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月の行方

【第六話 神の啓示】 5.静かな眠りを

 ゆらりゆらり。
 先程から感じる心地よい振動。
 だから、離されそうになった時に必死にそれを拒否した。
 ここは暖かい。すごく安心できる。
 まるで昔……まだアースがそばにいてくれたときのように。
 ぼんやりした意識でポーラは思う。
 暖かいこのぬくもりを離したくない。
 時折耳が拾う音は、決して安らかなものではない。
 ここから、まどろみから覚ませようとする声。
 起きなきゃいけないことは分かっている。それでも、このまどろみは心地よくて。
 後少しだけ。本当に後少しだけ、このままでいたい。
 不安な事は多くて心配な事は多くて。
 起きたら、目が覚めたらちゃんとそれに立ち向かうから。
 だからもう少しだけ、このまどろみの中にいさせて欲しい。
 そしてポーラはそれを逃さぬように腕に力をこめた。

 ……なんだかまた力が強くなった気がする。
 一旦立ち止まり、ずり落ちそうになった荷物をよいしょと背負いなおして、ノクスはまた足を進める。
 空は憎たらしいほどの快晴。
 いつも先頭を行くユリウスは今日は殿を勤めている。
 先頭を行くのは子供達三人。
 項垂れたままに歩むノクス。
 斜め後ろから彼に射るような視線を送っているのは無論ユーラ。
 残るポーラはというと、自分の足で歩くことなくノクスの背中で未だに熟睡している。
 あの後結局ノクスの硬直はとけることなく朝を向かえた。
 二人の姿を見てユリウスはあきれ果て、ユーラは大騒ぎをした。当然だが。
 しかしそれからが問題だった。
 女子供の力と思うなかれ。 『彼女』達はむやみやたらと力が強い。
 それに寝ている人間を動かすというのはかなり骨の折れること。小さな子供ならまだしも、自分と同じくらいの体格の人間を動かすとなると大事。
 離そうとすればするほどに強く抱きつかれて、終いには首にしがみつく形になって。結局はこうやっておんぶをすることで決着がついた。
 それにしたって苦労はあって、野営の場所を離れたのはかなり日の登った後の事だけれど。
 ゆっくりゆっくりと道を歩いているものの、それでも道は悪いからかなり揺れているはずなのに……ポーラは一向に目を覚まさない。
 ため息を飲み込んで、ノクスはなるだけ気をつけて足を運ぶ。
 思い出すのは昔ミルザムが恨めしそうに言った事。
 『頼むから星読みに行ったまま塔で寝るな。
 風邪ひかないかも心配だが、子供とはいえ二人を運ぶのは大変なんだぞ』と。
 思い返してみれば、塔で眠ってしまった次の日は、必ず隣にポーラが寝ていたし、眠ったままなのにアースにしがみついて離れなかった彼女を見たこともある。
 息を吐いて余計な考えを打ち消す。
 獣道も多少マシになってきたとはいえ、足元は草がよく生えている。
 足を滑らせでもしたら洒落にならないし。
 ……首に回された腕の感触とか香の香りとか体温は極力気にしないようにする。
 完全に意識のない人間を運ぶというのはかなりの重労働だし、ノクスはまだまだ成長途中。弱音を吐くわけじゃないけれど、落としちゃいけないという緊張もあるし単純に嬉しいとかそういうわけにはいかない。
「変なこと考えてみろ。たたっきるからな」
 視線だけじゃ足りないのか、こうやって時折脅しをかけてくるユーラも鬱陶しい。
 だけどそう言いたい気持ちは分かる気がする。
 いくらなんでも気を許しすぎだろ?
 相変わらず眠ったままのポーラには呆れるしかない。
「そう思うなら起こせよ」
 うんざりして返しても聞き流されて、より鋭い視線を食らう羽目になる。
 それはそれとして、こうも起きないと少し心配にもなってくる。
 昨夜のあの豹変振りは異常だ。まるで何かに憑かれたかのようだった。
 精霊とか……それこそ神などの言葉を聞く巫女はそういうことがあるというけれど、もしかして彼女もそうなんだろうか?
 それはすごく負担になっていて、目を覚まさないのだろうか?
「こいつ普段からこんなに寝汚いのか?」
「ンなことねーよっ むしろ呼んだらすぐに起きるぞ!」
「……そっか」
 やっぱり負担になってるのかと判断して、それなら仕方ないかと諦める。
 疲れているのに起こすのは忍びない。
 そう思うけれど、悪路のせいで少々腕が疲れてきたのは事実。
 そんな風に思っていると、首に回された腕が僅かに震えた。
「ぅ?」
「ポーラ起きたのか?」
 小さなうめきに、先程とは打って変わって優しく語りかけるユーラ。
 ようやく起きたかとノクスは足を止めた。

 親友の呼びかけにポーラのまぶたが震えて薄く開かれる。
 最初に目に入ったのは自分の腕。
 声のするように首を動かせば、どこか心配そうな友人の姿が目に入る。
「ポーラ?」
 まだぼぉっとした感じのポーラに、再度ユーラが呼びかける。
 回らぬ頭で何とか状況を把握しようとしているのか、ふらふらと微妙に頭を揺らしながらもポーラは首をめぐらせて周囲をうかがう。
 今居るのはどうやらどこかの森のそば。ユーラは見えたし、ユリウスの声もする。
 再三ユーラが呼びかけてくるものの、それは耳を素通りする。
 そうしてようやく自分の状況に……背負われている事に気がつく。
 ああ、それで暖かかったんだ。
 まだどこかぼやけた頭でそう思う。
 そういえば、おんぶされるのってすっごく久しぶりかも。
 父でも母でもなく、その思い出はアースとのもの。それだけのはずなのに。
 こんな風に間近で黒髪を見たことがあるような気がして首をひねる。
 先程から何度もユーラに名前を呼ばれているけれど。
 それでも睡魔には勝てなくて。
 だってこんなにぐっすり眠れたの、久しぶりだし。
 もう少しだけ寝かせてもらおう。
 そう決めて、知らぬ間に緩んでいた腕にしっかりと力をこめる。
「おい?」
 不審そうな少年の声に応えるかのように、彼の肩に頭を預けてポーラは再びまぶたを閉じた。
「ポーラッ」
「ああもういい加減に起きろ~ッ!」
 二人の絶叫にも彼女が目を覚ます事はなく、結局ポーラは昼まで熟睡した。

 青い空に映える白い色。黄色い砂地にも映えるその色。
 不毛の地にしっかりとその存在を示すのは、宗教国家レリギオの首都アルカ。
 その中央に位置する白い白い荘厳な神殿。
 そこは珍しく人があわただしく行き交っていた。
 ただの神官だったり聖騎士だったり……いろんな人が。
 その様子を見てラティオは皮肉気に呟く。
「随分とにぎやかな事だな」
 それが聞こえたか、すれ違いかけた神官が露骨に不快そうな視線を向けてくる。
 しかしラティオの顔と衣装を確認して、目礼するだけで去ってしまった。
 そう。平神官が意見できるはずもないと思ったのだろう。
 ラティオが纏う白いローブは司祭用のもの。
 それでなくても彼のその赤い髪は目立つ。母譲りの……鮮やかな赤い髪。
 それが彼の出自を示す。彼を今の地位に押し上げた理由。
 憂鬱な気持ちを振り切って、窓から中庭を見下ろす。
 整然と並んだ『正義』を振りかざす神官達。
 これから各国に入り込み、『奇跡』を探す者達だという事は先程聞いた。
 なんとしても『奇跡』を手に入れろと……『神託』が下ったことも。
「……『奇跡』か」
 実物をこの目で見たことはないが、それは本当に『奇跡』なんだろうか?
 アースがそれに疑問をもっていることを知っている。
 ラティオが知るただ一人の……『奇跡』を守る宝石の魔導士。
 とはいえ、アースを教会に売るつもりはまったくない。
 神が人に授けたというが、それは本当に神か?
 疑いを持ってしまえば消す事は容易くない。
 ベガの言葉を信じるなら、教会の謳う言葉を信用などできるはずがない。
『お前の祖父の名は……』
 そう言ったときの母の顔。それが、嘘だとは思えない。
 母の言葉を肯定するようにベガも似たようなことを言った。
 真実を確かめる術はない。
 今は、まだ。
 窓から離れて自室に向かう。ベッドの上には荷造りを終えた鞄が一つ。
 今日下った命令で、ラティオは他国に派遣される事になった。
 名目上はその地の教会の監査。真実は、言うまでもなく『奇跡』の捜索。
 それでも少なくともここに比べれば自由に動くことが出来る。この機会を逃す事はない。
 クローゼットを開けて旅装へと着替える。
 心配なのはティアのことだが、ベガが面倒を見てくれるだろう。
 支度を終えて部屋を見渡す。
 見られてまずいものは置いていない。
 ほぼ監視されているこの状況で、まずいものはすべて焼却した。
「行くか」
 軽く呟いてラティオは扉を開ける。
 真実を確かめるために。