097:なけなしの
とろとろと渋滞にはまってしまったバスが憎い。
日はすでに傾き始めていて、会社帰りか学校帰りか席も込んでる。
さっき降りておけば良かったと鎮真は心底後悔した。
バス停たった一つ分なら、歩いても大した距離じゃない。
先の停留所を出発して早五分。
普段の込み具合ならとっくについていて良い時間だが、信号を越えられない今の状況では後どれだけかかることやら。
動かないバスも辛いが、今から迎えに行く咲夜のことについても頭が痛い。
故郷での話し合いは案の定進まず、なんとかごり押して数日間引き取る旨を了承させた。
尼にしろとうるさい連中も、仏門に入るにしても四十九日の法要まではと撥ね付けた。
一度会わせてみて、反応を見ることが大切だ。
咲夜は幸いなことに叔母に似ている。叔母の小さい頃を知る者たちを納得させるのに使える材料だ。
家を継いで、過ごした時間はもう決して短いとはいえないのに。
いまだ鎮真の言葉は軽く、子供ひとり守れない。
迎えに来たぞという鎮真に、咲夜は怒りの形相をみせた。
「遅くなって悪かった。ほら帰ろう?」
それについては反省しているので、咲夜と視線を合わせて手を差し出す鎮真。
しかし、咲夜はきつい眼差しのまま睨み返した。
「かえるって、どこに?」
どこか震える声は、知らないところに置いていかれた寂しさゆえだろうか。
「いえは、もうないんでしょ」
「……ああ」
あの家に咲夜一人で住まわせるわけにはいかない。
七夜一族を狙うものにとっては格好の獲物になってしまうからだ。
今まで仕えてきてくれた者達すべてを信用できないことも――ある。
「だったら、かえるなんていわないで!」
涙を見せながら、それでも言葉を叩きつけて走り出す咲夜を、鎮真は追うことが出来なかった。
知らないところに連れて行かれて、ほっておかれて、また迎えに来て!
怒りのままにずんずんと足を進めつつ、しかし歩調はだんだんとゆるくなり、しばらくして立ち止まってしまった。
どこかにいけるなんて思ってない。
「ユキ……」
自分を可愛がってくれた、優しい人。
会いたい。
じんわり浮かんできた涙をこらえきれなくなったとき、不思議そうな声が聞こえた。
「あれ、咲夜ちゃんどうしたんだ? こんなとこで」
「かくたす」
言い慣れない他国の名前。
つたない呼び声に、金髪の少年はしゃがみこんで咲夜と視線を合わせた。
「迷っちゃったか? それともかくれんぼ?」
「んーん」
ここにいる間、多分一番そばで構っていてくれた人。
ふるふると頭を振って答え、聞いてみる。
「わたし、ここにいちゃだめ?」
「んー」
問われたカクタスは難しそうに首を傾げて、安心させるようににっこり笑う。
――なんだかとても、情けない笑顔だけれど。
「駄目……だと思う。ってああ泣くな泣かないでッ!!」
――なけなしの、勇気を振り絞って発した言葉は。
誰か別の人の『常識』に、あっけなく壊される。
032:僕を切り裂く君の欠片
言われて、改めて注意してみれば。
咲夜は確かに機嫌が良かった。
置いていくな放っておくなと騒いでいたのが嘘のように。
いろんな調整のためには、ここでこうやってしばらく預かってもらえることはありがたいし、咲夜が嫌がらないというのは喜ぶべきことだ。
だが、彼女の言葉でそうもいかなくなった。
『ふられてしまいました。シオンさんのほうがいいんですって』
シオンという少年は現の親戚にあたる。
性別的に鎮真たちの上司になるわけはないが、血筋的に家格は上。
もし星家の女全員がどうかなった場合、彼の家族――確か姉がいたはずだ――が昴になる、という可能性はあるのである。たとえ限りなくゼロに近いものだとしても。
野心あふれる者からすれば、でかしたと咲夜を褒めるだろうが、鎮真はそんな気にはなれなかった。
なんでそうマセてるんだ。
いやそりゃ、誰かを好きになることがいけないって訳じゃないけれども!
勢いのままに突っ走ったが、寮の入り口で足止めを食らって、鎮真はようやく少しだけ冷静になる。
小さい頃は年上に惹かれるものだし、相手だって本気には取らないだろう。
頭ではそう分かっている――つもりなのだが、どうにも納得がいかないというかなんと言うか!
「なにされてるんですか、七夜副会長」
戸惑うような声に、血圧が上がった気がした。
ゆっくりと振り向けば、怪訝そうな表情の少年と青年が並んで立っている。
青年は、この前咲夜を預けた相手であるアポロニウス。
もう一人が、先程からの悩みの種であるシオンだった。
「……久しぶりだね、スノーベル君」
「あ、はい。咲夜ちゃんだったら、楸たちと遊んでますけど……呼んできましょうか?」
ちゃん?
ぴくりとなる何かを必死で抑える。
いやいや落ち着け俺。
小さな子。それも女の子をちゃん付けで呼ぶのは普通だ普通。
これで怒る方がおかしい。
「ああいや……居場所が分かっていれば良いんだ」
「? そうですか」
少し不思議そうにしながらも、シオンはそれ以上聞かなかった。
彼もまた、故郷ではそれなりの地位を持つから、鎮真の心配も分かるのかもしれない。
とはいえたまたま会ってしまった以上、どうしよう?
咲夜の事を聞くのもなんだかなぁと思っていると、シオンが意を決したように口を開いた。
「副会長。私が言うことじゃないのかもしれませんけれど」
少し躊躇うする様子を見せたが、しっかりと目を合わせて彼は続けた。
「もっとちゃんと、咲夜ちゃんをかまってあげて、側にいてやってください。
他人事に思えないんですよ。
うちの家族もなんだかんだで自分勝手にあちこち出てってたものですから」
ふっと視線を落とす彼はかなり疲れて見えて、同時に寄る辺のない小さな子供にも見えた。
両親がそばにいなかったとはいえ、鎮真の周りには後見人の叔父や世話をしてくれる者達がいた。
でも、咲夜にはそんな頼れる大人がいない。
「そう……だな。うん。肝に銘じておくよ」
――痛いところを言われた。
引き取る覚悟もせずに、都合の良いときだけ構おうとする自分は卑怯だなと思う。
「じゃあ、埋め合わせに今からでも遊ぶとするか」
「……どうぞ外でお願いします。
いくら我々がまだ大した仕事任されていないとはいえ、機密はありますから」
苦い顔で言うシオンにどうしようかなーと答えてやれば少し気は晴れた。
――決断を、もう先延ばしに出来ないと、その覚悟だけはしておかないと。
彼女の行動一つ一つに振り回されている。でも、本当に彼女を振り回しているのは…… 09.06.24
052:貴方は気付いてはくれない
え、これオレにくれるの?
ありがとうなー。あ、飴あるけどいる?
意を決して渡した花に返された言葉。
正直、どこかでそんなものだろうと考えていなかったわけじゃないけれど……面白くない。
貰った飴をころころと口で転がしながら、咲夜はとぼとぼと帰り道を行く。
カクタスの馬鹿。鈍感。
ぶちぶちと、文句なんていくらでも思いつくけれど、口には出さない。
年の差の事はとっくに分かっている。
本気に取ってもらえないことも。
でも、もう少し反応があるだろうと思う。
帯紅のバラ。無理を言って見つけた花を手渡したのに。
真っ赤なバラも捨てがたかったけれど、誰にでもすぐ分かるような言葉は示したくなかった。
……それに、腹は立つけど、嫌いにはならない。
だって、カクタスはあいまいな嘘をつかないから。鎮真と違って。
がりっと小さくなった飴を決意と共に噛み砕く。
ぜったい、ぜったいに振り向かせてやる!
とりあえずは現のところに戻って歌を詠もう。
鈍感なカクタスでも分かるくらいに、熱烈なのを。
待ってなんていられない。だから一気にせめて仕掛ける!
伝えたい言葉を聞いてくれる人が、いつまでいてくれるかなんて分からないから。 09.07.01
「題名&台詞100題 その一」お題提供元:[追憶の苑] http://farfalle.x0.to/
自分の無力さが、くやしい。 09.06.17