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月の行方

【第三話 小さな祈り】 2.日常となった平穏

 ひゅんっ
 小気味良い音を立てて常に一定の間隔を持って剣が空を切る。
 使い込まれた感のある両刃のブロードソード。
 その持ち主はただ黙々と剣を振っている。
 日課として言い渡された素振り。
 最初の頃はこなすだけでも大変だったけれど、続けていれば慣れる。
 その月日を示すように、伸びた髪はもう腰に届くくらい。
 大して手入れしていないにもかかわらずなめらかな黒髪は、拠点としている宿の娘からも羨ましがられるほど。
 成長期に入って背も伸びたし筋肉もついた。
 そのおかげで髪が長くても女の子に間違われなくなった事は素直に嬉しい。
 最後の一回を済ませてふぅと息をつく。
 宿の裏手のこの場所は人は滅多に来ることなどない。
 だからこうやって人目を気にせず練習できるのだけど。
 手近な木陰に寝転んで見上げた空は良く晴れていて。
「あ~あ」
 大きなため息一つ。
 まだ幼さを残した顔立ち。意志の強そうな深い色の瞳。
 首元で一つに結わえただけの黒髪が草の緑の上に広がる。
「いつになったらちゃんとした修行に入るんだ……?」
 切実なノクスの問いに応えるものはいなかった。

 東大陸最南の国エスタシオン。第二の商業都市デスペルタドール。
 あれからすぐにイアロスは二人を連れて、自分になじみのあるこの国へと移った。
 フリストの士官学校を卒業したものの、今はこうやって傭兵家業で日々の糧を稼いでいるイアロス。
 旧友とはいえそんな人間に息子を預けるソワレの神経を疑ったものだが、どこにいようと何をしようとノクスを守るのが今のミルザムの役目。文句を言えるはずもない。
 もっとも、イアロスを師に仰いで悪いことばかりではなかった。
 いくら末席といえどノクスは一応王族。
 そんな彼が厄介ごとに巻き込まれないためには市井のものの暮らしぶりを知らなければならない。
 最初の頃などテーブルに置かれた料理を見て。
「フォークは?」
 とか言ったのは記憶に新しいところである。
 この時代、食事をするのにそんなものを使っていたのは一部の国の王侯貴族のみ。
 一般人が何を使っていたかというと、無論自らの手。
 中央に置かれた大皿から料理を切り分け、個人の皿の上でさらに食べやすい大きさに切り、手でつかんで食べる。
 箸で食べるのが一般的なミルザムからすれば、マナーがなってないように見えるが、ここではそれが正式なマナー。
 呆れつつも教えてくれる人間がいなければ困った事になっただろう。
 ここを拠点にして早半年。請け負った仕事といえば荷物運びやら人探しやら護衛等、ごく普通の一般的な仕事。
 盗賊相手とはいえ実戦経験が出来たのは良かったといえばよかったのだろう。

 鳥の鳴き声、通りの物売りの声が酷く眠気を誘う。
 うとうととしかけた時に、からかい混じりの声がとんだ。
「こーら! 何さぼってるの?」
 ぼやけた視界に入るのはレンガの色の髪を持つ少女の姿。
「ネクリア」
「ネクリアさんでしょ」
 呟けば軽く小突かれて訂正される。
 ノクスより四つ年上の、ここの宿の娘である。
 こざっぱりした服装に清潔な白いエプロンをつけて、野菜の入ったかごを手にもって彼を見下ろし説教する。
「あのね。こんなに早い時間からのほほんと寝ててどうするの。
 サボリ癖つけちゃ駄目でしょ」
「さぼってねぇよ。終わったんだ」
「ああもう口が悪いったら!」
 起き上がりつつぼやいたノクスを悔しそうに睨みつける。
「昔はあんなに可愛くて礼儀正しかったのにっ!
 まったくあの駄目大人のせいでっ」
「駄目大人とはひでぇ言いようだな、ネクリア」
 突然とんだ声に振り向けば、窓の向こうからニヤニヤと笑うイアロスの姿。
 普通は客の悪口を聞かれてしまえば慌てるものだが、ネクリアは慌てるどころか深々とため息ついて一言。
「出た。諸悪の根源」
「根源とまでッ。おじさんちっと傷つくぞ。
 なぁノクス?」
「勝手に言ってろ」
「うわ冷たッ」
「自業自得」
 ネクリアの言うとおり、イアロスに預けられてから約二年の間に影響を受けまくり、今はこんなになってしまっている。
 とはいえ元々のしつけは良かったおかげでちゃんとできないこともない。
 しないだけで。
 今の彼を見たら目くじら立てる奴多いんだろうなとか、他人事のように思うミルザム。
 無論責められるのは自分だとわかっているからこその現実逃避なのだが。
 ため息一つ。起き上がってノクスはネクリアに問う。
「で? なんか用?」
 立ち上がっても視線はネクリアのほうが少し上。その事実が少し腹立たしい。
 成長が遅いんだろうか。それとも今から伸びるんだろうか。
 母上は背が高いけど、父上は平均からすると少し低めだから。
 ……顔立ちと同じように母上に似ててくれれば良いんだが。
 野菜入りのかごをイアロスに押し付けてネクリアは朗らかに笑う。
「買い物付き合って」
 分かっていた言葉だけどノクスは渋面を作る。
 宿屋という商売柄、買出しとなればどれだけの荷物になるかは推して知るべし。
 しかし断ろうにも次に出てくる言葉には逆らえない。
「宿代少しまけてあげてるんだから、そのくらい手伝ってくれるわよね?」
 満面の笑みが悪魔のそれに見えるのは気のせいだろうか。
「おーおー行って来い行って来い。
 こき使ってやってくれや」
 保護者にも押し付けられて、結局毎度のようにノクスは荷物持ちをさせられる。

 にぎやかな市にはたくさんの品物。
 普通ならあちこちを見て回ることは苦ではない。
 この荷物がなければな。
 重たい根菜類をめいっぱい持たされたまま、店主と交渉を続けるネクリアを見やる。
 レンガ色のくるくるとした巻き毛。瞳もそれに似た色。
 口調に似合わず穏やかな目元に、普通は欠点と見られることが多いそばかすが彼女のチャームポイントだったりする。
 しかしいい加減交渉を止めないんだろうか?
 いくらなんでも通常の五割引はそう簡単に……店主のおじさん涙目だし。
 気持ちを切り替えるように深呼吸。
 その拍子にかすかに香るさわやかな香り。
 ポーラからもらった香り袋。
 彼女がかつてそうしていたようにいつも首から下げている。
 今ではすっかり慣れてしまって、たまに思い出したように感じるのみ。
 元気でやってるかな。ま、アースがいるんなら心配なんてするだけ無駄か。
「何ボーっとしてるのよ」
 いつの間にやらネクリアが目の前にいた。
 満足そうな表情で食材を持っているあたり、先ほどの勝負結果がうかがえる。
「あと何件回るんだ?」
 先ほどの質問を無視して別の質問を返す。
「後は帰るだけよ」
 ムッとするかと思いきや、彼女は軽く肩をすくめてすんなり返す。
 彼女もそれなりに疲れたんだろう。それでも帰り道は元気良く歩く。
 いや、むしろその足取りは軽い。
 そしてその答えをノクスも知っている。
 前方から歩いてくる青年の姿に、ネクリアは手を振り話し掛ける。
「マリスタ久しぶり!」
「ああネクリア。元気だった?」
 話し掛けられたほうは荷物を持ち直して答える。
 年はネクリアより上、二十代の前半くらいだろうか。
 金に近いほど薄い茶髪。瞳は琥珀色。
 長身だけど少しやせ気味で、どこか儚げな印象を受ける男性。
「そっちこそ。たまにはうちに来てくれても良いのに」
「あはは。そういうわけにもいかないよ」
 残念そうに言うネクリアにマリスタは苦笑して返す。
 彼はこの町で呪い師の店のアルバイトをして暮らしている。
 五年程前からこの町に住み着いたらしい。
 これらはすべてネクリアから聞かされたことである。
 そう。何度も何度も何度も何度も!
「買出し大変そうだね」
「大丈夫よ。こうやって荷物持ちがいるし」
「でも気をつけて。最近物騒だから」
「うん。ありがと」
 良かった。今日は長々と話さないらしい。
 ただ単純に、これ以上通行人の邪魔をするわけにもいかなかった事もあるだろうけど。
 自分達が来た方へと向かうマリスタの背を眺めて、さらに機嫌よく彼女は道を行く。
「ネクリア」
「なーに?」
 返事の声も明るく朗らか。だからこそあえて言う。
「落ち着けば?」
「……可愛くないわね」
 不機嫌を装ってみても、機嫌がいいことはまる分かり。
 恋愛についてノクスにはまだ分からない事は多いが、ネクリアがマリスタのことを想っているのは良く分かる。というか言われる。愚痴られるしのろけられる。
 この状態のまま宿に戻ればまた延々と話し相手をさせられることは明白。
 どのあたりがかっこいいだの、ここが素敵だのと一方的に話しまくり、適当に返事をすれば態度が悪いと怒られる。
 それは絶対にごめんだ。
 しばらくノクスの顔を睨んでいたかと思えばネクリアは大きくため息をつき。
「ノクスもねー、元はそこそこ良いんだから。将来性は一応あるし。
 もっとオンナゴコロを分かるようにならないともてないわよ?」
「俺は別にもてたいだなんて思ってねーよ」
 脳裏に浮かんだのはイアロスの姿。
 何故かあの駄目大人の見本のような人間は女性に好かれる。
 女性に好かれるようなのがあんな人だというなら絶対になりたくない。
 ……それに許婚いるし。ネクリアには話してないけど。
「まあ生意気な」
 呆れたように呟いて、ネクリアはもっていた包みを押し付ける。
「なにすんだよ人使い荒いなッ」
 慌てて叫ぶノクス。袋からこぼれそうな荷物の上にさらに包みをのせられては仕方ない。
 今は何とかバランスを保っているが、一歩間違えれば確実に落ちる。
「この程度で何を言ってるの。年上に逆らった罰よ」
「なんでだよ!」
 騒ぎつつも楽しい帰り道。

 そんな平穏が崩れるのは、いつも突然の事。