【第十二話 再挙】 5.神との決別
今日は法王選挙の当日。
選挙に関してはごく少数が関わるだけで、それ以外は接触禁止になるという。
故に、セティたちはラティオのそばでただただ時間が来るのを待っていた。
最初の投票は今日の午後から行われる。
法王が決まれば白い煙が、決まらなければ黒い煙がたかれるなど話を聞いていると、高い鐘の音が鳴った。
「? 何だろ」
「決まったらしいな」
ラティオの断言にセティは目を丸くする。
時間から考えれば、一回目の投票で決まったことは疑えない。
法王選挙ではどんなに早くても三回目の投票で決まればかなり早いほうだという話を聞いたばかりだ。
それが、最初の一回目で決まる。どれだけ異常なことか。しかし長年教会の中枢にいたらしい兄妹は、動じることなく淡々と話を進めていく。
「これから、首席枢機卿から教皇位が授けられますわね」
「その後、助祭枢機卿が新法王の発表を行えば、法王の最初の仕事……祝福を与えるためにバルコニーに出るお披露目がある」
「そこが一番問題なわけね?」
「ええ。聖都中の聖職者が見守る中で行われますのよ」
それがどうして問題なのだろうとセティが疑問を口にするより早く、納得したようなフォルが口を挟んだ。
「つまり、狙われる可能性が高いって事か」
「そういうことですわ」
なんでもないことのように答えるティア。
セティは慌ててブラウの様子を伺うが、案の定ものすっごく目つきで彼女を睨んでいた。
握った拳は力の入れすぎでかすかに震えている。
彼がデルラを心配する気持ちは分かるから、ティアを怒鳴りつけたり手を出そうとしない限り、セティは何も言えない。
「言うまでもないだろうが、バァルは必ず何らかの手を打ってくる。
優先させるのは、猊下とティアの身の安全だ」
「あら、わたくしもですの?」
兄の言葉にこくりを首を傾げるティア。
セティとしても不思議だったが、妹が可愛いからという個人的な理由かと見当をつける。何だかんだいって、ラティオさんティアに甘そうだし。
けれどラティオはため息一つついて、説教する口調でティアに向き直った。
「お前は今、どういう立場でここにいる? 仮にバァルの手によって傷つけられたとしても、戦を開く口実になりうるだろう」
「あ」
それで思い出す。つい先日ティアが言った言葉を。
彼女は今『彼ら』から教会への使者としてここにいる。バァルの引渡しを求めて。使者が仮に戻らなかった場合、『彼ら』は交渉決裂と取って宣戦布告しないとはいえない――むしろ、今までつもり積もった恨みもあって、即開戦となりかねない。
「下手を打てば教会と『あいつら』の双方をぶつけて、バァル本人は高みの見物――という事態になりかねん。そうならないためにも、大人しくしておけ」
「分かりましたわ。無茶はいたしません」
自分の立ち居地を自覚させられて、ティアは神妙に頷く。
「でも、兄様こそお気をつけください。
猊下のおそばにいられるのは兄様だけなのですから」
「まぁな。さて、そのためにも準備をしなければならない。お前達も出て行け」
いつもながら妙に腹の立つ口調でラティオはセティたちを追い出す。
パタンと閉じる扉の音さえムカッと来るのは何故だろう。
「あんなふうに追い出すことないのに」
「着替えがありますもの」
もしかして見たかったのですかと問いかけるティアにぶんぶん首を振って否を伝える。そっか、準備って着替えも入ってたんだ。それならそうといってくれれば良いのに。
「で、僕らはどうしようか。
広場の下見って出来るのかな。それとももう立ち入り禁止?」
「ええ。正確には選挙の前から立ち入り禁止ですわ。
でもご心配なく。配置はよーく存じておりますから」
問いかけるレイにティアは任せておけとばかりに胸を叩く。
下見をしたいということは、やっぱり襲撃の可能性を考えているということ。
唇をかみ締めて、セティは気持ちを切り替える。
デルラ司祭――もうすぐ法王様だけど――を危険な目にあわせない。
決意を新たに、作戦を練るべくティアたちの後をついていった。
広場への入場が許されたのはそれから一刻ほど過ぎた後だった。
事前に打ち合わせたとおり、入り口から少し離れた建物沿いにセティたちは陣取った。
ティアたちは全体が見渡せる鐘楼にこっそり居座っている。
密に連絡を取るためにと手渡されたのは、星読士がいつか見せてくれたものに似た小さな袋。
『こちらティアですわ。そちらの様子はいかが?』
「そこそこ静かだよ。場所はいいとこが取れた」
「生憎と法王猊下のお姿は直接拝見できないかもしれないけどね。遠すぎて」
答えつつ、セティはあたりの様子を伺う。
原則的に新法王のお披露目がある広場は聖職者にしか解放されない。
潜り込むにあたってセティたちは神官服を着込んで、武器も見つからないようこっそりとローブの下に隠してある。
白亜の神殿にかかる日はすでにかなり傾いている。
そういえば、今日は一年で一番昼の短い日だとかティアが言っていた。
太陽の力が一番弱い日だと。
だからこそその力を補うべく大きな祭が開催されることが多いとも。
ちらりと目だけを動かしてあたりを伺う。
目にまぶしい白が密集している様は壮観だ。
さすが聖都。これだけの聖職者がいるとはと感心する一方でどこか空恐ろしいものを感じるのは何故だろう。
一段高く作られた高座に、一人の老司祭が上がっていく。
粛々とした声で告げられる新法王の決定。
発表に沸き起こる拍手と歓声は、正面のバルコニーにデルラが現れたことでさらに大きくなる。
デルラに付き従う面々の中に鮮やかな赤を見つけてほっとする。
少なくともラティオはデルラ司祭――法王を守ってくれるだろうから。
熱に浮かれる周囲と違い、セティたちは身長にあたりの様子を伺う。
いつだ? どこから来る?
本当にバァルが攻めてくるかは分からない。
聞いた話だって半信半疑だ。
けれど、こういったお披露目で狙われるという点では楽観できない。
拍手と歓声が収まり、これから始まるのは新法王の最初の仕事。
古い言葉で祝福を与えるために、デルラ法王が口を開く。
次の瞬間、神殿の入り口から大きな爆発音が響いた。
爆発に巻き込まれたのだろうか、悲鳴と怒号が飛び交い途端にざわめく神官たち。セティもそちらに気をとられ、振り返ろうとしてクリオに肩を掴まれる。
「セティ!」
「だってクリオ!」
爆発が起こったということは何かがあったということだ。
なら、何があったか確かめないとと反論する前に次の爆発が起こった。
先程よりもかなり近い爆発音に悲鳴が大きくなる。
「じーさんっ」
ブラウの声に前を向けば、破壊されたバルコニーともうもうと上がる煙。
「猊下!」
誰かの上げた声に連鎖する悲鳴。
悲痛な声が上がる中、薄れた煙の向こうに人影が見えた。
光を鋭くはじくのは槍の刃。それを捧げた赤い司祭の背に法王その他が庇われていた。
ほっとしたのと同時に湧き上がる歓喜の声。
しかしそれも長続きしなかった。
先に動いたのはラティオ。両手で持ち、薙いだ槍が攻撃を受け止める。
法王以下、教会の重鎮達の警護のために控えていた聖騎士の剣を。
歓声が一瞬にして悲鳴に変わる。次いで広場のあちこちで声が上がった。
様子を伺おうにも、人がこれだけひしめき合っていては無理がある。
「何が起こってるの?!」
『騎士たちが神官を襲っていますわ!』
叫んだセティにティアの切羽詰った声が返る。
そして、再度入り口側からの爆発音。
神官たちは完全に恐慌状態に陥っている。何とか逃げようともがく者、身動きすらとれずに爆発に、あるいは何者かの手に寄って倒れる者。
反乱だだの逃げろだのと怒号と悲鳴が飛び交う中、一際大きな音を立てて入り口の壁が壊された。
蜘蛛の子を散らすように逃げていく神官たちに見向きもせず、砂煙の向こうからゆらゆらとした足取りで歩いてくる影が一つ。
赤い髪、白い司祭服。
特徴だけ捉えれば、今も法王を守っている彼と似ているその姿。
「『ソール』」
緊張した面持ちで名を呟くセティ。
『はじめ……るよ』
ぼうっとした様子で宣言する『ソール』。それに応えるように白銀の鎧の聖騎士――『警句』が広場になだれ込んでくる。
「迎え撃て!」
「反乱者バァルに組する者達を許すな!」
バルコニーから投げられた命令――デルラ法王の声ではなかったが、きっと偉い人のものだろう――に慌てて反応し、迎撃に向かう聖騎士たち。
無論セティもそれに応じて『ソール』と相対する。
強い意志を秘めた瞳と欠片もない瞳。
「決着をつけるぞ!」
宣言したセティに対し、『ソール』が応じるように薄く笑った。
ちょっとは近づけていると思っていた。
けれど、それは気休め程度だったのだろうか。
必死になって術を避けつつ、セティはどう打って出ようかと頭をめぐらせる。
今までの比ではない人数で攻めているのに、『ソール』には届かない。
術を放つまでの僅かな時間に近寄って攻撃をしても防がれる。
相手は武器をまったく持っていないというのに!
クリオが斬りつけるタイミングにあわせて、足を狙うように投げられたナイフ。
しかし両者とも届く前に淡い光の壁に弾かれ、放たれた光によって距離をとらされる。
「術者って普通、前衛がいないとただの人なのにっ」
ピンポイントで狙っても弾かれ続ける現状に、リカルドは歯軋りしそうな勢いで唸った。
残りのナイフも数少ない。となれば、接近して攻撃するしか手はなくなる。
剣を阻まれ、動きの止まったセティに対して放たれる光。
そうはさせじと薙ぐクリオの剣もまた、あっけなく弾かれる。
時折、まだ戦意を失っていない神官や聖騎士たちから飛ぶ魔法もまた同じ。
大体たった一言で術が発動するあたりが反則過ぎる。
文句を言ったところで状況が変わらないのは百も承知だけれど。
少々の怪我はすぐに治る――というより治してくれる。
が、このままでは絶対に勝てない。
相手が魔法を使う場合、魔力が切れるのを待つというのも一つの戦法だろう。
だが、『ソール』の魔力が尽きるのが先か、こちらの体力及び魔力が尽きるのが先かと問われれば……こちらが不利といわざるをえない。
状況を変えなきゃいけない。けれど、その方法が分からない。
焦りに支配されそうになったとき、それは来た。
連携ミス。
波状攻撃をして、相手になるべく術を使わせないようにと務めてきたにもかかわらず、間が空いた。
また『ソール』の口が呪を紡ぐ。
しかしそれは今までと違い、数節ほどの長い呪文。
ぞわりと背が粟立った。
一気に止めを刺そうというのだろうか。どちらにせよ術を発動させるわけにはいかない。
慌てて体制を整えて『ソール』に攻撃を加えようと動くが、一歩遅かった。
間に合わない? いや、間に合わせる!
懸命に走るセティの横を、白い影が追い越していく。
それが見たことのあるものだった気がして、ほんの一瞬セティの足が止まった。
『ソール』の手に集まるまばゆい光。
最後の一節が唱え終わるその時に――光は消えた。集めていた腕ごと。
いつの間に下に下りてきていたのだろうか。
鋭く振り下ろされた槍。
重い落下音は空中で化けた石のもの。
孫の厳しい目と祖父の呆けた目が刹那、交わる。
「畳み込め!」
誰かの発した言葉を合図にしたように一斉に『ソール』に踊りかかる。
最も近かったラティオの二撃目を避けた『ソール』へ向かって数多の刃が下ろされた。とっさに使ったのは防御の術か、それとも攻撃魔法だったのだろうか。
弾かれ、飛ばされる武器や戦士たち。
ラティオの影にいたセティは彼がとっさに張った防御魔法の恩恵にあずかれたが、クリオやリカルドは無事だろうか。
仲間を案じて気がそれかかるが、そんな自分を叱咤してセティは声を上げて突進する。
視界の聞かない砂煙の中、勘だけを頼りに繰り出した剣。
当たれば僥倖とばかりにおもいきり突き出した刃に感じる手ごたえ。
やった! はじめて『敵』を捉えることが出来た。
だが気を許すわけにはいかない。
深く刺さっていた剣を抜いて、改めて構える。けれど。薄れていく砂煙の中、姿を現したのは、胸元を赤く染めた『ソール』の姿だった。
「え?」
流れた赤に、思わず声が出る。
荒い息を繰り返し、『ソール』は地面に崩れ落ちた。
うつ伏せになったまま、それでも顔を動かしてこちらを見上げてくる。
恐怖に、剣を持つ手が震える。
なんで……なんで?
もう『死んでいる』んじゃなかったの?
だって、だから『石』に変わったんでしょ?
「……あ……」
荒い息の下、『ソール』の目がラティオを、そしてセティを捕らえた。
相変わらずぼうっとした目。
だけど、今までとはどこか様子が違う。
だって『ソール』は一度だってそんな辛そうな目をしなかった。
感情の色なんて伺える目をしたことはなかった。
「また……ぼく……」
荒い息の下、何を訴えたいのか『ソール』は紡ぐ。
「ゆるさないからな」
動けないセティの心臓がどくりと大きく脈を打った。
何か言おうと、反論しようとするセティだったが、口を開閉するだけで言葉が出ない。
しかし、セティの答えを待つことなく『ソール』の頭は力を失い地に落ちる。
ほぼ時をおかず、その屍は輝く石へと変貌した。
「な……んで……」
ようやく出た声は掠れていた。
はっはとせわしく息を継ぎながらセティは言う。
「何でそんなこと言われなきゃいけないんだよっ」
その訴えは、今にも泣き出しそうなくらいの脆さだった。