【第十二話 漆黒の憎悪】 1.ずれていく歯車
ばたばたと城内を兵士が走る。
王が倒れて間もない今、こういったことは珍しくも何ともなかったが。
謁見の間の奥、今は人払いをした王の執務室に篭り、青年はいらだった気持ちを抑えられずにいた。
鮮やかな金髪に琥珀の瞳。そして……北国にそぐわぬ褐色の肌。
彼は自分の容姿を嫌っていた。
今までの不遇はすべてこれから生ずるものだったから。
気を抜いていたとしか言いようがないだろう。
念願が叶い、これからというときに……!
「捕まえられるのか?」
「五分五分といった所だ」
揶揄するような刃の髪の青年の言葉に、彼は口惜しそうに返す。
探させている兵には、暗殺者が忍び込んだと言ってある。
見つけ次第殺す事も厭わぬと。
思い通りにいかないことが腹立たしく、つい丁寧に整えられた金の髪をいじってしまう。今までと違い、普段着の装飾がこうも増えては動き辛くて鬱陶しい。
「例え聞かれていたとしても、分かるものは少なかろう?」
面白そうな色を混ぜて問い掛けてくる刃の青年。
今回の件の協力者。彼なくしてここまで来る事は難しかったろう。
しかし、計画は最終段階とはいえまだ終わっていない。
「念には念を入れておく性分でな」
少しでも計画に不安をもたらす芽は摘んでおくに限る。
「……確かにそれも必要か」
ふむと頷き、青年が何事かを呟きかけた瞬間。
「我が行こう」
声とともに唐突に影が湧いた。
空気が変わる。
からからに渇いた砂漠のような、それでいて厳寒の地にいるような。
知らず呼吸すら止まってしまう彼と違い、刃の青年は不快そうに少々顔をしかめたのみ。
「ふん。自分の役割がわかっているようだな」
その髪と同じ輝きの冷たさをもって命令する。
「ネズミが入り込んでいたらしい。始末しろ」
「……心得た」
了承の言葉とともに、現れた時と同様の唐突さで影が消える。
それを確認して青年はそっと息を吐く。
アレは異質だ。
協力者の言葉をきくからこそ、まだこうやって安心していられるが。
物語に出てくる魔族。そう呼ばれるものと同種だろう。
「相変わらず……恐ろしいな」
心から出たと思われる言葉に、刃の青年は内心嘆息する。
この共謀者はまだまだ青い。謀とは遠い場所で育ったのだから仕方ないともいえようが。それでも『クーデターの首謀者』として担ぎ上げられた初期に比べればマシだろう。
「人は誰も皆、心に鬼を飼っているものよ」
「確かに、な」
暗い色の瞳で頷く青年。
後は終幕を残すのみ。
長年の悲願の成就を目の前にして、刃の青年――『心』は薄い笑みを浮かべた。
時刻はいつの間にやら暁降。
しんと静まった部屋に集う面々は、ミルザムとサビク。アルクトゥルスにアースの兄妹。
彼らが見つめるのは居住まいを正したカペラ。
まだ少々顔色は悪いが動作に鈍さは見られない。
皆の静止を振り切り、なんとしても伝えなければいけないこと言い張った手前、平気なふりをしているのかもしれないが。
四対の瞳に見つめられて、カペラは事の次第を話す。
ポーラが鬼に襲われた時の状況を。
特に襲うような真似はしなかった事、そして――鬼が呼んだあの名前を。
「三の姫……か」
難しそうに呟いたアルクトゥルスにアースは不思議そうに視線をやる。
アースは五人兄弟の三女だ。だから、別にその呼び方は不自然ではない。
『末っ子だから』と末姫と呼ぶ人ばかりだったのは確かだけど。
そんなことを思いながらも、自らが襲われた三匹の鬼について語る。
一本角の青鬼、二本角の赤鬼。そして一つ目の黒い鬼。
「力を得るために手段を選んでいられなかったと言っていました」
「自ら望んで鬼と化したか」
「それに私を傷つけるつもりはない、とも」
「……そうか」
先ほどから四人は苦しそうな、それでいて悲しそうな顔をしている。
だからきっと、彼らは『鬼』を知っているんだろう。
もしかしたらアースも知っているヒトなのかもしれない。
だけど……だからこそ、聞かない。鬼の正体を。
「現」
思いに沈んでいると、兄が優しく妹を呼んだ。
「はい兄上」
「ちい姫のことは兄上に任せて、お前は明の元へ戻りなさい。
……明をささえておあげ」
「はい」
反論することなくアースは返事をして、あっという間に呪を紡ぎ、その姿を消した。物分りの良すぎる妹に嘆息しつつ、アルクトゥルスは次の手を打つ。
「さてカペラにミルザム」
「はい」
「ちょっと確かめたい事があるから来い」
「む、麦の君!?」
突然の命令にサビクが慌てた声を出すが、アルクトゥルスはそちらに一瞬だけ視線をやって言い放つ。
「心にはそのままを言えばいい。それから伝言を」
すっと息を吸い、多分に苛立ちをこめて告げた。
つとめてなんでもない風を装って、堂々と城門を抜ける。
急いてしまう気持ちを宥めて、ことさらにゆっくりと歩を進めるイアロス。
アリアを助けるだけのはずだったのだが、余計な親切心を出したがゆえに厄介な事になってしまった。
追っ手はまだ来ていない。だが急がなくて良いわけはない。
顔は見られていないから普通に晒し、かわりに物々しい傭兵姿に化けた。
戦続きでもあったし、傭兵は珍しくない。とはいえどこまで気づかれずにいられるか。
そのまましばらく通りを歩き、それから街門へと向かう。
まずったなぁ。これじゃアリアを助けに戻れねえ。
小さくなった城を振り返って思案する。
どうにもこうにも、一人で事を成すにはもう無理がある。
そうなれば協力者が欲しいところ。
というか、自分の方が協力者の立場のはずなのだが。
なんで俺が一番真面目に働いてんだろうな?
今更ながらにそれに気づいて、イアロスは落ち込みかける。
が、落ち込んでいても仕方ない。
こうなったらやはりなんとかしてアルタイルと連絡を取るしかないのだが。
そんなことをのらくら考えながら、下町に通りかかったところで。
――闇が生まれた。
人間一人捕らえるのは造作ないこと。
場所を教えてやれば、兵士はすぐにさしむけられるだろう。
それでもわざわざ鬼を使ったのは『クーデターに破れた王がヒトならざるものの力を使ってまで王位を取り戻そうとしている』ことを人に印象付けたいがため。
だがそれは、クーデターを起こした人物と心にとって都合がいいこと。
鬼には鬼の目的がある。
故に、鬼は騒がれないように気絶だけさせて彼を担いだ。
この男の名は確か――イアロスといった。
琴の君の夫君の友人。
ただの伝令風情かと思っていたが、これは嬉しい誤算。
「利用させてもらうぞ」
くっと笑って、鬼は翔けた。北に向かって。
何もする気が起きない。
みんなが皆、腫れ物に触るようにポーラを扱う。
なんなのか一体分からない。
あれが最初で最後の対面になるだなんで思ってもみなかった。
かなしいのかさびしいのか、だけどどこかがぽっかり穴があいたみたいで。
縁側に腰掛けて、子供みたいに足をぷらぷらさせて庭を眺める。
すっごい雪降るなぁ。でも思ったより寒くないかも。
色のない世界を眺め続けてどれだけたったのか。
時間の経過もあいまいになってきていて。
はっとしたのは頭から数枚の桂やマントを被されてからだった。
わたわたと手や頭を動かして、なんとか服の山から顔を出しても犯人の顔は見当たらず、代わりに背中に温かいぬくもり。首をめぐらせると、見慣れない装束を着た見慣れた黒髪が背中あわせに座っている。
親切なのかおせっかいなのか、判断はつかないけれど。
えいとポーラは後ろに向かって倒れこむ。
案の定、鈍い音を立てて後ろ頭同士がぶつかった。
こちらも痛かったけれど、相手も結構痛かったらしい。
小刻みな震えが背中を通して伝わってくる。
「お前なぁ」
「先にやったのはルカでしょ」
くすくす笑いつつ、体重を預けたままもう一回軽く頭をぶつける。
突然の悪戯には仕返しを、独りにしてくれないことに感謝を。
少し浮上した気持ちが――次の瞬間凍りつく。
一切の音が消えた気がした。
雪の日は音がよく聞こえるものだというのに。
強烈な寒さに体が動かない。
この感じを、以前もどこかで。
「このような所に逃げ込んでいたか。道理で見つからぬはずだ」
空から声が降ってきた。
身を切るような冷たい声。
灰色の厚い雲を背景に、黒鬼がそこにいた。
あの日の恐怖を思い出して喉が引きつる。
「flamma!」
右手から走った声に応え、炎が鬼を一瞬だけ包んで消えた。
「邪魔をするか」
「ったく、鬼が何の用だよっ ちい姫様には手を出させないよ」
つまらなそうな鬼と、それに噛み付く幼い声。
ゆるゆると視線を動かせば数枚の札を手に、鬼を睨みつける子供の姿。
「一色家の……白哉だったか? 子供の出番ではないぞ」
「うっさいな!
年寄り連中があてになんないからボクが働く羽目になるんじゃない!」
どこか緊張感のないやりとりに気が抜けたのか、はっとしたようにノクスが動き出す。黒鬼の視線から庇うようにポーラの手を引っ張り、自らの背後に隠す。
以前より動けるのは慣れもあるかもしれない。
この鬼と同じくらい恐ろしいモノを自らは宿している。
だから、敵わないことなんてない。
キッと鬼を睨みつけるノクスの視界を赤と白が遮った。
同時に、凛とした声が響く。
「お帰りなさい。ここを汚すことは許しません」
両手を広げ、子供たちを背に庇うナシラ。
「確かにここで力を出す事は難しい、か」
一瞬痛みに耐えるような目をして鬼は指を鳴らす。
と、それに応えて何もない空間から人間が現れ、重力に従い雪へと埋まる。
使い込まれた鎧とマント。赤銅色の髪の。
「イアロス!?」
思わず叫んだノクス。しかしイアロスはピクリとも動かない。
「王妃の命が惜しくばセラータまで来い」
唐突な鬼の言葉にポーラは眉をひそめ、その意味に気づく。
まさか。
「ふーんだッ! セラータにはシャウラとシェアトがいるもんネ!」
顔色を変えるポーラと違い、プロキオンは得意げに言う。
だが。
「それがどうした? 奴らが本気で人間如きを守ると思っているのか?」
鬼の問いかけに少年は返答できない。
「ここで争うことは我も望まぬ。故にセラータに来い」
来いと言われて誰が行くものか。しかしアルタイルにしてみれば従妹を、ポーラにしてみても恩人を人質に取られている。
どう動くかと考えをめぐらせるラティオ、そしてノクス。
鬼はそれだけで彼らを動かす事は出来ないと思ったのだろうか。
「それともアルカにするか?」
揶揄するような問いかけ。そして。
決定的な、言葉を吐いた。
「母親と同じ場所で死ぬのもまた一興」
沈黙が耳に痛い。
「今、何と言った?」
悲しみか、それとも怒りだろうか。
震える声で問い返したのはアルタイル。
「まさか琴の君を」
顔を真っ赤にして叫ぶプロキオン。
そんな彼らを満足そうに眺めて鬼は嗤う。
「母娘ともども、この手にかけてくれよう」
感情任せに放たれた幾つもの魔法を難なく無力化して、鬼は闇に溶けた。
「ポーラ、あの」
おずおずと口を開いたユーラを見ることなく、ポーラは言った。
「ごめんなさい。ひとりでいたいの」
誰に話し掛けられたなんて認識してはいないんだろう。絶句するユーラの横を通り抜けて、頼りない足取りで彼女はどこかへと歩いていく。
痛々しくて、腹が立つ。
どうしてポーリーはこうも強がるんだろう。
辛い時は辛いと素直に言えばいい。
耐えられない痛みを無理に押し込めば、いつかそう遠くない内に壊れてしまう。
苛立ちと焦燥感に背を押されて、ノクスはポーラの後を追った。
まわりで何かがざわざわ言ってる。
聞き取れない言葉。
認識できない言葉。
何を問い掛けられているか分からない。
機械的に言葉を繰り返し、ただ足を進めていく。
どこへ向かっているかなんて分からないのに。
と、歩みを止められた。
「ごめんなさい。ひとりで」
言葉は途中で遮られる。
ぺちんという音と両頬に鈍い痛み。
痛み?
パチパチとまばたきを繰り返せば、すぐ目の前には深い青。
「いいのか?」
問いかけは静かに。
焦点がようやく結ばれて、その青が瞳だと気づく。
とても見慣れた顔なのに見たことのない表情。
それが不思議でまじまじと見返す。
「ひとりが、いいのか?」
声はひどく穏やかで優しくて、小さな子に言い聞かせるようにゆっくりと紡がれた。
だけど瞳は凄く怒っていて、今更ながらに叩かれた頬がじんじんする。
叩かれたせいか、それとも添えられたままのてのひらの熱のせいか。
麻痺してた感覚がどんどん戻ってくる。
痛い。どうしようもないくらい痛い。
「……だ」
頭も喉も鼻の奥も痛くって、ろくに声も出ない。
熱が離れていくのに気づいて、繋ぎとめようとしがみついた。
「やだよぉ」
独りになるのも、独りでいるのも。
せっかく会えた母上は、本当にもう会えなくなってしまった。
『今度は母上も一緒に帰りましょうね』
あのお願いは、もう叶うことは無い。
遠く、泣き声が聞こえた気がした。
まさかそんなことがあるはず、ない。
これだけ離れているのだ。聞こえるはずがない。
幻聴だ。それもすべて罪悪感がもたらすもの。
「今更だな」
自嘲の笑みを浮かべて、鬼は主の元へと急いだ。