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月の行方

【第四話 邂逅の時】 4.運命はこの手の中へ

 そうか。僕は……
 どこか定まらない思考で彼は思う。
 周りで誰かが何かを言ってる。
 内容はわからないけど、きっと今の自分には必要ないものだと思うから、あえて聞こうとは思わない。
 熱いような冷たいような……
 寒い、でも暖かい。
 よく状況は把握できないけど、気分はどこかすがすがしいし。
 うん。きっと満足してる。この状況には。
 かすかに、本当にかすかに彼は笑う。
 そう。僕は、ずっとこうしたかったんだ。
 だから……もう悔いなんて無い。

 目が覚める。
 映るのは、見慣れた天井。
 自然と視線が動き、変わることの無いそれを見つけ、ため息をつく。
「夢、か」
 その呟きが、とても虚しさを持っていたことに。
 本人は……マリスタは気づいていただろうか。

 今日はバイトも休みで、さりとて特にすることなど無い。
 家での仕事――掃除とかを済ませた後、仕方なく街をぶらつき始めた。
 にぎやかな街。
 解決された事件のお陰で、明るい人々。
 それでも……
 多分、あの事件が起こった背景は……
 考えているとちょうど広場に出た。歩き疲れていたという訳ではない。
 ただ、予感があって、適当に置かれている樽やら丸太やらに腰掛ける。
 流れる人々を見て、またため息。
 ため息ばっかりついてると、幸せが逃げちゃうのよ~。
 能天気な声がふと脳裏に浮かぶ。
 なんで、こんなときに。
 手の違和感は酷くなっていく一方で、自分がもう要らない人間だと……解放の時が近い事を示している。
 だというならば、一刻も早くこれを手放したい。
 そのためにここまで出てきた。
 これを受け継ぐものを待つために。

 今日は多分、ミルザムの帰ってくる日。
 あんまり離れた事がなかったから、自由をもっと満喫したい気分と早く帰ってきて欲しい気分とが半々くらいでせめぎ合う。
 早く会いたいほうが強いかな。
 その理由は簡単。昨日から散々考えているセラータの異変を聞きたいし、あの子はポーリーだったのかという疑惑をなんとか解きたい。
 一応夕べ自分で星を読んでみたりしたけれど、セラータの方は王の周囲で不穏な事が起きると出てしまって気になって仕方ない。
 ミルザムたちが何の情報もつかんでないという事は無いだろう。
 むしろ、だからこその召集だったと今なら思える。
 気になる。でも、自分ではどうしようもない。
 こういうときは体を動かすのが一番と思って素振りをしても、一向に気分は晴れず、こうやって気分転換に散歩をしている。
 露店を冷やかし、大道芸を横目で見たり。そうして広場までやってきたところ。
「ノクス君」
 知った声に呼び止められた。
 そこには、マリスタがにこやかに座っていた。

 ちょっと話でもと誘われて、マリスタの隣の樽に腰掛けると、オレンジを手渡された。
「美味しいよ」
「ども」
 手袋を取って、ありがたくオレンジを頂く。
 表面を少しこすってかぶりつくと、たっぷりの果汁と少しの酸味。
 うん。確かに甘い。
「ノクス君は傭兵?」
「そういう……風になるのか、な?」
 突然の質問に考えながら返す。
「修行ってんで、イアロスに預けられたんだけどな。あんなだし」
 肩をすくめると、マリスタも苦笑をもらす。
 なんですか? 俺の師匠(とことん不本意だが)は、ご近所様からも白……いや、生温かい目で見られていると?
 あ、悲しくなってきた。
「にしても修行してるんだ?」
「剣を使えるようになりたくてさ。それで紹介して貰ったんだ。
 ……知り合いが、フリストの士官学校で同期だったんだって」
 流石に母が、とは言えない。
 女の身で士官学校を出た人間など片手で数えるほどしかいない。
 これからは増える可能性は高いのだけど。
 ソワレの活躍後、入学者が増えたりしているらしいし。
「士官学校か……懐かしいな」
「え」
 もしかして彼、士官学校の人間だろうか?
 ノクスのうめきに気づいたか、マリスタはしてやったりという顔で笑う。
「近所に住んでたんだよ」
「あ、なるほど。
 マリスタさんフリスト出身なんだ」
「うん」
 そういう顔はどこか悲しげで。
 故郷で嫌な事でもあったんだろうか?
 だから、ここまで流れてきたんだろうか。
 気になるけど、こういったことは他人が立ち入っちゃいけないことだろう。
 そう判断してノクスはただオレンジをかじる。
 手がべとべとする。後で洗おう。
「ノクス君はなんで剣を? 冒険者になりたいから」
「いや冒険者になりたいわけじゃねーけど。故郷の……アージュの風習でさ。
 男は十五になったら旅に出なきゃいけないから、その前に少しでも使えるようになっとかないと危ないからってさ」
 嘘では無い建前を返す。
 本当は……本当のところは、自分が弱いから。
 弱いから置いて行かれる。
 弱いからそばにいることすら許されない。
 だから、強くなりたい。
「……恋人?」
 突然妙な事を聞かれた気がする。
 うろんげな顔で彼を見れば、楽しそうな目で見返された。
 その視線を辿って行くと、自分の胸元。
 右手にしっかりとつかんだ、食べかけのオレンジと。
 首元から伸びた紐をしっかりと握り締めた左手。
 何をつかんでいるかは考えるまでも……無い。
「いやそのこれはっ」
 あたふたと手を離せば、香のかおりがふわりと広がる。
 握り締めて温もっていたせいだと分かっていても、彼女にまでからかわれているような気がする。
 思わずムッとしたような顔になると、隣でマリスタが噴出す。
「大事な子なんだね」
 笑いながら言われた言葉に、反発の言葉は出なかった。
 その言葉が妙にすとんとはまった気がして。
 頷く事はなかったけど、否定しないその態度が、肯定を示してしまったような気がして。おまけになんか恥ずかしい事のような気がして、知らぬ間に顔が熱くなる。
「あれ?」
 くっくっと笑っていたはずのマリスタの言葉に、嫌々ながらもそちらを向く。
 どうも最近こうやってからかわれる事が多すぎる。
 しかし振り向いた先の彼は、毒気を抜かれたような顔で。
 見返すと、少々戸惑った声音で言われた。
「いや、君の目」
「目?」
 夜更かしのせいで充血でもしてるんだろうか。そう思ったけど。
「黒かと思ってたんだけど、青だったんだね」
 ああなんだ、と肩の力を抜く。
「よく言われる。それ」
 あまりにも深い色だから、パッと見では黒にしか見えないとはよく言われる。
 夜空の青。普通は黒いといわれるけれど、それに浮き上がるような木々や建物の陰が黒いのであって、夜空は青い。
 この瞳の色も名前の由来だと笑っていた名付け親のセリフである。
 最後の一口とばかりにオレンジを食べて、井戸まで行って手を洗う。
「オレンジご馳走様。そろそろ帰らねーと」
「剣の鍛錬?」
「ま、そんなとこ」
 鍛錬って言ったって、結局はまた素振りだろう。
 イアロスが直々に教えてくれるなんてことは、まったくといって良いほどに無い。
「力が欲しい?」
「へ?」
「いや、強くなりたいんだったら、力が欲しいってことだろう?」
 いきなり何を言い出すんだろう?
 そう思っても、聞かれたことにはまず答えるということを言われ続けてきたノクス。
 うーんと唸って意味を考えてみる。
 力が欲しいかと聞かれれば。
「欲しい」
 それは正直な言葉。
「けど、いらない」
 言って笑う。
「どういうことかな?」
 案の定マリスタは怪訝に思ったらしい。苦笑して返す。
「力だけ強くなっても意味が無いから」
 懐かしい。
 そういえばイアロスに師事するようになった頃にも、この問いはなされた。
「えっと、師匠ってほどには教えて貰って無いんだけど、とにかくそんな感じの人が言ってた」
 視線を合わさずに言う。
 真摯な言葉は……なんか恥ずかしい、照れる。
「目に見える力よりも、見えない力をつけろって。
 心の強さってことなんだろうけど」
 それに俺は強くなりたいわけであって、力が欲しい訳じゃない。
 どこが違うのかと聞かれれば、はっきり答える事が出来ないけど。
「俺は弱いから、楽な手段があったらすぐにそっちに行きたくなるし、怠けたがる。だから、強い力が手に入ったら……怖い。
 この力で何でもできるって自惚れそうでさ」
 力を持つものは、その力の強さを自覚しなければならない。
 悪戯に力を振るう事は許されず、その力が周囲に及ぼす影響を把握しなければならない。剣を教えてくれる事はイアロス並になかったけれど、精神論では鍛えてくれた。
「……強い、ね」
「へ?」
 しみじみと返された言葉。
「君は、強いよ」
「強くねーよ」
 ムキになって返せば苦笑された。
 ああ。やっぱり自分はまだまだどうしようもない子供なんだと、こういうときに思い知らされる。
「弱さが分かってるだけ、強いよ。
 本当に弱かったら、そんなことは認めないし……気づきもしないよ」
「そーゆーもん?」
「うん」
 にっこりと笑うマリスタ。
「だからこそ」
 呟かれる言葉。
 このとき、ようやくノクスは気づいた。
 今までの質問も、態度のすべて。
「君になら託せる」
 彼に試されていたのだ、と。

 周囲から、音が消えた。
 慌てて見回せば、音どころか人もいないし景色も変わっている。
 灰色。
 どこまでも灰色な、輪郭の無い世界。
 こんな術。知らない。
 結界の一種だとは思うけど、マリスタは何も言わなかった。
 呪文を唱えずに、これほどの結界を築く。
 何より、マリスタが魔法使いだったなんて。
 ノクスの言葉より先に、彼の言葉が響いた。
「目覚めよ。皇帝の石」
 同時に、急速に凝縮する魔力。
 胸の高さに持ち上げられた、その左手。
 そこに、ものすごい密度の魔力が集まっていく。
「いと高き天の青。
 授けられる祝福。
 神に近いとされるもの」
 呪言に合わせ、それは一つの形をなす。
 大きさは親指の爪程度だろうか。
 マリスタの瞳がノクスを捉える。
「後継 ここに現れり
 これより行うは 我が最後の使命」
 何がどうなっているのか分からない。
 圧倒的な力に、為す術も無い。
 さむい。
 ここは……とてもさむい。
 マリスタの手の上、姿をあらわにする石のようなもの。
 水。海。空。
 さまざまな青の中でも最も純粋な青。
 深い神秘性をたたえた濃青色――矢車菊の青。
 知ってる。これがなんであるかを。
 分からない。何でこんなことになっているのかが。
 さむい。さむい。
 違う。寒いんじゃない。
 こわい。
 怖くて怖くて仕方ないのに、体は動かない。
 目を離す事も出来ない。
 そんなノクスの様子に構わず、続けられる祝福の言葉。
「我に授けられし 称号。
 我に預けられし 青玉。
 我に与えられし 使命」
 ふぅわりと、青がマリスタを離れてノクスに向かう。
 動かないからだ。
 違う。ノクスの意志に関係なく、伸ばされる左手。
 溢れる、あおいひかり。
「『仁愛』の名に於いて、汝に『奇跡』を」
 それを合図に、青はノクスの左手に吸い込まれていった。