【第十話 取り戻したい時間】 1.明らかな異変
鎌のように鋭い爪を剣で受け止める。
相手の動きが止まった瞬間に、横から別の剣が爪ごと腕を凪ぐ。
これで何体倒したろう?
あちこちでうごめく影。小さな茂みから、木や岩の陰から。殺気はもれてくる。
そう、噂話には聞いていた。魔物の数が増えた、と。
でも……
「これはねーだろーッ」
「諦めようよユーラー」
絶叫したユーラに応える余裕があったのは、お気楽司祭だけだった。
街道を歩いてセラータに行く。
乗り物が無いのだからこの判断は当然のことで、だからこそ今までと同じような装備でアルカを発ったのが十日程前。
砂漠を抜けて、ぽつぽつと草のはえる景色に変わり、緑が増えていくにしたがって、魔物の数も増えていった。そりゃあもう劇的に。
こちらとて今まで長旅をしてきているから、魔物に襲われるのは初めてじゃないし、まあ良くある事だった。
「でも流石にあれはないと思うんだ」
「同感だが……絶叫すんじゃねぇ」
息を切らせつつ悪態をつくノクス。
地面に剣を刺して、それで何とか体を支えている状態だが、視線だけは鋭い。
「ちょっと考えれば分かるだろうが。目的地に着く前に死にたいのか」
先ほどのユーラの絶叫のせいで魔物が集まって、さらに疲れる羽目になっているのだから、この位の文句は許容範囲だろう。
だがユーラはそれに反感を持ったのか、再び大きく口を開け、それより大きな手で強制的に黙らされる。
「あのねユーラ。俺も魔法使うと疲れるからね」
なおも暴れる彼女を後ろから押さえつけつつラティオは言う。
座り込んだ彼の傍らには槍……だったもの。
すでに刃はなく、棒と呼んだ方がいいだろう。
この十日の間に……いや、砂漠を抜けた後の五日間の間にこうなってしまった。
比喩でもなんでもなく、魔物が次から次へと出てくるのだ。
別に洞窟とか遺跡とかそんなとこにいるわけじゃない。
ごくふつーに使用されている街道で、コレだけ魔物に遭うというのは珍しい。
「あのジジイ、なにか呪ったか?」
「……聖職者が呪うのか、世も末だな」
「呪いを解くには呪いの知識が必須だからな」
突き放すような声に反応するのも虚しくなって、ノクスもその場に腰を下ろす。
するとそれに習うかのようにラティオも座り込んだ。ユーラを抱えたまま。
ふうと息をついて、不満そうに唸る。
「にしても、狭いな」
「……ごめんなさい」
「謝る事ないって。十分助かるから!」
間髪いれずにしゅんとしたポーラにノクスは慌ててフォローを入れる。
「でも私、戦いで役に立てないのに」
「休憩できるのに文句ある訳ないだろ」
フォローしているはずなのに、しゅんと視線を落とす彼女にどうしたものかを頭を抱える。
地面に描かれた魔法円。
確かに向かいに座ってる相手の膝がぶつかりそうなくらい狭い範囲だけれど、この円の中に入っていれば魔物に感知されないのだから、次から次へと魔物が沸いて出る今の状況から考えれば嬉しい魔法。
こんなものを張れるなら、誇っていいはずなのに。
「お前いちいち自分を過小評価しすぎるぞ」
「でもこの術、あんまりもたないもの。長くっても一刻くらいよ」
「それだけ休めれば十分だろ」
何もここで野宿する訳じゃなし、休憩なら十分すぎる時間。
魔物の遭遇率が恐ろしいほど高い今は、安心して休める場所というのは何物にも変えがたい。
「ま、落ち着かないけどな」
「……ラティオ少し黙ってろ」
ポーラが嫌いなのかと思うくらい、ラティオは時に辛辣に彼女に当たる。
いや、実際は、ユーラがあまりにもポーラのことばかり気にするから、八つ当たりというか嫉妬というか……つまりそういうこと。
旅の仲間なのだから、もう少し何とかならないものかと常々思ってるが、生憎そうはならないらしい。
いやまあ確かに、さっきからすぐ側をでっかいカマキリや食虫植物っぽいものがうろついているから、落ち着かないのは確かだけど。
魔物からは見えないし声も聞こえないと言う事は分かっているけれど、魔物が闊歩する中で心からのんびり休憩できない。
さてどう言い繕おうかと思案するノクスの耳に、別の声が入ってきた。
「っていうか、いい加減離しやがれ」
明らかに不機嫌そうなその声は、ラティオに横抱き状態にされたままのユーラのもの。
それに応える赤い司祭は笑顔を浮かべ、小さな子に言い聞かせる口調で言う。
「駄目だよユーラ。この結界狭いから、下手に下りたら出ちゃうよ。狭いから」
「てめーの膝に乗ってるほうがよっぽど狭いし嫌だ!」
「でもね。ユーラが下りると座る人数が増える訳で、ただでさえ狭い結界がさらに狭くなっちゃうんだよ」
「狭くったって構わねーよッ」
「連呼するな」
そう言ったものの……ノクスの言葉は多分聞こえてないのだろう。
片方は確信犯で、片方は気づくことなく『狭い』を連呼し続ける。
それが言われるたびに、ポーラが沈んでいっているというのに。
「ノクス」
「うん?」
呼ばれた名前の響きが妙に平坦だったから、多少嫌な予感がした。
「なんだか、結界解きたくなって来たんだけど」
「……気持ちは分かる。でも、頼むから止めてくれ」
半泣き状態のポーラには悪いと思うけれど、体力のほとんどが尽きているノクスはそう言うしかなかった。
「うん。分かってる。分かってるんだけど」
頷きつつも、いまだ言い争いをする二人へと向ける視線はかなり複雑そう。
そりゃ悔しいだろう。ああも狭いと連呼されれば。
ノクスが彼女の立場なら、問答無用で解呪してるだろうし。
無論それを悟られせてはまずいので、話題を変える事にする。
「にしても……予想以上だな。
魔物が増えたっていってもこれほどとは思わなかった」
「……ん」
内容が真面目なせいか、ポーラは素直に頷いた。
「町から離れてるけど、ここも街道なのにね」
「街道だから出ないって訳でもないけどな。
実際、人間を狙って襲うのだっている訳だし」
「さっきラティオが言ってたけど、本当に呪われてるのかしら?」
「まさか……と。思いたいな」
信じきれないのが悲しいところだ。確かに、呪いの品物を渡されてるんじゃないかと思うくらいの遭遇率ではあるが。
アルカから発つ際に渡されたものは、ポーラが母親から譲られた首飾りくらい。
さすがにそれが呪われているとは思えない。
「それとも……ノクスが『勇者』だからかしら?」
「お前まで何言い出すんだ」
がっくり項垂れつつ、不機嫌な声で応じてしまうのは仕方ない。
まったく何が勇者なんだか。
「でもノクスが本当に『勇者』だったら」
だというのに、ポーラは言葉を重ねてくる。
「悪い魔物を倒し終わったら、どこかに行っちゃうの?」
心底不思議そうに紡がれる言葉。
しかしその眼差しは、不安そうな子供そのもの。
なんと応えようかと迷った瞬間に、頭に感じる鈍い痛み。
「ユーラ!」
「近すぎるんだよッ」
ポーラの非難にも負けないくらいの大声でがなる彼女を、またも仕方ないと言いたげにラティオが捕まえる。
結局、休憩らしい休憩は取れずに、時間は過ぎていってしまった。
町にたどり着いた時、彼らは満身創痍といって良い状態だった。
武器も防具もぼろぼろで、あの子達は一体どこの戦場を通り抜けてきたのかと、道行く人が思っても不思議じゃなかった。
ひとまず宿を取って休み、明日買い物を済ませようという話になっていたのだが。
何でこんな状況になってんだろうなぁ。
心底不思議に思う。
何故、隣のベッドでポーリーが寝てるんだろう?
そもそもの事を考えてみる。
宿に着いたものの、二人部屋が一つしか空いてないといわれて、だったら自分は教会に泊まるとラティオが言って……ユーラを拉致したんだった。
だが、一応結婚できるような年の男女を同じ部屋に放り込むか?
許婚だから問題ないということだろうか?
司祭だというラティオの神経を疑いつつ、やはり日中の疲れのせいか、ノクスもポーラにならって寝る事にする。
特に何か思うことなく。疲れを取るのが一番大切だと、そう判断して。
しばらくすると規則的な寝息が聞こえてきた。
それと同時に大きくつかれるため息。
半身を起こして相手を伺ってみるものの、寝たふりしていた自分と違い、演技でもなんでもなく本気で寝ているっぽい。
「ばか」
小さく呟かれた悪態は、きっと届いてないだろう。
どうしてこんな、すぐに眠れてしまうんだろう。
二人きりだと意識してしまった自分が馬鹿みたいじゃないかとポーラは思う。
そりゃあ確かに小さいころは同じ部屋で眠った事はあったけど。
自分でもよく分からない感情をもてあまして、ノクスを睨むようにしていたポーラが、不思議なものを見たように目をぱちくりとさせる。
瞬きをしてもう一度彼を見ると、ごく普通に……野宿してる時のように寝入っている。
気のせい。そう判断してぽすんと枕に頭を預け、目を閉じる。
今日は凄く疲れたから、だから気持ちが変に高ぶってるし、目の錯覚も起こすのだと。そう言い聞かせるようにして、ポーラはまぶたを閉じる。
睨んでいた先、眠っているノクスの胸の辺りに置かれた彼の左手。
手の甲から青い光が漏れるなんて、そんなことある訳ないんだから。