【第七話 明暗】 1.シックザールへと
雪の下で春を待ちわびていた草木がいっせいに芽吹く。
季節はいつの間にか春を迎えていた。
出発と決めた日まで後四日。
ノクティルーカたちは……しごかれていた。主に立ち居振る舞いに関して。
今回の目的地はこの大陸にはない『彼ら』の国。
「ちい姫とノクティルーカは私の子供という名目で潜入させる。
現当主の従姉姫の子――おまけに私の子とあれば、あちらも丁重に扱わざるを得ないからな」
ほけほけと笑うアルクトゥルスは、そういう訳で『それらしく見える』訓練することと軽く言ってのけた。
髪の色なんかは魔法で誤魔化せるが立ち居振る舞いはそうはいかない。
故にぼろを出さないようにと徹底的にしごかれた。
ポーリーにはスピカが、ノクティルーカにはアルクトゥルスが見本となってさまざまな事を覚えこまされている様子を見た面子は、行かされなくて良かったと胸をなでおろしたという。
「まあ、この位出来れば何とかなるか」
とりあえずの合格通知に二人はそっと息を吐く。
元々良い家の出なので礼儀作法は身についているが、『彼ら』とは流儀が違うものも多く混乱することが多かった。
「それにまあ……ちい姫の顔見れば素性なんて一発だろうしなぁ。ははは鎮真の顔が見ものだな」
どこか黒い顔で笑ったアルクトゥルスは、手にした扇子をぱちりと閉じて言った。
「さて。今回の旅に同行する者達だが、プロキオンを中心にミルザム、スピカ……それからサビクも行け」
「え?」
聞き間違いだろうかとポーリーは首を傾げる。
ここで世話してくれていた人たち全員ではないか?
「あの、叔父上……多いのでは?」
「というか、少なすぎて不安だよ叔父上は」
袂で目を隠しつつ、よよよと泣き真似をしてみせた叔父は大儀そうに息をついた。
「本当ならもっと人数をつけたいところだが……多すぎてはこちらでの旅が不便でもある。それに見知らぬ他人に囲まれるのも不安だろうと思ってな」
さらに、裏切り者が混ざっていたら困るといったところだろうとノクティルーカは見当をつけた。
早い話がお家騒動。
ポーリーが次期国王候補者とされるならば――アースもそうなのだ。
それから、今現在の王。
三つ巴になっているのかまでは分からないが、敵対勢力の中にスパイを送り込まない理由なんてない。
信頼できる少数精鋭で行こうということだろう。
「要所要所に部下は待機させているから、彼らに」
「あんのっどアホがあああああッ」
アルクトゥルスの言葉を遮ったのは、階下から聞こえて来たユーラの怒声だった。
一瞬沈黙が走り顔を見合わせる。
「……何だ?」
「今の状況で、あの子がああ呼ぶ相手は一人だろうなぁ」
ノクティルーカが怪訝そうに言い、アルクトゥルスは苦笑を漏らす。
「……ラティオ?」
心当たりの名前を出せば、叔父は笑みを深くした。
慌しい足音が聞こえてきたと思ったら、部屋の外からの呼びかけ。
アルクトゥルスの許しに姿を現したのは二人。
明らかに怒っている様子のユーラと、緊張した面持ちのプロキオン。
「どうした?」
「は。先程、理君から書状が届きまして……」
どう話したものかと目を泳がせたプロキオンは、しばし逡巡してから手紙を差し出した。
なんだろうと不思議そうに見やる二人の前でアルクトゥルスは手紙を開いて文章を目で追う。
その間、ユーラは怒りを何とか静めようとしているのか大きく深呼吸を繰り返していた。
「……また……なんというか……」
読み終えたのか、頭痛をこらえるようにアルクトゥルスは額に手をやり息をついた。
「あの。叔父上?」
「ああすまない。あの子は無事にフリストに着いたようだよ。
ただ、ね」
「そのまま居残って司祭職に復帰するとかッ
あいつは……ッ 何考えてんだああああッ」
乾いた笑いを浮かべる彼の後を、ユーラの怒号が引き継ぐ。
「全部勝手に決めやがって!
ひとりで何でもできると思ってんのかあの人間不信はーッ」
「にんげんふしん……」
何もそこまで言うことないんだろうかと思いつつ、否定できないなと思ってしまう。
でも、なんでそこまでユーラが怒るんだろう?
「それで、依頼料の残りに上乗せした報酬をシックザールまで届けて欲しいそうだ」
「そのくせ人をあごで使おうって根性が気にいらねぇ!
一人で動くなら全部一人でしやがれ! できないなら最初ッからするなー!」
「……すごくあいつらしいけどな」
ぼそりと漏らされたノクティルーカの感想はひどい言い草だけどあってる。
「そうだなぁ……プロキオン。ついでに届けてくれるか? 通り道になるだろう?」
「そう……ですね。シックザールからなら『小屋』も近いですし。
畏まりました。責任を持ってお届けいたします」
さくさくと話を進めてしまう主従に、騒ぎ散らしていたユーラはぴたりと止まって、うって変わって真剣な様子で訴えた。
「シックザールに、あたし……私も連れて行ってください」
「駄目だ」
「どうしてですか?!」
一蹴されてもめげずに食い下がる彼女に、アルクトゥルスはきっぱりといった。
「ちい姫たちの旅のついでに届け物を頼むからだ。
不安要素を減らすためにも、君はあの国へ連れて行けない。
かといって、シックザールから一人、ここに戻ってくることも出来ないだろう」
「でも!」
「それに」
まだ何か訴えようとするユーラに、アルクトゥルスは諭すように言い聞かせた。
「そんなに怒鳴ると身体に悪い。もう一人の身ではないのだから大切にしなければ」
「へ?」
きょとんとした声を上げたのは、言われたユーラ本人。
それから、ポーリーが首を傾げてしばしの後に思わず叫んだ。
「えええッ?!」
「あ、あ、あの。ひ……ひとりの身じゃ、ない、って、って?」
ぎこちない動きで問い返すユーラに、あれと不思議そうな顔をしてアルクトゥルスは問い返した。
「ああ、勘。だけれど、早めに医者に見て貰おう。なんなら今呼ぶか?
スピカもそれっぽいと言っていたから間違いないとは思うが」
言葉は耳を素通りし、なんだか遠くにしか聞こえない。
ただ、その日のご飯は急遽お赤飯になった。
準備だ何だに追われて、六花の街を出てからしばらくして。
「あのね、ユーラがラティオのこと、妙に意識してるなーとは思ってたの」
「ああ。確かに突っかかってたな」
「ラティオは前からあんなだったし……いつかはとは思ってたのね」
「だな。心底嫌がってるようには見えなかったし」
でも……この事態は予想してなかった。
本当なら、派手に見送られたり感慨があったりするはずの旅立ち。
なんだか妙な雰囲気で送り出されることになった。