【第二話 たゆたう想い】 1.予兆
満天の星空。いつもなら見ているだけで癒されるというのに。
「変わらぬか」
隣にいるルカに聞きとがめられぬように、ミルザムはポツリと呟く。
あの流星雨から数ヶ月。ポーリーたちの消息は依然としてつかめない。
うまく逃げ続けているのだろうとは思う。
修道院にもぐりこんでいたカペラによれば、火をつけたのは国の騎士団。
その事をいち早く察知した王妃が助けてくれたという事までは聞いた。
他のミュステスを逃すためにカペラは残り、北の姫は末姫が連れて逃げたという。
連絡をとろうにも取れ無い状況なのだろうか? 普段なら居場所を占うくらい簡単なのだが、多分他の星読み対策だろう、位置をごまかされているためにまったく分からない。
星を見続けていたルカが自信なさそうに口を開く。
「えーと……『来る』? ……『人』……かな?」
「ほぅ?」
感嘆の声をあげてわしゃわしゃと頭を撫でる。
「やっぱりお前才能あるなぁ」
「本当?」
嬉しそうなルカにミルザムは一つ提案する。
「どうだ? 本格的に星読の勉強してみないか?」
しっかりと教えればかなりの星読みになるだろう。
実はミルザム、今まで人に教える立場に立った事が無いだけに、弟子を取ることを密かに夢見ていたりする。
しかしルカの反応はというと。
「んー……楽しそうだけど。剣術勉強して強くなりたいから」
それもこれも北の姫のためか。意外にこの子は一途だなとか思いつつ、それで諦めるほどミルザムも弱気ではない。
「何を言う。戦術・戦略を学ぶ事は大切だぞ。機を読むこともな。星読とはさまざまな」
「どうかした?」
言葉を切って辺りを見回すミルザムに、ルカが不思議そうに問い掛ける。
確かに今、何か懐かしい感じがした。
二人から少し離れた何も無い空間が、突如として陽炎でも起きたかのようにゆがむ。
それは見る間に広がり、一つの影を吐き出してまた唐突に元に戻る。
吐き出された影は思い切り腰を打ちつけてよろよろと身を起こす。
「たた……た」
闇のような黒いマント、それに映える雪色の髪。
夜の闇の中、それ自体が光を放つかのように見えて。
白いかんばせが二人に向けられ、ほっとしたような表情に変わる。
「アース?!」
「末姫様っ なんてとこから来られるんですか!」
ルカが素っ頓狂な声をあげ、ミルザムはおもいっきり怒鳴る。
そんな二人にアースは苦笑を返して、胸に庇った小さな子供を気遣いながらよろよろと立ち上がる。
「ちょっと目標誤ってしまって……夜分すみません」
「いえ私に言われても困るのですけど」
子供の肩がびくりと揺れる。緊張しているのだろうか。粗末な服を着た、肩よりも短い銀髪の子供。
アースにしがみついたままその子が不安そうな顔で二人を見上げ。
「ポーリー?!」
「え?」
懐かしさと嬉しさで、ルカは近寄ってその顔を覗く。
「どうしたの急に。元気だった?」
にこにことするルカと対照的にポーリーはますますアースにしがみつき。
「……だあれ?」
消え入りそうな声でそう問うた。
たっぷりとした沈黙。
思わぬことに固まったのはルカだけでなくミルザムも、そしてアースも同じ事。
「え……」
「……ポーリー……」
信じられないといった感じのルカの声と、呆れたようなアースの声にポーリーはますます縮こまる。仕方無しにミルザムは手を叩いて視線を集め。
「はいはい、まずは中に入ろうなー。姫様方も」
さりげなくまだショックの抜け切れないルカの背を押し。
「このままでは風邪を召されますし……詳しい話もお聞きしたいですしね」
神妙に頷くアースの顔色が妙に青く見えたのは、月だけのせいではないだろう。
突然の来訪のために、まずオーブに挨拶にいったアースを送って、それから固まったままのルカを送り届ける。
自分の部屋にいれば少しはましになるかと思ったが、ベッドに突っ伏したきりルカはぴくりとも動かない。
やはり分かってもらえなかったというのはショックなのだろうが。
「そうむくれるなって」
「むくれてない」
言い返す声はとことん力が無い。
ため息つきつつミルザムは一応説得を試みる。
「一年以上会ってないんだから無理も無いだろう?」
「……でもさ」
何か言い募ろうとしたところ、控えめなノックが響いた。
「はいはい」
部屋の主にお構い無しに、ミルザムは足取り軽く客を迎える。
扉の先にいたのは申し訳なさそうな表情の。
「これはこれは北の姫」
それが聞こえたのか、ルカは慌てて起き上がりそっとドアのほうを伺う。
「あの……その……」
今にも泣き出しそうなポーリーがよく見えるように体を傾け、ミルザムはルカに意地悪く言う。
「ほらほら愛しの姫が来られたぞ。すっぱりと許してやれ」
「許すって……」
返答を待たぬままにミルザムはポーリーを室内に招いて、逆に自分は廊下に出る。
「ミルザム?」
「ちょっと大人の話があってな。北の姫。末姫様はオーブのところですか?」
「あ。はい」
「ありがとうございます。それでは」
ミルザムはこくんと頷いたポーリーに礼をして、ドアをしっかり閉めてその場を去る。
沈黙が降りた。
互いに様子を伺って、目が合うと慌ててそらす。とことん気まずい。
「ごめんなさい」
その言葉に改めてルカはポーリーを見た。
彼女は深く頭を下げたまま震える声で言い募る。
「その……暗くてよく見えなくて……忘れてたわけじゃなくって……」
そんなのいいわけだ、忘れてるなんてひどい。
そう思うのも確かだけれど、ポーリーは急に魔法みたいに現れた。もしかしたらここがどこだか分かってないのかとも思う。
何も言わないルカに不安を感じたのか、恐る恐るポーリーは顔を上げる。
視線の高さはほぼ同じ。あれから一年……いや、二年近く経ってるから自分と同じように大きくなっているはずなのに。彼女はとても小さく見えた。
長かった髪は短く刈られて、服だってあの時みたいなドレスじゃなくて、鈍い色の粗末なもの。
「ごめんね。ルカ」
「……ん」
不安に揺れる瞳で見つめられて思わず頷く。
謝ってくれたし……まあいいか。
そう割り切ってルカは今までのことをポーリーに聞いた。
勝手知ったるなんとやら。迷うことなく廊下を行き、ミルザムは扉を開く。
「遅いぞ」
「そう言うな。お前の息子の機嫌とっていたんだぞ」
ため息交じりに言うオーブには軽口を返し、反対にアースには恭しく礼をする。
「お久しゅうございます末姫様」
「ミルザムさんもお元気そうで何よりです」
そう返すアースは旅の疲れを感じさせなかったが、それは彼女が旅慣れしているだけだろう。
ポーリーの様子を見れば、その苦労が忍ばれる。
ミルザムが席につくのを見計らって、オーブが静かに問い掛けた。
「それで『無窮』よ。何があった?」
「正直よく分かりません。
流星雨をきっかけにソール教がミュステスを狩りはじめたのは確かですけど」
「ミュステス狩り? セラータでか?」
「ええ」
アースの言葉にオーブは腕を組んで考え込む。
「確かにあの国は魔法はあまり発達していないが……
ミュステスは何も魔力が強いものとは限らないだろう」
「それはそうなんですけど、魔力の強い方が真っ先に狙われる可能性が高いんです。……今回の事は、セラータだけでは済みそうにありませんし」
アースは自分達が知る以上の事を知っているのだろうか。
考え込むようにして口を閉ざす。
「ミュステス狩りはソール教が煽動しているんですよね」
「残念ながら間違いないでしょう」
これはスピカからも聞いている。
納得がいかないのかオーブはさらに疑問を重ねる。
「しかし何故教会がミュステスを?
確かに力は強大かも知れぬが、腕力などならとにかく魔力は強いかどうかなど、本人が自覚している事すら怪しいぞ?」
「確かにな。魔法を操るもの自体の数が少ない以上、自らに秘められた魔力の大きさに気づかぬまま一生を終えたものも数多くいた事だろう」
オーブに同意するミルザムの言葉にも頷いて、アースは声のトーンを抑えて言う。
「これは私の想像なんですけど……狙いは『ミュステス』じゃないんです。きっと」
「ならば何故?」
「彼らがもっている可能性が高い、と踏んだのでしょう」
そう言って自らの――グローブに覆われたままの左手を見る。
「ミュステスが持っている?」
不思議そうなミルザムにアースは静かに問い掛ける。
「わかりませんか?」
何かに気づいたのか、オーブが深い息をついた。
「あれ……か?」
「おそらくは」
そのやりとりでミルザムにも察しがついた。
『奇跡』。
かつて神から人々に与えられた大いなる力。
それらは十二の宝石に姿を変え、同じ数の魔導士によって守られ続けているという。
オーブはかつて、そしてアースは現在もその『奇跡』に関わっている。
もう一度ため息をついて、オーブは言葉を紡ぐ。
「いつまで欺き続けられるかは分からんが」
すんなりと出た滞在の許可に、アースは目を丸くする。
それを許すという事はソール教を敵に回すにも等しい事。
アースが何かを言う前にオーブは茶目っ気たっぷりにウインクをしてみせる。
「息子の大切な許婚ですからな」
親友の心遣いに感謝しつつ、ミルザムも深く頭を垂れる。
「不肖ながらこのミルザムが北の姫をお守りいたします。どうかご安心ください末姫様」
二人の顔をじっと見つめて、アースも深く頭を下げて。
「ありがとうございます」
そう、何度も繰り返した。
ひどいと思った。何でそんな事をされなきゃいけないんだろうと。
その時の事を思い出したのか、ポーリーはうつむいたままでいる。
何か言わなきゃと思うもののうまく言葉が出てこない。
「あ! 怪我とかしてない? 大丈夫?」
見た限りではそんな風に見えないけど、もしかしたら痛いのを我慢してるのかもしれない。
そんなルカにポーリーは慌てたように首を振る。
「うん。それは平気」
「よかったぁ」
ほっと息をついて考える。
なんでポーリーをいじめる人がいるんだろう。
弱い子は、特に女の子は守ってあげなきゃいけないのに。
ふと昔もらった手紙を思い出した。
――どうか姫と仲良くしてください――
そう、自分は約束した。
泣かせたりなんかしないし、怖いと思うものや傷つけるような奴からは守ってあげるから心配しないでと約束した。
うつむいたままのポーリーの手をぎゅっと握ると、彼女は不思議そうに見返す。
「大丈夫だから」
澄んだ紫水晶のようなポーリーの瞳にルカの姿が映って見える。
「ここにいれば大丈夫だから」
瞳を見つめて安心させるように笑う。
「母上はすっごく強いし、父上だって魔法をいっぱい知ってるんだ。
ポーリーをいじめる奴なんてやっつけてあげるから。大丈夫だよ」
僕が守ってあげるから。
そういうのは少し照れくさくて言えないけど。
ポーリーは不思議そうにルカを見て、それから花がほころぶように微笑んだ。
「ありがとう」
久しぶりに見るポーリーの笑顔に嬉しくなって、子供達は笑い続けた。