【Step1 おつきあい開始】 3.からまわり
兄さんごめんなさいと心で謝りつつ、兄さんの部屋にそっと入ります。
相変わらず綺麗な部屋です。
重要なものが置いてある場合もあるから勝手に入るなといわれていますが、本棚はここにしかないので、本を借りるという口実なら入れるのです。
探し物はもちろん、恋人との付き合い方のマニュアルです。
兄さんはきっと持っていると思うのです。多分あのあたりに……
「あった!」
予想通り見つかってよかったです。
その本だけを持って早く自分の部屋に戻ります。
しっかりと読み込んで、失敗しないためにも。
やっぱりデートなのでしょうか?
サキはこのあたりのことをまだあまり知らないはずですし、近所の散歩をかねてっていうのも良いかもしれません。
約束はあらかじめ取り付けておいて……明日聞いてみましょうか。
今すぐでも携帯なら……
「あ、携帯の番号もアドレスも交換してない」
今更、最大の失敗に気が付きました。
あれだけ時間があったのですから、チャンスはあったのに。
姉さんはそういうところしっかりしてそうですよね。
兄さんは……どうなのでしょう?
などと考えていたら、玄関から物音がしました。
鍵を開ける音がしているので、間違いなく兄さんです。
「お帰りなさい、兄さん」
「アルトゥール」
僕が居間にいると思わなかったのか、びっくりしています。
確かに普段は自室にいることが多い時間ですけど、テレビを見るときもあるのですから、そこまで驚かれることも。
と思っていたら、兄さんの視線が僕の手元に集中しています。
あ。本のタイトル。
「兄さん! のどかわいてない?!」
「ああ。水でいい」
うわああああッ
そんな大きくなったんだな、みたいな目で見ないでーッ!!
冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出してこっそりと様子を伺えば、兄さんは疲れたようにソファに座っています。
また、難しい事件でもあったのでしょうか?
警部に昇進してから、兄さんはいつもぴりぴりしている気がします。
「はいお水」
「ああ、ありがとう」
よく見れば顔色も悪いです。
「兄さん。仕事、忙しいの?」
「いや、そうでもない」
心配になって聞けば、少しだけ表情を和らげて兄さんが答えてくれました。
でも、明らかに元気がないのに信じられるわけありません。
確かに僕と兄さんは年が離れてるし、頼りにならないのかもしれませんけど。
「ただちょっと……厄介な相手がいてな」
「厄介?」
聞き返したところで、どこかで聞いたようなメロディが流れました。
兄さんの携帯の着信音です。
仕事の話だったらいけないので、僕は離れるしかありません。
家族に警官がいるっているのも楽ではないのです。
「もしもし……またお前か」
あ。兄さんの機嫌が急降下しました。
もしかして、さっき話題に上がっていた厄介な相手からなのでしょうか。
「何度も言うが、その気はない。断らせてもらう」
それだけを言って、兄さんは携帯を切ったみたいです。
あ、おまけに家の電話線も引き抜きました。徹底的です。
「兄さん」
「気にするな。厄介な相手だが、実害はない」
実害、もうあると思うとは口に出していえませんでした。
「そろそろ寝る時間だろう」
「あ、うん。そうだけど……兄さん明日は?」
「明日は非番だ。朝は悪いが休ませて貰う」
「ううん、いいよ。ゆっくり休んで」
養ってもらっている身としては、兄さんが疲れてるのに朝ごはんを作ってもらうなんて出来ません。まして、さっきのやり取りを聞いてしまっては。
「おやすみ兄さん」
「ああ……忘れ物だぞ」
そう言って手渡されたのは、さっきまで読んでいたマニュアル本。
すっかり忘れていた僕はとっさに何も返せません。
兄さんもどうしてこんなタイミングでコレを手渡してくれるんでしょう!
「朝、迎えに行くのもいいと思うぞ」
「……アドバイス、ありがとう」
楽しそうに見られては、そう答えるしかありません。
もっと色々言われないためにも、ここは頷いておいた方がいいのでしょう。
ああ、でも迎えにいって一緒に学校に行くっていうのはいい考えかもしれません。
そう考えると……余計眠れなくなりました。
朝です。あまり良く眠れませんでした。
昨日のこと、実は夢だったのでしょうか?
いつもの通りに登校準備を進めますが、なんだか勝手が違います。
歯磨き粉を間違えかけたり、靴を間違えかけたり……あ、時間も早いです。
その、もしかしたら、一緒に登校できないかと思って、今から迎えに行く予定です。
うちのアパートからサキのアパートまでは一分もかかりません。
普段の通学時刻まで三十分ほど余裕がありますから、門の前で待っていれば会えるかもしれません。
どきどきして待つこと十分。
サキはまだ降りてきません。もっとゆっくりなのでしょうか?
そわそわしつつ十分。
考えてみれば、彼女はここで僕が待っていることを知らないのです。
驚かせてしまうのでしょうか? 少しでも、喜んでくれるのでしょうか?
さらに、十分。
普段僕が出る時間です。でもサキはまだ来ません。
……もう少ししたら遅刻です。
時計でもケータイでも時間を確認しましたが、あっています。もう、待つことが出来ません。
仕方なく、僕は学校へ向かうことにしました。
ゆっくりゆっくり進んでも、学校は徐々に近づいてきます。
この時間になると遅刻をするまいと急いでいる学生も多くなってきます。
それでも足が思うより早く進まないのは、気が重いからなのでしょう。
「よ、アル。どうかしたのか?」
「……ヴィル」
朝からあまり会いたくない人のほうに会ってしまいました。
ヴィルです。サキのことを知られたら、真っ先にからかうだろう相手です。
いつかの時のように、力の限り叩かれるような真似をされれば反撃もしますが、心配そうにされているのでおとなしくします。
というか、彼にまで心配されるほど僕は落ち込んで見えるのでしょうか。
「なんか元気ないね? お兄さんに叱られた?」
「……ティルア」
よりによって何で二人揃っているのでしょうか。
そして両側から人の顔をのぞこうとするのでしょうか。
「そこの三人組ー」
どうしたものかと考えていると、少し楽しそうな呼びかけ。
顔を上げれば、校門のそばで名簿を片手にこちらを眺めている先生の姿。
「そんなにのんびんしてていーんですか? 遅刻した子には宿題たっぷり出しちゃいますよー」
「げ。フェッリ先生」
ヴィルもティルアも嫌そうにうめいて少し足を速めます。
僕も慌てて走ります。先生、ありがとうございます。おかげで二人を話すことが出来ました。
なんとか校内に入って、それでも教室まで急がないといけません。
……結局、サキには会えませんでした。