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2番目の、ひと

【Step3 疑惑と秘密】 1.朝の不安

 結局、兄さんはその日帰って来ませんでした。次の日の昼を回って、ようやく戻ってきたのです。
「兄さん仕事忙しいの?」
「少しな。どうかしたか?」
「ううん」
 なんでもないと言葉を濁すことしか出来ません。
 なぜあの時植物園にいたの?
 あそこで何があったの?
 ……誰に脅されていの?
 すべて、聞くことは出来ないのです。
 もともと兄さんは仕事のことを話してくれる人じゃありませんし、警官なので話すことが出来なくて当然なのです。
 もっと小さいころは、大きくなったら話してくれるのだと思っていましたが、職業が職業だから、僕が大きくなろうがなるまいが、話せないのですよね。
 黙ってしまった僕に何を思ったのか、兄さんはことさら優しい声で言いました。
「デートは楽しかったか?」
「それは楽しかったけど」
 そこまで言って口ごもります。
 はっとして顔を上げれば、なんだかとてもやさしいというか生暖かいという感じの兄さんの姿。
「兄さん!」
「照れるな照れるな」
 照れるようなこと言わせたのは兄さんでしょう!
 単純に話題変えたいだけでしょう! ごまかしたいだけでしょう!
 頭ではそう思うのですが、慌てすぎていて口からは何も言葉が出せません。
 でも、兄さんは僕が照れているだけだと思い込んでいて、悪かったと簡単に謝って席を立ってしまいました。
「……誤魔化された」
 悔しいけれど、誤魔化されずに追求することは出来ません。
 僕がこっそり後をつけていたことを知られるのは、それはそれで怒られそうだからです。
 それから兄さんはずっと眠ってしまって、結局、何も言わず聞けず休日は終わってしまいました。

 月曜日。学校があるので兄さんを問い詰めるなら朝しかありません。
 いつもの時間より少し早く起きて朝食の準備をはじめます。
 朝は忙しいからあんまり答えてくれないかもしれませんけど、時間が長くあったからって話してもらえるわけではありません。
 兄さんは僕が聞いたことで話せるようなことがあれば話してくれるのです。
 だから、話してくれる時間を増やすために三十分ほど早めに起きていろいろしていたのですが。
 いつもの時間に起きてこないので、不思議に思って部屋に行けばもぬけの殻。
 よく見れば電話の上の伝言ボードに呼び出しがあったから出かけると書いてありました。
 こうして、僕の努力はあっという間に無駄になってしまいました。
 一人で朝食を食べて学校に行く。
 いい加減慣れたと思っていたのですけど……
「もう少し、頼ってくれてもいいのに」
 もう高校二年です。大学には行けたらいいなとは思いますが、仮に受からなければ就職を考えなければいけません。
 そりゃあ、兄さんから見ればまだまだ子供なのでしょうけど……不満です。
 それに、本当に仕事なのかも気になります。だって脅されているのです。
 兄さんがそういうものに屈するような性格じゃないからこそ、余計に心配です。
 考え事をしていたのがまずかったのでしょう。
 いつものとおりに学校への道を行き、到着したのはいつもの三十分以上前でした。
 そうです。考え事をしていたせいで忘れていたのです。
 いつもの行動をとれば、そりゃあ早く起きた分だけ早く着きますよね。おまけに今日は兄さんの分の朝食がいらなかったのですから。もちろん作ったものは冷蔵庫に入れているので、兄さんの昼食か夕食か……もしかしたら僕の夕食にまわることになるのですけど。
 なんにせよ、早く来てしまったことには変わりません。
 困ったことに何もすることがないのです。
 暇をつぶせるような本も持ってきていないし、予習や復習というのも……今の心境では頭に入らないでしょう。
 ただ、校門前にいても仕方ないので、一応教室に向かいます。
 いっそ机で寝ててもいいですしね。
「わかんなーいッ!!」
 なにか、とても聞き覚えのある声が聞こえたのですが。
 声がしたのは四組の教室です。
 ティルアの……そして、サキのクラスです。
 前々から一緒に登校できないのは少し残念に思っていましたけど、サキは学校に来るのが早いようです。
 何をしているのか気になって教室の扉に手をかけたところで、別の声がしました。
「言い出したのはあなたですよ。はい、次」
「名詞や形容詞になんで女性とか男性があるのー? 単数と複数でもややこしいのにっ」
「そういうものですから諦めなさい。しゃべるのがそれだけ出来ているんですから、読み書きも平気でしょう」
「話すのと読み書きは違うし、読むのと書くのも違うよ。
 漢字なんて読めてもかけないのなんか山ほどあるんだよ」
 諭すような声は男性のものです。落ち着いたしゃべりですし……声の感じからして、先生っぽいのですが。
 気になるのでそっと近寄って、ドアにはめ込まれたガラスからそっと中の様子を伺いました。
 最初に見えたのは机に突っ伏しているサキの姿。その手前に立っている後姿は――フェッリ先生です。
 どういう組み合わせなのでしょうか?
 補習かなとも思ったのですが、フェッリ先生は歴史の先生です。さっきの会話とはつながらないのですが。
 それに何より、なんか、サキの口調がとても親しげです。
「時間をわざわざとって教えてる教師に対してなんて言い草ですか」
「たまにすごいウソを教えてくださるからですセンセー」
「先生をうそつき呼ばわりとは……悲しいですね」
「先生のウソのおかげで、コンラートさんに叱られまくりです」
「それはあれです。コートの頭が固すぎるだけですよ」
 コート……ということは、先生とコンラートさんは友達なのでしょうか?
 愛称で呼ぶってことはそうですよね?
「それに、叱られるのは慣れっこでは?」
「慣れてるからってへーきって訳でもありませーん」
 ……仲よさそうです。
 先生がいなければ入ろうと思ったけれど、入れません。
 なんかもやもやします。これ、やきもちなのでしょうか。
「パラミシア語ができるんだから良いじゃないですかー。会話なら何とかなりますもん。悪いことないですよーっ」
 サキは不満たらたらの声です。
「良かろうが悪かろうが、ここでは必要なものですよ。
 それに彼氏からのメールも読めなかったりして。ほら、関係ないことないでしょう?」
 え?
 何か、引っかかりました。
 言い回しというか、口調というか。
 それが、どこかで聞いたような気がして。
 
 『良かろうが悪かろうが関係ないでしょう?』
 
 そう。つい最近聞いた言葉、です。イントネーションも同じ。
 なぜあの時気づかなかったのかというくらいに。
 どくどくと心臓が痛いです。
 最初に思ったのは知られてはいけないということです。
 僕がここにいること。僕があそこにいたこと。
 まさか……まさか。
 兄さんを脅していたのは、フェッリ先生……?