かなぐり捨てて
いろいろと立て込んでいた仕事がとりあえず一区切りついて、ようやく我が家へと戻ってこれた鎮真はかなり疲れていた。
頭も体も休息を欲している。もう今日はこのまま寝てしまおうかと思っていたが。
「鎮真」
部屋に飛び込んできた愛娘にあえなく妨害された。
「どうした咲夜?」
「ちょっと話したいことが。大丈夫か?」
「もちろん。咲夜と話すのも久しぶりだからな」
少し気弱なお伺いに、一も二もなくうなずく。
彼女がこうやって頼ってくることは少ない。和真にも言えることだが、二人とも子供なのに遠慮をしすぎるきらいがある。
長くなりそうだったので侍女に茶を運ばせてから下がらせる。
どうも他人に聞かれたくない話だったらしく、そっと息を吐く咲夜。
「それで、どうした?」
水を向ければ、意を決したように見返してくる瞳。
「わたしの……わたしの、許婚は白紙になったのか?」
予想もしなかった言葉に、声も出ない鎮真。
「……咲夜、の、許婚?」
「ああ。見合い話が来ていると聞いた。いくらなんでも、許婚がいる相手に見合い話はこないだろう? だから、白紙になったのかと」
とても辛そうに言うその姿に、嫌なものを感じて鎮真は問い返す。
「咲夜は、その……許婚のことが」
みなまで言うまでもなく、頬が赤く染まる。逆に鎮真の胸中は冷える。
どこのどいつだ! 咲夜の許婚なんか許した覚えはないぞ!!
叔母上がご健在の時に決まっていたのか?!
……いや、引き取る際にそのあたりは調べつくしたし、ならば子供同士の口約束?
「でも」
考えにふける鎮真に対し、俯いたまま咲夜が漏らす。嗚咽をこらえるように。
「あいつは違う」
小さな声で、ふられたと続ける。
そっと娘の頭をなでてやりながら、鎮真はようやく気付いた。
誰が決めたもなにも、自分が決めたのだ。
咲夜はうちの和真の嫁にもらいますと。
たらいまわしにされる割に、咲夜の血筋を欲しがるものは多く、引き取るためには手段を選べなかったとはいえ。
なにも絶対に結婚しなくていい。大きくなって、本当に好きな人が出来たらその人のところへ嫁げばいいよとは言って聞かせていたのだけれど。
幼かった咲夜は疑わず、いずれ和真に嫁ぐのだと思い続けて今日まできたと、そういうことだろう。
和真も事の一連は知っているだろうが、忘れているのか、はたまた。
うーんと悩むことしばし。
「咲夜、それはちゃんと口にしたか?」
ふるふると首がふられる。
本当に好きなんだなぁとほほえましい反面、今までの成長記録が胸中をよぎる。
どこかの馬の骨にかっさらわれるのも癪だが、息子か……
「あいつは俺以上に鈍感だぞ。なにせ……国一番の朴念仁の息子だ。
咲夜がどうして怒ってるかも分かってない。絶対」
見る間に彼女の視線が冷たいものになる。
鎮真に似たのもあるだろうと問いかける視線に笑って返す。
「ふられたと思ってるなら言ってやれ。許婚に不貞を働けとは何事かと、白紙に戻すならそう言えばいいと怒ってやれ」
見返してくる顔はきょとんとしていて、けれどもすぐに納得した様子を見せる。
「ありがとう。落ち着いた」
浮かんだ涙をぬぐえば、すでにいつもの表情を取り戻す咲夜。
「ちょっと行ってくる」
宣言をして勇ましく出ていく姿を見送って、鎮真は自嘲の笑みを浮かべた。
あんな風に、何もかもふりきって、自らの思いのままに行けたなら……自身も変わっていたのだろうか。
お題提供元:[もの書きさんに80フレーズ] http://platinum.my-sv.net/
いつかの自分を重ねて、重なるわけがないと自嘲する。