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ナビガトリア

【第七話 暗躍するもの】 5.血が招くもの

 とにもかくにも走って何とか扉までたどり着いて、そこを開けて次の部屋へ。
 それを何回か繰り返した頃に、アポロニウスはようやく口を開いた。
『いいのか、こんなに滅茶苦茶に走って』
「とりあえず逃げなきゃどうしようもないでしょ」
 返すだけ返して辺りを見渡し、一息つく。
 ここの空間がどうなっているかなんて分からない。
 ……こうして『眼』のありがたさを感じたくは無いけれど。
 千里眼を使って敵を探し、魔封石から力を呼び出し解き放つ。
 放った力は僅かに狙いがそれて奴の足元を凍らせるのみ。
 舌打ちしたい気分だけど気持ちを切り替えてまた先を急ぐ。
 少しでもこうやって距離を稼ぐしかない。
『何挑発してるんだっ』
「じゃあどうしろって言うのよ?!」
 だいたい守られるだけのくせして、いちいちうるさいなもうっ!
「あたしは元々正面きっての戦いに不向きなんだから、向いてる方で攻めるしかないでしょ」
 正直これからどうなるのかとか本気で不安だらけだけど、それはここを切り抜けられてからの話。
 いつ追いつかれるのか。
 こうやって足止めなんかもしてるけど、いつまで時間稼ぎが出来るのか。
 もうどうにでもなれといった感じで何枚目かの扉を開き、すべり込んでしっかり閉める。
 扉の先は今までと明らかに違っていた。
 大きさは小さな小部屋くらい。天井も壁も床も色は全部白。
「ここどこ?」
『分かると思うか?』
「そうよね」
 床の中央に子供の頭位ほどの大きさの魔封石がはめ込まれている。
 扉はあたしの入ってきた一箇所だけ。
「戻るしかないか」
『初めてのお客様ですね』
 諦めの言葉にその声は重なった。
 柔らかな落ち着いた女の声。
 床にはめ込まれた魔封石から光が溢れる。紫色の、その光。
 気がつけば、魔封石の上に一人の女性の姿。
 まるで科学の粋を尽くしたホログラムのよう。
 服は深い青を基調とした格式ばったローブ。
 年のころは二十代後半くらいだろうか。整った白い面。引き締められた唇。
 肘くらいまである長い髪は、人が持ち得ない――どこまでも澄んだ冬の空のような青。
 そして、こちらを見つめる強い瞳は紫。あたし達(スノーベル)と同じ色。
 あたしが疑問を口にするよりはやく、アポロニウスが言葉を発した。
『スノーベル……?』
「え?」
 おもわず問い返す。
 それは家のご先祖様。魔法協会の礎を作った、偉大なる魔導士。
 思わず陽炎のようにゆらめくその姿を凝視する。
 青い髪と紫の瞳。確かにそれはスノーベルの特徴だけど。
 だって大昔の人間だよ?
「あなたが、スノーベル?」
 あたしの問いに、彼女はこちらに顔を向けて問い掛ける。
『私はスノーベルの「記憶」。彼女が生涯に得た知識そのもの。
 そして彼女に連なるもの達の知識を有するもの』
「ええ?」
 記憶?
 混乱しかけてふと気づく。
 ちょっとまて。ここに案内したあの司書はなんと言っていた?
 ――ここに神の智恵はない。ヒトの知識があるのみですよ。
 私達は『メモリアエ・アニマールム』。数多の記憶の眠る場所と呼んでいます――
『スノーベルが……生きている訳ではないんだな』
『スノーベルは今より六五七年前に没しています』
 もしかして。
「この図書館に収められている知識っていうのは、あなたのこと?」
『お探しの情報がありますか?』
 そういうこと、か。
 きっとこの『スノーベル』を通じて情報をやりとりする。
 ここはそのための場所。
 それにしてもこんな仕掛けを施せるだなんて、やっぱり凄い魔導士だったんだ。
 疑問がひとまず解けたところで。あたしのする事は一つ。
「とりあえず『アリクィス』って本が欲しいんだけど」
『ちょっと待て!』
『それでは右手にあるカードをお持ちください』
 お使いを済ませようと口を開いたあたしにアポロニウスが待ったをかける。
 が、かまう事は無い。『スノーベル』も彼の言葉を無視して説明に入ってるし。
 いわれてみれば、右側の壁の一箇所にくぼみがあって、数枚の白い名刺大のカードが置いてある。
『だから何してるんだ、逃げなくて良いのか?』
 なおもぶつぶつ言うアポロニウス。
 あたしを止めようにも話すことしか出来ないんだから仕方ないんだけどね。
「いやあ一応仕事はしとかないとねぇ」
『ずいぶんのんきだなっ 命がかかってるんだぞ命が!』
 いやそりゃ分かってるけどさぁ。
 カードを手にとって、『スノーベル』の前まで戻る。
 すると魔封石から光が溢れてカードの中央、あらかじめ透かしいれられていた魔法陣に吸い込まれていく。
 これは魔導士が秘密文書を交換するのに使われる方法。
 一定以上の魔力を込めれば、文字が浮き出てくるって仕組みになっている。
 にしてもこれは便利だわ。分厚い本だったらどうしようってちょっと思ったし。
『以上でよろしいですか?』
『聞いてるのかコスモス!』
 涼やかな『スノーベル』の問いかけを被るアポロニウスのとがった声。
 カードを収めつつあたしは軽口を叩く。
「そういってもさぁ、ここが一応終着点みたいだし。
 相手に知られなきゃここで待ってるのが一番安全ぽいんだけど」
『見つかったらどうする? それこそ逃げ場が無いぞ』
『以上でよろしいですか?』
 あたしたちのやりとりをよそに機械的な口調で問い返してくる『スノーベル』。
 ふと思いついて問い掛けてみる。
「ねぇ、ここって誰でも入れたりする?」
『鍵を持つもの以外は決して入る事は出来ません』
「鍵って?」
『スノーベルの血』
 ……血?
 思わずぞっとしちゃうんだけど? 血が鍵って何よ、血って!
 あたしは血族ってか本家。
 直系子孫だから良いにしたって、あの司書は違うでしょ?!
『かつてスノーベルがここの鍵とするために、自ら残した数滴の血を封じた「鍵」。
 形状は機密。もしくはスノーベルの血を強く引くものなら入室可能』
「ああ。なるほど」
『というか何を考えてたんだスノーベルは……』
 納得するあたしと重い口調のアポロニウス。
「ってことは奴が入れる可能性は少ないってことよね?」
『スノーベル』の血族は確かにいっぱいいるけど、血を強く引くってなると。多分大丈夫。
「ちょっとは気を抜いてもいいのかな?」
『帰りはどうするんだ帰りは』
「む……迎えを待つしかないわね」
『質問は以上でよろしいですか?』
 三度の問いかけ。
 ちょっと待って。
 これって……見張り役いなかったら質問し放題って事にならない?
 正直聞きたいことは山ほどある。まずは。
「アポロニウスって知ってる?」
『コスモス?』
『スノーベルの母親の親友の長男。スノーベルとは幼馴染に当たる。
 出身はセラータ北方の辺境のティアナ。赤髪緑眼。旅先で行方不明になったまま』
「うわー。スノーベルにとってアポロニウスの認識ってこんなだったんだ」
『何故だろう……本当のことを言われているだけなのに凄く腹が立つのは。
 というかいきなり何を言い出すんだコスモス!』
「ちょっと色々聞こうかと思って」
 とは言ったものの、聞きたいことは唯一つ。確証が得られるものなら欲しい。
 こくんとのどが鳴る。
 祈りを込めて、問い掛ける。
「肉体から魂を分けられて、封印された人間を元に戻すことは可能なの?」
 アポロニウスが息を呑む。
 実は結構不安だった。誰も保障してくれなかったから。
 どうか、徒労に終わりませんように。
 答えが返る。その刹那の間が、酷く恐ろしい。
『可能』
 そう、『スノーベル』は答えた。
「本当?!」
『前例あり』
「『あるのかっ?!』」
 まあ……前例があるって言うのなら戻れるって言うのは確かだろうねぇ。
「その方法は?」
『まずは本体と魂とを同じ場所に集める。
 他必要なものはハルモニアの魔法陣にセーンススの秘薬、アクア・ウィタエ』
「あああごめんなさいっ 言われても分からないっ」
 あ、あたしの勉強不足のせい?
 そんな魔法陣とか秘薬とか聞いたことないよっ
「アポロニウス分かる?」
『分かる訳ないだろう』
「んーと」
 こんな状況じゃあたしが術を使う事は無理。なら。
「質問変更。それを出来る人っている?」
『プルクラ・ミラ。もしくは今現在銀の賢者と呼ばれる』
『師匠が?』
「なんだ。姫が出来るなら問題ないじゃない」
『スノーベル』はまだ何か言ってたけど、とりあえず知ってる人が出てきた段階で問題なし。あとはアポロニウスの本体見つけて、そこに姫に来てもらえばいいだけの話。
 今度こそ本当にほっとした。

 爆音が、響いたのはそのときだった。