた。

 月日が過ぎて、あの方の妹姫がお生まれになり、また状況は一変する。
 あれだけ思っていたあの方を忘れたように、妹姫のことばかりを皆が話す。

 末姫様はもう手習いを始められたらしい――
 本当に利発な御子らしい――
 これで星家は安泰だ――

 妹姫が健やかに成長なされることが疎ましい訳ではない。
 だが、あまりにもあの方を蔑ろにしすぎだ。
 おろかな自分は、そう考えた。
『みんな三の姫が好きなんだねぇ』
 皮肉をこめていった自分に返ってきたのは、咎める口調。
『「末姫」だろ』
 三番目の姫だから、自分が言うように『三の姫』の呼名が正しいはずなのに、皆が皆彼女を『末姫』と呼び、慈しむ。
 確かに長庚様はご出産後しばらくして儚くなられたのだから、『末』の『姫』で間違いはないが。

 思い出したのは、あの事があってから。
 風の君が自決されて、三の姫のご無事が確認できなかった時。
 またしても姫が失われてしまうのか。
 誰かの言った、その一言でようやく気づいた。目が、覚めた。

 誰もあの方を忘れてなどいなかった。
 だからこそ、細心の注意を払って三の姫をお守りしていた。
 悲劇を繰り返さぬように。
 呼名からして分かっていたことなのに。

『妹がいたらいいのになー。ぜったいぜーったい可愛がるのに。
 三の姫じゃ可愛くないから「末姫」って呼ぶの。
 で、「ねえさま」か「あねうえさま」って呼んでもらうの』

 あの方は、常々そうおっしゃられていたのに。
 目を閉じ耳をふさぎ、自分の都合のいいことだけを――自分に都合の良いようにゆがめて見聞きしていたから気づかなかった。

 あの方がきっと大事にされたであろう姫。
 三の姫が傷つくきっかけを作ったのは、他ならぬ自分。

 罪の意識に苛まれ、叫ぶとそれは形なき衝撃となり、木々を倒す。
 力を手にするには手段など選べなかった。
 そう三の姫に答えはしたが、力を手に入れて何を守れた? 何が守れる?
 破壊を振りまくことしかできぬこの力。
 あの方の姉君をこの手にかけ、今から何を成す?

 ずっとそう迷っていた。
 だが今、それは消えた。
 『これ』を手にした時にみえたあの光景。
 あれが迷いを解いてくれた。

 命乞いの言葉など聞かぬ。
 かつて奴らがそうしたように、容赦なく切り捨てる。
 下っ端どもに用はない、裏で操るものたちに制裁を。
 壁を壊して恐怖をあおり、奥でおびえる罪深きものに鉄槌を食らわす。
 『我ら』を害した者たちに――星を汚した者たちに制裁を。
 二度と同じ企みを許さぬために。

 先ほどからひっきりなしに報告が来る。
 黒い何かが町々を襲撃し、その後魔物が大群で押し寄せてくる。
「くそっ」
 悪態をつき、セサルは髪をかきむしる。
 あの『バケモノ』は『協力者』の配下にあるのではなかったのか?
 連絡をとろうにも相手からは何の反応もない。
 裏切りは考えてなかった訳ではないが、この惨事は予想以上。
 『バケモノ』を操っているのは先の王との触れを出したが、どう収拾すれば良い?
 人の身であの『バケモノ』を倒せるのだろうか?
 一体どこから間違ったんだろう?
 叔父を追いやった時だろうか? それとも『協力者』と手を組んだ時だろうか?
 考えても仕方ない。
 魔物の襲撃をなんとか抑える事を考えなければ。
 セサルには、もう退路は残されていないのだから。

 周囲の慌しさはどうしようもないだろう。
 皆、先の襲撃を忘れてはいない。
 レリギオの首都アルカ。
 ソール教の総本山とも言える場所で、法王は震えていた。
 あのときのバケモノが大陸のあちこちで暴れているという連絡がひっきりなしに来ている。セラータの地方都市に襲撃があったとの報告の後に、フリストにも現れたとの一報。
 距離などたいした問題ではないのだろう。
 バケモノが去った後には魔物が押し寄せてくるというから被害は甚大だ。
 しかし何よりも法王が恐れるのは、バケモノが狙っているもの。
 報告によれば、バケモノはソール教の教会めがけて襲撃してくるという。
 高位の者らしき人物を殺害してまわっている、と。
 生き延びたものの証言だ。
 下位の聖職者には向かってくるもの以外見向きもしないが、高位の者はどこまでも追い詰める。
 ならば、そう遠く無い内に――

 起こされたのは、まだ日の昇らぬころだった。
「鬼が暴れ回ってる?!」
 寝不足のせいもあるだろうが不機嫌なアルクトゥルスに対し、水晶球を通して連絡を寄越してきた人物は飄々と言い返す。
『そりゃあまあ見事な暴れ具合じゃぞ。
 鬼が去った後には魔物が押し寄せてくるから、人は難儀しとるようじゃなぁ』
「あまりにも他人事過ぎやしませんか? サダルスウド老」
『そなた、この年寄りに鬼退治をせいと言うか』
「せめて被害を少なくするように努力をしていただけませんかね」
 こめかみをひくつかせて言うアルクトゥルスに、会話相手の老人はため息つきつつ答えた。
『出来る事はしておるよ。だがこれ以上年寄りに無茶をさせるでない』
「……わかりました」
 応じるアルクトゥルスも疲れた表情で、だがそれでも部下に命を下す。
「ミルザム。プロキオンのところに行ってせっついて来い。
 カペラ。昴のもとへこの件の報告に」
「はい」
「かしこまりました」
 慌てて動き始める部下を見やって、次に傍らの妻に告げる。
「子供達を別室に呼んでおいてくれ」

 シンとした室内に満ちる冷たい空気。
 ほわほわと上がる湯気だけが温度を持っているかのよう。
「とまあ、そういった状況らしい」
 簡単に告げたアルクトゥルスに皆言葉もない。
「このように切迫しているが、今は機を待て」
「そんなこと言うなら教えるなよっ」
 叫ぶのはユーラ。
「こんな事を教えられて、じっとしとけって言うのか?!」
「動きたいなら動けばいい」
 冷たく突き放し、アルクトゥルスは白湯を啜る。
「実際これを聞いた義兄上とユリウス殿は、処罰覚悟で国に戻った。
 だがそれは、鬼が去った後に現れると言う魔物退治のためだ。
 鬼を相手にする訳ではない」
 ことんと器を戻し、ユーラと目を合わせて反論を封じ、さらに彼は言葉を紡ぐ。
「鬼と相対するのは魔物とは訳が違う。万全の準備をして迎え撃たねばならない。
 ラティオの槍だけでは心もとないからノクティルーカに剣を創っているのだ。
 そっちも今急かさせている」
 だからくれぐれも大人しくしているようにと言い聞かせて、そのままアルクトゥルスは部屋を去った。
 そして、しばらく後に部屋を覗いて誰もいないことを確認し、苦笑をもらす。

 勢いよく歩き出して足を滑らせる。
 なんて真似はしたくないので、慎重に足を進めているユーラ。
 先頭はラティオが務め、しんがリには文句を言いつつイアロスが続いている。
「ったく、なんでまた俺が付き合う羽目になるんだか。
 大体怪我人だぞー? もうちっと労われー?」
「とっくに治してもらったくせに」
「なーんか言ったかーノクスっ」
「いででででっ」
 両のこめかみをぐりぐりして気が済んだのか、イアロスは手を放す。
「大丈夫?」
「このくらいは。
 でも、本当にいいのか?」
 問いかけに、ポーラは少々間を置いて頷く。
「父上が勝手に行っちゃった気持ちは分かるもの。
 それに……やっぱりアリア様が心配だし」
「そっか」
 鬼と戦う決意は一応ある。
 だけど、だからといってそれ以外を切り捨てる事なんて出来ない。
 当面の目標は王妃の安否の確認。
 前々から気にしていたポーラの願いをかなえる形にはなっているけれど、あそこにいたところで何も始まらないだろうことは分かっていた。
 さすがに丸腰は厳しいので、無断で刀を拝借してきたけれど。これをちゃんと返せるようにしよう。きっと苦笑を交えて怒ってくれるだろうから。
 一行が目指すはセラータ首都セーラ。
 そこで、思いもよらぬ目に遭うのは今に始まったことでもなかったけれど。