1. ホーム
  2. お話
  3. 月の行方
  4. 第五話 4
月の行方

【第五話 一条の闇 一条の光】 4.すれ違いばかりの

 聞きたい事、話したいことはたくさんあった。
 それでも口が開かない。その理由は。
「え? でも、どうしてこんなことに?」
 びっくりしながらもその子は……ノクスにぶつかったままの少女は顔を近づけてくる。
 顔が熱いのは気のせいじゃないと思う。
 少女の肩を抑えてこれ以上の接近を阻んでみようと試みるが、成功していない。
 この状況は嬉しいような気もするけど、落ち着かない。ものすごく。
 視線を外せば、憤怒の表情でこちらを睨みつけている金髪の女の子が目に入った。
 俺のせいじゃねぇだろうが。
 心の中だけで反論して、目の前の少女に訴える。
「とりあえず、どいてくれ」
「あ、ごめんなさいっ」
 そう謝ってようやく少女は立ち上がる。
 やれやれと思いながら自身も立ち上がり、息を吸う。
 懐かしい香りがした。
「この香……?」
「え?」
 突然の言葉に驚いたのか、少女が不思議そうに聞き返す。
「もしかして」
「まてーっ!!」
 ノクスの言葉に被って辺りに響いたのは野太い男の声。
 それを聞くなり金髪の子が起き上がり、こちらへとかけてくる。
「ポーラッ」
 そう、ノクスの目の前の少女に呼びかけて。
「うん!」
 彼女が応える。
 呆けたように彼女を見ると、一瞬だけ視線が合う。
「ごめんなさいっ」
 視線に何を感じたか、ポーラはノクスにそれだけ告げて彼女を追って走り出した。
 ただただ彼女の駆けて行ったほうだけを見て立ち尽くす。
 あの子だ。ポーリーだ。
 嬉しさと懐かしさとがこみ上げてきて、それを忘れていた。
 彼女達が追われているという事実を。
 それに気づいたのはノクスの頬を銀の煌きが掠めていった後だった。

 はむっとパンを口に押し込む。
 宣言通り、帰りの遅いノクスをほっといて朝食をとるイアロス。
 文句はぶつくさいうものの、やり始めれば真面目にやる。
 そーゆーとこはソワレによく似てるよなぁ。
 もごもごと口を動かしつつ思う。
 そんな風に朝食をとり続けるイアロスに近づく二つの人影。
「イアロス・トラゴーディアー殿とお見受けする」
 固い口調。
 この訛りは北のほうの人間だろう。
 嫌なものを感じながらもそちらを向きつつイアロスは応える。
「確かに俺ぁイアロスだが、人違いだろ?
 俺はイアロス・ウーデンだ」
 剣はすぐに手に取れる。だが問い掛けてきた二人組は、僅かに間合いの外に立ったままそれ以上は近づかない。
 実直そうなプラチナブロンドの男性はイアロスより少々年下くらいだろうか。
 淡い金髪の方はまだ年若く、ノクスより五つほど上に見える。
 服装はそこらの旅人や傭兵と同じもの。
 くすんだ色合いの、丈夫さがとりえの粗末な衣装と簡素な革鎧。
 しかしそれに反して剣はなかなかの品。
 それにこの言葉使いと身のこなしは……自分と同じ騎士崩れか、それとも従騎士か。
 視線を外さぬまま、年かさの男性の方が口を開く。
「ではイアロス殿」
「人の話聞けよ」
 別人だといっているのに。
 そう。エスタシオンの騎士だったイアロス・トラゴーディアーはもういない。
 しかしそんなイアロスに構わず、男性は言葉を重ねる。
「ユリウス・レアルタをご存知か?」
「さぁてな」
 ワインを飲み下して応じる。
「ユリウス・カエサルなら従兄弟だかはとこだかにいたような気もするな。
 ああ。ユリウス・ファラだったか?」
 その反応に金髪はかっと顔を紅潮させる。
 素直に話さないが故の怒りだろうか。
 そんな彼を制して年かさの男性は言う。
「なかなかに頑固な方だ」
 苦笑したような物言いで、鋭い瞳のままに。
 しばし睨みつけられたままにイアロスは食事を続ける。
「今日はこの辺りで失礼させていただきましょう」
 金髪を抑えるようにして彼は店を出て行く。
 その背を見送って、イアロスは食事の残りを平らげた。
 まったく厄介な事に巻き込んでくれたよなぁ。
 ユリウス・レアルタ。
 つい最近とんでもない頼み事をしてくれた、後輩の名前。
 先ほどの連中はまだ騎士道精神がある方だからマシにしても、そんな連中だけとは限らない。というよりそうじゃない連中の方が圧倒的に多いだろう。
 あんなもんも出てたことだしなぁ。
 最後の一口を飲み下し、ため息を一つ。
 さて、ノクスはもう気づいた頃だろうか?
 それともまだ気づいてないだろうか。
 どちらにしても手は打っとかないとな。
 そうしてイアロスは立ち上がる。
 後輩の頼みにして、依頼をこなすために。

 一気に体温が落ちたような気がした。
「は?」
 頬に手をやり、血がついていないことにほっとする。
 えーと。ナイフ投げられたんだよな、今。
 なんで?
 くるりと振り向けば先ほどと同じ声がした。
「待たんか小娘どもッ 待たぬとこの小僧の命はないぞッ」
 そう叫びながら、傭兵風の男性がこちらに向かって駆けて来る。
 小娘どもっていうのは追われているポーラたちの事だろう。
 だとしたら小僧っていうのは。
「はぁっ」
 疑問に思うまもなく、声の主……頭の少し薄いひげ面の親父はグレートソードを抜き切りかかってくる。
 何で俺が狙われる?!
 混乱しつつも剣を抜いて何とか受け止める。
 こんな子供に受け止められた事が意外だったのか、先ほどに勝るスピードで振るわれた剣をノクスは後ろに飛び退る事でかわす。
 飛んだことで生じた間合いを慎重に開きながら考える。
 見た目と同程度に相手の一撃は重い。
 ここは往来のど真ん中。下手に魔法は使えないし、使う暇も与えてくれないだろう。
 でも、こいつはポーリーを狙ってた。聞き出したいことはたくさんある。
 かといって朝食抜きのせいで体力的にも。
 戦うべきか逃げるべきか迷うノクス。しかし相手も警戒してか動く事はない。
 こう着状態がしばし続き、ひげ親父が顔をしかめ、真っ赤な顔で叫んだ。
「とっとと来んかプロクターッ!」
「そ、そんなこといわれても~」
 ぜぇぜぇと荒い息のまま返す声にちらと視線をやれば、二つ先の角辺りでへたばっている傭兵風の男性が目に入る。
 そうだよな……基本的に一人で行動してないよな~。
 心の内で息をつき、口の中で呪文を唱え、目を閉じて呪文を放つ!
光よ(ルクス)!」
 言葉と同時に眩い光があたりに満ちる。
 敵以外にも何人かの人たちの悲鳴が聞こえたが、外傷とか後遺症は残らないので勘弁してもらいたい。
 そのまま敵に背を向けノクスはその場から逃げ出した。
 そうしてすぐにその場から逃げおおせた彼は気づく事はなかったろう。
 視力の回復した傭兵達が辺りに散らばった小箱にすっ転び、さらに足止めされたことも。
 目論見が成功してほっとしているカペラのことも。

 空腹時に全力疾走。辛いってこれ……
 ぜいぜいと荒い息をついて、ノクスは近くの壁にもたれる。
 休んでる暇なんてない。それはよーっく分かっていても、体が言う事をきかない。
 それもこれも朝食前に調査なんてさせるイアロスが悪い!
 息を整えて、再び用心しながら宿へと戻る。
 こんな状況の自分がポーラたちと合流しても多分役には立てないだろうし、イアロスにも伝えて手伝ってもらったほうがいいと判断しての行動。
 他人に頼るしかない状況というのは悲しいけれど、自分がやるんだと意地を張って事体を悪化させるよりはいいとノクスは思う。
 辺りを伺い宿へと一気に走る。
 いつものように視線を店の奥へとやり。
「あれ?」
 いつものように出迎える姿がない。
 酒場も兼ねるそこは今はまったくといっていいほどに人気がなく、そこを我が物顔で占領していたイアロスの姿がない!
「あ、あの! イアロスなんでいないんですか?」
 慌てていたために見当違いな事を口走るノクスに、カウンターの中にいた親父さんはどうどうと身振りで伝えて。
「なんか用があるって出かけてったぞ」
「そ、そーなんですか?」
 ったく本当に大事な時にいつもいない!
 顔をひくつかせるノクスに、親父さんは仕込みの手を止めて思い出したように言う。
「そうそう坊主に伝言預かってたんだわ」
「伝言?」
 疑わしげに問い返せば、メモを差し出してくれた。
 急いでいたのか多少乱雑だが骨太の、少々癖のある文字は確かにイアロスのもの。
 騙されてるわけじゃあなさそうなので先を読み進める。
『読んだか? 読んだなら「ランデブー」で合流』
 何のことだと本人に聞きたい。というより問い詰めたい。
「確かに渡したからな」
 親父さんの言葉にはっとして、とりあえずメモをポケットに突っ込む。
「えっとあの」
「何だ?」
「パン、一個で良いんでもらえます?」
 おずおずといった言葉は、大分爆笑された後に了承された。

 お腹が少し満たされたお陰で、少しだけ考える余裕が出来た。
 イアロスは基本的に伝言を残す事はない。
 直接会って口頭で告げられる事がほとんど。
 伝言を残す時は自分達にしかわからない暗号を織り交ぜて、必ず二つ以上のものを残す。最初に読んだかと聞いてきている辺り、一個目の伝言はすでにノクスは持っているということだろう。
 朝押し付けられた姿絵を取り出してみる。
 改めてみれば、そこに描かれた少女はよく似ていると言えた。
 つい先ほど遭遇した『ポーラ』に。
 羊皮紙の下のほうに昨日はなかった数行が付け加えられていた。
『もし見つけたなら嬢ちゃん達と一緒に頑張って逃げろ。
 傭兵と騎士っぽい奴らに特に注意』
 つまりこれは、彼女達が狙われている事を知ってたと言うことか?
 そんでもってこの依頼自体がガセだってことか?
 でも……考えてみれば、母上とポーリーの父親のアルタイル将軍とイアロスは士官学校での同期なんだから、将軍経由でなんらかの接触があったっておかしくないってことだ。
 知ってて黙ってたっていうのは腹が立つけれど。
 性格の悪いイアロスに今更そんなことを言ったって意味がないこともよく分かっているけれど。
 ……女の子連れであんなとこに行けと?
 拷問だ。思いっきり拷問だッ。
 ため息つきつつ姿絵とメモをポケットにしまう。
 しかたなく隠れていた路地から顔を出して、再び彼女達を探し始めるノクス。
 ポーラと遭遇してからどれ位経っただろうか。
 追われている人間がそうそう尻尾を出すわけもなく、未だに見つからない。おまけに先ほどの傭兵たちには自分も追われていると思って良いだろう。
 下手に動き回る訳にはいかず、かといっておとなしくしているわけにもいかない。
 さっきみたいにまたどこかで転げてくれれば楽なんだけどな。
「いてっ」
 そんな不謹慎な事を思っていたせいだろうか、小石が頭にあたった。
 何でこんなものが落ちてくるのかと怪訝に思い、空を見上げる。
 すると屋根の上から人が降ってきた。
 その人物は見事な着地を見せて、立ち上がりざまに短剣を抜き放つ。
「てめぇは」
 警戒故か怒り故にか、三歩ほど離れた距離を保ったままノクスに相対する。
 ノクスと言えばあまりのタイミングのよさにただただ呆然とするばかり。
 鈍い色のマントの下にまとった革鎧。
 外に向けてはねている金の髪は肩までの長さで、孔雀石の濃い緑の瞳は警戒感をそのまま示すように鋭い。とりあえず敵意がないことを示すために両腕を上げかけたノクスに対し、彼女は何かを言おうとして。
 その顔に、影が生まれ。
 一呼吸後には後から降ってきた人物に潰されていた。
 あまりの出来事にノクスはもちろん、元凶である彼女もまた言葉をなくす。
「ユーラーっ?!」
 叫んだかと思ったら、ユーラを敷いたままその肩をつかんでかっくんかっくん揺さぶり始める。
「だだだだ大丈夫~?!」
「待て下手に動かすなっ!」
 ノクスの言葉にようやく他に人がいることに気がついたか、揺さぶる手を止めてこちらを見る。
「あ、さっきの」
 本当ならここで名乗って感動の再会(あくまでノクス視点の希望)といきたい所だけれど、ドロップキック(重力のおまけつき)を食らって、地面に頭をぶつけてさらに揺さぶられた人間を放っておく事も出来ない。
 倒れたままのユーラに近寄り、一応状態を見てから呪文を唱える。
 それを見てユーラをはさむようにしてノクスの向かいにポーラが移動する。
癒せ(クーラー)
 手のひらに生まれた淡い光を傷口に近づけると、ゆっくりと怪我が癒えていく。
 とはいえこの術、かけられた側の体力を消費する換わりに傷を癒すものだからあまり大怪我には向かない。
「回復魔法、使えるんだ」
 言葉ではなく頷く事で応じる。
 回復魔法は慣れていないから集中するに越した事はない。だからできれば会話はしたくないのだけれど、目の前にいる幼馴染が気になるのも確かで。
 このくらいまで治せば良いかなと適当なところで止め、そこで改めてポーラを見る。
 鈍い色のフードからこぼれる紫がかった銀の髪。
 長い間旅をしていたのか、衣服は所々ほつれや修復した後が見える。紫水晶のように澄んだ大きな瞳は倒れたままの少女に向けられ、心配そうに揺れている。
 名を呼べば、気づいてくれるだろうか?
 どう声をかけようかとノクスが悩んでいるうちに、ユーラが唸って身じろぎをする。
「っつあ~」
「ユーラ! 大丈夫? もう痛くない?」
 ポーラの問いかけに顔をしかめてまばたきをすること数回。
 突然スイッチが入ったかのように起き上がり。
「てめえよくもっ」
「違うのっ」
 ノクスに掴みかかろうとして、ポーラに腕を思いっきり引っ張られて遮られる。
 反動でユーラがまた頭を地面にぶつけるが、ポーラは気にしていないのか気づいていないのか必死にノクスを弁護する。
「ユーラ潰しちゃったのはわたしなの! この人は助けてくれたのよ」
 ぶつけた後頭部をさすりつつ、涙目になってわかったからと繰り返すユーラ。それでようやくポーラは手を離す。
「でも、赤の他人が何で助けてくれるんだよ」
「えっとその、でも、前も助けてくれたわよ?」
「前? 前って何だ?」
「デスペルタドールの教会で」
「……何でポーラがそんなとこに行ってるんだ?!
 まさかあの時来てたのか?!」
「え、あっ そのそれは」
 本筋から外れたところで口論をする二人。
 一方ノクスはと言えば、分かっていたものの納得できないのかしたくないのか、どこか遠い眼差しのまま二人の漫才を眺めていた。
 そう。わかっちゃあいた。
 こいつには前科があるから、再会したって分かってくれない可能性は高いと。
 でも、やっぱり気づいてないって分かってしまうと……かなり悔しい。
 自分だって最初はわからなかったから仕方ないと納得させようとするものの、なんかやっぱり悔しい。
 こちらの視線に気づきもしないポーラを見据えてノクスは決心する。
 あいつが気づくまでこっちも知らん振り続けてやる!
 例え、それで後々厄介事が起きようとも。