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月の行方

【第十二話 漆黒の憎悪】 3.過去に囚われたものたち

 しんと静まった部屋にの空気を、イアロスの呆れたような言葉が振るわせた。
「つーこたぁ、ただの権力闘争か」
「イアロス殿!」
「それ以外になんの言い方があるんだ?」
 諌めたユリウスが口ごもる。
 イアロスの言葉は間違っていない。
 ただの権力闘争。
 そう、これは幾度も繰り返されていた権力闘争と同じこと。
 歴史の一幕や他国で起きた事ならユリウスとてそう判断するだろう。
 自身の身に降りかかってしまったものだけが違うとはいえない。
「周囲の思惑に乗せられてる部分もあるだろうな」
 同意を示すように呟くアルクトゥルス。
 彼にとっては他人事であって他人事じゃない話だ。
 上の妹の孫『明』。姉の娘……つまり姪の『導』。下の妹『現』。
 彼女ら本人の意思はわからないが、察する限りでは明は昴位を降りたがっており、導は戸惑っているだろう。そして現は継げない。少なくとも今のままでは。
「でも、どうして王子は王様にならなかったの?」
 理由が分かっている大人に向かって、分かっていないポーラが問い掛ける。
 正直この話題は避けたかったユリウスが固まるが、答えない訳にもいかない。
 なんでどーしてと答えを得られるまで問いかけ続けるだろうから。
「庶子ということもあったのですが」
「肌の色が問題になった、と?」
 いいにくそうなユリウスの言葉を継ぐアルクトゥルス。
 応えはない。だが、予想は外れてないように思えた。
 こちらも同じだから。
 他国の……他の種族の血が混ざった導を善しとせぬものは、確かに存在する。
 論破するのは容易いが、人の心まではなんともし難い。
「そうなるともう本気で国の人間が何とかするっきゃねーだろ」
 つまらなそうに、どこか拗ねたようにいうのは無論イアロス。
 面倒ごとに巻き込みやがってと顔に大書きしてある。
「それはそうかも知れんが……うん?」
 急に顔をあげたアルクトゥルスの視線を皆が追う。
 障子に映る小鳥の影。なぜかずっと同じところを飛んでいる。
 一番近かったナシラが障子を少し開けると、待っていたとばかりに室内に飛び込んできた。
 名前までは分からないが、翼も尾も混じりけのない白。
 あ、かわいいとポーラがもらす。
 しかし鳥はまっすぐにアルクトゥルスに向かって飛んでいき、鳥に向かって彼は手を差し伸べる。
 そのまま掌に乗ると思われた瞬間、鳥は姿を変じた。一通の封書に。
「すっげーな、魔法か?!」
「似たようなもの、だな」
 子供のように目を輝かせるイアロスに、苦笑しつつ答えるのはミルザム。
 正確に言えば式。ミルザムと違い、占いも暦の作成も悪霊や鬼退治もできる陰陽師たちの使う技。
 一方封書を受け取ったアルクトゥルスはすばやくその内容に目を通す。
 包みを解いて真っ先に見えた印から大体の内容は察せられたが、それでも全文に目を走らせる。
 不安や好奇の視線を感じるが、それらを一切無視して内容を確認し、丁寧にたたんで姪に向かって差し出した。
「え?」
「後で良いから読みなさい。……許しが出たよ」
「許し?」
 首を傾げつつも封書を受け取る姪から視線をそらせつつ叔父は告げる。
「仇討ちの許しだ」
「あだうち?」
「敵討ちの方が分かりやすいか?」
 はっとしてポーラは叔父をまじまじと見返す。
「この度の事は確かにセラータの問題かもしれない。
 だが、それだけならば『鬼』がでて来るはずがない」
 そこまで言って彼は瞳を和ませる。
「ちい姫はどうしたい?」
 問いかけに、ポーラは目を伏せる。
 母と一緒に暮らせるのだと思っていた。それが出来なくなってしまったことは、どうしようもなく悲しい。
 鬼を憎い気持ちもあるけど、同時に怖い。とても。
 ただ……
「知りたいです。どうして母上を……殺したのか。
 それに、アリア様が殺されるのも嫌です」
「そうか……」
 重く頷いた後に、アルクトゥルスは視線をその隣に向ける。
「助けてやってくれないか?」
「はい?」
 唐突に水を向けられて、ノクスは思わず聞き返す。
「仇討ちには助太刀が出来てな。ちい姫を助けてやって欲しい」
 そりゃ勿論ポーラには協力するつもりだが、とっさの事に答えられなかった自分が少し恨めしい。
「はい」
 多少ばつが悪く、でも真剣に応えたノクスに気を良くしたのか、鷹揚に頷きアルクトゥルスは笑う。
「二人ともとりあえず今日は下がりなさい。鬼に対峙するには色々準備も必要だからな。ナシラ、二人を頼んだ」
「はい、あなた」
 障子が閉められ、子供たちの気配が完全に遠ざかってから再びアルクトゥルスが沈黙を破る。
「さて……それでは本格的に話をするか」

 高い靴音が響いてくる。それは彼の来訪を告げる音。
 ゆるゆると目を開く。
 相変わらず視界は良好で、酷く恐ろしい。
 今までみていたようなこざっぱりとした衣装ではなく、重苦しい王族のそれを纏った彼は、重い鎖で繋がれているように見えた。
 鎖で繋がれているのは自分の方だというのに、と苦笑する。
「何を笑っておいでか?」
 問いかけの形をとっているものの、答えは欲していないだろうことは察せられた。逆光の中、彼の表情は伺いにくい。
「ご気分は如何ですか?」
 嘲る声。しかし不思議と恨みは心に浮かんでこない。
「もうしばらくの辛抱ですよ。春になれば……春がくれば開放して差し上げます。
 すべてのものから」
 そう付け足して笑う。
 醜くゆがんでしまったそれが酷く悲しい。
 昔はもっと屈託なく、邪気のないものを浮かべていたのに。
 こうしてしまった理由の多くを自分が占めていることはわかっていた。
 だが何を言い繕おうと、もう遅い。とっくの昔に、声を失ってしまったのだから。
 褐色の肌と金の髪。
 兄が何より愛しんだそれを引き継ぎつつ、その表情は変わってしまった。
「即位とともに反乱を起こしてもらいましょう。
 傷つけられて尚、禁忌の手段を持ってして国を混乱に陥れた……
 愚かな王として正義の刃により倒される。
 それが貴方の末路ですよ」
 宣言されても、たいした思いは浮かばない。
 この身はとうに死んでいるのだ。
 もしかしたらこの心すら、生かされているに過ぎないかもしれない。
「全てを奪われたんだ……その分贖ってもらおうか。叔父上」
 決まりきった捨て台詞を吐いて、セサルは姿を消した。
 牢の中の人物はそれを見届けて再び目を閉じる。
 マウロ一世と呼ばれていた存在は、塔の一室に幽閉されていた。
 世話をする者とて居ないこの空間に一人。
 だが不便はまったくなかった。
 受けた傷は勝手に癒えた。
 ――治療するものがいないから、気づかれることは無いけれど。
 食事も必要ない。
 ――元々与えられる量すら少ないのだけれど。
 このまま思考を止めてしまおうと思ったところで、何かが『いる』ことに気づいた。
 再びまぶたを上げてその存在を確認する。
 闇のような黒い肌。オーガのようなその姿。
 一つしかない目がこちらを見つめている。
 不思議と、恐怖は浮かんでこなかった。
「この国の王か?」
 地に響くような低い声。
 しかし問いかけの内容に心だけで苦笑する。
 私は、ただの一度とて王であったことはない。
 そう言おうにも声は失われ、いまや顔の筋肉さえ上手く動かせない。
「生きているのか?」
 疑わしげな問いかけ。
 確かにマウロはちゃんと『鬼』を見ているし、先ほどもセサルをみていた。
 自分の意志で動くのはこの目だけ。 
 しかし食事はおろか睡眠すら必要としないこの身。
 もはや人間とは呼べない体。
 これは『生きている』と呼べるのだろうか?
 否。『マウロ』はきっとあの時に死んだ。今はただ生かされているだけ。
 すっと『鬼』の視線が移る。
 マウロの左手。かがり火のような赤を放つ左手に。
「魅入られたか」
 ポツリとした呟き。
 上手い例えだとマウロは思う。
 きっとこの国はとっくに魅入られていたのだ。この『奇跡』に。
 これは代々王族に受け継がれるものだった。
 ただのこじ付けかもしれない。
 だが、国が栄えるたびに、王の寿命は短くなっていったように思う。
 兄が王になったときにちょっとした違和感を感じた。
 前と変わったな、と。
 だが、王になったのだから前と同じように振舞えないのは当然だし、それが普通だと納得していた。
 兄が病に倒れるまでは。
 伏せる事が多くなった兄に見舞いがてら、早くセサルを立太子として据えたほうがいいと忠告しに行ったとき――『奇跡』がマウロに移った。
 『それを手にした者が王だ』
 『逃げようと隠れようと見つけ出されて王位争いに巻き込まれる』
 『それは持ち主の命を削る』
 突然の出来事に、兄の言葉の半分も理解できなかった。
 『頼む……セサルに渡さないでくれ』
 結局、これが兄の遺言となった。
 その後王位を継いで、しばらくして出来た初めての子。
 責務もあり、会う事など滅多になかった。だから、そのままで居ればよかったのだ。
 会ってしまったことが間違っていた。
 その瞬間に『奇跡』は我が子に移り……しばらくしてまたマウロに戻ってきた。
 病に負けたと、そう告げた。
 本当のことなど話せるはずもない。
 『奇跡』がここにあると知れたらソール教が黙っていないのだから。
 そんなときにあの娘が現れた。妻の従兄であり、最も信頼する部下の一人娘。
 何の再現かと呪った。
 妻に連れられて挨拶をする幼子。それはあの日に限りなく似ていて――
 左手が脈打った。『奇跡』が移ろうとしていた。
 どうやったのかは憶えていない。結果として『奇跡』は未だこの手にある。
 きっと、移せば楽になれるのだろう。
 この命を繋いでいるものが消えれば土に還ることが出来ると思う。
「礼を、言わねばなるまいな」
 唐突に紡がれた言葉に、マウロは視線を強める。
「感謝する。我らの至宝を守ってくれたことを」
 心が読めるのか?
 言葉にならない問いかけに、鬼はしっかりと頷いた。

 すっかり日も暮れかけた山道を歩くのは刃の髪の青年。
 もっと早く帰る予定だったが、どうにも事が上手く運ばずてこずらされた。
 門をくぐってがらりと玄関を開ける。
「帰ったぞ」
 いつもなら聞こえてくる声も、出迎えもない事を不思議に思いつつも心は歩んだ。
「留守にしてるのか? まったく無用心な」
 ぶつぶつ呟きつつ、とりあえず自室に向かう。
「ミルザム、サビクいないのか?」
 応えはない。
 流石に少し用心して刀に手をかけつつ慎重に進む。
 向かう先、自室に何かの居る気配。
 刀を抜き放ち、勢い良くふすまを開けた心だが、途端にその動きを止める。
 部屋の中に、予想もしなかった人物の姿を目にして。
「留守中に上がりこんですまないな」
 言葉とうらはらに、ちっとも悪く思ってない様子で座っているのは一人の侍。
 くせのある藍鼠の髪は元服前のように一つに束ねられただけで、一見すればただの若侍。だが、少年から青年の境目にあってなお中性的な容姿と挑戦的なツツジの瞳から思い出す。
「何をしに来た、『破軍』」
「酷い言い方だな。仲間だっていうのに」
「貴様らの仲間になったつもりはない」
「仲間になったつもりはないって……」
 肩をすくめて言う『破軍』に心は嫌悪あらわにする。
 視線を動かすと部屋の隅にサビクが控えていた。
 確かに『破軍』が来たのでは出迎えにはこれないだろう。
「逆賊と話すことはない」
「ぎゃく……流石にお言葉が過ぎますぞ、心君」
 あまりの心の対応に、『破軍』は眉をしかめてみせる。
 確かに『北斗』は昴をないがしろにしている面があるから、そこを言われては返す言葉はない。しかし逆賊とは言いすぎだ。
「また邪魔をしに来たのか」
「織女星が身罷られたという噂は真か?」
 文句を連る心を遮って、とりあえず『破軍』は聞きたいことだけ聞くことにした。
「そのような噂があるのか?」
 心はつまらなそうに問い返す。そんなこと、とっくの昔に知っている。
 今更噂になったのか、と。
「……後星はさぞお辛いだろうな」
「お覚悟はされていただろう。それでなければ星家の勤めは果たせぬ」
 『破軍』の呟きに心は淡々と告げる。
「後星は勤めを理解されていると?」
「そうでなければ後星たりえぬ」
 問いかけに、キッパリとした返事。
 心の言い方に『破軍』は口を開きかけ、結局はつぐんだ。
「邪魔をした」
 それだけを言って立ち上がる『破軍』を心はとめる事はしなかった。
 気に入らない相手が邪魔をしに来た。そうとしか思っていなかったから。

 ぴょっこぴょっこと音を立てて小さな影が追ってくる。
「おーい、待てよーお嬢ー」
「……小鬼」
 呼びかけに観念したように立ち止まり、その小さな影をとっつかまえて視線を合わせて『破軍』は言い聞かせる。
「いい加減『お嬢』はやめろ。確かに昔女装させられてたが、今では破軍だぞ」
「いくらえらくなったってお嬢はお嬢だい。
 あと、オイラにはちゃんとお姫にもらった『(ふすべ)』って名前があるやい」
 その小鬼はボールに小さな手足がついた姿で、器用にえへんと威張りつつ笑う。
 呆れたのか怒ったのか、破軍はそのまま手を離すと、当然重力に従い小鬼は地面に落ちる。
 ぽよんと跳ねて転がりながらも、またすぐに起き上がって文句をたれた。
「お嬢の乱暴ものー。嫁の貰い手がないぞー」
「しつこいっ 俺は男だ!」
「オイラはちゃんと仕事したぞー、なのになんで怒るんだよぉ」
「……餅を増やそう」
「よし!」
 破軍の譲歩に小鬼は満足そうに笑ってちいさな両手を差し出す。
 仕方なく携帯食にと持ってきた握り飯をひとつやると、一口でぱっくと平らげた。
「食べたな?」
 多少脅すように言うと、目に見えて小鬼がおびえる。
「な、なんだよぉ。くれたのはお嬢だぞー」
「だからお嬢は……いい、話が進まん。
 今までの事を宮中に居る昴と姫にお話してくれ」
「お姫に? お嬢が聞きたいんじゃなかったのかー?」
 小首……というより体全体を傾かせながら聞く小鬼に答えはしない。
 代わりに指を一本立てて提案する。
「それが済んだら約束どおり、餅を十個と団子を五個やろう」
「団子! よしわかった! まかせとけー」
 再びぴょっこぴょっこと夜道を跳ねていく小鬼を見送って破軍はため息をついた。
 本来ならこうやってあやかしと交流する事は言語道断。
 むしろ宮中に行かせたなんて知れたら切腹ものだが。
 ま、今更小鬼の一匹くらい分かる訳ないだろ。
 光の強い場所というものは闇もまた濃い。
 それに小鬼が言っていたように伝言の相手は面識があることだし。
「これで借りは返せたってとこか……?」
 自分で呟いてみるものの、破軍はかなり自信がない。
 誰も聞くことない言葉を紡いで、夜道を帰る。
 『貴様らの仲間になったつもりはない』
 ふと、心の言葉を思い出した。
 確かに……少なくとも俺は仲間じゃないな。
 後星。その言葉に、心は誰を思い浮かべた?
「ま。もう俺には関係ないか」
 それだけを呟いて破軍は都へと帰っていった。