【第八話 再会】 1.めぐる思惑
ゆっくりと、深い呼吸を繰り返す。
急速に失われた体力を少しでも取り戻すように。
囲炉裏にかけられた鍋から湧き上がる湯気。
ポーリーは沸かした湯で茶を入れて、少し冷ましてノクティルーカに手渡す。
辛そうには変わりないけれど……少し顔色はましになった気がする。
ノクティルーカの様子も気になるが――ミルザムたちが向かった先もやっぱり心配だ。
『奇跡』を集めようとしているバァルたち。
ノクティルーカ以外に、誰が『奇跡』を持っていたのだろう?
プロキオンもまた、ポーリーたちに背を向けたままだが、不安を隠しきれないのかきょろきょろと落ち着きなく視線を彷徨わせている。
沈黙のまま、どれだけ過ぎただろうか。
ふとプロキオンが顔を上げた。一拍遅れてポーリーも顔を上げる。
直後、土間に光が集まり、多くの影を吐き出した。
「ただいま戻りました」
疲れた様子を見せつつもお辞儀をするミルザム。
しかし、無事な面々の方が少なく静かだった小屋はあっという間に騒がしくなった。
ひとまず心を落ち着かせるためにプロキオンは茶を入れる。
茶を立てることは正直得意じゃないが、入れることなら出来る――味については聞かないで欲しい。
怪我人はひとまず止血などを応急手当を施して、未だ呆然としている『奇跡』持ち――セレスタイトに近づいた。
「ここ……?」
あ、ようやく少し落ち着いたかなと思いつつ、答える。
「一応避難所、かな」
「あ」
茶を手渡せば反射的に受け取ったものの、口にするまで時間がかかる。
別にヘンなものはいってないのに。
一口含んだ後にほぅっと息が吐かれて、確かめるように問いかけた。
「おちついた?」
「うん……ありがとう」
浮かべる笑みは力ない。
室内を見渡すセレスタイトに倣ってプロキオンも各人の様子を伺った。
やっぱり怪我人を放っておくのは心苦しかったのか、スピカがミルザムをせっついて癒している。
セレスタイトの仲間の僧侶も、自身の仲間の傷を癒しているようだが……一人倒れているサビクに手を差し伸べる相手はいない。
ミルザムから一言だけで済まされた報告によれば、彼が『奇跡』の確保をしたそうだからその反動だろう。
婿殿も『奇跡』を手にした後は大変だったみたいだし――まあ、ほっとけばいいよね。
そんな判断を下して、プロキオンは再度少女に向き直る。
聞かなければならないことがあったから。
「そっちも襲われたの?」
「そっちも……って」
プロキオンの軽い問いに、意味を図りかねたのか問い返すセレスタイト。
言葉尻をとられて、少々まずかったかとプロキオンは考える。
だが、相手から情報を引き出すにはある程度こちらも正直に話す必要がある……けれど、どこまでを話すべきか。
悩んだ時間はそう長くなかったのに、彼が答えるよりも早く、別の声が飛んだ。
「やられたよ」
「ノクスさん!」
今彼の状態に気づいたとばかりに叫ぶセレスタイト。
反対の気持ちでプロキオンは叫びたくなった。
言っちゃうんですかーッと恨みがましい視線を向けても、たしなめるように見返される。
この部分を隠しては話が先に進められない、と。
それは確かにそうなんですがと視線を落とすが……出来ることなら頭抱えたい。
「一体、何が」
「その前に」
ちょっとこの話をこの人数の前で話すのはまずいと手を叩いて注目を集める。
「スピカ、ミルザム。そこの二人、癒してからあの街に戻しておけ。確か連れがもう一人いたろう? 立ち入らせない方がいい」
「畏まりました」
この少女達の行動には目を光らせる必要がある――まだ、『奇跡』を持っているし……まったくの無関係というわけでもないから。
けれど、あっちの『勇者』にもう用はない。彼が持っていた『奇跡』は手に入れたのだから。
軽く頷いてミルザムは二人を持ち上げ、スピカが呪を紡ぎ、光とともに消え去る。
「転移魔法……」
「君達、一体」
「ボクらは『僕ら』としか言い様がないんだけど」
案の定、呆然とした問いかけにひょいと肩をすくめて返すと、女戦士がため息混じりに言ってきた。
「そうね……『あなた達』は種族名を持たないものね」
「そういうこと。
で、互いに聞きたいことはあるよね?」
プロキオンの問いかけに、彼女達は顔を見合わせて……それから頷いた。
傷はあらかた治し終わったことを確認し、囲炉裏を中心に車座になってから話は始められた。
「魔物を追いかけていって、門近くで戦って……何とか門を閉じることは出来たんだけど。
逃げていく魔物を追いかけていったら……待ち伏せされてた」
訥々と話す少女勇者は、その時のことを思い出しているのか悔しそうに見えた。
「おびき出されたって訳か」
「……うん」
プロキオンの言葉に即座に頷く。
でもと彼は考える。
ボクらに会った後に、バァルは騎士たちを追いかけさせたはず……やっぱり、あの魔物の襲撃自体があいつらの仕業だと考えた方がいい?
「いつの間にか、追いかけてた魔物はいなくなってて。待ち伏せしてたのは、ラティオさんに似た人だった。
目の色が金と銀だから、本人じゃないっていうのはすぐに分かったんだけど」
こちらの反応をうかがうようにセレスタイトはどこか怯えたように視線を向けた来た。
ノクティルーカは沈黙を守り、ポーリーもそれに倣う。
ウェネラーティオに似ていて金と銀の目を持つ――その容姿を持つ相手のことは、以前ウェネラーティオに聞いたことがあった。
プロキオンは『その人』を直接知らないが、その特徴を持つ人物がいるということは知っている。
「リゲルは知ってるよね?」
「……ええ。あの街で見えた相手と同一人物です」
リゲルの返答で確信する。
けれど――『彼の人』の正体をここで話す必要はないし、知らせる義理もない。
「その人、後から追っかけてきた聖騎士みたいな人たちに『魔王』って呼ばれてた」
「ふーん『魔王』ねー」
大分やさぐれてきたプロキオンに、女戦士が探るように問いかけてきた。
「それで、そっちはどうなの?
何かあったことは確かみたいだけど」
「ああ……うん。あの時」
「そのまま、あなた達の後を追おうとしたの」
さて、どこまで話そうかなと頭を回転させていたところに、静かな声でポーリーが割り込んできた。
「でも、ルカが『陽動かもしれない』って言ったから、反対の門に向かったの」
ちょっとどこまでお話されるおつもりですかーとまたも心拍数が跳ね上がる。
コワイ。怖いよこの人たちッ 取引とか腹のうち探るとかそういうの慣れてなさそうだから全部話しちゃいそうだよッ
「そうしたら、案の定魔物が侵入しようとしてて、倒してたらあの白騎士たちが来たって訳」
そうさせてなるものかとばかりに慌てて口を開く。
傍目からは慌ててると感じさせないように、襲ってきた相手を馬鹿にしているように見えるように。
けれど、騙されてくれない人はいる。
「そう。なんで騎士は貴方達を襲ったのかしらね?」
「それは……」
「俺が持ってた『奇跡』を奪うためだ」
そして、黙っていてくれない人もいる。
「ルカ」
咎めるようなポーリーの声に、もっと言ってやってください、ちい姫様を応援の念を送るが、ノクティルーカの口は止まらない。
「で、次はあっちの『石』をとか言ってたからな。こいつが援軍を送り込んだって訳だ」
ええそうですよ。そうですけれども!
不承不承頷くものの……この状況、すごくボクに取って辛いんですけど?
キツネとタヌキの化かしあいには慣れてるけど、ボク以外がばらしてたんじゃ意味ないよッ?!
「え? ノクスさん『奇跡』持ってたんですか?!」
「……ああ」
「ルカ」
ああ、やっぱり食いつかれた。
予想通りのセレスタイトの反応にプロキオンはがっくりと肩を落としたくなった。
それに……返事が遅れたせいで、ちい姫様も気づかれた。
ノクティルーカも内心は汗だくだった。
そういえば、この話はポーリーにまったく話してなかったと。
おまけに言えば、まだ隠し事があることに気づかれた。
「……ルカ」
再度の呼びかけはちょっと泣きの入った声。
お前……俺がその顔と声に弱いこと知ってるのかと問い詰めたくなる。
見ちゃ駄目だ。確実に落ちると分かっているけれど、それでもちらりと視線をやれば。
への字に結ばれた口とハの字に下がった眉。
目じりにあと少しで涙がたまりますといった様子の上目遣いで、服をぎゅっと掴まれて。
……おまけに、周囲の視線も痛い。
実際にはどれだけの時間が経っていたのか。
ノクティルーカにとっては地獄のような数秒が過ぎ……結局降伏した。
「……現在進行形で」
「は?」
小さな声での返答は静かな部屋では十分すぎるほどの大きさで、すっとんきょうな声はセレスタイトの斜め後ろにいたブラウから発せられた。
「盗られてただろ、紫の!」
「一時的に二つ持ってたんだよ」
言わないわけにはいかないから仕方なくノクティルーカは答えるが、握られた服が引っ張られて痛い。ポーリーのほうは怖くて見たくない。
一向にこっちを向かない彼を、ポーリーは無言で見つめ続けた。
『一時的』に『二つ』持っていた『奇跡』。
おまけに現在進行形で持っているとなれば……彼は、何時『奇跡』を手にしたのだろう?
脳裏に甦るのは、先刻のバァルの言葉。
――まさか、あなたが持っているとは思わなかった。
――永遠に失われたかと思っていました。
つまり……あの時以前に、ノクティルーカは『奇跡』を手にしていたことになる。
「てめえら、何のために『奇跡』を集めてる?」
ポーリーの意識を戻したのは、怒りを押し殺した男の声。
そちらの声を逃さぬように聞きつつ、ポーリーはノクティルーカから目を逸らさない。
今、教えてくれなければ……きっと聞く機会は失われてしまうから。
ポーリーの強い視線を感じつつ、ノクティルーカも口を開かない。
だからといって、今話されている会話には集中しないわけにはいかないが。
「教会への嫌がらせだよ」
「……は?」
吐き捨てるようなプロキオンに、呆けたようなブラウの声。
「君なら分かるんじゃない? 誰がボクらの敵か、なんてさ」
自分達の後を追って一部始終を見ていたのならと言外に告げられて、ブラウは口をつぐむ。
「本当にあいつらには、口に出すのも腹立たしいほどに色々遺恨があるわけさ」
ああもう嫌だねーと言っておいて、プロキオンは標的を変える――話さなければならないことを聞いた。
「で、君はどうするの? 多分絶対に奪いに来ると思うけど?」
そして、襲われたなら多分奪われるだろう。だから、こちらに渡せと伝えているつもりだったのだが。
「……どうもしないよ。私が『奇跡』を持っていれば……『魔王』はそれを奪いに来るんだろ? なら、持ってる」
セレスタイトの返事はある意味予想できたものだった。
でも……甘いとしか言いようがない。
敵が執拗に狙っているものを守りきるのは難しいことだ。
無関係の民草を巻き込まないような相手なら、まだ可能かもしれない。
けれど、あいつらはその逆。
手に入れるためには手段を選ばない。
『奇跡』を奪うために街を襲い――自らの手で事を収め、人心を掌握する。今回のシックザールのように。
「んー。渡してもらえる方が良かったんだけどねぇ」
不穏な言葉に色めき立つ面々を見つつ、プロキオンは少々むっとする。
主君の危機を救ってくれた人に、そう無茶をするようなことはしないのに。
「まあ地道に説得すればいいか」
「は?」
きょとんとした声が上がるが、知ったこっちゃない。
今動かせるメンバーだと……一人しかいない。
床にのびて魘されているサビクには悪いが、もう少し働いてもらおう。
――もちろん、『奇跡』はこちらが引き取るけれど。
「じゃあ、説得要員として――」
「私が残ります」
割って入った声に全員の意識が扉の方へと向く。
ミルザムとスピカが戻ってきたんだろう。
セレスタイトたちについていく、いかない。
なんでついて来るんだなどの言いあいが続いている。
他の面々がこちらをまったく意識していないのを確認して、ポーリーは口を開いた。
「いつ……手にしたの?」
やっぱり来たか。
質問されるだろうと予想していたが、ノクティルーカは言葉を選びながら……他の連中に気取られないように話した。
「十四の時。誘拐騒ぎがあった街……覚えてるか?」
「もしかして、ユーラがさらわれたとき?」
まだ、互いに相手の素性を知らず再会したときの事。
「ほぼあの直後」
「そんな前から……?」
なんで言ってくれなかったのと聞きそうになって唇を噛む。
『奇跡』持ちは狙われる。だから、普通は誰かに話すなんてことはしない。
――知らなくて当然だ。自分が『奇跡』持ちだと公言していたアースのほうがおかしいんだから。
そう言い聞かせてみても、心は納得してくれない。
「渡された次の日に……前任者が爆発に巻き込まれて左腕を無くして……それ見たら、なぁ」
はっとしてノクティルーカを見ると、彼は遠い目をしていた。
ポーリーのほうを見ずに、思い出すように。
「手段なんて選ばない奴相手に、弱み知られるわけにいかないだろ」
「……うん」
色々といいたいことはある。
でも、言うことが出来なくてポーリーはただ頷いた。