【第六話 神変】 5.つきまとう不安
こつこつと、足音だけが廊下に響く。
ノクティルーカに一歩遅れてポーリーはとぼとぼと歩いた。
アースが軟禁されている。それだけがとても気にかかる。
わたしのせいですごく迷惑をかけている。酷いことを頼んで、それなのに。
気持ちは沈む一方で、なんだかふらふらしてきた。
でも、弱音なんていってられない。
早く元気にならなくちゃ。元気になって、謝りに行かなきゃあ。
そんなことを考えていると、急に腕を引っ張られた。
「ぅえ?」
妙な悲鳴を上げて、ポーリーは驚きに目を見張る。
ぱちぱちとまばたきを繰り返しても事態は変わらず、掴まれているのは自分の右腕、掴んでいるのはノクティルーカの左手。
「……えっと? なに?」
「転びそうだったから」
端的に答える彼は相変わらず鉄面皮で、何故かとても怒られている気がした。
「そ、んなこと、ないでしょ?」
白々しく目を逸らしながら、自分でも苦しい言い訳だなぁとポーリーは思う。
正直なんだかボーっとしているのは確か。
ふわふわと足取りがおかしいというか……少し熱があるのかもしれない。
体調が良くないことを口に出したくはなかった。今そんなことを言ったら即ベッドに押し込まれる気がするし、元気にならなきゃ謝りにもいけない。
どう誤魔化そうかなと考えているうちに、とられたままだった腕をひかれた。
よろけた彼女の身体を支えるように、ノクティルーカの右手が肩に置かれ、次いで頬、額に移動する。
髪を払われて急に視点が合わなくなる。
ぱっと見、黒目と思われるノクティルーカの瞳は、近くで見れば分かるが深い青だ。きゅっと不機嫌そうに眉が寄ったのを視界の端で認めて、ようやっとポーリーは現状を把握した。
額から伝わる、少し低い体温は彼のもので、熱を測っているのだろう、と。
何をしているのかと彼女が口を開くより早く彼は動いた。
額を離して、腕を取っていた手を滑らせて抱き寄せ、身体をかがめてもう一方の腕をポーリーの膝裏に回して抱き上げる。
「ルカッ?!」
急に足をすくわれて崩したバランスを、彼にしがみつくことで何とか整えたポーリーは抗議の声を上げた。
「な、なにするの!?」
「お前こそ何してるんだ。こんな高い熱出して」
つっけんどんな言い方が彼の怒りを如実に示していてポーリーは口ごもる。
「だって、さっきまで、熱なんて」
ぼーっとするなとは思っていたけれど、部屋に戻るまで位は平気だと思っていた。
「あんな話聞けば落ち込みもするだろ。お前の性格からして」
「でも」
「本調子じゃない人間が何言ってる。早く元気になりたいんなら大人しくしてろ」
そう言われてしまえばポーリーは口答えできずに黙り込む。
納得したととったのか、ノクティルーカは幾分早足で、しかし抱えた彼女に負担がかからないように振動を与えないように注意しながら歩き出した。
迷惑をかけるのは心苦しい。そしてなによりこの体勢が嫌だ。
バランスをとるためとはいえ、ノクティルーカの首に腕を回すことになっていてひどく顔が近い。
なんで彼は平気にしているんだろう? 恥ずかしくないんだろうか?
ふわふわするのは熱のせいか、それとも状況のせいか。
部屋にたどり着いたときにはポーリーはすっかりゆでだこになっていた。
実際に少し熱が上がっていたらしい。結局午前中は寝込むことになり、昼になって熱が下がってから起き上がることを許された。
今日から、昼食は食事室に移動して良いといわれていたため、ポーリーは少しうきうきしていた。一緒に食事を取って良いという事は、もうほぼ普通の食事でいいということだろう。
やっとご飯が食べられるし、お味噌汁なんかも期待できそうなことが嬉しい。
昔々、アースやカペラといた時によく食べた献立を思い出して、笑みが浮かぶ。
こけられたらたまらないという理由で、ノクティルーカが手を離してくれないのが少々不満だが、おいしいご飯を食べることが出来るなら許容範囲内だ。
時間帯が少しずれたせいか、ユーラたちは済ませてしまっていたらしい。
お夕飯は一緒に取れるかなと期待しつつ席に着くと、すぐに膳が運ばれてきた。
少しやわらかめに炊かれた白米。わかめのお味噌汁に煮魚とお漬物。
幸せ気分で頂きますと手を合わせてもくもくと食べる。
懐かしいものを見るようなスピカの視線は気になるけれど、なんとなく想像はつくし、何より食事中は食事に専念したい。後で美味しかったことはしっかりと伝えるけれど。
向かいでは同じ食事をノクティルーカがとっている。
あれ、お漬物苦手なのかな? 食べないなら貰ってもいいかな?
そんなことを考えていると、突然声がかかった。
「いよっ 元気そうだな嬢ちゃん」
ぽけっとした様子のポーリーに、ありゃタイミング悪かったかと笑いつつ、フォルトゥニーノは空いていた席――ノクティルーカの隣に腰掛けた。
誰だろうと思いつつポーリーはとりあえず箸を下ろす。ノクティルーカもまた食事の手を止めて、訝しげな視線を向ける彼女に隣の男を紹介した。
「セラータの勇者だそうだ」
「ちがうっつの。フォルトゥニーノ・シリオットだ」
「……はじめまして。ポーラ・ト……いえ、ポーラ、です」
「ふーん?」
名乗りかけて思い出したのは昨日のこと。
姓を名乗ってしまわぬうちにと奇妙な形で答えた彼女に、フォルトゥニーノは無遠慮な視線を送ってきた。
じろじろと眺められて、居心地の悪さに愛想笑いもこわばってきた頃、フォルトゥニーノはノクティルーカの方を勢い良く叩いた。
「可愛らしい子捕まえてんだなー。どこで見つけたんだよ?」
「幼馴染だ」
「へーぇ。ほーぉ?」
単純にからかわれてるのかしらとポーリーはほんの少しだけ力を抜いた。
ノクティルーカの言った『勇者』というのがどういう意味かは図りかねたが、そこまで警戒する相手ではないのかもしれない。
「銀の髪ってこた、あんた北国出身だよな? セラータとかか」
「えっと、はい。父は」
嘘ではないが何故か責められているような気分で答えるポーリー。
相手はまたふーんとか言いつつ彼女を観察してくる。
「あんた、防御魔導士か?」
「え?」
「なんだそれ?」
二人から同時にでた疑問に、フォルトゥニーノは行儀悪く椅子の背もたれに体重をかけて言う。
「セラータの北部……ここよか南にはなるが……そこら辺で言われてる伝説があってな。あのあたりに災害が少ないのは銀髪の防御魔導士が守ってるから、なんだと」
「なんだそれ?」
「しかもその魔導士、人の口に話題が上るのも嫌がるほどの人嫌いらしい。
今知られている伝説もほんの一部で、セラータの事には大概関係してるだの糸を引いてるだの」
「どういう伝説だ、それは」
呆れたような口調だけれども、まったく呆れの色が感じ取れないノクティルーカの声は不安を募らせる。
彼は何かおかしい。どこかおかしい。
不安を抱きながらも、このまま黙っているとポーリーが『防御魔導士』だと言い切ってしまいそうな相手を放っておくこともしたくない。
「確かにわたしは魔導士で、防御魔法は得意ですけど。
そんな伝説、初めて聞きました」
防御魔法にはポーリーは自信を持っている。それは事実だ。
「ふーん。その魔導士は、あの『勇者ノクス』にも力を貸してたって言うけどな?」
にやにやと人の悪い笑みを浮かべながらフォルトゥニーノは隣を見やる。
「で、俺としては色々話を聞いておきたいんだがな。『勇者』サマ?」
ノクティルーカは沈黙したままにただ視線だけを返す。
口元だけは笑って、フォルトゥニーノは真剣な目で問うた。
「あんたが、あの『勇者ノクス』だろ?
『ユーラ』といい神官だったっつー『ラティオ』といい……偶然にしちゃ、出来すぎてるよな?」
「三百年も前の伝説だろ。本人が生きてるとでも思ってるのか?」
「なにせ『ユウシャサマ』ご一行は俺らの何倍もの寿命を授かったというし?
今生きてても不思議でも何でもねーんじゃねーか?」
馬鹿馬鹿しいと言いたげな声に返る皮肉。
「俺がその『勇者ノクス』だったら、何かあるって言うのか?」
いい加減苛立っているようにも聞こえる彼の言葉を待っていたようにフォルトゥニーノは笑った。
「聞きたいことがあんだよ。名声を得たあんた達がどうなったのか。どんな手で表舞台から引き摺り下ろされたか」
言われた内容に、ノクティルーカもポーリーも意表をつかれて彼を見た。
「俺も、我が身が可愛いんでな」
切羽詰ってさえ見えるその姿に、ノクティルーカは降参したとでも言うようにため息を吐いた。
そんな彼を見て、ポーリーの不安はますます大きくなる。
しぶしぶながらもフォルトゥニーノの質問に答えるノクティルーカは、不安げに揺れる瞳で自らを見つめる彼女に気づかなかった。
――今は『伝説』にされてしまった旅でみた姿や、彼女を救おうと必死になっていた姿からは考えられないことに。