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月の行方

【第三話 小さな祈り】 3.黄昏がせまる

 どうしてだろうか。
 ノクスは自問する。
 自分は確か、母の友人であるイアロスに預けられている。
 それもこれも、強くなるために。剣を磨くために。
 なのに。
「集中しろ」
 ペしと軽く頭をはたくのはミルザム。
 右手にこの辺りでは見ない装丁の本を丸めて再びノクスの頭を叩く。
「余計な考え事はせんでよろしい。
 魔法を扱うには一にも二にも集中あるのみ」
 呆れたように言う。
 ミルザムの言ってることは正しいし、それについての反論はない。
 だけど何故余所の国にまで来て、いつも身近にいたミルザムに教えを請うているんだろうか?
 考え込んでるノクスに、ミルザムはため息つきつつ上げていた腰を下ろす。
「まったく……お前には魔法もしっかり学んでもらわねば困るのだから、おとなしく従え」
「何で困るんだよ」
「使えて困るものではないだろう。奥の手は多いほど良いぞ。
 知識を蓄え、経験をつみ、知恵をつけろ」
 そして何より生き残れ。
 これだけは心の内に留めておく。
 ミルザムは星読み。未来を垣間見る存在。
 これから先、どう転んでも彼が戦いに巻き込まれぬ道は――ない。
 それを乗り越えられるように手を尽くさなければならない。
 とはいえ目の前のノクスはかなり不服そう。
 何とかしてやる気を起こさせないといけない。
 ならばと簡単な手を使う。
 大仰なため息をつきつつ言葉を口に乗せる。
「でないと抜かれるかもな。……姫に」
 ぴく。ノクスの片眉が跳ね上がる。
「元々あの方の血筋には優れた戦士が多い。
 おまけに師が師だ。魔法も武術もありとあらゆるものを修められるだろうなぁ」
 うんうん頷き、そ知らぬ顔で飄々と言い募るミルザム。
 対するノクスの顔は不機嫌にゆがんでいく。
「元々が類稀なる原石だ。磨けばさぞ光り輝く事だろうな。
 そうなればお前が二度と勝つことは不可能……って勝てたことがあったか?」
「何が言いたい?」
 射抜かんばかりの鋭い視線。
「期待を裏切ってくれるなよ」
 苦笑しつつ言うミルザムをぎっと睨んで、ノクティルーカは本に向かう。
 一言一句確かめるように、貪るように読み漁る。
 作戦成功。
 負けず嫌いな奴には、こうやってプライドをつついてやる気を出させるのが一番。
 兄弟や両親と比べられるより、北の姫を持ち出すのが効果的だと気づいたのはいつの事だったろうか。
 一度やる気さえ出させてしまえば後はほっとくだけでいい。
 興味のある事柄に関しては人一倍熱心だから。
 残された時間は少ない。
 だから……今の内に少しでもいい、自分に出来る事をする。
 ……しないと後で何を言われるか分かったもんじゃないというのもあるけれど。
 幸いな事に魔法に関してノクスは基礎の基礎位は知っているし、座学も嫌いではない。
 さて、どこまで高める事が出来るかな。
 神妙に本を読むノクスを眺めてミルザムは軽く息をついた。

 夕暮れの街はにぎわっていた。
 別れを惜しむ子供の声、帰宅を促す母親の声。
 朗らかに交わされる一日の終わりの挨拶。
 どこか釈然としない面持ちでノクスは道を行く。
「お、一番星が出てるな」
 隣を歩くのはミルザム。
 こんな時間に出歩く事になった元凶。
 呪い師の店で色々物色したいという、甚だ迷惑な事。
 なら何もこんな時間でなくてもとか言いたい事はたくさんあるが、行くこと自体に異論はない。
 店には占いの道具や星図、魔法の道具の類も置いているので見ていて飽きない。
「ノクティルーカ。一番星の別称を知ってるか?」
「宵の明星、夕ずつ、黄昏星。だろ」
「ちゃんと覚えていたか。重畳重畳」
 満足そうに頷くその顔は珍しく晒されていた。
 人が持ち得ない髪の色をしているだけに、普段彼がフードを脱ぐ事はない。
 ただ、今は黄昏時。すべての色に赤が重なり、本来の色を誤魔化せる。
 弱くなった光の元ではミルザムの髪も黒にしか見えない。
「ったくこんな時間に出ようと思うなよな」
「まあ……確かに逢魔が時に出歩くのは感心せぬが、仕方ないだろう?」
 悪びれることなく問い返すその表情。
 どこまでも軽い態度はイアロスの影響のせいだろうか。
 それともこれが本来のミルザムの姿だろうか。
 頭一つ分上にある顔を見上げれば、にこやかな顔の中に鋭い瞳。
 自然界には少ない、綺麗な紫。
 拗ねたとでも見られたのだろう。わしゃわしゃと頭を撫でられる。
「お前最近星を見たか? ちゃんと見ておけよ」
 その言葉を額面通りに受け止められようか?
 軽さを装っていてもわかる。秘められた重さ。
 何か起きるとでも言うんだろうか?
 だからそれを自分で確かめろと。
 聞いたって答えてくれないことは長年の経験から分かる。
 すっと視線を空に向ける。
 まだ太陽が粘っているせいで星の光は儚いもの。
 今日は後でちゃんと読もう。
「あれ?」
 戸惑ったような声は前方から聞こえた。
 視線を戻せば呪い師の店の前、昼間に出合った彼がこちらを見ている。
「ノクス君、だったね」
「マリスタ……さん」
 問いかけに頷き、相手の名を呼ぶ。
 流石にろくに話したこともない相手を呼び捨てにするのは憚られて、慌てて『さん』付けする。
「まだ店は開いてるかな?」
 にこやかなミルザムの問いかけにマリスタは応え、店内に声をかける。
「それではごゆっくり」
 軽く会釈して彼は二人の横を通って通りに出る。
 ぱちんと、何かがはじけた気がした。
 冬の乾燥した日にドアノブや剣をつかもうとして感じる静電気のような。
 何も触ってないのになんでだ?
 不思議そうな顔をするノクスをなんとも言えない表情でミルザムが眺めている事に気づいたのは、言伝をするために近寄っていたスピカだけだったろう。

 店を出ることにはとっくに日は沈んでいて、夜の町が姿を現していた。
 ノクスにとって興味はあるけど近づきがたい、そんな空間。
「やれやれ、品揃えが予想以上だったが故に時間がかかったな」
 全然悪びれずにぼやくミルザム。
 さっきから睨んでくるスピカの視線には気づいているが、それも無視。
「今日も絶対にうろついてるだろーな」
 誰がと問い掛けるまでもない。
 ノクスの保護者のはずの男性は毎夜どこかに出かけている。
 文句を言う気もすでに失せた。
「そうだな。ああいう大人にはなるなよノクティルーカ。
 確かに『我ら』の中でも一時期色好みが良しとされる事もあったが、今は違うぞ。ネクリア殿に懐くのはかまわないが、浮気となれば話は別だ」
「何が浮気か」
 うめくように答えれば、深いため息と共に説教が始まる。
「そっちこそ何を言う。
 お前は畏れ多くも『我ら』が北の姫の婿……候補。
 あくまでまだ候補なのだからな」
「あーはいはい」
 投げやりに答えるのは疲れのせいも多い。
 だからこそ、気づくのが遅れたのかもしれない。
 先に足を止めたのはミルザムだった。
「やれやれ、物騒になったものだな」
 呆れたようなその言葉。そこでようやくノクスも気づく。
 路地の向こう、闇の奥に潜む何かに。
 運良く荷物なんてものはほとんどない。腰の剣を抜き放ち相対する。
 獣のようなうめき声。
 空気が重いのは、気のせいだろうか。
 飛び掛ってきた何かに反射的に剣を振るう。
 手ごたえと同時に悲鳴。
 かえるが潰れた時のような。
 影は子供くらいの大きさで、それでも人の子供でない事は分かった。
「ゴブリン……」
 先ほどの攻撃はあまり効いていないらしい。
 口がからからに渇いている。
 気迫に負けないように剣を構えて睨みつける。
 一匹だけなら何とかなる……と思う。
 何せ自分は半人前で、実戦だって数えるだけしかやってない。
 傷つけられた怒りにゴブリンが吼える。
 棍棒の一撃を受け流し、かえす剣でさらに斬りつける。
 文句が言いたい。
 誰に?
 いつかこんな風に一人で戦う事になるのは分かっていただろう?
 混乱した頭の中、もう一人の自分の声が冷静に響く。
 そう。それでもなんだかやりきれなくて。
 戦う術は叩き込まれていて、戸惑っているけどそれでも体は動く。
 戦うほどに強くなる、赤い――嫌な、におい。
「なんでこんな町中で魔物が出るんだっ」
 悲鳴のような叫びに、答えを返すものはなかった。

 断末魔の叫びをあげてゴブリンは倒れた。
 荒い息をついたまま、剣にもたれる様にして立ち尽くしているノクス。
 その肩は大きく上下していて、懸命に呼吸を整えようとしているのが見てとれる。
 手助けはしなかった。いや、正確にはノクスの視界を確保するために明かりを生んでやる程度の事はした。
 手助けは出来ないし、してはいけなかった。
 死に掛けるのだとしたら話は別だけど。
 可哀想な話だが、北の姫に関わるのならこれは避けては通れぬ事。
 まだ十四のこども。もうすぐ『大人』としての責務を負わなければならない、こども。
 肩が小刻みに震えている様子を見て取って、ミルザムはノクスに背を向ける。
 誰だって初陣は怖い。
 だから、露払いは自分の仕事。
 闇の中蠢くのは一体や二体ではない。
「まったく。俺は実戦向きじゃないのになぁ」
 砕けた物言いが復活したのもイアロスの影響だろうか。
 しかし幸いな事に、この程度の相手ならスピカに助力を願うまでもない。
「あれを休ませないとまずいだろうし、早く済ませるか」
 ぼやく間にもゴブリンの数は増えていく。
 ミルザムの余裕は揺るがない。軽く右手を上げて呪を紡ぐ。
「Lumen! adversaros caedite」
 強い光が走って、先ほども聞いたゴブリンの悲鳴。
 ノクスはただのろのろと顔を上げる事しか出来なかった。