Vol.1「sensus impotentia」 2.引っ張り合い
ばさりとテーブルの上に資料を広げる。
それらはすべてターゲットに関係するもの。
もう一度、一から洗いなおそうとフェンネルがかき集めてきたものだ。
一応頭の中には入っているが、確認もこめて再度見直す。
ターゲットは、【塔】の魔導士ルビーサファイア。年は二十四。
師はロイック・セルフィーユ。
彼に才能を見出され、拾われた。つまりは育ての親。
セルフィーユの教育によってルビーサファイアは才能を開花させ、四年前にとうとう宮廷魔導士になる。
「まあ、順風満帆だぁな。半年前のことがなければ」
半年前、この国で大臣の暗殺未遂があった。
暗殺未遂といっても、なにかが起きたわけではない。
計画段階で明るみに出て、関係者が処分され、すべてが内々に済まされた。
一般国民はそんなことを知らないだろうし、城に勤めるものたちとて大部分が知らないこと。
その計画に、セルフィーユが関わっていたという。
「ま、真偽なんざ、わかっちゃいねぇが」
ルビーサファイアが宮廷魔導士になれたのは、師であるセルフィーユが体を患い宮廷魔導士の職を辞したからだ。
そして彼は暗殺計画が明るみに出た時点ですでに鬼籍に入っていた。真相はどうやっても分からない。
師が計画にかかわっていたという噂が出た。
故にルビーサファイアは自ら職を辞した。未練などまったくないと示すようにきっぱりと。
それで慌てたのは国のほうだ。
国王が彼女の辞職をすんなりと認めてしまったのもかなりの誤算だったのだろう。
現在もあの手この手で引き戻そうとしている。
古巣だけでなく、周辺各国や【協会】は好機ととって彼女のスカウト合戦を行っている――これが現状。
さて、この相手にどうやって交渉するか、が問題なのだが。
ぶっちゃけ、なにか当てがあるわけではない。
餌付けが効いているのか、他の勧誘員よりはフェンネルとの会話はあるほうだろう。
とはいえ、あくまでそれは日常会話程度だ。
そんなことを考えていると、嫌な声がかかった。
「オリス」
名を呼ばれ、内心を隠して振り向けば、案の定嫌な相手がいた。
ひげを蓄えた大柄の中年男性。いつも眉間にしわが寄っているのは神経質さの表れだろうか。
「ベルジュ導師」
「彼女の勧誘はうまくいっておるのかね」
「それがなかなか。先輩を始め多くの諸氏がなし得なかった仕事ですから、わたくしには荷が重いかと」
「ふん。【学院】の主席もこの程度か」
嘲りの言葉にもフェンネルはただ頭を下げる。
好きなだけ言っていればいい。
新人いびりが趣味みたいな相手に何か言っても変わることはないだろう。
せいぜい今のうちに吠えているがいい。
――まあ、そこまで強気には出れねぇんだけどな。
協会を出て、なんとなく向かったのは結局いつもの店。
あそこにいても何も得るものはないし、小言を言われ続けるのもいい加減鬱陶しい。
それにどうせ出るなら、時間は早いが夕食を済ませてしまおう。あわよくばまたルビーサファイアを捕まえることが出来るかもしれないという希望もある。
……あったのだが、釣れたのは別の相手だった。
「あ」
思わずといった様子で漏れた声に、顔を上げなければ良かったのだろう。
ベルジュ導師とは別の意味で厄介な相手がいた。
フェンネルよりも二つか三つほど年下だろう青年。
生意気そうな顔にはまったく見覚えがない。
が、黒のローブと胸元を飾る紋章。それからこの敵意の視線を鑑みれば。
「これはこれは、こんなところまで宮廷魔導士様がどのようなご用事で?」
わざと煽るように嫌味を言えば、あからさまに青年は顔をしかめた。
なんというか、ここまで感情をあらわにするようで宮廷魔導士が勤まるのかと余計な心配をしてしまう。
「まだしつこくつきまとっていたのか」
「そりゃあこちらの台詞でもあるんですがねぇ」
さりげなく相手を観察する。
やわらかそうな濃い茶色の髪。この地域に多い少し日に焼けた肌。
ざっと見た感じでは見える範囲には魔封石がないが、【協会】お仕着せのローブを着ているフェンネルに対してこの態度ということは、ほぼ間違いなく【塔】の魔導士だろう。
「まあお互い、手に入れたいと思っててもおかしかねぇな」
「ふん。元々お前たちには関係ないじゃないか。先輩には復帰してもらいたいだけだ」
「まあそうだろうな。何せ相手は二重属性だ」
フェンネルの言葉に青年の視線が鋭くなる。
魔法の属性は火・地・水・風。それから火に付属する光と地に付属する闇の計六種類ある。
属性は魔導士にとって最重要事項。なぜなら属性によって使える魔法が決まってしまうからだ。
火・地・水・風の四属性は円を描くような相関位置にあり、大抵人が持つ属性は一つ。
例えば、風属性ならば、風と両隣の火と水の三系統。
これが火属性ならば、火と両隣の地と風の他に、火に付随する光――四系統の術を扱うことが出来る。
とはいえ、光と闇に関しては曖昧な部分もある。火属性だから必ず光属性を持つ訳ではないし、地属性だから必ず闇属性を持つわけでもない。
なので、魔導士が扱える術の系統は大抵三つ、多くても四つと言われている。
そうはいっても何事にも例外があるもので、稀に属性を複数持つものや全属性持ちなんて存在も出てきたりはする。
話題のルビーサファイアは名の通り火と水の二重属性。
全属性には及ばないものの、火・地・水・風・光の五系統の術を扱える。
使える魔法の種類が多いにこした事はない。それだけで魔導士としてかなりのアドバンテージになるからだ。
そして二重属性の魔導士を宮廷で雇っているということは、他国に対するアドバンテージにもなる。
そこのところをよく分かってなかった王様のせいで、大臣連中やら将軍やら宮廷魔導士やらが大混乱しているとも聞く。
「お前たちがここにいるということは、やはり先輩はこの町にいらっしゃるんだな」
「この町にも協会支部は前からあるぜ?」
「ここ数日、ナンパを繰り返している目つきの悪い魔導士がいると聞いていたからな」
「否定はしないぜ? 協会じゃ毎日のようにじじいどもと顔合わせてんだ。食事の一時くらい麗しいお嬢さんとご一緒したいからな」
フェンネルの言葉に馬鹿にされたと思ったのだろう。青年はきつく睨み返してきた。
「お! オリス!」
そこへ飛んできたのは暢気な声。
せっかく遊べる相手が来たと思ったのにと惜しみつつもフェンネルは呼ばれたほうへ向き直る。
にこやかな笑顔に豊かな白髪と樽のような体型の主は息を上げつつもフェンネルたちの席へと近づいてきた。
「コティ導師?」
「いやいい、そのままで」
慌てて席を立とうとすると手で留められる。
「どうかなさったんですか?」
フェンネルはあまりコティ導師と面識はない。
この支部において最も話をしなければならない相手はベルジュ導師であって、この二人の導師はあまり交流がないからだ。
「いや、なんだ。明日の予定はどうなっているかね?」
「硬玉の魔女の勧誘ですが」
正直、何を言っているのだろうと思いつつも答える。
フェンネルがルビーサファイア勧誘の任務を帯びているのは周知の事実だ。
それが、彼を飼い殺しにするためであることも。
何を企んでいるのかと警戒するフェンネルの様子など目に入っていないようにコティ導師はしばし沈黙し、しばらくして手を打った。
「――よし。明日はある方の案内を頼みたい」
は?
「ある方?」
案内というのも気になるが、名前を出さないということがすごく気にかかる。
「あの方のご機嫌を損ねる訳にはいかぬからな。よいな!」
しかしコティ導師はそれだけを言い捨てて、巨体では考えられないスピードで離れていった。
文句を言う前に――下っ端の存在で言えるはずもないのだが――消えられてしまい、フェンネルとしては導師が逃げた方角をただ見送ることしか出来ない。
言われてしまったものは仕方ないと気持ちを切り替え、再度食事にかかろうかというところで鼻で笑う声が聞こえた。
視線を上げれば、生意気そうに笑う宮廷魔導士の姿。
「これで明日は邪魔者がいないな」
「せいぜい出し抜いてみせろや」
強気な言葉を不敵に返せば、予想外だったのか鼻白む青年。
見る間に不機嫌な顔になって踵を返す。その背に頑張れよと気安いエールを送ってフェンネルはすっかり冷めてしまったシチューを口にした。
細かいことはまた後で問いただすとして、名前を口にしないほどの厄介な相手の案内――か。
やっぱとっとと出世するしかねぇか。
そんなことを考えつつ、改めてシチューを注文しなおした。