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月の行方

【第六話 神の啓示】 3.眠れない夜は

 どこからか聞こえてくる虫の音。
 それとは違う低い声で名を呼ばれてノクスは目を開ける。
 ぼやけた視界に映るのは、薪の明かりとそれに照らされたごく一部の景色。
「……交代?」
 いまだ頭はボーっとしているけれど、とりあえずそう聞けばユリウスは頷いた。
 二言三言交わしてユリウスは横になりあっという間に眠ってしまった。
 一方ノクスは起き上がって伸びをする。
 流石に夜は少し寒くなってきた。
 しっかりとマントを被って座りなおし、手近な場所に集めてきた薪を移動させる。
 野宿の時の見張りはイアロスと旅をしていた時にも何度かあった。
 満天の星空を見上げると思わずため息が出る。
 星は本当に見ていて飽きない。
 地方地方によって見え方が違ったりするんだよな。
 星図を思い浮かべつつ目の前の星空と比較する。
 なんとなく並びが変だなと思った。
 時刻によって星は確かにその位置を変えるけれど、それとは少し違う気がする。
 よく読もうと思っていると、唸り声のような奇妙な寝言が聞こえた。
 犯人はどうやらユーラ。
 火の方を向いているせいでその苦渋に満ちた表情が見て取れる。
「……なんの夢見てるんだか」
 そこまで眉間にしわ寄せるような嫌な夢なんだろうか。
 ふと視線をずらしてみる。
 こちらに背を向けたまま眠るポーラの姿。
 よく寝てるなとかいい夢見てるといいなとか思いつつボーっと眺める。
 というか、ちゃんと寝といてもらわないと困る。
 今日……いや、昨日か。
 あんなに転げまくってちゃあ先が思いやられる。
 疲れがたまっているのかなんなのかは知らないけれど、仮にも旅を続けてきたのなら獣道程度であそこまで転び続ける事も……
 そこまで考えてふと気づく。
 小さいころはそんなに転ぶような子じゃなかった。普段は。
 そう。丁度一時期を除いては。
「……寝ろよ」
 呆れたようにいった言葉に、案の定反応が返った。
 ぴくりと肩を震わせておきながら、なんでもないかのように慌ててわざとらしい寝息を立てる。
 やっぱり起きてた、か。
 昔、ポーリーは新月が近づくと決まってよくこけていた。
 なんでもないところで転ぶし、話し掛けてもボーっとしてて、目も赤い。
 真っ暗は怖くて寝れないと言ってたっけ。
 火があるんだから真っ暗じゃあないだろうにとは思うけど。
「明日もまた歩くんだから早く寝ろ」
 続けて言うと、もそりと布の塊が起き上がった。
 マントに包まってこちらを恨みがましく見るのはもちろんポーラ。
「眠れないんだもの」
 不満そうに言ってこちらを見つめる。
 その瞳はやはり……赤い。
「寝不足の人間が何言ってるんだ」
 呆れたように言えば、ムッとして返される。
「寝れないものは寝れないの。
 寝たいなら寝ていいよ? 見張り代わるから」
「いいから寝ろって、目、赤いぞ」
「ノクスが起こしたんでしょ」
「……寝れないって言ってたのは誰だよ」
 薪をくべつつ言葉を交わす。
 跳ね上がりそうになる声を抑えての会話は結構きつい。
 寝不足から来る機嫌の悪さそのままに彼女は突っかかってくるし。
 昔もそうだったよなぁとか思うと苦笑が出そうになる。
 それと同時に、何で分かんねーんだと不満にも思うけれど。
 険悪な空気を払うかのように少し強い風が吹いた。
 二人同時に震えて、顔を見合わせる。
「さむい」
「……もっとくべるか」
 示し合わせたように薪をはさんで少し近寄り、ノクスは火を大きくするべく薪をくべる。
 起きてる自分が寒いのだから、寝てる人間はもっと寒いかもしれない。
 風邪をひいたらそれこそ洒落にならない。
「そろそろ野宿も限界だな」
 これから本格的に冬が来ようとしているのに、目的地のレリギオはここよりはるかに北に位置する。
 行くにしたって時期悪いよなとか思いつつ薪をくべる。
 火のそばはあったかくて……眠気が襲う。
 ぶんぶんと頭を振って眠気を追いやり、また単調な作業に戻る。
 こういう薪は結構好きだ。
 こんな火は見ててなんだか落ち着く気がする。
「本当に眠いなら寝てていいよ?」
「そういうわけにもいかねーっての」
 心配そうなポーラの声に意地を張って返すノクス。
 これは自分が任された仕事。
 寝ずの番に慣れておかないと、これから先の旅できっと苦労するだろうし。
「お前こそ寝ろって、昨日みたいにこけられたんじゃ迷惑だ」
「そ……れは、そうかも知れないけど。眠くないんだもの」
 沈んだ声を出すポーラに、ちょっと後ろめたさを感じてノクスは顔を上げる。
 火に照らされて淡く光る銀の髪。マントを被った姿は、かつて星読みの塔で毛布に包まって一緒に星を眺めていたときを連想させる。
 なんかもういいやと諦めて、ノクスは星を眺めた。

 どのくらい経ったのか。
 ふと見るとポーラは座ったまま船をこいでいた。
 うつらうつらと頭が揺れて、そのまま眠りにつくかと思うとびくっと肩が揺れて目が開く。
 そしてまたしばらく経つと瞳が閉じられて……同じ事を繰り返す。
 眠れないなんて事ないんじゃねーか。
 毒づきそうになって気づく。
 寝たくないのか?
 そういえば、昔星を読むときにも結構ポーリーはついてきていた。
 ノクスは毎晩のように塔に登っていたけれど、彼女が付き合うのは決まって新月近くの数日間。特に新月の日は、降りようとするノクスに対してもう少し見たいだのといってきて、その場で結局眠ってしまった事も多々あった。
 新月になんか嫌な思い出でもあんのか?
 疑問を口にしなければきっと答えはわからない。
 でも、今声をかければきっと目を覚ましてしまうだろう。
 まどろみの中にいるはずのポーラの顔色は、肩を震わせて起きる度に悪くなっていく。
 悪夢でも見るのか?
 起こした方がいいのか、寝かせた方がいいのか。
 うーんと考え込んで、それからノクスは何かを思いついたかのように手を動かした。

 ああ夢だなと思った。
 だって目の前に見えるのは、小さな頃の自分の姿と今はここにいない人の姿。
 道は暗いけれど大好きなその人と一緒だから全然怖くなんてなかった。
 それにもう一つ。大きな月があったから。
『なんでおつきさまはずっとわたしのあとをついてくるの?』
『それはね。ポーリーが淋しくないようについてきてくれてるのよ』
 まだ小さな私の問いに、あの人はなつかしい笑顔で答えた。
 淋しくないように。
 そう。暗いのはいや。夜はいや。嫌なものを思い出すから。
 そう思った瞬間、景色が変わる。
 懐かしいあの人の姿は消えて、暗いくらい道の中、私が一人取り残される。
『ここからだして。おうちにかえして』
 真っ暗な中泣き声だけが響く。
 どこかなんて分からない。
 いつの間にか辺りには暗い壁ができていて、どこにも逃げられない。
 一人はいや。夜はいや。
 閉じ込められて一人過ごしたあの夜は、どれだけ経っても消えない傷跡。
 かさぶたが出来ても、はがれる時にさらに傷がついていく。
『助けてよ! 怖いよ! アース!』
 呼んだって意味がないのに。
 だって彼女はここにいない。自分を置いていってしまった。
 真っ暗な中。月の光も届かない。
 だって今日は新月だから。

 そしてまた目が覚める。
 ぼやけて視界に映る火の光。
 それに照らされる仲間を見て少しだけ落ち着く。
 一人じゃない。大丈夫。
 でも……寝たく、ない。
 膝を抱えた腕に頭を乗せて震えを必死に耐える。
 はやく朝がくればいいのに。
 その時、ためらいがちな音が聞こえた。
 そっと目だけを上げて音源を探る。
 薪をはさんで向かい合ったノクスが右手の指を唇に寄せて何かしている。
 瞳は閉じられ、眉は寄せられ。不機嫌そうな顔で。
 もう一度音が響いた。
 よく見てみると、唇に寄せられた指が草を掴んでいる。
 こんな時間になんで草笛なんて。
 ポーラの視線に気づいた様子もなく、彼はなにやら必死に草笛を吹いている。
 音を合わせているのか、音量を気遣っているのか。
 何してるのって聞いた方がいいのかな?
 あんまりうるさいとユーラたち起きちゃうし。
 虫の鳴き声とかをユーラはうるさいと感じるらしい。
 確かに夏の蝉はうるさいとポーラも思うけれど、秋とか森で聞こえる虫たちの鳴き声はそんなことないと思う。
 止めようかどうしようかと悩んでいるうちに、たどたどしいメロディが紡がれた。
 何の曲だろうとしばらく耳を澄ませてみる。
 どこか懐かしいこのメロディ。
 ワンフレーズが済んだところでようやくポーラは気がつく。
 子守唄だ。
 びっくりして見つめても彼は一向に気づいた様子はない。
 不機嫌そうなその顔は、必死にメロディを思い出そうとしているせいだろうか?
 ポーラの予想を裏付けるかのように、草笛の曲は所々つっかえたり音が違っていたりする。
 でも、何でノクスは急に子守唄なんて吹き始めたんだろう。
 その答えはすぐに出た。
 だって子守唄は聞かせるもので、この場で寝ていないのは自分だけ。
 そう思うとなんだかおかしくなってきた。
 笑い声を立ててしまったらきっと気づかれるだろうから、必死に押し殺す。
 知らない人と旅をすることになって、不安がなかったといえば嘘だ。
 でもあの教会で、そして町で。二度ほど会ったときの印象は悪くなかったし、今のこの状況をみてればその不安も消えた。
 ……子守唄がないと眠れないとか思われるのは癪だけれど。
 ほっとしたのかなんなのか、自然とまぶたが下りた。
 なんだか眠れそう。
 穏やかな気持ちで久々にやってきた睡魔に身を委ねる。
 あれ。でも……
 眠りに落ちるその刹那、ふと疑問が浮かんだ。
 どうしてアースの子守唄を知ってるんだろう?

 音が途切れた。
 手の中の草がよれよれになったのを見て、ノクスはそれをぽいと捨てる。
 向かいを見れば、今度こそ本当に規則的な寝息を立てるポーラの姿。
「本当にこれを聞けばすぐに寝るんだな」
 呆れたような、でも懐かしさを含んだその声。
「おやすみ。ポーリー」
 本人が聞いてないことなんてわかっているけど。