【第十一話 希望の行方】 8.行く先をなくして
今すぐにでも城内をうろつきたがったアリアをとりあえず宥めて、まずはイアロスが先行して王を探す事だけを取り決めた。
「いいのか? 本当に出なくて」
「わたくしがいなくなれば騒ぎになります。
今はまだ……動く時ではありません」
再び格子の向こうに戻ったアリアの意志は変わらない。
アル。この貸しは高いぞー。
少しだけ親友を恨みつつ、イアロスは再び兵士のふりをして城内に戻った。
固い石の床に、ささやかな足音が反響する。
慣れない服装のせいか、彼は機嫌が悪く見えた。
「ようこそ。『協力者』殿」
「なんの。『共謀者』殿のお呼びとあれば」
揶揄を含んで言えば、同じように返される。
目の前に立つ人物は、身長も年のころも出迎えた彼と同じくらい。淡い色彩をもつセラータの民と似ているが故に、この訪問者は怪しまれる事がない。
刃のように鋭い銀の髪も白い肌も、この国にはよくなじむ。
ただしセンダンの紫の瞳はこの辺りでは見かけない色だが。
「それで此度はどんな用件で?」
「少々困った事になっていてね。お知恵を拝借したい」
何せこの訪問者は、人と同じ見た目のくせに寿命はかなりの差がある。
使えるものは使わなければ損というもの。
「だが、この貸しは高いぞ。
手違いとはいえ、先手を取られたのだろう?」
気安い請負とともに皮肉を言われて、迎えた彼は内心のみで悪態をつく。
「確かに先手は取られた。
が、私はついている……まだ駒として使えるのだから」
含みを持った発言に、刃の髪の青年が興味を示す。
「大怪我を負わされ、なおも戦を拡大せんとする愚か者。
それを討つことは十分な大義名分となる」
同意を求めて視線を向ければ、答えるように彼は笑う。
「国がおろそかならば、『鷲』は国から離れられぬ。
その娘とて、切羽詰った状況でなければ棄てることも無かろう」
いまや小国とも呼べぬほどに小さな彼の祖国。
だが、秘められた力は大国と肩を並べるほどのもの。
刃の青年が望んだ事は、『鷲』をこの国から出さぬ事。
その娘を『こちらの世界』に止め置く事。
迎え入れた青年にとって害にはならず、利用するに値する実力もある相手。
「それほどに『鷲の子』に執着されるのか?」
「まさか。疎ましいだけだ」
探るような青年を一蹴し、髪と同じ鋭い瞳で切りつける。
「大儀なしに殺す事は出来ぬし、殺されでもすれば仇を討たねばならぬ。
真に厄介な相手だ。お互い苦労するな」
その言葉に苦笑する。
ああ、確かに同じだと。
彼の今の立場では確かに王を殺す事は出来なかった。
故に大儀を何とかつくり、それを生かす間もなく『鷲』に攫われた。そのまま『鷲』が城を出たお陰で、すんなりとクーデターを済ませる事は出来たが、まだ足りぬ。
そういった意味では王の生汚さは役に立った。
さて、そろそろ最後の仕上げといこう。
暗い笑みを浮かべたままに、二人の青年は城の奥へと向かっていった。
水の冷たさが心地よい。
と、言いたいところだが。
「流石に冷えるなぁ」
軽くくしゃみなどしつつ、火鉢に炭を追加する。
禊のためとはいえ、真冬に水を浴びるのはやっぱり危険だ。
「む……じゃなかった、『雨夜』君。甘酒など如何でしょう?」
「ああ頼む。風邪ひいて帰ったらナシラに怒られるからな」
がたがた震える兄とは逆に、妹の方は特に寒くはないらしく、もらった甘酒をちびちび飲んでいる。
もっとも、女性の服は重ね着が多く、温かいのかもしれないが。
「もう少しすればカペラの目も覚めるだろう。そこで何があったか詳しく聞こう」
中身を半分のみ干して、途端にアルクトゥルスはきょろきょろと辺りを伺う。
「にしても、心は一体どうしたんだ?
もう夜も更けるというのに帰ってくる様子が無いぞ?」
「心君も屋敷を開けられる事が多いですから」
「ふむ。どこぞに心を寄せる姫が出来たか?」
あいつもいい歳だしなとかいいつつ、アルクトゥルスは立ち上がる。
「どうされました?」
「いちいち聞くな。花を摘みに行くんだ」
「あー、すみません」
うなだれる部下を軽く笑ってそのまま部屋を後にする。
向かうのはもちろん厠などではなく。
目の前には、先ほどまでとうって違って安らかに眠る女性の姿。
目覚めを心待ちにしていることは確か。
だが。
彼女が知っていたら?
ふっと息を漏らし、サビクは考える。
もし彼女が聞いていたら、知っていたら。自分はどうする?
そんなこと分かりきっている。
主の意思に反するものは始末する、誰であろうと。
そう、決めたはずなのに。
それでも一縷の望みにかけて、何もしていない。
「サビク?」
かすれたような呼びかけにギョッとする。
弱々しいながらも、視線を上げこちらを伺うカペラ。
「起きたのか?」
「ここ……は?」
「心君のお屋敷だ」
内心の動揺を悟らせないように言い募る。
「夜中だから、もう少し眠って」
「鬼が、ちい姫様を」
「分かっている、聞いた」
言うな。
それ以上言うな。
もし、お前がそれを知っていたなら……俺は。
「でもあの鬼はッ」
カペラがさらに言い募ろうとする。
止めないと。だけど口は動かなくて。
「おちつけカペラ」
その声に二人の動きが止まる。
「夜中だぞ。いくら人里離れているとはいえもう少し周囲に気遣いをだな」
説教をたれるアルクトゥルスを、カペラはぽかんとして見上げる。
「……麦の君?」
「ほかに誰に見える?
とにかく、少し落ち着いて着替えなさい。それから報告をもらおう」
「あ……はい」
「ほらサビク行くぞ。女性が着替えるんだからな」
「は」
小さな音を立てて障子を閉じられる。
「なあサビク」
冷たい板の廊下を歩きつつ、後ろのサビクにアルクトゥルスは言った。
「ここを血で汚すな」
返事はない。だがアルクトゥルスは続ける。
「国が不安定な今、求心力を求める気持ちは分かる。
ちい姫を拒むのは若輩故ではないことは知っているが、理解はせぬ。それを言うなら遅すぎることだ。知っての通り、五代目の時に混血の事実が有る」
自分はもう星家の者ではない。だからこそ自由にものが言える。
息を呑むかすかな音も、戸惑うような気配もすべて無視をして、アルクトゥルスは言いたいことだけを言う。
結局なんの返事ももらえなくても。
星が一つ、空を流れた。
何もする気が起きなくて、その内に叔父は出かけてしまった。
父もずっとふさぎこんだままで、何をしたら良いか分からない。
誰かさんを習って星を読んでみようと思い立ったけど、基本を知らないから読む事なんて出来なくて。
吐き出した息は白い。思い出したように寒気もやってくる。
暗い表情のまま、ポーラは眠りについた。