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月の行方

【第二話 たゆたう想い】 2.陽だまりにて和む

 今日も今日とて母親相手にルカは剣の稽古をする。
 ソワレのもっとも得意は獲物は槍なのだが、彼女は剣を息子に教える。
 その理由を問いただした時に「自分の得意な獲物で負ければ文句言えないだろ」とかのたまわれたのはいつのことだったか。
 考えるのを放棄してオーブは山積みになった書物を片付け始める。
 小気味のいい音を響かせて木剣が宙に舞う。
「はいお終い」
 言葉と同時に剣先が鼻に突きつけられる。
 にんまりと微笑まれて、せめてもの抵抗とばかりにルカは母親を睨む。
「今日はここまで。よく頑張ったなルカ」
 頭を軽くはたかれて、それでもルカは不満そうにうめいた。
 七つの子供がこれだけやれれば十分。
 将来が楽しみだと思うのは親の欲目だろうか?
「頑張ってるな。ルカ」
「兄上!」
「母上相手にあれだけやれるんだから、きっとルカは強くなるぞ?」
「僕よりも兄上のほうが強いのに」
「そりゃあ兄上だから」
 不満そうな弟に、兄――エルは肩をすくめて返す。
 髪も瞳の色も弟とよく似た深い色。それでもそこに浮かぶ表情はだいぶ違う。
 わんぱく盛り・生意気盛りといった感じのルカとは違い、エルはとても穏やかだ。
 ぶうたれたルカがまた口を開こうとして、鼻をひくひくとさせる。
「兄上変な匂いがする」
「へ……」
 あまりな言葉に思わず絶句。
 汗臭いとでも言いたいのだろうか。
 しかし季節は初秋、運動もしていないから汗なんてかいている筈もない。
 なんとなく腕の匂いをかいでみる。かすかに残る甘ったるいような花の香り。
「あー。香水かな」
 最近流行の香りだと、つい先ほどまでエルを捕まえていた従姉が自慢げに言っていた様な気がする。
「香水?」
 うげぇっと舌を出してルカは兄から距離をとる。
 子供は匂いには敏感なのだろう。そういえば昔はエルも香水の香りが嫌いだった。
「変な匂いはないだろルカ」
 呆れたように言うエルの瞳が怪しく光る。最高の悪戯を思いついたといわんばかりに。
「そんなこと言う奴はこうだーっ」
「うわっ 来るなああっ」
 早速追いかけっこを始める息子達を見やり、満足そうにソワレは微笑んだ。

 元々この塔に人はあまりいない。
 好きで閉じこもってるオーブとその家族、そして召使が数名。
 くどいようだがオーブは一応王族である。あくまで研究者としての生活に徹する彼に周りがなんとも思わないはずもない。
 ないが。こうも頑固を通されれば人は次第に諦めていくもので、こうやって見知らぬものが入り込んでいても何も言われない事が多い。
 星読みであるミルザムはともかく、アースが長期滞在していることには流石に難癖つけられるかと危惧していたのだが。
「まったく何もないですね」
 茶碗を手にして何気なく呟けば、向かいのアースが不思議そうに問い掛けてくる。
「何がです?」
 広々とした部屋にひかれた、緑を基調としたじゅうたん。
 そこに座るのはミルザムとアース、そしてポーリー。
 本来なら椅子に座ってテーブルでお茶をするところだが、もともとの風習が違うためにじゅうたんの上にそのまま正座をしてのお茶会。
 使われてるのはティーカップにポットだけれど、注がれるお茶はほのかに緑を帯びた色。いわゆる緑茶である。
 口に合わないのか、ポーリーは先ほどからお茶請けの団子ばかりを食べている。
「いえ、姫様方がこちらに来られて一月たちますが、誰も怪しまないのは少し妙かと」
 いくら人の出入りに興味がないといったとて、あくまでもここは王宮内。
 そんなミルザムの問いに、アースはお茶を一口飲んでほぅっと息を吐き出してから軽く応える。
「一応『吟遊詩人』として王宮に雇われていますから」
「はい?」
「雇われているのですからいてもおかしくないでしょう?」
「あ、いや、まあ、そうなんですよね」
 吟遊詩人は各地をさすらい歌を作る事が主な仕事。
 それはすなわち異国の情報をもっているということになる。
 この時代情報網などそうは発達していない。
 異国の情報は喉から手が出るほど欲しい事もある。
 アースは今までそうやって生計を立ててきたのでそう返しただけなのだが。
 おそるおそるといった感じでミルザムは口を開く。
 答えはわかっていようとも、聞かずにはいられない。
「……姫様はよくこのようなことを?」
「え? ええ。いつもいつも警護とかの仕事があるわけではありませんし、歌ったほうが実入りも大きいですし……王宮に雇われるのはあまり好きじゃあないんですけど、今はそんな事言ってる場合じゃないですしね。ってなんでそんなに脱力されてるんですか?」
「いえ……何でもございません」
 仮にも『(いつき)皇女(ひめみこ)』が……
 『昴』と並び立ち『我ら』の上に立つ、神に仕えるもっとも清らかなる者。
 それこそ本来なら箸より重いものなど持たずにすむであろう、やんごとない身分……のはずなのだが。
 北の姫といい末姫といい、妙なところで世知長けてしまっている。
 なんだか先の『昴』――アースの母親――とかに申し訳が立たないと思うのは気のせいだろうか?
 気を入れ替えるように吸った空気には仄かな香り。
 白檀かなと見当をつける。香を聞くなどいつ以来のことだろう。
 それに気をとられてノックに気づくのが少し遅れた。
「こんにちわ! ポーリーいる?」
 ひょこっとドアから顔を出したのはルカとその弟のレイ。
「なあに?」
「遊ぼ」
「うんっ」
 大人の話はつまらなくて暇を持て余していたところだ。誘いに乗らないはずが無い。
 早速立ち上がり靴をはく。正座は慣れているので足はまったくしびれてない。
 ルカたちは本当なら兄に遊んでもらおうと思っていたのだが、察しのいいエルはとっくに避難済み。兄が一緒なら外で木登りでもなんでも出来たが、ポーリーと遊ぶ時は外に出ることを禁じられている。
 はてさて、何をして遊ぼうか。
 考え込むルカの鼻を香りがくすぐる。
「?」
 きょろきょろと首をめぐらし、その元を捜してみるが見つからない。
「どうかしたかノクティルーカ?」
「なにかの香りがしたんだけど」
 自信なさそうなルカの物言いに苦笑するミルザム。
「香だよ」
「こう?」
「そんなにきつかったですか?」
 やや表情を曇らせたアースに首を振る。
 香りがしたのは一瞬だけ。今はまったく分からない。
 だからこそ気のせいだったのかと思ったのだ。
「香ってどんなの?」
「ええとね、こういうの」
 ルカに近づいていたポーリーが胸元から何かを引っ張り出す。
 ペンダントのように首から下げられた小さな布製の袋。
 少し顔を近づけて香りを嗅いでみる。花とは違うけど少し甘いようなさわやかな香り。
「香水とは違うんだ?」
「あれはちょっと香りが強すぎて……合わないんですよね」
「ふぅん」
 香り一つとってみても国によって違うんだ。香水と香。どちらも香りを出すものなのに。
 感心するルカとは逆に、待ちきれずにレイが裾を引っ張る。
「あにうえ~」
「分かってる。 じゃアース遊んでくるから」
 言って開いてる方の手でポーリーの手を取り、廊下へと行く。
「怪我に気をつけてくださいね」
「いってきます」
 パタンとドアを閉めて足音が遠ざかってから、ややあってアースが口を開く。
「アージュは当分大丈夫そうですね」
 しみじみとした声。
 本当に話さなければいけない話題が始まって、ミルザムも居住まいを正す。
「国から出せればよかったという事でしょう。
 それにこの地はあまりソール信仰は盛んではありませんし」
「セラータよりもレリギオに近いんですけどね」
 セラータの騎士たちは流石に他国にまでは手を伸ばしようがないだろう。
 ソール教のほうは国など関係ないのだが、こちらはこちらで今のところ表立った動きはない。だが動きがないからといってのんきに構えられる場合でもない。
 いつ何時ミュステス狩りが始まるかわからないし、目的もわからない。
 それが余計不安をあおる。
「この大陸にはどなたがおられるんです?」
「そうですね……セラータにカペラ、ミニュットにはシャウラとシェアト。
 あとデネブとアケルナル、シー、トゥバンは確実にいます」
 それから何人かの名をを指折り数え口に出す。
 口には出さないがポーリーの母親……ベガもいる。
 この大陸で、レリギオで。彼女が人質同然に軟禁されているからこそこれだけの人数がいるのだが。
 彼女がいるから表立ってソール教とは対立できない。
 彼女がいるからソール教も『彼ら』と事を構えていない。
 しかもややこしい事にそこに留まる事に一応の双方の合意がある。
 重い心の内をため息出して切り替えて、苦笑しつつ言い添える。
「サダルスウド老が来られている可能性もありますが」
 完全な世界地図を作るためにサダルスウドは測量の旅を続けている。
 もうかれこれ千年以上もの間。
 天災があったり人災があったりで色々地形が変わったりしているために、彼の言う『完全な』地図はいまだに完成していない。
「あの方も本当に熱心ですから」
「お元気なのは何よりですよ」
 遠い空の下、彼の老人がくしゃみしてるだろうなと思いをはせた。

「九十八、九十九、ひゃーく!」
 言ってルカは壁から体を離す。
 塔の二階。客室や自分達の部屋は抜きにした、この階だけのかくれんぼ。
 開いてる部屋は五つだけ。さてどこに隠れたのやら。
 レイは多分いつものように物置だろうと見当をつける。
 隠れ方が甘くて足や服が丸見えだし、場所もいつも同じなので見つけやすいけどつまらない。
 先にポーリー探そうかな。
 右に行けば物置と客間が一つ。左は客間が二つと衣裳部屋が一つ。
 同じ方には隠れないだろうと左に進む。
 そういえばかくれんぼをしたいとレイが言った時に、ポーリーが少しこわばったような気がしたけど……気のせいかな?
「ん~。どこだろ」
 手前の客室から捜索開始。ドアを押し開けて中を覗く。
 埃避けの布がかけられたままのベット。サイドテーブルと椅子。
 基本的に客室は隠れられるような場所はあまりない。
 例えばチェストの後ろ、ベットの下など。
 もしやと思ってドアの裏を覗いてみても、そこにポーリーの姿はない。
 他の部屋……衣裳部屋かな。
 あそこには服がたくさんつるしてあるし、母上の昔の服なんかも多い。
 衣裳部屋へと急ぐ。中はやっぱりごちゃごちゃしていて探すのは大変そうだ。
 たまに空気の入れ替えをしてるから埃っぽいことなんてなくて、仄かにいい香りが……
 はたと気づく。
 さっきポーリーが持ってたのと同じ香り。
 つまりはここに隠れているという事。
 馬鹿だなぁと思いつつも、このヒントはありがたい。早速探し始める。
 ただでさえ光は弱くて、おまけに服がたくさんつるしてあるせいで見つけづらいけど。
 気合を入れて、まずは端のほうから探そうと足を踏み出した。

 見つからない。なんていうか物が多すぎて見つけられない。
 どうしようか。一旦出直そうか? それともまだ調べてないところにいるんだろうか?
 ……あんまり探しに行かないとレイがうるさいかもしれない。
 足を止めて考える事しばし。
 仕方ない。先にレイを見つけてそれからまたポーリーを探そう。
 そう決めて、部屋を出ようとドアに手をかける。
「まって!」
 悲鳴のような声。
 ルカの右側、つるされた服の向こうからポーリーが飛び出してきた。
 今にも泣き出しそうな顔のポーリーに対し、ルカはびっくりしすぎて言葉もない。
「え~と」
 何かいわなきゃと思うものの、いい言葉が浮かんでこない。
 何でそんなに泣きそうなのとか、かくれんぼなのに出てきてどうするのかとか。
 あ、そか。
「どうして出てきたの?」
「え……と……」
 ルカの言葉にポーリーは今始めて気がついた、といった感じで口ごもる。
 何がなんだか分からないけどとても困ってるみたいで。
 まあいいか。見つけたんだし。
 つかつかと近寄ってその手をとって笑う。
「ポーリー捕まえた」
 今度はポーリーがきょとんとする。
「よしレイを探すぞ~!」
 そう宣言してルカはポーリーを引っ張って物置へと駆けていった。