【第一話 星月夜】 3.特別になる日
離宮の一室からにぎやかな声が聞こえた。
どうやら子供部屋らしく、いろんなものがあちこちに散乱している。
しかし散らかっているのは子供が読むには難しそうな書物の類が多い。
ベッドの上で小さなかばんに荷物を詰めながら、ルカはミルザムの言葉を待つ。
「そうだなぁ」
うーんと唸った後ミルザムは椅子に座ったまま大きく背伸びをして、そのせいで崩れかけたバランスを慌ててとって。
「北の方には全身真っ白なクマもいるな」
「白いクマ?」
その発言に思わず手が止まる。
「本当? 本当にそんなのがいるの?」
クマはたまに人里にまで下りてきて畑や家畜を襲ったりするもの。その程度の事ならルカも知っている。しかし話に聞くものも、絵画や物語に出てくるのも、大抵が茶色いクマだったはず。
「何で白いの? このあたりにも白いクマっているの?」
「この辺りにはいないなぁ」
興奮気味のルカに苦笑しつつミルザムは言う。
正直子供は面白い。すべて素直に信じてくれる。
一度など、あまり好き嫌いをするとあれが動くぞと勇者であろう人物の石像を指差して脅しておいて、翌朝位置が変わってることに気づいたルカの顔といったら!
無論夜中にこっそり動かしたのだが。これ以来好き嫌いはなくなったので騙したといえども許されよう。
「随分楽しそうだな」
「あ。ちちうえっ」
呆れた様な声の主にただ一言、にこやかに返す。
「ノクティルーカは勉強好きだな」
好奇心旺盛ともいうが、子供に懐かれるのはけして悪い気はしない。
「ミルザム。嘘は教えんでくれよ」
「白いクマってうそなの?」
苦笑交じりのオーブの言葉にルカが非難の目を向ける。
「いいや? 北大陸の北のほうにはいるぞ」
「そこまで北に何しにいったんだ?」
「……色々あってな。色々と」
会話が途切れた瞬間を狙って無邪気な声が問い掛ける。
「父上。セラータってどんな国ですか?」
「うん?」
何故急にそんなことをと思わなくもなかったが、他国に興味を持つのは悪い事ではないので教えてやる。
「セラータはこの東大陸の北の雄と呼ばれる農業国で」
「四歳の子供がそんな説明で理解できるか。草原や畑、緑のたくさんある国だ」
「みどりの国?」
「そうそう」
父親をほっといて……なぁルカ、お前はそんなに父上が嫌いかとか見当違いな事を思いながらも疑問を口にする。
「ルカ、なんでまたセラータのことが知りたいんだ?」
兄のエルが最初に興味を持った他国はフリストだった。
大陸最強との呼び声高い騎士団を擁し、フリストの士官学校といえば男子の憧れとも言える場所。だからフリストに興味を抱くのなら不思議は無いのだが……言っては何だが何故セラータ?
そんなオーブの疑問にルカはにっこりと笑って答える。
「そこにポーリーがすんでるんでしょ?」
「……ああ、『ポーリー』ちゃんね」
そういえばあの絵をもらって以来やたらと気にしてたなと今更ながらに気がつく。
対してルカは心底楽しそうに報告する。
「母上がセラータにご用で行くから、ぼくもつれて行ってもらうんです」
オーブの妻――ソワレは別にセラータの出身という訳ではない。れっきとしたアージュの人間なのだが、幼馴染と親友がセラータにいると言う事は聞いていた。
「そうか。じゃあ楽しんでおいで」
初めての旅行となればまだまだ小さなルカが浮かれるのも無理は無い。
行く先のことを知りたくてさっきから質問攻めをしていたのだろう、ミルザムが少し疲れた顔をしている。
そこでふと思いつく。
「……まさか件の『ポーリー』ちゃんに会いたいとかいうんじゃあなかろうな?」
もしやと思った問いに、息子は目を丸くして。
「父上すごいっ」
何故分かったかといわんばかりの反応に、どうかえしていいものやら。
そんなオーブとは対照的にミルザムはのほほんと他人事の口調で言う。
「会う前からべた惚れか。かわいいなぁお前の息子は」
「ははは……」
「まああれだけ『刷り込み』されてれば当然という気もしなくはないけどな」
肩をぽんと叩かれつつ言われた言葉にはオーブも納得する。
ひよこだろうが子供だろうが大人だろうが、自分の知らない事柄に関して良い面だけを延々と聞かされ続けていれば、たとえ悪い面があろうと『良いもの』として認識される……いや、思い込まされるものだ。
大人たちの心の内を知ることなく、鼻歌すら歌いながらルカは荷物を詰めていく。
荷物といっても実用的なものではなく、お気に入りの絵本とかおもちゃとかそういった類のものだが。
「ミルザムはこないの?」
「うん? そうだなあ。行けるものなら行きたいが」
北の姫には一度会いたいとは思っているし、あちらにいる同胞との連絡を取っておくのも悪くはない。しかし一応王族であるルカたちと自分が一緒に行けるかとなると、自分には決定権がない。
「なんだ行きたいのか」
「行けるものならな」
肩をすくめて返す。本心は決して明かさずに。
「あっちは野菜も海の幸もうまいと評判だろう? 特にシチューが絶品だとか聞いたぞ」
「……そんな理由か」
「父上、ミルザムもいっしょじゃだめですか?」
おねだりする瞳で言われて今度はオーブが言葉に詰まる。
正直な話、ルカがオーブにお願いをすることは少ない。
最初の子であるエルや末っ子のレイには手がかかったのだが、そのしわ寄せがルカにいった。
そう、うっかり機会を逃したが故に息子はミルザムのほうにより懐いてしまったのだ!
「そうだなぁ。母上が良いと言ったらな」
「じゃあ母上におねがいしてきます!」
一礼してあっという間に部屋を飛び出していった息子を見送るオーブの背を、なにやら神妙な面持ちでミルザムは叩いた。
遠く見える山々。広がるなだらかな丘。青々と揺れる麦の穂。
飽きることなくルカは窓の外を食い入るように見ている。
そんな息子を微笑みながら見ていた貴婦人が感慨深そうに言う。
「流石にここまで来るとだいぶ気温が違うな」
優雅なドレスに身を包んでいるにしては雄雄しい物言いに、同席している侍女の視線が鋭さを増す。
「だからあれほどいったでしょうに」
「別に寒いなどとは言っていないぞ? 脂肪があるからな」
「ソワレ殿、それは自慢して言う事ではないのでは?」
ミルザムの言葉にも当の本人は気にした様子は無い。
とはいえそう肉付きがよい訳でもないから侍女が差し出したショールをおとなしく受け取ったが。
「ソワレ殿はセラータにご友人がおられるのでしたね」
「ああ。私の結婚式以来だな、会うのは」
いってにこやかに笑う。
結い上げられた髪は飴色で、強い意志を感じさせる瞳は息子と似たネイビー・ブルーの色。今は貴婦人然としているが、オーブとの結婚前には槍を片手に騎士団に所属していたという。
ここまで教育した人は大変だったろうなと見当違いな事を思いつつミルザムは聞いてみる。
「それで今回は何故またセラータに?」
「親友に子供が出来てな。その祝いを持っていくのだ。ルカに聞かなかったか?」
「行く事だけで頭がいっぱいだったようですよ」
張り付いたままの息子を見てソワレも苦笑する。
「まあ楽しみにしているならいい。しっかりと覚えておくんだぞルカ」
「はい!」
元気良く、しかし決して顔を動かすことなくルカは返事をした。
セラータの首都セーラ。
アージュと違うどっしりとしたつくりの城にまず感嘆の声を上げ、人々の髪の色が淡い事にも気をとられて。だいぶ危うい足元のまま、ルカは何とか母親の後をついて歩いていた。
とりあえず通された部屋でソワレは息子に注意事項を述べる。
「一人で勝手に出歩くな」
「はい」
「それが守れればいい」
いいのか?
何か言おうと口を開けば、丁度顔をあげたソワレとばっちり目が合ってミルザムは思わず目をそらす。
「あとはミルザム殿のいうことを良く聞くこと」
「はい」
ああなるほど。俺が子守りなわけね……
多少頬をひくつかせたミルザムに満足したように笑って、計ったかのように現れた使者と一緒にソワレは部屋を出て行った。
「ミルザム! これから何するの?」
「え? あ~、そーだな」
この国に来るという事はスピカを通じて知らせてあるが、正直ここに誰がいるのかは彼は知らない。
「たぶん迎えに来てくれるだろうから、もう少し待って」
「もう来ておるが?」
かぶって聞こえたのは懐かしい声だった。思わず背筋を正してゆっくりと振り向く。
声の主は相変わらずの姿勢のよさで、瞳を剣呑にきらめかせてミルザムを見つめる。
「久しいのうミルザム。あのハナタレ坊主が立派になった事」
「こ……れはこれはゴメイザ殿。ご無沙汰しております」
顔を引きつらせつつ深く礼をするミルザムをルカはびっくりした顔で見つめ、ゴメイザを見る。
祖父よりも年上だろうと察せられる女性は、他の侍女たちと違うたっぷりとした袖と長い裾の服を着て、長い髪は背中で一つにまとめてあるだけで結い上げていない。
動きにくくないのかなと思っていると、老女がこちらを向いた。
あまりにぶしつけに人を見てはいけないと教わった事を思い出して、謝ろうと口を開きかければ手で制された。
「こちらが姫の片翼か?」
「はい」
「アージュ第五王子オーブの子、ノクティルーカです」
交わされた言葉の意味はわからなかったが、頭を下げたままのミルザムに目で合図されてとりあえず名乗る。
「中々しっかりとしたお子のようじゃのミルザム」
「は……はぁ」
返事をするその声も情けない。
一方老女はミルザムに対する態度とは打って変わったにこやかさでルカに言う。
「ノクティルーカ殿。わたくしはゴメイザ。北の姫の乳母をしています。
どうぞお見知りおきを」
深く頭を下げるゴメイザにルカは困惑するばかり。
お辞儀の風習など知らないのだから仕方ないといえば仕方ないのだが。
「ノクティルーカ殿のご来訪、姫もお待ち申しておりました」
そう言って顔を上げたゴメイザの表情はとても優しいもので、ルカにあまり会う事の無い祖母を思い出させた。
ゴメイザの言葉にルカはほっとする。少なくとも自分は歓迎されているようだ。
それに訊ねるのを待っていてくれたという事は、きっと仲良くなれる、と思う。
期待に満ちた表情のルカを見てゴメイザは微笑み、ご案内しますと先導した。
背筋のぴんとしたゴメイザの後に続くのは見慣れない髪の色の小さな子供。
そして最後にどこか胡散臭そうな服装の青年。廊下を歩くとそれだけで視線を感じる。
来て間もないが、ルカにもここでは黒髪が珍しいという事だけは理解できた。
しっかりとした頑丈なつくりの城は、開放的なアージュと比べると暗く淋しいものに思えるのだろう。なれない環境ゆえかルカの表情は少し固い。
そんな中、沈黙に耐えかねたのかミルザムが口を開いた。
「姫の乳母はどなたがされているのかと思っていましたが……」
「何か問題でも?」
「いいえ滅相も無い。ゴメイザ殿は確かに適任です」
何か弱みでも握られているのだろうか、ミルザムの腰はものすごく低い。
「一体何を心配しておる?
姫はとても聡明な方、手塩にかけて立派な女性に育ててみせる。今度は」
最後に付け加えられた一言に何故かミルザムは遠い目をする。
しかしルカが疑問を口にする前に、歩みが止まった。
「こちらでございます」
ノックの音に、やわらかい声が返る。
開かれた扉の中は殺風景な部屋だった。
女の子の部屋というのは物が多い。そう聞いていたルカにはその部屋の主が少女だとはとても信じられなかった。ルカの部屋だってもっと物で溢れているのに。
部屋の中央辺りに大きなカーペットがひいてあり、その真ん中に青いドレスの少女がちょこんと座っていた。
大きな紫の瞳と光の角度で紫に見えるふわふわした髪。
アースから聞いたとおりの……姿絵とおりの少女が頬を僅かに朱に染めて、緊張した面持ちでルカを見上げている。
「北の姫、ノクティルーカ殿をお連れしました」
分かりきった事を言うゴメイザの言葉にはっとして、少女は両手を床につき軽く頭を下げる。
「ようこそおこしくださりました、ノクティルーカさま。
わたくしはポーラと申します」
何度も練習したのだろうか、言い終えた後ほっとしたように顔をほころばせる。
一方自分の知っているものとは違う挨拶の仕方に戸惑ったルカがミルザムを見ると、なんと彼は床におでこがつきそうなくらい頭を下げていた。
どうしたら良いのか分からなくて、とりあえずさっきのミルザムのようにぺこりと礼をした。
「はじめましてポーラひめ?」
違和感を感じ、顔を上げて少女を見る。
すると、もらった絵と同じその顔が不思議そうにルカを見返す。
アースはいつもポーリーと呼んでいた。ミルザムはそう呼ぶことは無かったけど、彼の言う『北の姫』がポーリーだという事は二人の会話から察せられた。
さっきもゴメイザは『北の姫』と言っていたし。でも名前がちょっとだけど違うし。
「ポーリー、じゃないの?」
不安半分で聞いたルカに彼女は目を丸くする。
「アースをしってるの?」
答えにはなっていないがアースを知っている事は確かなので頷く。
「それは末姫だけが使われる北の姫の愛称ですよ」
「アースだけがポーリーって呼ぶの」
にこにこと言うポーリーにルカはほっと息を吐く。
アースの知り合いと言う事で緊張が薄れたのだろうか、勢い良くポーリーは立ち上がり問いかけてくる。
「アースはげんきでしたか? えっと、ノクティルーカさまは」
「ルカでいいよ」
訂正するとポーリーはほっとしたように見えた。
この長い名前をいちいち丁寧に呼ぶのは故郷でもミルザムだけだ。名付け親にすれば一生懸命考えたのだろうが、つけられた方は覚え辛さに閉口している。
「ぼくもポーリーって呼んでいい?」
「はいっ」
しっかり握手する子供達を、片方は微笑ましそうに片方は神妙な顔で眺めていた。