【第三話 光陰】 2.たとえ想い届かなくても
目が覚めて覚えたのは、ああ夢じゃなかったんだという空しさ。
ため息なんぞついて辺りをぐるっと見回す。
昨日――そう、まだ『昨日』なのだ――目覚めたのと同じ部屋。
違うことは自分で目覚めたことと、第三者がいないことくらいだろう。
ぼんやりとしながらもサイドテーブルに用意されていた洗面具で顔を洗い、身支度を整える。
昨夜のようにいつでも旅立てるような格好はしない。
マントと儀礼用に着飾った上着は羽織らず、ラフな格好で昨日も通された部屋に向かう。
ドアを開けると、のんきそうな弟の姿が目に入った。
「あ、兄上おはようございます」
「……おはよう」
「おはようございますノクス様」
にこやかに挨拶を返すのは配膳を手伝っているらしいグラーティア。
その後ろから鍋を抱えたミルザムが姿を現す。
「ミルザムが作ったのか?」
「悪かったな。スピカは迎えに行ってもらってるんでね」
どことなく不審そうな声にミルザムも苦笑して返す。
疑われるのも無理はない。
彼がかつて作ることのできた料理といえば粥くらいだった。
今朝の献立はご飯にわかめの味噌汁とおひたしと香の物。
肉食に慣れている彼らからすれば物足りなくなる内容だろう。
「そういえばティア。お兄さんは?」
「兄様はユーラ様を呼びにいかれましたわ」
邪魔しないでくださいねと笑顔で言われてソレイユはおとなしく席に着いた。
あいつもしつこいというかなんと言うか……そんなことを考えつつ、ノクティルーカは弟の隣の席につく。
もしかしたら、他人から見れば自分もウェネラーティオとそう変わらないのかもしれないが。
そうこうしているうちにウェネラーティオと明らかに元気のないユーラが食卓について、ようやく朝食が始まった。
食後のお茶に満足そうな息を吐いて、ソレイユは今思い出したといわんばかりに口を開いた。
「聞きましたよ兄上。僕を置いていこうとしましたね」
恨みがましそうな言いように、心当たりはあるけれどそ知らぬ顔を向ける。
「実際問題、足手まといになりそうだからな」
「うわ酷いー。自分で言うのもなんですけど、口が回りますから役に立ちますよ?」
どうやら自分の腕は一応わきまえているらしい。
練習はあくまで練習。ソレイユは実戦を経験したことがない。
だからと兄よりも社交的な性格と良く回る舌のことを必死にアピールしてくる。
実を言うと一人旅をしたことのないノクティルーカは同行者には不満がない。
しかし、何も知らないソレイユを連れて行くとなると少し迷う。
いや。ここに残される方が弟にとっては不安かもしれないが。
「わたくしもお役に立てますわ! 回復魔法なら兄様よりも使えますもの!」
挙手して必死に訴えるのはグラーティア。
もう留守番は飽きたとばかりにきらきらした目で見上げてくる。
「ねえ兄様、わたくし魔法を扱うものとして優秀ですわよね?」
「ああ。ティアが優秀じゃないわけないじゃないか」
へらりと笑うウェネラーティオなんてそうそう見れるものではない。
できれば好んで見たいとも思わないが。
「あたしは……行かない」
ポツリとした小さな呟きに、一同は視線を向ける。
彼女は湯飲みを両手で掴んだままにぽつぽつと続けた。
「ポーラのそばにいる。何もできなくても、いるんだ」
視線は上げられることはなく、表情もまた伺い知ることはできない。
親友が何を思っていたのかなんて分からない。
だけど、すべては離れたときに起きたこと。だから今は離れたくない。
「ユーラが行かないなら俺も行かない」
「そういうと思ったさ」
すっぱりと言い捨てた赤い司祭をノクティルーカは半眼で見やる。
「兄様がご一緒されないなら、やっぱりわたくしが行くべきですわ!
回復や防御、それに光系の魔法はお手の物でしてよ」
ここぞとばかりに売り込むグラーティアに仕方なくわかったと頷けば、それはもう嬉しそうな歓声を上げる。
遊びに行くんじゃないんだがな。
どこか疲れを覚えつつ、ふと思う。
前の旅のときに『保護者』を押し付けられた母の友人・イアロスもこんな思いをしてたのかな。
「そうと決まれば準備をしますわ! 早速出発されるのでしょう?」
「ポーリーちゃん命の兄上がそんなのんびりする訳ないですしねー」
「もちろんですとも! 囚われの姫君は一刻も早く王子様が助けるものですわ」
「一応兄上も僕も王族だし。条件はあってるねぇ」
他人事なのに――いや、他人事だからこそ盛り上がるグラーティアは他人の恋って楽しいとばかりに輝いている。輝きまくっている。
かたやソレイユは面白がっている。本当に性質が悪い。
「祝君、そう急くものではありません。ソレイユも煽るな」
苦笑しつつ湯飲みを傾けるミルザムはずっとドアを気にかけている。
「そろそろ帰ってきてもいいんだが」
「スピカか?」
漏れた呟きにのっかって質問すれば、あっさりと首肯された。
「昨夜も言ったろう? 助っ人連れてくるって話なんでな」
「助っ人ー?」
「あのな。いくらなんでも初心者二人抱えさせちゃ心配に決まってるだろ」
おもいっきり不満を訴えるソレイユに諭すように言うが、納得できなかったらしい。つまんないと顔に大書きされている。
「助っ人ってのはどんな奴なんだ?」
考えられるとしたら、またイアロスかなと思い、すぐに打ち消す。
ミルザムは三百年経ってるといっていた。それが事実かなんて分かるわけない。
何の疑問も抱くことなく信じているわけじゃないが、疑いきるのも難しい。
「悪いが、詳しく知らないんだ」
そっちの準備には噛んでないからなぁとつまらなさそうにミルザムは告げる。
「えー、知らない人を仲間に入れるんですかぁ?」
「少なくとも腕は立つ者という制限はついている。
そう心配することはない……と思う」
「と思う?!」
言葉尻を取り上げて大仰に騒ぐソレイユ。
ここは腕力で黙らせるべきかとノクティルーカが実行に移そうとしたときに軽いノックが響いた。
「何を騒いでおるミルザム」
「お前が遅いからだよスピカ」
「この程度も待てぬのか」
半眼でミルザムを見やる美女は昨日と同じく薄絹を纏った姿で、この時期とはいえ少し寒そうに見えた。
「お待たせいたしまして、月の君」
「いや。それで助っ人って言うのは?」
恭しく頭を垂れるスピカにもう一度問いかけると、彼女は後ろにいる人物を見せるように室内に一歩踏み出し横に避けた。
「お初にお目にかかります。月の君、光の君、理の君、祝の君。そしてユーラ殿」
耳になじみのない『彼ら』風の名で彼らを呼んだのは小柄な影。
さらりとしたまっすぐな髪はターゴイスの青。
身体をすっぽりと覆うマントのせいで、余計華奢な印象を与える。
体格に見合った高い声で、少女は伏せていた顔を上げた。
「鼓潔姫と申します。宜しくお願い致します」
まずぴしりと固まったのはソレイユ。
何でこんな若い女の子が? どうみてもティアと同じくらいじゃないか。
変だと視線で兄に訴えるが訴えられた方は落ち着いて観察していた。
腰に佩いた二振りの剣。視線は強く、どことなくとらえどころのない感じ。
――そう。自分にはめったに見せなかった真剣なイアロスや、戦女神と呼ばれた母と似た気配。
多分、強い。
それに『彼ら』は寿命なんてあってないようなもので、おまけに身体能力も『人』に比べかなり上回っているんだから、外見だけで判断できるはずがない。
「お久しぶりです橘殿」
「ああ。しかしまさか鼓殿とは……真砂七夜も奮発したものだな」
「カペラが奮闘したということじゃろう」
呆れたような感心したようなミルザムに、こちらも似たような声音のスピカ。
一連の会話を聞いて、それなりに使えるだろうと判断してノクティルーカも挨拶をする。
「初めまして。俺はノクティルーカ・ミニュイ・ジュール。ノクスでいい」
「申し訳ありませんが、わたくしたちはそちらの名前にあまり慣れておりませんの。目立つことも多いでしょうから、是非愛称で……ティアと呼んでくださいな」
ほんわりとしたグラーティアの言葉に彼女はしばし考え込むように沈黙した。
表情が変わらないというか、感情の起伏が乏しいのだろうか。
顔は整っているし、表情がないからといって冷たい印象は受けない。
そう……静か、とでも表現したら言いのだろうか。
「では私のことはリゲルとお呼びください」
「わかりましたわ、リゲルさん」
ほわりと笑うグラーティアにほんの少しだけ頬を緩めて、リゲルはノクティルーカへと向き直る。
「導姫をお助けするため、ノクス殿の力となるよう主に申し付けられております。
微力ながら、精一杯仕えさせていただきます」
「……助かる」
私は、守りたいものが守れないなんて嫌。だから、守りたいものを守れるように魔法を覚えたの。
かつて聞いた彼女の言葉。
確かにその通りだ。守りたいものが守れないなんて辛い。
だけどな、ポーリー。お前が守りたいって言った人たちだって、お前を守りたいと思ってるってこと忘れてただろ?
悔しさに拳を強く握り締める。
そんな彼の心情を知ってか知らずか、グラーティアは楽しそうに手を叩いた。
「では、まずアルカに向かいましてよっ
手っ取り早く魔道書を奪いに行きましょう」
「ちょっと過激すぎだよティア」
呆れたソレイユの意見は再び彼女に一蹴され、各自準備を整えて。
太陽が中天に差し掛かるまえにノクティルーカたちはかつてのセーラ――六花の街を出た。