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終の朝 夕べの兆し

Vol.1「sensus impotentia」 3.意図せぬ再会

 面倒くさい。
 とはいえ、面倒ごとが新人に降り掛かるのはある意味当然の事。
 導師が『ある方』と呼ぶということは一応お偉いさんなのだろう。
 だが、この支部の正規職員ではないフェンネルにまわすような仕事かというと、否。
 一時的に所属しているだけの相手にそこまで重要な相手の案内を割り振るだろうか?
 重要ではないけれど面倒な相手といえば――貴族のぼんぼんが一番可能性が高い。
 そしてそういう輩に限って性格も御しがたいものが多い。
 魔法協会を見てみたいという我侭が通ってしまったのだろう。
 無論、協会が普段から見学者を受け入れていないわけではない。
 むしろ積極的に勧誘は行っているほうだろう。
 支部によってある程度は違うが、そもそも【協会】設立時最大の目的は魔法を世に広く知らしめること。故に門戸は広く開かれている。
 ただ、やはり関係者にしか入れない――ごく一部にしか開かれていない場所も多いことは確かで。そういった場所に入りたがる一般人をなだめすかしてお引取り戴かなければいけない。
 もちろん、そういった場所に入りたがるような連中がすんなり引き下がることは少ない――ほぼない。
 つまり本気で面倒な仕事なのだ。
 憂鬱な事が続けば嫌になる。待ち合わせの時間が近づけば近づくほどに、気分も沈む。
 机に突っ伏す形になる事しばし。
 昨日も昨日で遅くまで調べ物をしていたために、眠い。
 このまま寝てしまいたいところだが、約束の時間まで残りは少ない――いつまでもこうしてはいられない。
「フェンネル先輩お疲れ?」
 懐かしい声がしたのはそのときだった。
 澄んだ甘いソプラノ。歌うような声音は耳に心地よい。
「そりゃあ疲れもするさ」
 軽く応えて、伏せていた顔を上げる。
 位置的に光を背に負った相手は、やはり見慣れたものだった。
 最初に目に入ったのは深いワイン色のローブ。【学院】指定の女生徒用のローブ。
 不思議そうに首をかしげているせいで、ゆるく波打つ髪が肩から流れて広がっている。
 いつも眠たそうに半ば閉ざされている菫の瞳。声の印象とは異なり不機嫌そうに結ばれた口。
 予想通りの姿に、深く、深く息をつく。
「……なんでここにいる?」
「なんでって」
 こくり。また首の角度が深くなる。
 動作は稚いくらいで童女のような純真さだが、彼女はフェンネルの二つ下の十六歳。
 この見た目にだまされた相手を何人も知っている。
 おっとりとした雰囲気は、何をやるにも億劫で――眠そうな瞳がよく物語っている――めんどくさがりだから動作がゆっくりなだけだ。
「もう【学院】で学ぶのも限界感じたから自主卒業しようと思いまして」
「それで?」
「フェンネル先輩は知ってるでしょ?
 自主卒業には一年以内に最低五カ所の協会回ってテストに合格しなきゃいけないから」
「ああ、それで、か」
 一年近く前にフェンネルも通った道だ。
 いつまでもおとなしく学院にいるような相手ではないと思っていたから、行動も納得できる。
 ただ――なるほど。やっかいだ。確かに厄介な客だ。
「あー」
 意味もなく呻いて頭を掻く。
「で、なんでここなんだ?」
「兄さんが東周りで回ったっていうから、兄さんが行かなかった協会を西周りで行ってるだけよ」
「……それ、オレが使ったルートじゃねぇか」
「フェンネル先輩って案外自意識過剰なのね。同じなのって西周りだけでしょ?」
 言われてみれば確かに、【学院】の自主卒業テストの時にはここの協会を訪れていない。
 が、理由はまったく同じだ。
 同じ頃に卒業した彼女の兄を避けて、逆周りのルートを行ったことは確かだから。
 彼女は呆れたといわんばかりの表情で、勝手にフェンネルの向かいに腰掛けた。
「フェンネル先輩はお仕事?」
「そーだよ。お前のせいでやたら面倒になったけどな」
 白々しく聞いてくる相手に毒を吐く。はきたくもなる。
 コティ導師はどこかから聞いたか、もしくは知っていたのだろう。
 学院在籍時、フェンネルは彼女の『保護者』と認識されていた。
 フェンネル自身もいろいろと問題を起こす側に回ることが多かったのだが、彼女の比ではない。
 故に、彼女がなにかをやらかすと、フェンネルが呼ばれていた。いや――そもそもの発端は、数回ほど後始末を手伝ってやったからだろう。
 なにせ、彼女の兄がまったく妹の後始末をしなかったものだから。おまけに、彼女に輪をかけて問題児だったから。
「わたし、先輩のお仕事を面倒にした覚えはないけど?」
「なってるんだよ。すでに」
 くすくすと笑う顔からはすでに眠気は抜け切っており、菫の瞳はきらきらと輝いている。
 後ろのほうで聞こえた派手な音は、大方彼女に魅入ってて誰かがこけたのだろう。
 それほどに――彼女は『お綺麗』だ。
 普段からこういう顔をしていればいっぱしの美姫で通るだろう。とはいえ、彼女がこういう表情をしているときにこそ、周りの被害はひどいものなのだが。
「でね、先輩。ここのテストって何だと思います?」
「地味に面倒な仕事だろ」
 自分のときもそうだったと呟けば、つまらなそうな表情になる。
「エブル草の採取とレポート。なんでレポートまで書かなきゃいけないのかしら」
「そりゃそうだろ。卒業試験生なんざ、ていのいい使い走りだ」
 突き放せば、恨みがましそうに見上げられる。
「後輩を助けてやろうって気はないんですか?」
「自力でやる癖つけねぇと困るのは自分だぞ。それにオレはオレで仕事があるっての」
 至極当然のことを言うフェンネルを彼女はつまらなそうな顔で見返す。
 本気で手伝ってもらえるものだと思っていたらしい。
「勧誘が、ですか?
 でも犬じゃあるまいし、餌付けするだけで出来ると思ってるんですか?」
 どうやら仕事内容については知っているようだ。それから、状況についても。
 まあそんなもの、いくらでも調べることは可能だろうから気にならないが。
「それに――これから数日は無理ですよ」
「あん?」
 確信を持って言われた言葉を不審に思い見返せば、彼女はにんまりと人の悪い笑みを浮かべていた。さながら堕落へと誘う悪魔のように美しい笑み。
「ルビーサファイアさん、ヴェンティに行くみたいですから」
「はあ? なんでお前が」
 知っていると聞きかけて、悟る。
 図りやがったなこいつ!
 案の定、彼女は問いかける。甘いソプラノで強請るように、極上の笑みで。
「レポート、手伝ってくれますよね?」
「……どんな手を使った?」
「普通に依頼を持ちかけただけですよ? 進んで引き受けてくれたわ」
「そうか、その手があったか」
 日々の食事にすら困っている様子のルビーサファイアだ。依頼を持ちかければすぐに了承するだろう。
「そうだ先輩。この辺でお手頃な宿知りません?」
「協会に寝泊まりすりゃいいだろ。卒業試験生」
「ぜったい嫌」
 今度は不機嫌な顔になる。こちらとしては意趣返し程度の嫌味だったのだが、この顔は本気で嫌がっている。
 こういう顔すると、やっぱ兄妹って感じだよな。
 一応『友人』のくくりには入るだろう相手を思い浮かべれば、それとよく似た表情で目の前の娘は訴える。
「先輩は知らないでしょうけど、ご機嫌伺いとかひどいんですからね。のんびりできないじゃない」
「そりゃあ悪かったな」
 両手を軽く挙げて降参の意を示せば、彼女も矛を引っ込めた。
 仕方なくそれなりの宿を教えてやりながら思う。
 ああ、かなり面倒なことになった、と。