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空の在り処

【第一話 回顧】 4.渡されたものと伝わらなかったもの

 朧のことを思い出したのは二年後、別の社へと行く際にあの街を訪れたとき。
 せっかくまた来たのだし、と現は思ったのだろう。
 同行している福川の翁に許しを得て、また南梨惚兵衛宅を訪れると、顔を覚えていたらしく大層歓迎された。
 久方ぶりの再会に朧はかなり驚いた様子で、でも嬉しそうに話してくれた。

 この季節は過ごしやすいだのといった他愛ない話をする二人。
 琴が苦手だという現に朧が手ほどきをしてみたり、優しい時間が過ぎていく。
 ここはこう弾いたほうが綺麗に聞こえるでしょうという朧に、はい師匠なんて応える現。
 ……普段、琴の練習なんてほとんどしないのに。
 笛ばっかりやりたがって、あれは殿方の楽器ですって怒られてるのに、なんて思う。
 今、朧に教えてもらっているように――姉上に教えてもらいたいんだろう。本当は。
 そんな風に二人を観察していて気づく。
 以前より濃くなったように思う室内の闇に紛れて分かりにくいが……朧の顔立ちが明らかに変わっていた。
 怪我をしたとか、元気がなさそうとかそういったものではなく――そう、年をとった、感じ。
 現はこの二年でぐんと背が伸びたし、成長期に入ったのだからおかしくない。
 けれど、朧はとっくに成人していて二年で変わるようなものだろうか?
 それだけ何か大きなことを体験したのかもしれないけれど。
「夢殿」
 現の話を楽しそうに聞いていた朧が、ふいに声を潜めて話しかけた。
「なんですか?」
 問い返す彼女に、思いつめたような表情をして朧は頭を下げた。
「お願いがあるのです」
「お願い、ですか?」
「お手を……左手をお貸しください」
 妙な頼みに現はこくりと首を傾げた。
 わたしだって同じ気持ちだ。
「預かっていただきたいものがあるのです」
「預かる?」
「はい。けっして、他者に奪われてはならないものが」
 切羽詰ったその声に現は何かを感じたのか、すんなりと左手を差し出した。
 なにやってるの?! そんな事しちゃ駄目でしょ?!
 お願いだから自分の立場分かって!!
 心の中で怒鳴っても意味が無いことは分かっている。
 阻止することは出来ず、現の小さな手に朧の左手が重ねられた。

 一瞬、総毛立つほどの寒気を感じた。

 反射的だったんだろう、現がぱっと手を払う。
 なぜか、左手が舞った空間に小さな光の軌跡が残る。
 何をしたの?!
 睨みつけるが、霊感の無い朧が気づけるはずが無い――気づかれても困るんだけど。
 彼女は今にも泣きそうな顔で……それでも笑いながら告げた。
「せめて……それだけでも持って行って」
 どういうこと?
 現も同じ疑問を抱いたらしい。
 口は開かず、ただ黙ったまま視線を返す。
「それから……二度とここにきては駄目」
 きっぱりと言い切る口調で質問を封じ、朧は手を叩いた。
 呼び出しに応じて、すぐに侍女がやってくると客の見送りを命じる。
 追い払うというより、ここから逃がすかのような行動に、疑問はさらに膨らむ。
 けれどそれを問いただす時間は与えられず、現は屋敷を後にすることになる。

 今回のことは流石に現も気になったようで――けれど日程の関係上、明日にはこの街を発たなければならなくて――同行していた大人達に相談していた。
 館に行ってからのことを全部話して、ポツリと呟く。
「なんだか、囚われてるみたいでした」
 しゅんとした現を前に、福川の翁は困ったように髭を撫でていた。
 多分、わたしも思ったこと――よく知らない相手に手を預けたことを怒りたいんだろうけれど。
 今回の同行者は前回の少し後に変わった人たち。
 現在権力を握っている北斗七夜に連なる、時世七夜家の昇と真砂七夜家の真琴。
 どうにも仲の悪い時世七夜と真砂七夜の間を取り持つべく……平たく言えばお見合いも兼ねているらしい。
 最初に口を開いたのは真琴の方だった。
「うちで雇うと話を向けてみましょうか?」
「ふむ?」
 興味深そうに身を乗り出した翁に向かい、真琴は淡々と言葉を述べる。
「琴の腕が良いようですし、私も琴は好きです。
 ややこしい侍女がつくのでしょうから、気を許せる相手が欲しかったところです」
「しかし、真砂に連れて行くのか? それとも桂?」
「都でしょう?」
 真琴の出身地と、彼女の姉が住まう地をあげれば、何故か不思議そうに返される。
「私と時世殿が暮らすのならば、人質代わりにそちらに移されるはずです」
 さらりと言われた言葉に、昇は何か物言いたそうにしたが、結局口を開くことは無かった。
 多分、いつ結婚するといったと聞きたいんだろうけれど、蹴れる話かというとそうと言えないから……だと思う。
 武家や公家って大変。
 ……星家はもっと大変だけど、彼らに比べたらかなり配慮はされる、と思う。
 それも、時代によりけりなんだけど。

 特に解決策は決まらず――現はあの後一刻は怒られたけど――翌朝、出立前に真琴が交渉に行って駄目だったことだけを聞いた。
 それとなく断られてしまった、と。
 ここは火影七夜の治める地だから無理を通すことも出来ず、せいぜいが神に祈ることくらいだった。

 事態が変わったのは――いや、深刻な事態を把握できたのはそれから一年半は過ぎた後。
 国の端っこの社まで行って祭事を終えた現が、都に戻ってからのことだった。