【第九話 星の軌跡】 4.まやかしの神
引かれていた手が急に止まった。
コンコンというノックの音にポーラは顔をあげる。
返事もなく扉は開かれ、天使の笑顔が出迎えた。
「いらっしゃいませポーラ様!」
「え、と。こんにちは?」
「さあ入ってくださいな!」
あいているほうの手をティアが握ると、ノクスはポーラの手を離した。
少し惜しいなとかは思ったけれど。
彼女についで室内に入る。
壁は落ち着いたクリーム色。備えられている家具は飴色の、しっかりとしたつくりのもの。厚い絨毯に円座になってラティオとユーラが待ち構えていた。
「よ、遅かったな」
「なんでお前」
「妹の部屋に兄がいちゃおかしいか? とにかく座れ、話は長いんだ」
手招きするラティオに反論する理由もなく、ノクスはその隣に腰をおろす。
つられてポーラもノクスの隣に今度は少々足を崩して座り、ティアは『おねえさん』二人の間にご機嫌に入り込む。
「で、何の話があるんだ?」
「ベガ殿や俺がここにいる理由とか、いろいろね」
待ちくたびれたと言ったニュアンスを含んで聞くのはユーラ。いつの間に揃って話をするなんてことになってたんだとか思うノクスをよそに事は進む。
「で、先に聞きたいんだけど……ポーラはソール教に狙われてたって?」
「そうよ。刺客が来たもの」
何を今更聞くのかと少々不服そうな目を向けるポーラに対し、ラティオは真剣そのものの瞳で聞き返す。
「それは、捕獲されるって意味じゃなくて?」
「どういうこと?」
困惑した返事に、しばし落ちる沈黙。
「君を『殺せ』なんて話は聞いたことがない。
『無傷で捕らえろ』っていう命令が出ていた」
「え?」
「ンな馬鹿な!
実際あたしらは何度も襲われて、ポーラが大怪我したことだってあるんだぞ!」
「そんなこと言ってもねユーラ。ポーラを殺すメリットはこっちにないんだよ」
言われた言葉に激昂しかけるユーラを手で制して、ラティオは静かに続ける。
「考えてごらん? ポーラを人質にとればベガ殿に言う事を聞かせるのは簡単だ。
人質って言うのは無事だからこそ価値があるんだよ」
「じゃあ何で……」
「さあね。反法王派が仕組んだ事か、それとも一部の暴走か。
もしくはセラータ国内のいざこざに関する事か。想像は出来るけど正解は分からないよ」
ひょいと肩をすくめるラティオに、今度はノクスが問い掛ける。
「お前やその子じゃ人質にならないのか?」
ずいぶん懐いてたみたいだし。
そう付け加える彼に、ラティオが浮かべるのは自嘲の笑み。
「ああ。確かに人質だ俺たちは。ベガ殿に限定されず、な。
……お前達は他の宗教とソール教の違いを知っているか?」
どういうことかと問い掛けるその前に問いを示されて、ノクスもポーラも首を傾げる。ユーラが首を振ると、答えが明かされた。
「ソール神が実在するってことだよ。」
「……ま、そりゃあ」
「お前の思う意味とは違う」
呆れたようなノクスの言葉を遮り、俯いたままにラティオは言う。
宗教とか、『神様』なんてものは所詮人が作り出したものだ。
ラティオはそう思っている。だから、実在してはいないのだと。
過去に『いた』ことはあっても、今このときに存在してはいけないと。
「ベガ殿には妹が二人いた。
下の方はお前達もよく知ってるように、『現の君』アース。
上の妹『想の君』が俺の曾祖母な訳だが」
そこでちらと視線をポーラに向ける。
「『想』の娘の家系が今の『昴』らしいな。
で、俺は息子の家系……彼の孫。じーさんは『旭』って名前らしい」
「あさひ?」
「で、もう一つの名前が」
言葉が途切れる。言われなくても、大体想像がついた。
ユーラは話についていけない、困惑した顔で。
ノクスは神妙な顔で。ポーラは、どこか納得した顔で。
ラティオの次の言葉を待った。
規則的な足音が、地下に降りていく。
壁も床も天井も……全てが白一色に清められた空間。
その最奥に『神』が居られる。
夕日のような赤い髪。光のように白い肌。虚ろな金と銀の瞳。
彼の様子に変わりがないのを見て、一人降りてきた男性は声をかける。
「ソール神」
呼びかけにも無反応。
だが、これでいい。
鮮やかな金髪は白いフードで包み、身に纏うのは白一色のローブ。触らねば分からぬほどの刺繍を施されたそのローブは、ソール教会の長のみが許されたもの。
彼だけが知っているソールの真実。
法王のみが許されている。『神』を使うことを。
「もう少し、もう少しで『奇跡』がここにきますよ」
『奇跡……』
幼子のように法王の言葉を繰り返す『ソール』。
「ええ。ソール神の大切な大切な『奇跡』が」
糸の結界には決して入らず、彼は『ソール』に語りかける。
「でもその『奇跡』は、ある娘がもっているのですよ。
本来はソール神のものであるというのに。許せないでしょう?」
この『神』は赤子と同じ。こうして言葉を吹き込んでやれば容易く操れる。
あの娘の持つ『奇跡』を奪うのは困難だ。かつて手を出した者の惨状は歴史が教えてくれる。何より法王の祖先の実体験だ。あの『奇跡』は特に今の持ち主に根付いていて、それだけを奪うことは無理だろう。
だが、相手が人間でなければ?
悲劇は神話を彩るもの。この『ソール』の心はとうに壊れている。
なにより、人外のバケモノに同情などするわけがない。
「だから、返してもらいましょう? ソール神の『奇跡』を」
『奇跡……返す……』
真っ白な部屋の中、それにそぐわぬ暗い声が延々と続く。
ふと、法王の影が揺らめいた。
波紋のように浮き立ち、そこからぽこんと何かが生まれる。
ボールに小さな手足がついたような奇妙ないきもの。
ぱっちりとおおきな一つしかない目を瞬かせて、それはぴょっこぴょっこと階段を上っていった。
痛いほどの沈黙とは、こういうことを言うのだろうか。
皆一様に厳しい顔のまま、その名を告げたラティオを見ている。
「つまりそういう訳だから俺がどれだけ無茶しようと咎めにくい訳だ」
本人は開き直っているのか、まったく意に介していないらしいが。
「で、お前はそれを俺たちに教えてどうしようと?」
「特にどうかしようとは思ってない。ただちょっと話したくなっただけだ」
話すと喉が渇くとか言いつつ、ラティオは勝手知ったるとばかりに、隅の水がめへと歩いていく。
「ただこれを踏まえて、特にポーラはここにいないほうがいい。
ベガ殿と同じく利用されるだけだ」
「で、でも……」
「逃げるのでしたらおまかせください!
ティアがついてますもの。安心ですわ!」
自信たっぷりに胸を叩かれても、自分より小さな子に保障されるとかえって心もとないのは気のせいだろうか。
「おいまさか、それを教えるためだけにポーラをここにつれてきたのか?!」
「再会させるため、もあるけど。メインはこっちだね」
つかみかからんばかりのユーラにも、ラティオは軽く返す。
「いくら言葉で言ったって、信じられる訳ないでしょ。こんな話。
なら実際に見せてみるしかないじゃない?」
「お前が神様の孫だって信じた訳じゃないぞ」
「違うよユーラ。『神様』の孫じゃなくて、『神様にされたヒト』の孫。
そりゃ確かにベガ殿もアースも寿命も体力も魔力も飛びぬけてるからね。
カミサマに間違われたって仕方ないけど」
からから笑いつつ、ラティオはそれぞれに水を入れたカップを渡す。
「あえて何かしたいとしたら……教会の連中に一泡吹かせたい、かな?」
「は?」
「人のじい様に何すんだって、思わない?」
「いや、まあ……そう、かな?」
なんとなく勢いに押されて頷くユーラ。
「そのための手伝いなら、惜しみなくするよ。俺」
「ティアもですわ!」
茶目っ気たっぷりに言う兄妹。残る三人は、はぁと返すしかない。
「で、手始めに」
そんな彼らにラティオは指を突きつけ、こう提案した。
「ベガ殿奪還計画、実行に移そうか?」
目に見える位置にあった街。
いや、朝からその位置ははっきりしていた。見えていてもたどり着くには遠すぎて、後一刻もすれば着けるだろうと思っていた。
それが、気を抜いていたと言うんでしょうね。
歯噛みしてアースは思う。
気を抜いていたから、近づくまで気づかなくって攻撃を受けた。
多少避けていたし、相手の狙いが甘かったから怪我はない。
体中砂まみれになったのは自業自得。
口や目に入らなかったのは幸いと言えるだろう。
ここは砂漠のど真ん中、隠れる場所などありはしない。
砂丘の凹凸になんとか身を隠し、体勢を整えるのがやっと。
太陽の名残を示す紅い空。
黄昏時と呼ばれる時間。またの名を『逢魔が時』。
行く手を遮るように立つ異形は三体。
青い肌に一本角のもの。大きな棍棒を持った赤い肌の二本角。
そして、闇夜のような黒い肌に一つ目のもの。
三匹の『鬼』とは、相応しすぎる来客ではないか。
『たいした出迎えだな』
「本当に」
軽口を叩くものの、日影の声音もアースの表情も硬い。
魔物程度に囲まれるのは、日常茶飯事とは言わないが珍しい事でもない。
だが、鬼にまとまってこられるのは初めてだった。
この殺気、圧迫感。隠れていてやり過ごせる相手ではないことは分かっている。
それに何より、時間が経てば経つほどに闇は深くなる。
追っ手には有利に、自分には不利になる時間。
はやくも白銀の髪が弱い光を弾いている。
突然湧き出た殺気を右に大きく跳んで避ける。
勢いを利用してその場から遠ざかり、体勢を整えて立ち上がる。
「馬鹿者!」
一つ目の鬼の叱責に赤鬼が狼狽する。
せっかく追い詰めた獲物を逃がしたことに対する怒りだろうか。
『最近特に鬼に好かれておるの、天や』
「本当、困ったものですね」
茶々を入れる日影を抜き放ち、正眼に構える。
力を解放しても良いのだが、こう街の近くでは使いづらい。
何より、鬼たちの背後には街がある。
まかり間違ってそちらに攻撃が行ってしまったらと思うと、全力は出せない。
「そこ、どいてくれませんか?」
気をそらすために、とりあえず聞いてみた。
この鬼たちは少なくとも自我が残っている。それは即ち、かなり手ごわい事の証明。それはそれで厄介だけど、交渉が成立する余地もある。
「なりませぬ」
案の定一つ目は首を振った。
でも、その言い方に違和感を感じた。
それを指摘する間もなく、今度は青鬼が振り回す腕をかいくぐる。
魔法を使おうと詠唱を始めればすかさず邪魔をされ、向かっていけば逃げられる。
やりにくい。
『天、あせるな』
「うん」
冷静に冷静に。自らに言い聞かせて、鬼を見据える。
鬼たちが街を背にしていなければ、いくらでも方法はあるのだが。
懐に入らなければ剣での攻撃は出来ず、近寄れば別の鬼が仕掛けてくる。
先ほどから、一つ目だけは攻撃を仕掛けていない。何か別の思惑があるのか。
「なんで、鬼になったんですか!」
声を張り上げて問い掛けるアースに、一つ目は応えた。
「力を得るために、手段を選ぶ事など出来ませんでした」
予想外に返ってきた応えに、アースは訝しそうな視線で先を促す。
元々、問答無用で敵を倒すという事を彼女は好まない。
それは彼女の甘さであり最大の弱点。
「あの街に貴女を近づけさせるわけにはいかない」
言葉と同時にアースの周囲の砂が盛り上がり、彼女を捕らえようとその腕を伸ばす。
砂の檻の薄い箇所を見極め、アースは日影を一閃させる。
普通の剣では斬れぬ砂も、『神剣』と称されるそれには無力。
斬られた箇所がただの砂に戻るのと、その隙間に彼女が身を躍らせるのはほぼ同時。
目標を見失った腕が砂地を叩き、何事も無かったように戻る時には、金の光が一つ目の腕をかすっていた。
構えられた金の剣。夜に輝く銀の髪。
感情のたかまり故か、瞳が本来の色で鬼を貫く。
「それでも、行かなきゃいけないんです」
朗々と響く強い意志を秘めた声。
眩しさゆえか、一つしかない瞳を細めて鬼が告げる。
「だからこそ行かせられない」
同時に襲い来る赤鬼青鬼を牽制し、一つ目の鬼だけを狙い駆け出す。
あれが頭なのは間違いない。
的確な指令を出す者がいなければ、いくら鬼とて怖くない。
『天!』
悲鳴のような日影の声に、今度は腕を取るつもりで剣を振るおうとしたアースの足が縫いとめられる。入念に張られたのだろう、緻密な文様が彼女を中心に描かれていた。
「御身を損なう気は毛頭ない」
一歩、一つ目が近寄ってくる。
術には術で対抗しようと唇が呪を紡ぐが、それは音とならなかった。
「だからこそ、お戻りいただく」
『なに?』
怪訝そうな日影の声。そこでようやくアースも気づく。
普通なら高圧的に言うはずだ。なのになぜ?
しかしそれを確かめる間もなく、魔法陣は眩い光を放ち、アースは飲み込まれた。
光が消えた後、そこに姿がないのを見て取って一つ目は大きく息を吐いた。
二匹の鬼へ向き直り、その頭を力任せに殴りつける。
「馬鹿者! 誰があそこまで追い詰めろと言った!?」
叱責され、赤鬼が懇願するように何かを言い募る。
人の耳では意味のある言葉には聞こえないが、一つ目の怒気が少し和らいだ。
「良い……ひとまず現の君の安全は確保された」
それだけを言って、一つ目はアルカを見やる。
怨嗟、敬愛、苛立ち。
様々な色を映し……どうしようもない無力感を持って目が離される。
空に月が姿を現すころには、三匹の鬼は闇に溶けるようにその姿を消していた。