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月の行方

【第七話 時代は繰り返す】 2.私のことを忘れた人へ

 冷たい水が心地よい。
 思いきり泣いたらなんだかすっきりした。
 その代わり、まぶたはちょっとはれぼったいけれど。
 雫を布でふき取ってほぅと息をつく。
 すっきりしたのは良いけれど、どうにも顔を会わせづらい。
 言うまでもなく、ノクスのこと。
 それでももうすぐ夕食で、会わないわけにはいかない。
 お夕飯を抜いてしまうのはちょっと辛いし。
 人前で泣いちゃうなんて情けない。こんな事無かったのに。
「そでもないか」
 呟いて苦笑する。
 アースがいた頃はほんとに泣き虫で……それは今も変わらないけれど、よく泣いてたと思う。
 それでよく困らせてたっけ。星が大好きな幼馴染を。
「ルカ」
 名前をそっと口にのせる。
 楽しい思い出が多いあの時期。懐かしいけれど、酷く淋しい。
 もともと人の顔を覚えるのが苦手なポーラは、その面影を思い出すのにも苦労して。
 どんな風になってるかな。エルにいさまみたいになってるかしら?
 黒い髪で深い青い瞳で……
 そこまで考えてふと気づく。
 ああそっか。
 何で今まで気づかなかったのかと思うけれど。
 知らず笑みを浮かべて、ポーラは食堂に向かった。

 いつもの如くルートを取り決めながら食事をとる。
 メニューは大して変わることなく、パンにチーズに豆のスープ。
 もっぱらルート選択をするのはユリウスで、たまにノクスが疑問点を聞くだけ。
 そんないつもの状況のはずなのに。
 さっきから視線を感じる。
 地図を見つつも時折顔をあげると、相手――ポーリーは見返してくるだけ。
 なんなんだ、一体。
 さっきからずっと見てるくせに、目が合うと不思議そうに見返してくる。
「どうしたんだ? ポーラ」
「うん。ちょっと……」
 ユーラの問いに口ごもりつつ答えるものの、ポーラの視線は動かない。
 じっと見られると居心地悪いんだけどな。
 口に出す事はせずにパンを一口。
 一体なんなんだ? 俺何か……いや、泣かせたかもしれねーけど。
 それにしては恨んでるとか怒ってるとか、そういう感じじゃあないし。
 もしかして。ようやく気づいたとか?
 そんなことを思っていると、ユーラが少しトーンを落とした声で問い掛けてきた。
「……なんだか傭兵が多くないか?」
「確かに」
 ユリウスの応えに、ノクスも目線だけを動かしてみる。
 規模としてはそこそこの大きさだが、首都が近いとあって活気のある町。
 食堂に居るのは確かに傭兵風の人間が多かった。
 よく手入れされたバスタードソードを持った者や魔導士風の壮年の男性。弓の手入れをしているもの。
 この時期に旅を続ける者は多くない。これから訪れるのは本格的な冬。
 寒さと戦いつつも旅をするのは、それをしなくてはいけない者だけ。
 普段は傭兵家業をしていたってこの時期はどこかの町を拠点にして、そこから動かない者が圧倒的に多いというのに。
 傍らに置かれた荷物から、ここに居る多くの者は流れの傭兵だと察せられた。
 同意と疑問を口に乗せようとした瞬間、懐かしいのんきな声がした。
「ま、そりゃあ戦が始まるとあっちゃあな」
 いつの間に近づいてきていたのか。
 暗色のローブに身を包み、立っていたのは一人の青年。
 フードから僅かにのぞく紺色の髪。紫の瞳が楽しそうに細められている。
「誰」
「ミルザム?!」
「ミルザムさんっ?!」
 ユーラの誰何に応えるのは二つの声。
 って?
 思わずきょとんとしてもう一つの声……ポーラの方を見るノクス。
 ポーラは本当にびっくりしたという顔でミルザムを見ている。
 ……俺は分かんなかったくせに。なんか面白くないし悔しいのは気のせいだろうか?
「おっと。これはこれは」
 大仰に驚いてミルザムは深く頭を垂れる。
「お久しゅうございます北の姫。憶えていてくださったとは光栄の至り」
 敵意がなさそうだと判断してユリウスは剣をおさめる。ただし、いつでも抜けるように準備は怠らない。
 逆にユーラは拍子抜けした顔で友人に問い掛ける。
「え。ポーラ、知り合いか?」
「うん。アースと一緒にアージュに居た時に」
 すんなりと応えるポーラ。相変わらず彼女は不機嫌になっていくノクスに気づかない。
 ひょいと顔を上げてミルザムは嬉しそうに微笑む。
「小さいころの姫様もお可愛らしかったが……本当にお美しくなられて」
「え? あ、ありがとう?」
 お若い頃の母君に良く似ておられますといわれてポーラは困惑しながらも返す。
 正直母に似ているといわれても……その母の顔を覚えていないのだから少し困る。
 似ているといわれるのは嬉しいけれど。
「ふむ……わたくしの言葉では納得されませんか」
 そんな彼女の反応をどう思ったのか、顎に手を当ててなにやら考え込むミルザム。
 彼の視線が少し彷徨い、かつての弟子を認めて楽しそうに瞳が笑う。
「ノクティルーカもそう思うよな」
「は?」
 急に振られて思わず問い返すと、大きなため息をつかれた。
 ……何度も思うが、俺がなにをした?
「のくてぃるーか? ノクスってそんな長い名前だったのか」
 ふーんとか感心するユーラと違い、その反応が気に食わなかったのかミルザムは大股でノクスに近寄り、その額を軽く小突く。
「てっ」
「こらこらノクティルーカ。図体ばかり大きくなってどうする?
 女性を褒めるのは基本中の基本だぞ。
 久方ぶりに会った幼馴染に何も思うところはないのか?」
「「え」」
 二つの声があがった。
 一つは無論ユーラのもの。そしてもう一つが。
「えって……?」
 我ながら元気の無い声だと思うけれど。
 止まってしまった思考の中で、妙に冷静に突っ込みを入れる自分が居るのを感じて何故か淋しく思うノクス。
 そう。気づいてくれたかなーとか思っていた幼馴染は、不思議そうに自分を見ている。
「幼馴染って、ポーラそんな事一言も言わなかったじゃないか?!」
「え? だって『ノクス』なんて名前知らないものッ」
「ノクスじゃなくてノクティルーカ殿ですよ、ポーラ様」
 噛み付くユーラに半ば叫びつつ応じるポーラ。
 ユリウスの訂正を聞いているのかいないのか……いないんだろうな。
 にしても……『知らない』とか言うか。
「ノクティルーカですよ、北の姫っ アージュで一緒に居たでしょう?」
「え? ええ?」
 何とか思い出させようとするミルザムの言葉にも困惑するポーラ。
 そっか。こいつにとっては俺ってその程度の存在だった訳だ。
 そう思うと、知らず口を開いていた。
「へえ。今までまったくこれっぽっちも気づかなかった訳だ?」
「えっと、ノクス?」
 自分で言うのもなんだけど、不機嫌丸出しの声。
 おどおどと返す彼女をキッと睨みつけてしまう。
 再会してすぐに分からなかったのは……まあ仕方ないとしよう。この際。
 でも、一緒に旅して二ヶ月。その間まったくちっとも気づかなかったとはどういうことか?
 文句をいいたいけれど、言ったら言ったでなんだか悲しくなりそうなので、大きく息を吐いてそのまま席を立ち、部屋へと戻るべく歩き出す。
「ちょ、ノクス?」
「ごちそうさま。寝る」
 かけられた声に短く返してノクスはそのまま歩いていく。
「北の姫、アージュの幼馴染って人数少ないでしょう?
 五年も一緒に居たんですから……ちょっと流石にノクティルーカが不憫です」
「えーっと。アージュで一緒で男の子って」
 心底かわいそうなものを見る目でノクスの背を見つめるミルザムの言葉に、ポーラは懸命に思い出そうとする。
 だってノクティルーカって、そんな長い名前の人。
「ポーラって人の顔覚えるの苦手だもんな」
 何故か納得したかのように言われて意識がそれそうになるけれど、元々アージュでの知り合いはそう多くない。
「ルカとエルにいさまとレイと。
 ノクティ……ルカ?」
「もうちょっと早く気づいてくださいポーラ様」
「ほんとに? ルカ?
 ちょっとなんとなく似てるかなって思ったりしたけど……本人?」
 疲れたように言うユリウスと項垂れるミルザムに慌てて確認を取るポーラ。
 こくんと頷かれてざっと顔を青ざめさせる。
 ああもう。何で自分はこうも。
 自分のもの覚えの悪さに情けなくなるけど、今は落ち込んでいられない。
「待ってルカッ」
 叫んでノクスの後を追うポーラ。
 今回ばかりはユーラも止める事はしなかった。

 階段を上り終えたところでその声が背中にぶつかった。
「待ってルカッ」
 ようやく思い出したか。
 でも今まで綺麗さっぱり忘れ去られていた事が悔しくて、ノクスはそのまま呼び声を無視して廊下を行く。
「ルカ待ってっ」
 だんだんと声が近づくけど、こうなったら意地だ。絶対振り向いてやらない。
「待ってったらっ」
 声と同時に左腕が引っ張られて、嫌な音を立てて布がちぎれる。
 あまりの事に振り向けば、あわれ服は肩口が丁度裂けるように破れており、その袖口をポーラの手が掴んでいた。
「あ……」
 目が会うと、彼女はさあっと顔を青ざめさせて。
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいーっっ」
 そうやって謝るものの、ノクスの服を離そうとはしないポーラ。
 対するノクスはあまりの事に口も聞けない。
 力強いのは知っていたけど、服破るか?
 あ、でもこの服も結構長く着てたし……傷んでたんだよな。うん。
 ノクスが呆然としている間もずっとごめんなさいを繰り返し、頭を下げ続けるポーラ。
 ため息ついてノクスは口を開く。
 やっぱり自分は彼女に甘いのかもしれない。
「もーいいって、丁度良いから新しいのを」
「せめてお詫びに繕うからっ」
 ノクスの言葉を遮って必死の形相で言うポーラ。
「……は?」
 思わず問い返した彼に彼女はこう言い返す。
「脱いで。服頂戴!」
 脱げと? 服を? ここで?
 目を点にするノクスに構わず、ポーラは彼の服を引っ張り脱がせようとする。
「ちょっ まて! ひっぱんなッ」
 正気を取り戻したノクスがそれを阻止しようとするのは当然のこと。
「このまま縫っちゃあぶないもの。だから早く服ちょうだい」
 だというのにポーラは手を離すことなく、まるでむずがる子供を宥めるような口調で言う。そう、まるでアースのように。
 そんな風に言われるとなんだかこっちがおかしいような気がしてくるが、宿の廊下なんて場所で女の子に服を脱がされるっていうのはおかしい。絶対おかしい。
「早く脱いでったら!」
「だから引っ張るなッ また破けるだろ!」
 結局の所、後で必ず持っていくという事に落ち着くのはこれからしばらくたっての話。
「なんて言うか……」
「ベガ様のお子と言うか……」
「丸聞こえだぞポーラ……」
 階下で仲間が頭を抱えていた事を、二人は知らない。