1. ホーム
  2. お話
  3. ソラの在り処-暁天-
  4. 第九話 3
ソラの在り処-暁天-

【第九話 開示】 3.さらなる第一歩

 ほんの数刻前には考えられなかったほどの忙しさを持って、準備は進められていた。
 渡された旅装に着替えるだけでも一苦労。
 本当に着るのが難しい服だと思う。
 それでも手伝ってもらいながらなんとか着付け、ひとまず挨拶をとまたアースの元へ連れて行かれる。
「随分急に決まったな」
「ちょっと色々あったみたいで……でも、いい機会でしょう」
 ノクティルーカの素直な言葉に、アースは神妙な面持ちで言う。
 元気でね、怪我とかしないでねとの言葉に頷く。
 別れるのは少し……ううん、かなり寂しいけれど、でも、ここからアースを助けるためには必要なことだもの。落ち込んでいられない。
 スピカはここに残るらしいが、プロキオンは一緒にいてくれるというのだから、そう不安に思うことはないのだろう。
「龍田、この子たちをよろしくね」
「重々承知しております」
 深々と頭を下げる侍女を見て思う。
 この人もついて来るんだ。
 ポーリーもノクティルーカも、彼女とはまったく話をしていない。
 世話をやいてくれるのはスピカやカペラだし。
 それに世話をするにしても、一番年上みたいなのに……何故だか一番慣れていないように思えるのだ。
 でも、アースがわざわざそう言うくらいだから、きっとすごく信頼されているんだろう。
 時間のなさも手伝って、ポーリーたちは追われるままに集合地点へと急いだ。

 大きな荷物がいくつも並べられ、その両側に人が並ぶ。
 荷を持つためだろう動きやすそうな服装のものから、凛々しい警護役のような人、それから侍女らしきもの。
 もう一部は出発しているらしく、細く長い列が出来始めていた。
「わぁ。すごい人」
「真砂七夜が都に上がるのですから、それなりの人数になります」
 思わず漏れた声に静かな解説が入る。
 振り返れば、何度か見かけた青年が立っていた。
「後日出発する本隊はもっと大人数ですよ」
「ふぅん」
 相槌を打ちながら、どこで見たのだろうと思い出す。ああ、鎮真さんのそばにいた人だ。
「私は武田河青(かせい)と申します」
 深く深くお辞儀をするその人は、とても真面目そうに見えた。
 あんまり間近にいなかったタイプかなとポーリーは思う。
 今までそばにいてくれた人たちはどこかのほほんとしているというか、そういう感じだったから。
 河青曰く、鎮真が都へ上がるときにはいつもこうやって選抜隊が行って、先に迎え入れる準備をするらしい。
 ここにポーリーを含めた女性陣は侍女として、男性陣は警護役として潜り込ませたのだと。
「姫のご身分を存じ上げている者はごく少数となっております」
 それはきっとプロキオンへ向けて言われた言葉だろう。
 つまり、むやみやたらに『姫』と呼ぶな、ということだ。
「それから……慣れぬ事ゆえ難しいでしょうが、『こちらの名』をお使いください」
 言われた内容が分からなくて首を傾げる。
 『こちらの名』ってなんだろう?
 見送りに来てくれていたスピカがくすりと笑って助け舟を出してくれた。
「こちらは一色殿です」
「イッシキ……でいいのか?」
「婿殿なら白夜と呼んでくださっても結構ですよ」
「えと、じゃあ、マタマ、よね」
「はい」
 何とか覚えていた名を出せば、スピカは嬉しそうに笑ってくれる。
「この旅の間は、みちびき様とお呼びいたしますね」
「えっと、なんだか、すごい名前ね」
 人の名前なのだろうかと首を傾げるポーリーにスピカは笑うだけだった。
 『導』という本来の名前だって、同じ意味を持つことをきっとこの姫は知らないだろうから。
「俺は?」
「月読様と」
「ツクヨミ」
「月を読む、という意味です」
 読むのは月じゃなくて星なんだけどなと思いつつ、とはいえ自分にはこの国の風習が分からないため、そうかということしか出来ない。
 そんなノクティルーカと違い、プロキオンはやや呆れたように口を開く。
「それいいの? 昔々の神様の」
「何を。姫様の案に文句でも?」
「滅相もございません」
 スピカが姫と呼ぶ相手はアースだ。彼女が言い出したことならプロキオンは反対する理由はない。
 無駄話をしている間にも列はどんどん進んでいって、ポーリーたちのすぐ前の人の足が動いた。
 お気をつけてというスピカの声に見送られ、都への旅路はゆっくりと、だが確実に始まった。

 道中は特に変わったことはなかった。
 ヘンだなぁと思ったのは、道では妙に早足なのに、街に入ると逆にゆっくりゆっくり時間をかけて歩くことだろうか。
 そして今現在は、あらかじめ手配していたという宿――旅籠というらしい――に泊まっている。
 空には大きな満月。
 普段見ることはないそれをぼけーっと眺めているのは、単に現実逃避をしたいだけだ。
 どういうわけか、ノクティルーカとポーリーの部屋は同じだった。
 許婚とはいえ、結婚前の男女を同室に放りこむなど、ノクティルーカの常識ではちょっと考えられない。
 市井のものならともかく、ポーリーはこっちの王族だろ?
 ああでも、身分知ってる奴いないんだっけ?
 あれ、なら尚のこと単に男部屋と女部屋に別れて紛れ込まされるんじゃ?
 ポーリーは現在入浴中なので、部屋にはノクティルーカしかいないのだが、まったく平静でいられない。
 彼女と同室になったことはある。それも何度も。
 でもこんなに動悸が止まらないのは初めてだ。
 寝顔だって知ってるし、目が覚めたらすぐそこに顔があったこともある。
 あれか? 今までは『奇跡』があったからか?!
 意識するなといわれても無理だ。
 妙にくっつけてあった二つの布団を離してみても、やっぱりなんだかんだと思考が流される。
 どうしよう。もうさっさと寝てしまおうか。
 眠れなくても布団に入って寝たふりをしていれば。
 しかし、窓辺から動く前に悩みの種が戻ってきてしまった。
「ああ気持ちよかった! わ。大きな満月」
 開けられていたままの窓から顔を出す月に気を取られてるポーリーは、固まってしまったノクティルーカに気づかない。
 ちょこちょこ近寄って、すぐそばに腰を下ろしてじっくりと月を見上げる。
 風呂に入るためだろう上げられたままの髪が光を弾く。
 まっすぐ月を見上げる横顔は湯上りのためにほんのり色づいており、近さも相まって目が離せない。
 顔に熱が集まっていくのが分かる。
 絶対に顔が赤くなってる。普通なら顔色なんて分からないだろうけど、この満月の明るさじゃ絶対に分かる。頼むからこっち向くなッ
「ルカがこんな風に月みるのって珍しいわね」
 必死の祈りが通じたのか、ポーリーは月から目を離さずにそう問うてきた。
「ま。たまにはな」
 声が上ずらないようにと気をつけていたら、妙に素っ気なくなってしまって後悔したけど、彼女は特に気にしなかったらしい。
 これ以上見続けているとどうかなってしまいそうだったから、ノクティルーカも月を見上げた。
 白々と空と地上を照らす月。確かに、今まで興味は星の方が強かったけれど……
「月が綺麗だな」
「月が綺麗ね」
 思った感想を素直に言えば、すぐ隣からも同じ言葉が聞こえてきて。
 言葉を発したときと同じようなタイミングで二人は互いを見やる。
 ぽかんとしたような表情が崩れて、ぷっと吹き出す。
「い、一緒のタイミングっ」
「なんで同じこというんだよ」
 あははと屈託なく笑うなんていつ以来だろう。
 しばらく笑っていたら、隣の部屋からうるさいと怒鳴られた。
 また同じタイミングで口に手をやって、笑いをこらえつつさっさと床につく。
 今度は妙なことも考えすに済んだ。
 ちょっと惜しいかなと思ったけれど、自分が良く知る宿とちがい、ここは隣の音がすぐに聞こえる。
 そんなところで何が出来るというのだ。……っていうか、何をするつもりだ自分!!
 またちょっと妖しい方向へ行きかけた思考を修正するべく、ノクティルーカは別のことを考える。
 そうだ、ミルザムはどうしてるだろう?
 なんだかもうすごく時間が経っているような気がするが、街への襲撃があり、『奇跡』を取られたのが昨日の午前。
 普通に考えれば、まだ何も起こってなくて当然だ。こっちの事態はかなり進んだけれど。
 ミルザムの奴、ちゃんとやってるかな。
 置き去りにされたような前の旅のときに思わなかったことを、ちょっとだけ思ったのは、やっぱり『奇跡』が気になったからだろう。
 そして、そんなことを考えているうちにすんなりと眠りについた。