【第三話 光陰】 4.宣戦布告
本日も快晴。忌々しいほどに。
燦々と光を放つ太陽を見上げてノクティルーカはため息をつく。
まだ日はそう高くないというのに、今日もまた暑くなりそうだ。
だが、天気以上に頭が痛いのが後ろの存在。
「うふふ。どんなふうに挑発したら楽しいでしょうか?」
「最悪の事態だけは避けようよ、ティア」
「あら、人生短いのですから攻撃的に行くべきですわよ?」
緊張はしているのだろう、多少声は固いがグラーティアは楽しそうにソレイユに話しかけている。
正面から正々堂々けんかを売りに行くと言われたときにはどうしようと思ったものだが、彼自身ソール教会にいい印象は持っていない。
自分達の存在を知って、相手はどう反応してくるか。彼女が訴えるように確かめる必要はあるだろうと思ったから、しぶしぶ賛同した。
のだけれど……
「わたくしを知っている方が出てきてくださればよろしいのですけど……目立つことをすれば良いでしょうか?」
「何するつもりなのティアッ?!」
早まったかもしれない。聞こえてきた台詞に後悔するが、かといって何もしないままで利があると思えない。
あちらがこちらを知っていて泳がせているのか。それとも知らずにいるのか。
後者ならば、わざわざ知らせてやる義理はないのかもしれない。
が、あえて知らせておくことで有利に進むこともあるはずだ。
ゆるく首を振って嫌な考えを追いやり、ノクティルーカは前を――人波の奥にそびえる白亜の大神殿を見つめる。
そこで違和感に気づく。
今日は夏至祭。信者なら誰でも大神殿に入ることのできる唯一の日。
故に彼らのように大神殿を目指して歩く人波は珍しくもなんともない。はずだというのに、実際は流れを逆行しているのはノクティルーカたちのほうだ。
なんだ?
考えてみても思いつくような心当たりは何もなく、人々にぶつからぬように歩くだけでも精一杯。
たどり着くまでに時間がかかりそうだと思ったとき、視線を感じた。
ちょうどこれから進む先に、こちらをまっすぐに見ている――いや睨みつけている人物がいた。
黒髪の小柄な旅人。なにやらこちらに向かって指を差し、淡い金髪の男も釣られてこちらに目を向けてきた。
訝しく思うが、彼らの視線は少し後ろを示している。
自分を指しているわけではなさそうだと判断して、ノクティルーカはほんの少しだけ視線から険をとる。
喚いている黒髪の子供――年はソレイユと同じくらいか――の姿は人に埋もれてほとんど見えないが、動くたびに煌く光――金属製のサークレットのせいで良く目立つ。
ちらりと視線を後ろに向ければ、人にぶつからないように必死についてくるグラーティアと弟の姿。彼に隠れるようにリゲルが続く。
グラーティアは万一顔を知られていた時のために、そしてリゲルは目立ちすぎる色の髪を隠すために深めにフードをかぶっているが、ここでは日除けとして珍しくはない姿だ。
だというのに、あの子供は何故こちらを見ているのだろうか?
視線を感じたのだろう。リゲルが顔を上げた。
向かう視線は方角からしてあの子供。
元々表情の乏しい彼女だが、近くで付き合っていればそこそこ分かるようになる。だからこそ、ほんのわずかとはいえ目を瞬かせたことに驚いた。
知り合いか?
また前に視線を戻して、いまだこちらを凝視する子供を観察する。
何とか見えたのは強い意志を秘めた青い瞳と不服そうにゆがめられた顔。
そして、サークレットに埋め込まれた蒼い石。防具として考えるなら、サークレットは意味を成さない。ソレが示すものは立場や身分。
青玉を収めた金環は……確か。
記憶を浚い、やがて自嘲の笑みが浮かぶ。
『魔王』を倒す『勇者』。
初めて聞いたときには耳を疑った。自分を題材とした英雄譚なんて。
『あの日』までそんな話は聞いた事がなかったから、きっとその後に作られたのだろう。
ノクティルーカの予想を裏付けるように、その詩は『魔王を倒した勇者達は神に祝福され、長い時を生きる存在になった』と謳い、『今もどこかを旅している』と締めくくられていた。
こいつも、祭り上げられたってことか。
国の代表として魔王を討伐する勇者にしては、まだ若すぎる。
ほんの少しの同情と、左手の違和感を感じたのは同時。
なにかにぶつけたわけではない、けれど感じた痛み。
それは何度か感じたもの。
近くに持ってる奴がいるってことか。
左手を握り締める。そこに宿る『奇跡』は自身の存在を強調するかのように鈍く痛む。
『奇跡』は彼女を助けるために必要なものだ。手に入れなければいけない。
もう長い間それを探し続けているソール教会よりも早く。
けれど。
目に映る白亜の神殿。
他の事に気をとられていては、また何かを奪われてしまうと分かっている。
だからノクティルーカは意識を切り替えた。
大神殿まで、あと少し。
大神殿の門前には大勢の人垣ができていた。
見知った場所のせいか、グラーティアはノクティルーカを追い越してひょいひょいと人垣をすり抜けていく。慌てたようにソレイユが続き、リゲルが珍しく先に進む。結果的に置いてきぼりを食らった形になったノクティルーカが殿を務めることになってしまった。
妙に意識して一歩を踏み出した自分に苦笑する。
苦手意識ができているのかもしれない。この場所自体に。
「法皇様は会ってくださらないんですか?」
聞こえた声に前を向く。
人垣は大分薄くなり、門の前で応対している司祭の姿が良く見えた。
白い司祭服をきた穏やかそうな壮年の男性。髪はソール教で尊ばれる金髪。
少したれ気味の瞳は穏やかなライトブラウン。張りのある声は説法で鍛えたものだろう。信者のざわめきの中でもよく聞こえる。
「残念ながら今年は。
ですが、皆さんのお心はソールに届いております」
何かを抱くように胸に手をやる姿は堂に入っている。
優しそうな雰囲気に誤魔化されそうになるが、門の両脇には手入れされたハルバードを構えた衛兵が控えていた。
相変わらずきな臭いとこだと観察するノクティルーカ。
「せっかくの夏至祭ですのに、残念ですわ」
このまま話を終えてしまおうとした司祭を止めたのは涼やかな声。
子供のように無邪気に彼女は言い募る。
「太陽の祝福が一番強い日ですのに。
お会いできることをとても楽しみにしていましたのよ?」
幼い子供のように無邪気なグラーティアの言葉にか、司祭は顔をほころばせて告げた。
「残念ながら『太陽の娘』が決まっていないのですよ」
「太陽の娘?」
「ええ。太陽神ソールに直接仕える『太陽の娘』。
今年は適任者が現れず、夏至祭までずれこんでしまったのです」
まぁと小さく驚きの声を上げて、グラーティアの頭が傾ぐ。
「では仕方ありませんわね。それに――肝心の方が天岩戸の中ですもの」
その言葉に、司祭の表情がこわばった。
教会内で使われる隠語は数多い。
グラーティアは教会の切り札的存在として掌中の珠の如くに育てられていたという。だから教会の機密は彼女にとって馴染んだもの。
「かなり高位の方ですのね。苦労せずにすみましたわ」
こういう役者ぶりを見るとウェネラーティオの妹なんだと実感する。
印象に残るには十分すぎる反応を司祭は示した。
用が済んだとばかりにこちらへ振り向くグラーティア。多少戸惑いながらも追うソレイユ。
「ま、待ちなさい!」
司祭が制止の声をかけるが知ったこっちゃない。こちらの目的は達せられたのだから。
大神殿に背を向けたグラーティアの横にリゲルが並ぶ。
にこりと彼女に微笑みかけて、グラーティアは振り返らぬままに名乗った。
「グラーティア。わたくしの名前ですわ」
さっと気色ばんだ司祭を見たのは自分だけだったろう。
先に行ってしまった三人を見やって、ノクティルーカも踵を返す。
さて、相手はどう出るか?
正直な話、ノクティルーカは今晩あたりに神殿に潜り込もうと企んでいた。
本来なら夏至祭の人込みに紛れてしまおうと思っていたのだが、信者が締め出しを食らっている時点でそれはできない。
だからせめて夜陰にまぎれて……と考えていたのだが。
「あら、今すぐ行動しますわよ?」
神殿から遠ざかりながら、しかも人込みにもまれながら、ころころと笑顔で言われた言葉にどう反応すればよかったんだろう?
「今からって……なんでまた?」
兄と同じ思いだったんだろう弟の問いかけに、少女はにこやかに答えた。
「あの司祭が法王に報告するにはもう少し時間がかかりますでしょう?
その前に秘伝の魔法書をお借りした方が楽しいですわよ、きっと」
「楽しい……かなぁ?」
「早いうちの行動は良いことだと思います」
意外なことに、グラーティアに賛同したのはリゲルだった。
「信者が入れないとはいえ大祭を行うことは確か。
ならば準備に慌しく、警備もゆるくなっていると思われます」
「それはそうかも知れないが、どうやって忍び込むつもりだ?」
問いかけは、どこか楽しそうな色を残したままのグラーティアにむける。
この町を――神殿内部を一番知っているのは彼女だ。過ぎた年月の分だけ変わっている場所もあるだろうが、大まかな土地勘があるだけでも違うだろう。
「もちろん抜け穴からですわ」
「抜け穴?」
「ええ。叔父様から色々とお聞きしておりますのよ」
ふとグラーティアの瞳に別の色が混ざる。
「母様を人質にとられて、表立った反抗はできなかったとよく嘆いておられましたの。でも、その代わり網目のような抜け道を作られたとも仰ってましたわ」
「もしかして、あの時も?」
複雑な表情で問いかけたソレイユに返る笑顔。
以前この町に来たときのこと――暗殺のために呼ばれた神殿で、彼女は部屋に転がり込んできた。壁に作られた抜け穴から。
「今思えば、叔父様には本当に感謝の言葉もありませんわ。
あの道がなければ、わたくしどうなっていたか分かりませんもの」
語りながらグラーティアはようやく足を止めた。
場所はすでに街門前、ずいぶん神殿から離れてしまった。
けれども少女は何気ない足取りで路地に入り、袋小路の壁に手を伸ばす。
壁につくと思われた掌は、幻かなにかのように吸い込まれていった。
ひゅっと息を吸うソレイユに笑いかけて、グラーティアはそのまま身を躍らせる。壁の中へ。
何か喚きかける弟の口をふさいで、ノクティルーカも後を追う。
『彼ら』の使う魔法や技術にいちいち驚いていたらきりがないと悟っている彼の行動は冷めたものだ。
このあたりは高評価ですね。
彼を助けて『星』を救うこと。それが自分に課せられた使命。
そして彼が自分達の希望の『星』に寄り添うに値するか、見極めることも。
合格点。今のところは、ですけれど。
それとなく採点をしてリゲルも後に続いた。
まっすぐに続く通路は二人並んで通るのがやっとの幅で、もし追われたなら迎え撃つには難しいだろうと察せられた。どういう仕掛けか、飛び込んだ壁の中はぼんやりと明るいことはありがたいけれど。
「兄上、なんか、すごいですね魔法って」
「お前も一つ二つ覚えた方がいいと思うぞ」
「一つくらいなら使えますよ。明かりつけるだけの術なら」
半ば本気の忠告は、不機嫌な顔でさえぎられた。
「こちらですわ」
迷いなく進むグラーティアに落ち着かないままのソレイユ、ノクティルーカが続き、殿はリゲルが務める。
「どこに通じてるんだ?」
「複数に繋がっておりますけど」
ノクティルーカの問いに、グラーティアはしばし考える。
かつての自分の部屋にも繋がってるし、奇襲用に法王の部屋近くにも出ることだって出来る。
でも、それらはすべて過去の間取り。今現在はどうなっているか知る由もない。
「あそこがいいと思うのですけれど」
あえて場所を明確に告げなかったのは、苦い思い出があるから。
「そうだな、それがいい」
どこであるかを瞬時に悟ったノクティルーカの口調が苦いものに聞こえたのはグラーティアの気のせいだろうか。
それは、彼らが殺されかけた場所。
かつてポーリーの母親が軟禁され、害された場所。
ソール教会にとって邪魔な人間が連れ込まれる部屋。
年月が経とうとも、用途が変わることがないだろうと察せられる場所だから。
嫌な場所に行かせるのですもの。報いは受けていただきますわ。
妙な方向に決意を抱き、グラーティアは三人を引き連れ、ずんずんと進んでいった。