【第四話 成就】 1.誰もみな一つを黙って
「まあ、分かっていたことじゃあるが」
それでも多少の落胆を隠すことは出来ずにノクティルーカは言った。
「載ってないな」
「く、悔しいですわ」
拳を握り締めてグラーティアが言う。
壁を這いずり出て、とりあえず最初にとっていた宿へと戻り、盗んで――拝借してきた本を読み終えてのことだ。
それでもどこかに載っているのではないかとグラーティアが本をひったくり、文字を追い始める。
方法がないからこそ『奇跡』を探せとミルザムは言ったんだろう。
けれど、『奇跡』があったからどうだと言うんだろう?
――持っていても使うことなど出来ないというのに。
気持ちを切り替えるように立ち上がると、弟が不安そうな顔で見上げてきた。
「兄上?」
「外。見てくる」
「でも……危ないですよ」
追いかけられたらどうするんですかと言うソレイユにノクティルーカは背を向けたまま答えた。
「星を読むんだ。外でないと見えないだろ」
「……気をつけてくださいね」
「ああ」
心配しているのは確かなのだろう。
けれど、本人が不安というのが一番高いのかもしれない。
よく分からない今のこの状況。
グラーティアがいるとはいえあまり離れなくないのだろう。
宿の入り口を出て空を見上げる。星はそこそこ姿を見せていて、ノクティルーカは気持ちを切り替えて読み始めた。
ポーリーを助けるためには、少なくとも『奇跡』が複数必要。
そして、『奇跡』は元が一つだった故に互いに呼び合う性質があるという。
近くにあれば自分には分かるのだろう。あの子供と会ったときのように。
小さな音を立てて扉が開く。
そちらへちらりとだけ視線をやって、ノクティルーカは変わらず星空を眺め続けた。やってきたリゲルもまた、何も言わず佇んだまま。
大方、護衛のためといった感じだろうか。
そんなことを頭の片隅に思いながらも、なんとか星の動きを確認し、読み解く。
南の国――集い――勇者――歯車が動き――手に入れる――
相変わらず読み取れたのは切れ切れの情報だけで、分かっていたことだけれどミルザムのようにはうまくいかない。
それでも、彼いわく才能があるらしい自分を少し信じてみよう。
『南の国』に『勇者』。
『集う』というのは『勇者』か、それとも『奇跡』か。
どちらにせよ、南に進んだ方がよさそうだ。
そう結論付けて、すっかり固まってしまった首をほぐすようにゆるく回していると、読み終わったと察したリゲルが問うてきた。
「ノクス殿は星を読まれるのですか?」
「ああ」
言外に知らなかったのかと問いかけると、少々目を伏せて是と答えるリゲル。
「あなた方の存在はあまり公にされておりませぬゆえ」
彼女自身も、この任につくまでは知らなかったと言う。
「お聞きしてもよろしいでしょうか?」
「俺が答えられることならな」
あらかじめ張った予防線に、彼女は気を悪くした様子がないように淡々と問いかけてきた。
「『奇跡』とは、何なのでしょう?」
言葉に詰まったノクティルーカに気づいているのだろう。
けれど、それでも問題ないとばかりにリゲルは言葉を続けた。
「どのような形をしているのか、どうして力をもつと呼ばれているのか。
持ち主に、何の影響も与えぬものなのか」
「また、ずいぶん難しいこと言うな」
自分が持っていると悟られてはいけない。
ミルザムはそう言ったが、これは結構針のむしろだぞと内心で毒づく。
もっと突っ込んでくるかと思ったが、リゲルはすぐに謝罪を述べた。
「すみません。本当はただ、聞いて頂きたかっただけです。
答えは、遅かれ早かれ出るものでしょうから」
その言葉はノクティルーカに向けられたものではなく、彼女に近い相手へかけた言葉のように思えた。口ぶりとは裏腹に、そんなことが起きなければいいという気持ちが痛いほど伝わってきたように。
翌日、ノクティルーカ一行は宿を出てさらに南下を開始した。
相変わらず暑い砂漠を文句を言いつつも進んで行く中で、グラーティアがふと漏らした。
「でもそうなりますと……邪魔ですわねぇ、この本」
そう言って彼女が持ち上げるのは、手に入れるまでは大変だった魔法書。
今回の件では役に立たなかったのだが、まったく必要がないとも言えない。
とはいえ、ずっと持ち歩くというのも邪魔にしかならないだろう。
「いっそ捨ててしまいましょうか?」
「や。それはもったいないから止めて」
笑顔で実現しそうなグラーティアにストップをかけたのはソレイユ。
「いつ役に立つか分からないしさ、知識をむざむざなくす事もないよね?」
「レイさまがそう仰るなら、考え直しますけれど……やはり邪魔ですわ」
不満そうな顔を隠さないまま訴える彼女。ソレイユは助けを求めるように兄を見やるが、頼られたノクティルーカとて判断が難しい。
「でしたら、捨てるのはやめて売ったらいかが?」
名案が思いついたとばかりに輝く笑顔でグラーティアはぽんと手を合わせる。
「あのねティア」
「旅に路銀は必要ですもの。それなりの装丁ですから、きっと少しは高く売れましてよ」
「いやだから、それって結局手放すってことだよね?」
僕らは手放したくないってことなんだけどと言い聞かせるソレイユだったが、グラーティアはどこまで分かっているのか微笑を返すのみ。
「あら。行方が分からない方が困るでしょう?」
主語が抜かれているが、ソール教がと言いたいのだろう。
「それだと、買い戻される可能性もあるよ」
「ではやはりこの際、完全に焼却してしまえばよろしいのでは?」
ニコニコ笑顔で提案するグラーティアに、とうとうソレイユも言葉をなくす。
彼女のソール教への恨みはかなり根強いらしい。
困らせるためならなんでもするといった態度にどうやって反論すればいいのだろう?
救いの神は思わぬところから出た。
「こちらで活用いたしますので、いただけますか?」
控えめな様子で聞いてきたのはリゲル。
思いもよらぬ発言に、グラーティアは不審そうに問いかけた。
「これはソール教のものですわよ?」
「それでも、貴重な魔法書ならば捨ててしまうには忍びありません。相手の手の内を知るにも好都合ですし、こちらが利用することに問題はありません」
すらすらと続けられる言葉に、グラーティアはしばし沈黙する。
「そうですわね。結果的に嫌がらせになるほうがいいですわ」
にっこり笑って、ではどうぞと手渡された魔法書をリゲルは取り出した布で丁重に包んだ。
旅はあまりにも順調すぎて、その日もそれ以上特にたいしたこともなく、予定通り小さな街の宿に落ち着くことになった。
宿というものは大抵酒場を併設している……というより、一階に酒場兼食堂があり、二階が宿という場所が多い。それなりに人の引き始めた酒場に、相変わらずフードをかぶったままのリゲルは下りていった。
本来なら、とっくの昔に夢の中にいたい時間ではある。
ましてこれから会うのは、あまり近づきたくない相手だ。
それでも――会わなくてはいけない。
案の定、相手はすでに来ていた。
リゲルと同じくフードはかぶったままの小柄な影。
店の端、影に染まりそうなテーブルで一人カップを傾けている。
「お待たせしました」
「そうでもないヨ?」
楽しげにすら答えるのは、まだ変わりきっていないボーイソプラノ。
リゲルとそう年は変わらない彼は実年齢以上に幼く見える。
けれど、それが彼の武器。
表面上は動じたそぶりを見せずにリゲルは向かいの椅子に腰をかける。
何か飲むかと問いかけてきた彼に眠る前だからと断りを入れた。
さっさと済ませてしまおうとばかりに、リゲルは布包みをテーブルに載せる。
「どうぞ。お持ち帰りください」
「確かに預かったよ」
これでお仕事一つ終わりっと。
軽い言葉とともに彼はその包みをしまう。中を検分することなく受け取るのに、リゲルは少々意外な気がしたが声には出さない。
けれど、まじまじとは見つめてしまっていたのだろう。
きょとんとした後、彼はにっと笑いかけてきた。
子供っぽい態度に反して、瞳には強い理性の色。
「今度は何を企んでおいでで?」
棘の混じった問いに、先ほどまでとは打って変わって冷たい声で彼は答える。
「へぇ、君がそれを言うんだ?」
暗に『お前も自身の思いがあって動いているのだ』と言い切られて、リゲルは視線に力を込めた。
「この程度のことで、貴方が出てこられては疑うのも当然でしょう?」
彼の城でポーリーを守っているミルザムやスピカよりも位が上の彼が、お使い程度のことで動くはずがない。
自身でも思っていたのか、うんそうだねーと頷く彼。
「それを言うなら、君がここにいる事だって疑問に思って当然だよネ?」
意味深な笑顔で言われてリゲルもただ視線を返す。
彼の上司と彼女の上司は決して仲がよいとは言えず、かといって完全に袂を分かつわけにもいかない微妙な関係にある。
「でも信用はしてるから……婿殿たちのこと、頼むよ」
それだけを言って、彼は席を立った。
ごちそーさまーとひらひら手を振って告げて行く背を見送って、リゲルはたまっていた息を吐いた。
生粋の武家に生まれ育った彼女は謀に慣れていない。
文官の家の出で、政に近い場所にいた彼と対するには役者不足は分かっていた。けれど。
国全体にとっては悪いことではないのだろう、きっと。
そうでも思わないとやっていけない。
さっさと寝てしまおう。
妙に苛立った気持ちを抱えながら、彼女は部屋へと戻っていった。