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月の行方

【第十話 取り戻したい時間】 6.不思議なお話を

 緊張か、誰かがつばを飲み込む音が妙に大きく聞こえる。
 しかし扉は開かず、中から人が出てくる気配もない。
 もう一度ノッカーを鳴らしてみるが、反応はない。
「……留守ってオチか?」
「いや……どうだろう?」
 後ろでこそこそ聞こえる声に同意したい気もするが……どうしたものかと考えるノクス。
「うちに何か用かな?」
 聞こえた声にはっとする。
 声の主は建物の横手からひょっこりと顔を出して、こちらを伺っていた。
 飴色の髪に少し白いものが混じっている中老の男性。
 肩には清潔そうな白い布。手にはハサミと数本のユリ。
 その男性は来訪者達を順繰りに見やって、ノクスに視線を止める。
「もしかして……ノクティルーカ王子、ですか?」
「……ええ。お久しぶりです……イエール伯父上」
 あまりに意外な呼びかけに、脱力するやらなんやらで口を開けないユーラ。
 自身もそう呼ばれる事をなんだか意外に思いつつ、ノクスは応えた。

 色々と聞きたいことはあっただろう。
 だが、イエールはまずノクスたちに着替えを渡した。
 確かにこの格好ではまずいと、案内された水場で体の汚れを洗い流し、借り物の服に袖を通す。少々サイズは大きいものの、不恰好というほどではない。
 それから教えられていた居間へと向かう。
「本物か?」
「……まだ判断しかねるな」
 短いラティオの問いかけに、言葉を選びつつノクスは返す。
 なんといっても二言三言しか話してないし。
 武器を取り上げられなかったのは、彼が本物だからか。
 偽者だったとしても、それくらい余裕があるのか。
 そんな風に思っていると、一転してラティオの声が明るくなる。
「やあユーラ。その服良く似合うね♪」
「うるせーッ」
 借り物だから仕方ないのか、嫌そうにスカートを握り締めるユーラの姿。
 不機嫌なのか照れているのか、傍目から見ても真っ赤。
 そんな彼女の様子を苦笑して宥めているポーラも、淡い水色のドレスを着ている。
「へぇ」
 思わず洩れた声に、不思議そうにポーラが此方を見返す。
「いや。スカートなんて久々に見たなって」
「旅には不向きだもの」
 そういって笑うポーラに、ノクスも笑い返す。
「でも……ここ、本当にウールかしら?」
「それなんだよなぁ」
 なんだかのほほんとした空気に、現状を忘れてしまったものの、こんな大問題を無視する訳にもいかない。
 ……約二名ほど、それを無視してほのぼの空気を撒き散らしているけど。
 とりあえず教わったとおりに居間へ足を進めると、ほのぼの空気はそのままにラティオとユーラもついてきた。
 頑丈そうな桧皮色の扉を開けると、簡素な居間が広がっていた。
 所々に刺繍の入ったテーブルクロスがひかれた頑丈そうなテーブル。
 その中央には先ほどイエールが持っていたと思しきユリが花瓶に生けられていた。
 椅子は全部で六脚で、丁寧に使い込まれている感じがある。
 時間をおかずに、ノクス達が入ってきた扉とは反対側の小さな扉から、イエールが盆を携えて入ってきた。勧められるままに席に着くと、彼は人数分の小ぶりの椀をテーブルに置き、茶を注ぐ。
 濃さが一定になるように順繰りに回しながら注がれる茶を、そのしぐさを注視する。
 毒を盛られるかもしれない。
 彼が偽者だとしたら、それは十分ありえること。
 しかしどうぞと勧められて飲まない訳にもいかず、軽く口をつける。
 さっぱりとした味わいで、どこか懐かしいような気がした。
 他の様子を伺えば、ポーラも何か歯痒そうな表情で、ラティオは……完全にお茶を楽しんでいるように見えるのは気のせいだろうか?
「ところでルカ」
 呼ばれて顔をあげる。
 最初、小さいころのように愛称で呼ぶ事をイエールは不敬にあたるといって拒んだ。
 しかしノクスに伯父と甥だし、少なくともここにいる間はと頼み込まれて、しぶしぶ普通に話すことを了承した。
「久しぶりに訪ねてきてくれたのは嬉しいが、どうしてまたあんな格好で?」
 当然とはいえ痛いところをつかれて口ごもる。
「ちょっとやっかいな相手と戦って……」
「命があっただけでも儲けものですよ」
 さらりと後半を補ってラティオがにこやかに言う。
「失礼。私はソール教会の司祭でウェネラーティオ・フィデスと申します」
「これはどうも……イエール・モアです」
 軽く会釈したイエールに対し、ユーラも立ち上がって騎士の礼をする。
「ユーラ・レアルタです」
「ポーラ・ルーチェ・トラモントです。初めまして」
「初めまして。アルのお嬢さん」
 柔和な笑みで話し掛けられてポーラはイエールを見返す。
 そんな彼女に、とっておきの秘密をばらすようにイエールは笑う。
「子供のころは三人でよく遊んだんだよ。アルタイルと私と妹とね」
 甥以外の三人の顔に納得の色が浮かぶのを見て満足そうな笑みを浮かべる。
「戻ってきたという事は、修行は終わったのかな?」
「そ……れは、その。まだ」
 つついてほしくないところばかりつつかれるが、応えない訳にもいかず、視線を逸らして返すノクス。
 自分で修行が終わったと思ったなら戻ってきていいってことになってるけれど、大抵は皆何かを成して戻ってくる。
 特に王家に近いものは尚更手柄を立てないと、決まりが悪くて帰ってこれない。
「まあ、ルカはまだ十五……もうじき十六か?」
「あ、はい。あと二十日くらいで」
 応えつつ思う。
 一年って早いなぁ。
 十六になるってことは、ポーリーと再会して一年近く経つってことで。
 『奇跡』を押し付けられて一年経つということでもある。
「なら、何も急くことは無いだろう。……その気持ちも分からなくはないが」
 言いつつイエールは一瞬だけ視線をポーラに向ける。
 皆して俺をからかうんだなっ!
 少々うろんな目で見ると、話はこれまでと言うかのようにイエールは立ち上がった。
「疲れているだろうから、今日はもう休みなさい。
 私一人だから大したもてなしはできないが」
「お一人なんですか?」
「妻には先立たれていてね」
 悲しそうな笑顔でそう言って、深い息をつく。
「私は生まれつき丈夫ではなかったから、先に行くのは私の方だと思っていたものだが……世の中は分からんものだ」
 しみじみとした彼の言葉に、なんと言って良いか分からず落ちた沈黙。
 それを破ったのは勢いのいいノッカーの音だった。
「……今日は客が多いな」
 不思議そうに言いながらもイエールは来客を迎えにいこうとして、それよりも早く扉の開く音がした。
「伯父上下がってください!」
 扉を勝手に開けて入ってくるなんて普通の事じゃない。
 甥の言葉に、素直に下がるイエール。その代わりにユーラが前に出る。
 乱暴な足音は一つ。だけど油断は出来ない。
 剣を握りなおした瞬間に、居間の扉が乱暴に開かれた。
「突然で悪いが邪魔するぞイエール!」
 一方的に宣言して入ってきた人物は、灰色のローブにフード。
 そこからこぼれる髪は、人では持ちえない紺色。
 乱入者と、迎え撃つはずだったノクスたち。双方の動きが止まる。
「ノクティルーカ?」
「ミルザム?」
「「何でこんなとこにいるんだ?」」
 混乱してしまった一同を眺め、おかわりと追加分のお茶を淹れるべくイエールは台所に向かった。
 
 立ち上る湯気。
 湯飲みを近づけると、独特の甘い香りが鼻先をくすぐる。
 一口含み味を確かめる。
 この茶葉は渋みが少なく飲みやすい。その上この鮮やかな水色。
 緑茶の中でも十分『高級』の部類に入るこれは、茶好きのイエールへの手土産だったのだが。
「……にが」
 明らかに渋面を作っている少女をみると、味が分からん奴が飲むなとか文句言いたくなる。全員に茶を供してからイエールは立ち上がった。
「では後はご自由に」
「いいのか?」
「いいもなにも」
 悪いと思う気持ちと、助かったという気持ち。
 その両方を浮かべる旧友に、困ったように笑いかける。
「私がいると困るんだろう?
 巻き込ませたくないと思ってくれているのに、その行為を無下にすることは出来ないさ」
「……すまない」
 気にするなと言って部屋を後にする、この家の主。
 扉が閉まり、足音が完全に消えてから、ミルザムは床に額をつける勢いで土下座した。
「ミ、ミルザムさん?!」
「申し訳ございません!!
 姫の御身を危険に晒し、今の今まで所在を掴む事も出来ず」
「いえ、その……じゃあここって本当にウールなんですか?」
 ポーラの問いに、心持ち頭を上げるミルザム。
 質問の意味を図りかねているようなので、ノクスが助け舟を出す。
「俺たち、昨日はツァイスに……それもレリギオに近いところにいたはずなんだけど」
「そこのところ、もっと詳しく聞かせてくれるか?」
 一も二もなく頷いて、事のあらましを伝えた。

 沈黙が降りた。
 一連の話を聞いてミルザムは黙り込んだまま、険しい表情をしている。
 鬼はポーラに『上意により都に来い』と言ったという。
 鬼を操る何者かが、ポーラを都に連れてきたがっているということか。
 沈黙に飽きたのか、ラティオが問い掛ける。
「ミルザム。サビクはどうしてるんだ?」
「は、彼は……仲間の看護を。こちらでも鬼の犠牲者がでまして」
 嘘ではない。サビクは鬼にやられたカペラの看病をしている。
 ただ、誰がいつどこで鬼にやられたかを言わないだけで。
 影ながらの警護といってもそれはある意味尾行だ。快く思われないだろうし、知られてしまって撒かれても困る。
 鬼に襲われて命からがら逃げた。
 誘導されるように一箇所だけ無防備だった街門から出ると、翌朝ウール近くにいた。
 わざわざ空間をゆがめるなら、街門をくぐれば即都につくようにすることなんて簡単だ。
 なのに、それをしなかった理由は?
 鬼はポーラをウールに近づけたい理由でもあったのか?
 それとも、あの街から離したかったというのだろうか?
「しかし、何のために?」
「占ってないのか? ミルザム」
 ノクスの問いかけに、ミルザムは途端に嫌そうな顔をする。
「どういうわけか、連日曇り続きでな。星が見えなければどうしようもない。
 だからこうやって自分の足で情報を探しに来てるんだ」
 はぁと忌々しそうに息を吐かれてはノクスも黙るしかない。
「それはそうと……北の姫はこれからどうなされるおつもりですか?」
「父上にお会いしたいのだけど……セラータにいらっしゃるのでしょう?」
「アルタイル殿ですか」
 分かっていた事だけど、腕を組んで思案するミルザム。
 きっとこの姫は詳しいことは何も知らない。
 知らせるならばアルタイル本人からの方がいいだろう。
「仲間がアルタイル殿とご一緒のはずですから……連絡をとってみましょう」
「本当?」
「はい」
 ぱっと明るく笑ったポーラに笑いかけるミルザム。
 その後は和やかな空気のまま、夜はふけていった。

 翌朝イエールの家を辞して、ノクスとポーラは防具を選びに、ラティオとユーラは武器と必要品を買いに出かけた。
 その間ミルザムは荷物の見張り番を請け負いつつ、実は苦手なプロキオンに連絡をとっていた。
「という訳なんですが」
『なるほどねぇ。お気持ちは十分すぎるほどに分かるけど』
 疲れた声で同意して、プロキオンは言い募る。
『こっちだって今忙しいっていうか大変なんだからね』
「それは十分存じております」
 下手に下手に。
 自分に言い聞かせつつ、ポーラの心情とかそう言ったのを言い募ったせいか、向こうはようやく折れてくれた。
『確かに、いつまでもこのままって言うのもねー。
 ……仕方ない。麦の君のとこにお邪魔しよっか』
「良いのですか?」
 あまりに意外な場所を出されて、驚きよりも不信が勝ったミルザムに対し、なんでもない口調で相手は返す。
『一番安全なとこだよ。じゃ、そーゆーことで!』
「ちょっ プロキオン殿?!」
 一方的に通信を打ち切られたものの、確かにこれ以上話すことは無いかと思い直し、水晶球を懐に収める。
 そこへ、タイミングを見計らったかのようにノクス達が帰ってきた。
「お。馬子にも衣装だな」
「褒めてないぞ、それ」
 新品ぴかぴかの防具をさしてのからかいに、当然の如くノクスはムッとして返す。
 動きやすいながらも結構着込んでいるその姿に、北を目指す事を前提にしていることが伺える。
 丁度良いかと思いながら、ミルザムはまず提案の形で道を示す。
「北の姫。この機会に叔父上にお会いされてはどうでしょう?」
「叔父?」
「母君の二番目の弟君ですが……お聞きしてませんか?」
「そういえば……聞いたような」
 アルカでの母の言葉を思い出しつつ応えるポーラ。
「ならばそこに向かわれてください。お父上も追いつかれるそうです」
 その言葉にはっとしたように顔をあげて、思い切り頷く彼女を微笑ましく見守って、今度はノクスに向き直るミルザム。
「地図に『社』って書いてあるから、そこを目指せ」
「ミルザムはこないのか」
「俺も俺で仕事があるんだ」
 最初から当てにしてなかったけどなどと呟く弟子を、軽く小突いてからフードをかぶりなおす。
「では私はこの辺で。またお会いしましょう」
「ミルザムさんもお元気で」
「またな」
 軽く手を振って城へ向かっていくミルザム。
 ユーラとラティオが合流するのを待って、また四人の旅は始まる。